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蒼天剣 第2部


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    晴奈の話、27話目。
    晴奈の昇華。

    1.
     人を含め、何物においても、何のきっかけも無しに、突然その姿や性質が変わることは無い。

     黄晴奈にしても、元は単なる町娘である。
     その「ただの人」であるはずの彼女に、周囲が思いもよらぬような変化を与えたのは、焔流の剣士である柊雪乃だった。
     彼女との出会いが晴奈にただならぬ衝撃を与え、剣士としての道を歩ませることとなったのだ。

     その後も晴奈には、「きっかけ」が連続して訪れた。
     魔術師橘との出会い、ウィルバーとの戦い、師匠とクラウンとの勝負、いくつもの旅――その様々な経験が、ついに彼女を、その高みにまで登らせた。



     双月暦512年、秋。
    「……はぁ。参ったわねぇ」
     晴奈はいきなり、柊からこう言われた。
    「え?」
     これまで6年やってきたように、その日もいつも通りに、二人で朝稽古を始めようとしたのだが、晴奈が木刀を構えた瞬間、柊がため息をついたのだ。
    「どうされたのですか、師匠?」
    「まあ、打ち合えば分かるわ」
     そう言って柊は一歩、踏み込んできた。
    (これは……)
     その瞬間、晴奈の頭にたぎるような感覚――黒炎が攻めてきた時や、島と戦った時に感じたのと同じ、息が止まるような緊張感が生じる。
    (……殺気!?)
     元より「稽古であっても真剣にやる」と約束してはいたが、それは技術の面と心持ちで、だけのことであり、まさか本当に殺すつもりでやってきたわけでは無い。
     だがこの時、柊は明らかに本気でかかって来た。その一挙手一投足に、本気で晴奈を殺そうとする気配がにじんでいるのを、晴奈はぞくりと感じていた。
    「くッ!」
     柊が斬りかかると同時に、晴奈は木刀で防御する。だが、ボキ、と言う鈍い音と共に、晴奈の持っていた木刀が真っ二つに折れた。
     柊はいつの間にか真剣を構え、さらにその刃は赤く輝いている。それは紛れも無く、焔流の「燃える刀」だった。
    「し、師匠!? 一体、何故に!?」
    「問答無用ッ! 刀を抜け、晴奈ッ!」
     師匠から向けられる正真正銘の殺意に、晴奈は若干戸惑い、怯む。
    (一体、何をしているのですか、師匠!?)
     だが、その困惑を無理矢理押さえ込み、腰に差していた刀を抜く。
    (……いや、今はそんなことを考えるな)
     晴奈は頭から余計な思考を追い出し、覚悟を決める。
    (今考えるべきは目の前の――『敵』を倒すことだ!)
     晴奈は刀を構え、刃に炎を灯した。

     まだ日も差さぬ、朝もやの立ち込める修行場に、二つの火がゆらめいていた。二人はしばらくにらみ合ったまま、静止する。
     そして先に、柊が仕掛けた。
    「ぃやああああッ!」
     燃え盛る刀を振り上げ、飛び上がる。
     晴奈は瞬時に、柊の太刀筋を袈裟斬りと判断し、刀を脇に構える。
    「させるかッ!」
     晴奈は地面を滑るように低く跳ぶ。一歩分体が前に進み、柊の間合いから外れる。
     柊の刀は晴奈の体を裂くこと無く、切れ味の悪い鍔本が肩に食い込むに留まった。
    「くあ……、あお、おあぁぁッ!」
     痛みからの叫びを気合の声に変え、晴奈は刀の柄を柊の鳩尾にめり込ませる。
    「く、は……」
     柊の口からか細い呻きが漏れ、がくりと頭を垂れてその場に崩れ落ちた。
     それを見た途端、晴奈の緊張が解ける。呼吸を整え、次第に冷静さを取り戻し、そこでようやく、自分が師匠を倒したと自覚した。
    「……師匠!」
     我に返った晴奈は、慌てて柊の側に駆け寄る。柊はぐったりとし、動かない。その青ざめた顔を見て、晴奈の顔からも血の気が引く。
    (ま、まさか。柄で突いたとは言え、打ち所が悪かったか……!?)
     晴奈は柊を抱きかかえ、必死で呼ぶ。
    「師匠! 大丈夫ですか、師匠!」
     何度か声をかけたところで、柊のうめき声が返って来た。
    「……くぅ、痛たた」
     真っ青な顔をしている割にはしゃんとした動作で、柊は晴奈の手をつかむ。
    「強くなったわね、晴奈」
    「え?」
    「今の動き、そして気迫。それに迷いない太刀筋。19でもう、その域に達するなんて」
    「え、あ、ありがとうございます。……あの、師匠?」
     生きていたと安堵する間も無く突然の賞賛を受け、晴奈は戸惑っている。
     それを知ってか知らずか――柊はこう続けた。
    「もう、わたしから教えることは何も無い。修行はおしまいよ」
    蒼天剣・烈士録 1
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、28話目。
    免許皆伝試験。

    2.
     晴奈と柊の戦いから3時間ほど後、晴奈は柊に連れられ、家元である重蔵の前に並んで座っていた。
    「ふむ、そうか。晴さん、師匠に追いつきなすったか」
     重蔵は腕を組み、何かを考え込む様子を見せる。
     やがて決心したように、ぱたりと膝を打った。
    「ようやった、晴さん。良くぞ6年と言う短い歳月で、そこまで己を磨き上げたものじゃ」
    「は、はあ。ありがとうございます、家元」
    「じゃが、まだ免許皆伝とはいかんな。今はまだ、その手前じゃ。
     どうする、晴さん。免許皆伝の証を、狙ってみるかの?」
     この問いに、晴奈の心は当惑すると同時に、とても高揚した。
    (め、免許皆伝!?
     まだ、私は19で、そう、6年だ。修行してまだ、6年しか経っていない。こんな若輩者がそんなものをもらって、いいのか?
     い、いや、しかし。家元が直々に、そうお声をかけてくださっているのだ。であれば、私にその資格があると言っているも、同然なのでは。
     ならば、……狙ってみるか?)
     晴奈は目を閉じ、心を落ち着かせる。
    「どうかな?」
     重蔵がもう一度聞いてくる。晴奈は少し間を置いた後、「はい」と答えた。

     晴奈はふたたび、あの「鬼が出る」堂――伏鬼心克堂を訪れた。免許皆伝の試験は、この堂で行われるのだ。
     だが、入門試験として入った前回と比べ、違う点があった。まず、前もって刀を大小二振りと、武具を身に付けた状態で入らされたことだ。
    (まるで、誰かと戦えと言っているような?)
     いぶかしみつつ堂に入ったところで、重蔵が床を指し示した。
    「さあ、晴さん。そこに座って、わしの話をよーく聞きなさい」
    「あ、はい」
     言われた通りに、晴奈は正座する。そしてもう一つの違いについても、ここで聞かされた。
    「これから一昼夜、丸一日。ここにいてもらう。その間眠らずにいられれば、試験は修了。晴れて、免許皆伝じゃ。
     じゃが、勝手は入門の時とはちと違う。この堂の仕組みには、気付いておるじゃろ?」
    「はい。己の心が、鬼を作るのですね」
     晴奈の回答に、重蔵は深くうなずいてこう続ける。
    「そう。確かに入門時の仕掛けは、そうじゃった。
     じゃが、今度の仕掛けはそれとは、ちと違う。出てくるのは、鬼では無いのじゃ」
    「鬼では無い? では、一体何が?」
     重蔵は首を横に、ゆっくりと振る。
    「それは、晴さん自身で確認し、その理由を考えてみなさい。それがこの試験の答えであり、真意じゃ」
     そう言って、重蔵は堂から出て行った。



     試験が始まってから1時間が過ぎた。
     完全武装した状態での座禅は、流石に武具がうっとうしすぎて気が散ってしまう。とりあえず最初のうちはじっと座ってはいたが、やがてそれにも飽きた。
     晴奈は何とも無しに立ち上がり、重蔵が言っていた、この試験に出てくる「何か」を待ち構えることにした。
    (鬼ではない、か。この重装備だし、もしかすれば鬼と戦えと言っているのかと思ったが、そうでは無いのか。
     では、一体何と戦うのだ?)
     敵を待ち構えることと、思案に暮れる他にはやることが無いので、晴奈は手入れでもしようかと、刀を鞘から抜いた。
    (……!)
     と、その刃に黒い影が映っている――晴奈の背後に、誰かがいるのだ。
    「何奴だ!」
     振り返ると、そこには忘れようにも忘れられない、狼獣人の顔があった。
    「……!? ウィルバー! 何故、ここにいるのだ!」
    「……」
     かつて晴奈に手痛い敗北を負わせた、あのウィルバーがいたのだ。
     ウィルバーは一言も発さず、いきなり襲い掛かってくる。
    「く、この……!」
     4年前と同じく、三節棍は変幻自在の動きを見せ、晴奈を翻弄する。一端をうかつに刀で受けると、もう一端が跳んでくる。
     最初は距離を取りつつ、棍を受けずに弾いて防御していたが、跳んでくる棍は重く、何度も受けるうちに晴奈の手がしびれてきた。
    「……くそッ」
     接近戦は不利と判断し、晴奈は後ろに飛びのく。すかさず一歩踏み込み、間合いを詰めてきたウィルバーを見て、晴奈は瞬時にある戦術を閃く。
    「それッ!」
     踏み込んできたウィルバーに、突きを浴びせる。当然、ウィルバーは防御するため、棍でそれを絡め取る。
    (棍を使ってくるならば、至極面倒な相手になる。だが、それを封じれば……!)
     防御に棍を使うならば当然、その瞬間だけは棍での攻撃ができない。
     晴奈は絡め取られた刀から手を離し、脇差を抜いてウィルバーの眉間を斬りつけた。
    「……!」
     ウィルバーの額から血が噴き出し、そのままバタリと前のめりに倒れた。
    「ハァ、ハァ……。何故、こいつがここに?」
     刀を拾いながら、晴奈は呼吸を整える。
     倒れたまま動かないウィルバーを見下ろしながら、とどめを刺そうと一歩踏み出した、その時――。
    「……!?」
     風を切る音に気付き、とっさに身をよじる。それと同時に、石の槍が頬をかすめた。
    「たっ、橘殿!? いきなり、何をするのです!?」
     先程のウィルバーと同様、橘がいつの間にか、杖を構えて立っていた。
    「……」
     そして橘もまた、無言で襲い掛かってきた。



    「ゼェ、ゼェ」
     堂にこもってから、あっと言う間に8時間が経とうとしていた。
    「わけが、分からぬ」
     最初にウィルバーが襲い掛かったのを撃退してから、既に20人近い手練を打ちのめしている。辺りには彼らが一言も発さず、また、目を覚ますことも無く倒れ伏している。
     襲ってくるのはウィルバーを初めとする、黒炎の者たち。橘や柏木など、修行を共にした者たち――どう言うわけか、晴奈と出会ってきた様々な者たちが、敵味方を問わず、引っ切り無しに襲ってくるのだ。
    「一体、何故に?」
     19歳にして剣術を極めた晴奈とて、8時間も兵(つわもの)たちを相手にし続けては、さすがに疲れも色濃く表れてくる。肩で息をし、後ろでまとめた髪はとうにほつれ、乱れている。敵から受けたダメージも少なくない。
     それを体現するかのように、鉢金がパキ、と音を立てて割れた。
    「後、一体、何人、倒せば、いいのだ!?」
     晴奈以外動く者がいない堂内で、晴奈は鉢金を投げ捨て、叫ぶ。

     と――またしても、敵が現れた。
    蒼天剣・烈士録 2
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、29話目。
    本当の敵とは。

    3.
     さらに時は過ぎ、十余時間が経過した。
    「ひゅー、はぁー」
     もはや、呼吸もままならない。ひとり言をしゃべる気力も失せた。具足や篭手、脇差もとっくに使い物にならなくなっており、残っているのは刀一振りと胸当て、そして道着だけである。
    (まだか? まだなのか? まだ、時間は……!?)
     途中、この異変に気付いて誰か来るのではと、淡い期待も抱いていたのだが、どう言うわけか焔流の者さえ襲ってくるのである。
     そしてこの事実から推理し、晴奈はある結論に行き着いていた。
    (伏鬼心克堂、すなわち心に伏す鬼を克する堂。ここは心の中のものが、現実に現れるのだ。
     恐らくウィルバーなんかや橘殿など、様々な強敵が出てきたのはそのせいだろう。敵を己自身が想定し、作っているのだ。心の中にいる兵たちを、私自身がこの堂に呼び出しているのだ。
     ……にしても、多い! 私はこれほど多くの者たちと戦ってきたのか? 考えもしなかったが、私はこれだけ多く、人を倒してきたのか。
     しかし、そう考えるならば光明はある。疲れて頭はうまく回らない、が……。もう、考え付く限りのすべての兵は、出尽くしたはずだ。もう、現れるわけが無い。
     他に、私が戦い、その強さを認めた者など、一人も残っていない……はず、だ)
     だが晴奈は、一つの可能性に思い当たってしまう。
    (強い、者? いないか、本当に?
     その強い者たち、彼らを、すべて倒した人間がいる、……だろう?)
     考えた瞬間、しまったと舌打ちする。考えれば、それは現実になるのだ。
    (私としたことが! よりによって、こいつの相手を……!)
     目の前にすうっと、人の影が現れる。そしてその顔が、あらわになる。
    (こいつの――『黄晴奈』の、相手をしなければならぬとは!)
     目の前に現れたのは、自分自身。
     晴奈だった。



     自分自身と戦う。
     この奇妙な戦いに、晴奈は戸惑い、困惑し、そして延々と苦しまねばならなかった。

     勝手知ったる自分のことであるはずなのに、こうして「他人」として向き合うと、大まかな動きは検討が付いても、とっさの反応――意識の外で行われる動作など、細かなところまでは予測し切れない。
     完全に動きを読み切ったつもりでとどめを刺そうとしても、半ば本能的な動きで防がれる。そしてほぼ無意識に繰り出される斬り返しで、晴奈は退かざるを得ない。
     目の前の相手は間違い無く自分なのに、その動きがさっぱり読めないことに、晴奈はまず戸惑っていた。

     そしてようやく相手を「自分とは別のものだ」と割り切り、対応するようにしても、今度はその機敏な動きに翻弄され、またも困惑させられる。
     自分が考えられる限界の動きを、相手もその限界ギリギリでこなしてくる。
    「自分ならばこう対処する」と言う戦術・戦法も、相手がそっくりそのまま使ってくるため、意味が無い。
     力技で押そうとしても、同等の力で押し返してくる。
     己の持てるすべての力を使い切り、捨て身になったとしても、相手も同じ力量で立ち向って来るであろうし、その結果相討ちになるのは明白。
     打つ手が何一つ見出せず、晴奈は今までに無いほどに苦しめられた。

     そして晴奈は――薄々ながらも怯えていた。
     自分自身と戦ってからずっと、その「自分自身」からひどく重苦しく、冷たい悪感情をぶつけられているのだ。
     それはこの19年で最も鋭く、最も強い殺意だった。
    (私が、私を殺そうとしている)
     何度、心が折れそうになったか分からない。芯の強い晴奈でさえ、この殺意に怯えたのだ。
    (こんなに、私は殺気立っていたのか。これほど敵に、殺意を向けていたのか。そして実際、殺した者もあった。
     戦いの中でも、仇を討ちに行った時も、こんなに強い殺意を受けたことは無かった。……私と戦った者は皆、こんな気持ちだったのだろうか)
     相手を倒せない焦りと、絶え間なく浴びせられる殺意で、晴奈の手足が重たくなってくる。
    (今まで思っても見なかったが――私は『戦い』の片側しか見ていなかったのだな。もう片側、倒される者のことなど、まったく思いもよらなかった。
     これほど人を絶望させて――私は敵を、殺すのか)
     晴奈の心の中に、じわりと罪悪感が染み出した。

     自分との戦いが始まって、あっと言う間に2時間が経った。
    (どうすればいい……?)
     両者とも疲労が蓄積しているのが、己の肉体の重さと、相手の顔色で分かる。
    (ここまで、私が強いとは。どうすれば、倒せる? どこに隙がある? 何が弱点だ?
     ……ダメだ、策が浮かばない。ともかく、倒さなければ!)
     そう考えたところで、不意に、頭の中で何かが思い返される。
    (……『倒す』? 倒さなければならない? 何故だ?
     よく考えれば、この試験を修了するには24時間眠らずにいればいいのだ。『敵を倒せ』など、誰も言っていないじゃないか?
     であるならば、襲ってきても、ただ防ぐ。無闇に攻撃はしない。己の体力回復に専念――こちらからは、何もする必要は無いのだ)
     そう考えた晴奈は刀を正眼に構え、相手との距離を取った。それでも相手は襲い掛かってくるが、その都度刀を弾き、距離を取る。こちらはただ防御し、攻撃は一切行わない。
     やがてその状態で5分も経った頃、相手も正眼に構え、そのまま静止した。

    (こちらが戦えば、相手も戦う。
     戦わなければ、相手も戦おうとはしない。
     相手が戦おうとしても、こちらが応じなければ、戦いにはならぬ。
     戦えば戦うだけ私は疲労し、時間を費やし、いたずらに人を傷つけ、苦しめる。それで得られるものがあるならまだしも、この場のように、戦うことに意味が無いのに戦うなど、何の得にもならぬ。ならば、戦わなければよいのだ。
     無闇な戦いは、疲れ、失うだけ――そうか。それこそが、この試験の本意なのか)



     そのまま微動だにせず、晴奈と晴奈は向き合った。
     そして長い時が、立ち尽くす二人の間に茫漠と流れ――24時間が、経った。
    蒼天剣・烈士録 3
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、30話目。
    お説教。

    4.
     堂の戸が、すっと開かれる。重蔵がニコニコと笑みを浮かべながら、堂に入ってきた。
    「おう、おう。起きておったな、晴さん」
     晴奈は一瞬重蔵に顔を向け、すぐに目の前で刀を構えていた「自分」の方に視線を戻した。だが、既にそこには誰もいない。辺りを見回しても、人の姿は重蔵だけである。
     この24時間の間戦ってきた者たちは、どこにもいなかった。
    「さて、聞こうかの。晴さん、この試験は何を問うものじゃろ?」
     すべてを察した顔で、重蔵は晴奈に問いかける。晴奈はこの24時間で至った考えを、率直に話した。
    「……戦いの、意義。無闇に戦うことが、正しいことかどうか。無益な戦いは、無駄であると言うことだと」
    「ほぼ、正解じゃ。じゃが後一つ、逆のことも考えなければならぬ」
    「逆のこと? と言うと」
     晴奈は刀を納めつつ、聞き返す。
    「意味も無く戦えば、どうなる?」
    「意味も、無く……。恐らく、無為。何もなさぬかと」
    「さよう。じゃが、確実に失ったものがある。時間や話す機会、物、その他諸々、そして何より、人命。人は失った分、何かを手に入れようとする生き物じゃ。戦いで失ったものを取り戻そうとし、それは時として次の戦いを生む。
     そして戦いでまた何かを失い、さらに手に入れようとし――行き着く先は、修羅の世界じゃ。こうなるともう、無限の損失しか残らん。永遠に失い続ける人生を歩み、何も生み出すことは無い。それは己自身をも滅ぼす、まさしく地獄じゃ。
     無益な戦いこそ、剣士の名折れと心得よ。それがこの試験の本意じゃ」
    「なるほど……」
     重蔵の答えを聞いて、晴奈はしばらく顔を伏せ、考える。
    「……もう一つ、思ったことがあるのです」
    「うん?」
    「私は、私と向かい合った時、ひどく怯えていました」
     それを聞いた重蔵が、「ほう」と声をあげた。
    「自分まで呼びなすったか」
    「ええ。そして対峙した時、ずっと私は私から殺意をぶつけられていました。お恥ずかしい話ですが、これまで私は、あれほど強い殺意を受けたことが無かったのです」
    「ふむ」
     重蔵は腰を下ろし、晴奈に座るよう促す。
    「まあ、今までの経験から言うとじゃな」
    「はい」
     座り込み、同じ目線にいる晴奈をじっと見て、重蔵は言葉を続ける。
    「晴さんみたいに、自分を呼び出した者は滅多におらんのじゃ。
     呼び出した者は例外なく、若くして才能を開花させ、道を極めた者。そう言う者ほど、自分に自信を持っておるのじゃろうな」
    「はあ……」
    「正直な話、わしが試験を受けることを促した時、『自分にはその資格がある』と思っておったじゃろ?」
    「……はい」
     心中を言い当てられ、晴奈は顔を赤くしてうなずく。
    「そんな者ほど、当然過ぎるほど当然のことに気付かん。『敵を倒す時は逆に、倒されることもある』と言うことにな。それが分からん者ほど修羅になりやすい。
     さっきも言うたが、剣士としてその道に身を落とすことは、何よりも悪い罪じゃ」
     罪、と聞いて晴奈の心がまた痛む。先ほど感じた罪悪感が、思い出されてきた。
    「自分と向かい合った時に感じたそれを、よく覚えておきなさい。修羅の道に足を踏み入れそうになった時、それを思い出せば、思い止まることができるじゃろう」
    「はい……」
     晴奈は重蔵の言葉を、心に深く刻みつけた。

     重蔵は懐から巻物を取り出し、晴奈の眼前で紐解き、開く。
    「これは、焔流剣術の始まりからずっと書き連ねておる、免許皆伝の書じゃ。
     ほれ、この端。『焔玄蔵』と書かれておるじゃろ。これこそが我らの開祖、『焔剣仙』玄蔵。そしてその後に、おびただしい数の名前が連なっておる。これらは皆、焔流を極めし者。免許皆伝の証を得た者たちじゃ。
     そして今日、玄蔵と反対側の端に。黄晴奈の名を連ねよう」
     重蔵は指差した箇所に晴奈の名を書き、晴奈の手を取って拇印を押させた。
    「おめでとう。これより晴さんは、焔流免許皆伝を名乗ってよろしい」
    「……」
     晴奈は何か礼を言おうとしたが、言葉にならない。ばっと体を伏せ、重蔵の前で深々と頭を下げた。



     こうして双月暦512年の秋、晴奈は焔流免許皆伝と言う、最大・最高級の剣士の称号を得た。同時に紅蓮塞での地位も急激に上がり、指導に回ることも多くなった。
     だが、晴奈はこの現状に満足しなかった。いくら強くなっても、強くなったと言う証明を得ても――。
    (明奈を救い出せなくて、何が免許皆伝だ。
     いつか明奈が無事に帰ってくるまでは、いや、私が救い出すその時までは、この言葉を用いるまい)
     晴奈は救い出す機を待ち、黙々と修行に励んでいた。

    蒼天剣・烈士録 終
    蒼天剣・烈士録 4
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、31話目。
    頼りない後輩くん。

    1.
     免許皆伝を果たしてから、晴奈の環境は変わり始めていた。

     まず、第一に。師匠、柊と一緒に過ごす時間が減った。
    「また、別な子の指導を頼まれちゃって」
    「そうですか。では、私の弟弟子、となるわけですね」
     柊が新たな門下生に指導を行うこととなり、免許皆伝の身、即ち「教えるもの無し」である晴奈と付き合う時間は、相対的に減るからである。
     とは言え晴奈もそれを寂しく思うような年頃でもないし、柊もそうは思っていないらしい。
    「ええ、そんなところね。その子が起きたら、また改めて紹介するわね」
    「起き、たら……?」
     柊は困ったように、クスクスと笑った。
    「心克堂で、泡を吹いて倒れちゃったのよ。先が思いやられるわ」
    「な、なんと」

     第二に。自分自身が門下生の指導に当たるようになった。
     と言っても、晴奈は免許皆伝こそ果たせど、まだ「師範」では無い。まだ弟子を取るような身分では無いため、他の門下にいる者たちを集めて基本的な内容を教え、監督すると言う、師範格の補佐のような立場に就くこととなった。
    「わ、私、が、本日の指導に当たる、黄、晴奈だ。……んん、皆、その、精進するように」
    「はい、先生!」
     指導初日であがっている晴奈とは裏腹に、門下生たちは皆初々しく、さわやかな挨拶を返してきた。
    「で、では、えーと、んん。まずは、柔軟体操、からかな。各自、えー、私に合わせて、屈伸を始め、なさい」
    「はい!」
     挨拶はたどたどしかったものの、体を動かし始めると段々、調子が乗り始める。
    「よし、それでは素振り、百本行こうか」
    「はい!」「え」
     多くの者が快活に応える中、小さく戸惑ったような声をあげる者がいる。
    (ん? 入門したての者には多すぎたか……?)
     晴奈も一瞬戸惑ったが、ともかくやらせてみる。
    「……はじめっ」
     晴奈の号令に合わせ、ほとんどの者が軽々と百回、竹刀を振り終わる。
     ところが一名、30回を越えたあたりでへばっている者がいた。
    「ゼェ、さんじゅ、う、さん……、さん、ゼェ、さんじゅう、よん……」
    (お、おいおい)

     第三に。紅蓮塞での交友関係も、新しい広がりを見せた。
    「まったく、『お坊ちゃん』にも困ったものだ」
    「そうですねぇ」
     晴奈と同じく、ここ最近指導に当たるようになった者たちと集まり、碁を囲んだり茶や酒を酌み交わしたりしつつ話をする機会が増えていた。
    「確かに、あれはひ弱だ。剣士に向いていないのでは無いのだろうか」
     碁を指しつつそう評する晴奈に、一同は揃ってうんうんとうなずいている。
    「言えてますねぇ」
    「あのもやしっ子、本当に焔の血筋なのか?」
    「さあ……?」
     続いて、全員が首をひねる。
    「正直に言えば、そうは信じられんよ」
    「まあ、家元が自分の孫であると仰っているし、疑う道理もあるまい」
    「いやー、でもあの子、家元には全然似てませんしねぇ」
    「しかし魔力は、あるようではある。座禅などの修練は、いい成績だった」
     晴奈の言葉に、碁の相手は腕を組んでうなる。
    「ふーむ、そうですか。それなら体を鍛えれば、それなりになるかも知れないですねぇ」
    「今のところは気長に観るのが、いいのではないかと」
    「それがいいかもですねぇ。……ほい、と。へへ、黄さん、悪いですねぇ」
     話している間に、相手が盤上に並んだ晴奈の石を、ひょいひょいと取り上げる。
    「む、うー。……投了」



     先程から晴奈の話に上ってくる、このひ弱で気も弱い、短耳の少年。この少年はその年、塞の話題の中心人物となっていた。
     焔流家元、焔重蔵の孫だと言うのだが、16歳の男子にしては体力も腕力も無く、剣士と言うよりは書生の雰囲気をかもし出している。
     名前は桐村良太。いかにも頼りなげなこの弟弟子を、晴奈も当初、あまり良くは評価していなかった。
    (不安だな、どうも。師匠にいらぬ苦労や心配が増えぬと良いのだが)
    蒼天剣・指導録 1
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、32話目。
    貧弱、貧弱ぅ。

    2.
     紅蓮塞に来た当初から、良太の評価は低かった。
     入門試験の時点で、いきなり倒れたからである。
    「お、鬼があぁ……」
     心克堂の仕組みを見抜くことができず、目の前に鬼を出現させてしまい、そのまま気絶したのだと言う。
    「むう。……じゃが、逃げんかっただけましじゃな」
     結果を聞いた重蔵も困った顔をしたが、この時は妙な温情を見せ、塞内に入れてしまった。そこでまず、ケチが付いた。

     様子見と言う温情を付けて入門し、いざ稽古に入ったものの。
    「ヒィヒィ、ゼェゼェ」
     素振りでばてる。
    「痛っ!」
     稽古でうずくまる。
    「も、もうダメ……」
     5分も走れない。
     まともにできるのは座禅や読経などの、精神修練のみ。
     指導に当たる者たちは良太のことを「祖父の七光りの厄介者」と馬鹿にし、遠ざけていた。



     とは言え晴奈にとっては弟弟子であるし、自分も修行を始めたばかりの頃には似たような扱いを受けたこともある。
     疎ましく思う一方で、どこか親近感のような、同情心のようなものを良太に感じていた。
    「調子はどうだ、良太」
    「あ、晴奈の姉(あね)さん」
     ある日、書庫の側に置いてあった長椅子で一人、本を読んでいる良太を見つけたので、晴奈は声をかけてみた。
     ちなみに良太は姉弟子である晴奈を「姉さん」と呼び、とても慕っている。
    「調子、は……。そうですね、毎日、筋肉痛です」
    「そうか。体力は、前より付いたか?」
    「うーん……。あんまり付いた気、しないです」
    「ふむ、そうか」
     晴奈は良太の横に座り、読んでいる本を眺める。
    「何を読んでいる?」
    「え? ああ、えっと。歴史小説ですね。央南の、八朝時代の頃を書いた本です」
    「そうか。面白いか?」
    「ええ。すごく心が落ち着きます」
     そう言って良太は、にっこりと笑う。
    「実を言うと僕、体を動かすの苦手なんです。ここに来る前から、ずっと本ばかり読んでましたから」
    「前、か。そう言えば、お主は何故ここに?」
     それを尋ねた途端、良太は困ったような顔を見せた。
    「あの、それは、ちょっと……」
     その曇った表情に、晴奈は慌てて手を振る。
    「あ、いやいや。言いたくなければ言わなくとも良い。……そうか、まあ、お主にも色々事情があるのだな」
     ばつが悪くなり、晴奈はそこで言葉を切った。
     と、良太は読んでいた本を閉じ、じっと晴奈を見つめてくる。
    「ん? 私の顔に何か付いているか?」
    「晴奈姉さん、お願いがあるんです」
     良太は座り直し、晴奈に頭を下げた。
    「僕を、鍛え直してください」
    「……ふむ?」
     良太も塞内での自分の評判は良く知っていたらしく、思いつめた顔を晴奈に向け、もう一度頭を下げた。
    「僕に力が無いせいで、おじい様の評判まで落としているらしくて。折角僕に色々してくださったおじい様の顔に、泥を塗るような真似はしたくないんです」
    「なるほど。そう言うことであれば、協力は惜しまない。が……」
     晴奈は良太の体つきを上から下まで一通り眺め、ため息をつく。その体つきはどう見ても、貧弱と言う他無い。
    「……相当、大仕事になりそうだ」

     翌日、晴奈は良太を連れて、紅蓮塞の裏手にある山へと登った。
    「ゼェ、ゼェ」
    「頑張れ、良太」
     登り始めて早々、すでにばてている良太の手を引き、晴奈は山道を進む。
    「どこに、行くん、ですか?」
    「まあ、修行の代名詞だな。いわゆる、山ごもりという奴だ。紅蓮塞が山で修行するために、小屋を作っている。そこを貸してもらったから、しばらくはそこで生活するぞ」
    「山、ごもりです、かぁ」
     良太の声がどんどん弱くなってくる。晴奈はため息混じりに、良太に声をかけた。
    「もう少し頑張れ。しゃべらなくても、いいから」
    「はぃ……」
     2時間ほどかけて、晴奈たちは小屋までたどり着いた。
     なお、蛇足になるが――塞からこの小屋までは、晴奈一人の場合だと20分で着く距離である。
    (ふう……。参るな、のっけから)
    蒼天剣・指導録 2
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、33話目。
    スポ根?

    3.
     山小屋に到着した晴奈たちはとりあえず、休憩に入った。到着した時点で、良太が真っ青な顔でばてていたからである。
    「す、すいま、せん」
    「いいから。ともかく呼吸を整えろ」
    「は、いー」
     晴奈は良太の呼吸が整うまでの短い間、夕べ柊と交わした会話を思い返していた。



     良太が「自分を鍛え直して欲しい」と晴奈に請うた話を聞かされ、柊は頬に手を当ててうなっていた。
    「良太がそんなことを……」
    「任せていただいても、よろしいでしょうか?」
     話を聞いた柊は、腕を組んでもう一度うなる。
    「うーん……、そうねぇ、このままだと修行にならないし。……うん、お願いしようかな」
    「ありがとうございます」
    「お礼を言うのはわたしの方よ。
     ……まあ、重蔵先生からね、『こんなことを頼めるのは雪さんしかおらんでのぉ。どうか、あの子が将来困らんように指導してやってくれ』と言われたんだけど、その……。えっと、思った以上に、体力の無い子でね。いずれはわたしも、付きっきりで鍛えてやろうとは思っていたんだけど、……その、最近、ね、ちょっと、立て込んでいて」
     わずかに目をそらし、困ったような顔でつぶやく柊に、晴奈はドンと自分の胸を叩く。
    「お任せください、師匠。必ず、見違えるように鍛えてみせますよ」
    「ええ、お願いね。……あ、そうそう」
     柊は晴奈の猫耳に口を寄せ、そっとささやいてきた。
    「まあ、無いとは思うけど。油断しちゃダメよ」
    「はぁ……? 何を、油断すると?」
     晴奈の顔を見て、柊は呆れたような笑みを浮かべた。
    「……無いわよね、どう考えても」



    (任せてくれ、とは言ったものの)
     ようやく呼吸が落ち着き、汗を拭いている良太を見て、晴奈は心配になる。
    (山登りでこれか。改めて思うが、なかなか苦労しそうだな)

     ともかく、晴奈と良太の山ごもりは幕を開けた。
    「ほら、ばてるな! もっと根性見せろ!」
    「は、はひ」
     まずは、持久力を付けるための走り込み。やはり5分もしないうちに、良太は走ると言うより歩くと言った方がいいような状態になったが、そこで晴奈が活を入れる。
    「もっと足上げろッ!」
    「は、いっ」
     後ろから声をぶつけ、足を動かせる。
    「ほら、手も振れ! もっと息を吸え! 吐くより吸え!」
    「はい、っ、ハァ、すぅー、ハァ」
    「ほら、また足が上がってないぞ! 足上げろッ!」
     何度も足が止まりそうになっていたが、晴奈の活で何とか30分、良太は走り通した。

     次は竹刀の素振り。
    「まだ40回も行ってない! もっと腕を振り上げろ!」
    「は、ぁ……、はいっ」
     汗だくになり、上半身裸になった良太に、晴奈がまた活を入れる。
    「声が小さい!」
    「はい、っ! 38! 39! 4、0! よんじゅう、いち! よん、じゅう、に! よんじゅう、さん、よ、ん、じゅー……」
    「また腕が下がってる! 声出せ!」
    「45ッ!」
     これもつきっきりで晴奈がしごき、何とか素振り百回をやり通した。

     打って変わって、今度は良太が得意としている精神修養の一環、座禅。
    「……」「……」
     二人とも相手を見つめ合い、一言も発しない。
    「……」「……」
     しごかれ、疲労困憊のはずの良太はまったく、眠たげな気配を見せない。
    「……」「……」
     無論、晴奈も6年経験を積んでいるので、これしきのことで眠ったりはしない。
    「……」「……」
     木々のざわめきと互いの呼吸しか聞こえない小屋の中で、時間は刻々と過ぎていく。
     やがて西日が窓から差し込み、カラスの鳴く声が聞こえてきた。
    「……飯にしようか」「はい」



     その日の修行を終え、二人は夕食を作ることにした。
    「精神力だけは人並み以上だな。あれだけの時間をかけて、疲労を抱えていながら眠らずにおれるなど、そうそうできない」
    「そうですか。ありがとうございます」
     二人並んで台所に立ち、食材を切りながら雑談する。
    「体力も、声をかければかけるだけ絞り出せる。まったく無い、と言うわけでも無さそうだ。この調子なら毎日へこたれずに頑張れば、着実に鍛えられるだろう」
    「本当ですか」
     良太の声が嬉しそうに、台所に響く。
    「ああ。明日からも頑張ろう」
    「はいっ」

     食事も済み、日もすっかり落ちた頃、二人は床に就いた。当然また明日も、早朝から特訓である。
    「本当に、今日はありがとうございました」
    「『姉』の務めみたいなものだ。礼などいらぬ」
    「はは、はい……」
     うとうとしかけたところに、良太が楽しそうに声をかけてきた。
    「姉さん、かぁ。僕、兄弟がいないので、何だか嬉しいです」
    「そうか。まあ、明日も頑張れ、『弟』よ」
    「はい、姉さん」
     短い会話の後、二人ともすぐ眠りに就いた。
    蒼天剣・指導録 3
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、34話目。
    師匠のみょーな心配と、家元の検分。

    4.
     晴奈と良太が山ごもりを始め、一ヶ月が経った。
    「走れ! もっと足上げろ!」「はいっ!」
     初日はすぐにへたり、走ることもままならなかった良太だが、このしごきに体が慣れてきたのか、(多少手足の動きは鈍ったままだが)走り切れるようになった。
    「もう少しで百だ! 後20回、こらえろ!」「はい!」
     まともに30回できなかった素振りも、今は何とか60辺りまで、無難にこなせる。
     晴奈の特訓は、着実に実を結んでいた。

     その夜。
    「そろそろ、山を降りるとするか」
    「え?」
     床に入ったところで、晴奈が声をかけた。
    「この一月、お前はよく頑張った。最初の頃より大分、力は付いたろう。もう皆と同じように稽古をつけても、置いていかれるようなことはあるまい」
    「そうですか……」
     なぜか、良太の声は寂しそうだった。その沈んだ声をいぶかしがりつつも、晴奈はそれ以上何も言わなかった。
     話が途切れて10分も経った頃、良太の方から沈黙を破った。
    「……昔」
    「ん?」
    「昔、僕の母は紅蓮塞にいたそうです」
     唐突に、良太は自分の身の上を語り始めた。
    「でも、おじい様とケンカして出て行ったと、母から聞きました」
    「そうか」
    「母はその後央南を転々とし、やがて玄州の天玄で父と結婚しました。そして僕が生まれたんですが、その後……」
     その口ぶりから、晴奈は良太の家に、何か悲劇があったのだろうと勘付いた。そして良太の口から、予想通りの言葉が出てくる。
    「両親とも、亡くなりました。僕がいない間に、……強盗に襲われて。
     事情を聞いたおじい様は、僕を引き取ってくれました。そして『自分の力で、自分を守れるように精進しなさい』と」
    「……そうか」
    「あの……」
    「ん?」
     良太はそこで、口ごもる。
    「……あの、……いえ。その、一ヶ月の間、ありがとうございました」
     何かを言おうとしたようだが、晴奈はあえて尋ねようとはしなかった。
    「ああ。また何かあれば、何でも相談してくれ」



     翌朝、晴奈たちは山を降り、久々に紅蓮塞へと帰ってきた。そのまま柊のいる部屋まで向かい、二人で修行の成果を報告した。
    「師匠、ただいま戻りました」
    「おかえり、晴奈。それで、良太は強くなった?」
    「ええ、それなりに。紅蓮塞での修行にも耐えられるでしょう」
     それを聞いた柊は、嬉しそうに微笑んだ。
    「良かった。そっちの方はもう安心ね」
     晴奈は柊の言葉を聞き、首をかしげた。
    「そっち、とは?」
     聞いた途端、柊は困ったような顔をした。
    「あ、えーと、その。……無いとは、思うんだけどね」
    「ん?」
     柊は晴奈の猫耳に口を寄せ、そっと尋ねてきた。
    「何にも、無かったわよね?」
    「は? ですから、十分鍛えられたかと」
    「……無さそうね。良かった良かった」
    「?」

     続いて家元、重蔵にも同様に報告する。
     重蔵は柊のように変な勘繰りもせず、素直に喜んだ。
    「そうか、そうか。これで一安心じゃな。
     まあ、少し見てみようかの。二人とも、そこで待っていなさい」
     そう言うなり、重蔵は立ち上がって部屋を出る。
     良太はきょとんとした顔で、晴奈に尋ねる。
    「見てみるって一体、何でしょうか?」
    「実力が付いたかどうかを、だろう」
    「はあ……」
     まだ具体的に何をされるのか分かっていないらしく、良太は首をかしげた。
    「見る……、か? どうやって見るんだろう?」
    「とりあえず」
     晴奈はそっと立ち上がり、部屋の端で座り直した。
    「え?」
     立ち上がりかける良太を手で制しつつ、晴奈はこう助言する。
    「得物は手元に近付けておけ」
    「……あ、なるほど」
     そこで良太も、何が起きるか気付いたらしい。慌てて傍らに置いていた木刀を手に取り、周りの気配を伺うように、きょろきょろと見回す。
     その瞬間、晴奈は何かを感じ取った。
    (ふむ……? 不思議な奴だな。あれだけひ弱なくせに、ここで急に一端の剣気――手練が戦いに臨む際、自然と発するような、そんな空気を帯び始めた。
     多少侮っていたが、やはりこいつも焔の血筋と言うことか?)
     良太を包む空気が変化する。それまで怯え、戸惑う兎のようだった目に、緊急を感じ取っている輝きが、ちらちらと浮かんでくる。
    (しかし、それだけが理由では無さそうだ。
     この目は勇猛果敢に敵を打ち砕く虎とも、圧倒的な威圧感で獲物を狩る狼とも違う、どこか切迫した目つきだ。
     例えるなら、手負いの獣。修羅場を潜り、憔悴しきった羊のような……?)
     晴奈は腕を組みながら、じっと良太を見ていた。

     と、唐突に天井が開き、そこから重蔵が槍を持って飛び込んできた。
    「!」
    「せやあッ!」
     重蔵は飛び込んでくると同時に、槍を振り下ろしてくる。
     良太は目を見開きながら、バタバタと後ろに下がる。間一髪避けることはできたが、休む間も無く重蔵が二撃目を繰り出す。
    「そりゃッ!」
    「……ッ!」
     良太は声も上げず、鞘に収めたままの刀でそれを防ぐ。
    「それ、もう一丁ッ!」
     バンと床を蹴る音とともに、槍がもう一度良太に向かって伸びる。
    「うわ、っ」
     刀を抜けないまま、良太はもう一度鞘で防ごうとした。
    「あ、まずい良太」
     黙って成り行きを見ていた晴奈は、そこで声を漏らす。
     重蔵の槍は良太の鞘のすぐ手前でいきなり、ぴょんと跳ねた。
    「えっ」
     そのまま拳一つほど進んだところで、槍の穂先が勢い良く下がる。バチ、と言う音が響き、良太の刀ははたき落とされてしまった。
    「あ……」
    「ふーむ。晴さん、どれくらいじゃろ?」
     問われた晴奈は、二人が仕合った時間を答える。
    「7、いえ、8秒だったかと」
    「8秒か」
     良太の鼻先に槍を当てたまま、重蔵はぽつりとつぶやいた。
    「まだまだ、じゃなー」
     重蔵は槍を床の間に立てかけ、元の位置に座った。
    蒼天剣・指導録 4
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、35話目。
    不毛な情熱。

    5.
     座り直したところで、重蔵が満足気に感謝の意を表す。
    「まあ、それでも最初の頃に比べれば幾分、様変わりしたのう。ようやった、晴さん」
    「はい、ありがとうございます」
     晴奈たちも元の位置に戻り、揃って頭を下げた。
    「まあ、後何年か、じっくり修練を積みなさい」
    「はい。それでは、失礼……」「待った」
     と、もう一度頭を下げ、立ち上がろうとした良太を、晴奈が止めた。
    「何でしょう、姉さん」
    「一つ聞いてもいいか?」
    「……はい?」
     座り直した良太をじっくりと見て、尋ねる。
    「お主の経緯を聞いたが、嘘をついているだろう」
    「えっ」
    「両親が殺された時、お主はその場にいなかったと言ったな?」
    「え、ええ、はい」
    「本当は、いたんじゃないか?」
    「……!?」
     良太の目が見開かれる。晴奈は続いて尋ねる。
    「あの、家元を待ち構える際の、怯えにも似た鬼気迫る気配。何の危難にも出会わず、安穏と生きてきた者が出せるものでは無い。
     よほど己の身が危機にさらされなければ、得られぬ類のものだ」
    「……」
     良太の額に汗が浮かぶ。二人の様子を見ていた重蔵が、はーっとため息を漏らした。
    「流石じゃな、晴さん。その通りじゃよ」
    「おじい様!」
     良太が止めようとしたが、重蔵は片手を挙げ、それをさえぎる。
    「心配するな、良太。雪さんも晴さんも、口は堅い。周りに吹聴して、お前の秘密を暴くようなことはせんよ」
    「……」
     重蔵は座り直し、ゆっくりと語り始めた。
    「まあ、その。始めはわしと、わしの娘のいさかいが原因じゃった。
     わしも娘も、あの頃はひどく頑固じゃった。娘には剣術やら作法やら色々と教えたが、それをすべて、『私はもっと別な人生を歩みたいの』と言って捨て去った。そして口喧嘩の末に、娘は塞を離れた。
     それからしばらくして、娘から手紙が届いた。『ある街でいい人と出会い、結婚した。男の子が生まれたのだが、名前を考えてくれないか』、とな。正直、わしは少し複雑な気分じゃった。娘が勝手にどこの馬の骨とも知れぬ輩と、と怒った反面、反目していたわしを頼ってくれたその気持ちを嬉しくも思った。……結局、わしは和解した。『良太』と一筆したため、娘に送り返したのじゃ。
     その後、何度か手紙でやり取りし、そしてつい最近、『戻ってみてもいいか』と返事が来た。わしは喜んでそれを了解した。で、どうせなら迎えに行ってやろうとそう考えて、娘夫婦のいる天玄に向かった。じゃが……」
     重蔵はそこで言葉を切る。その顔はいつもよりしわが深くなり、くぼんだ目がひどく悲しそうに光っていた。
    「襲われておった。
     家は扉も、窓も破られ、娘も、夫と思われる男も、むごたらしく殺されておったのじゃ。そしてわしは、今まさに良太に襲いかかろうとしていた男を見つけた。考える間も無く、わしはそいつを斬った。腕は落としたものの、そいつは逃げてしまった。
     後に聞けば、そいつは人さらいだったそうじゃ。央南や、央中で暗躍する人身売買の組織があり、良太はそやつらに狙われたのじゃと。わしは良太を連れて急いで天玄を離れ、ここに戻ってきた」
    「……」
     すすり泣く声が、良太から聞こえてくる。晴奈が振り向くと、良太がボタボタと涙を流しているのが見えた。
     その様子を眺めながら、重蔵は晴奈に礼を言った。
    「鍛えてやってくれてありがとう、晴さん。この調子なら、良太はいつかきっと、大願を成就できるじゃろうな」
    「大願?」
     良太はグスグスと、鼻をすすりながら答えた。
    「仇を、取りたいん、です。僕の両親を、殺した、その男を、討ちたい」
    「……そうか」
     晴奈はなぜか、良太がそんな言葉を吐いたことにひどく、胸が痛んだ。
    (優しいこいつが、そんな悲壮な決意を抱く、……のか。私はもしかしたら、こいつが歩むべきだった人生を、曲げてしまったのでは無いだろうか。
     本当にこいつを、鍛えて良かったものか)



     晴奈の心境とは裏腹に、晴奈の評判は大きく上がった。
    「あの『坊ちゃん』を見事に鍛えるとは、なかなかに優れた練士では無いか」と評され、晴奈に指導を請う者、晴奈を慕う者が多くなった。
     勿論、良太もその一人である。
    「晴奈の姉さん、また今日もお願いしますねっ」
     子犬のように晴奈を慕う良太を見て、晴奈は心の奥にわだかまりを覚えずにはいられない。
    (……しかし)
    「ああ。今日も厳しく行くからな。頑張れよ」
    「はいっ!」
    (こいつがそれを望み、全うしようと言うのならば、応えてやらねばなるまい。
     姉弟子として、また、教官としても)
     晴奈は深呼吸し、雑然とした思いを頭から払いのける。
     良太と、前にいる門下生たちに向かって、大声を上げて指導を始めた。
    「では、今日も行くぞ! まずは柔軟からだ! はじめッ!」

    蒼天剣・指導録 終
    蒼天剣・指導録 5
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、36話目。
    妖怪話と、現代っ子の反応。

    1.
     双月暦512年、暮れ。
     央南中部ではある「化物」のうわさが広まっていた。姿は白い大狐で人語を解し、魔術を操り、人里離れた人家や旅人を狙うと言うのだ。



    「へぇ」
     柊が手紙を読み終わり、驚いたような声を漏らした。
    「晴奈、良太。ちょっとこれ、見てみて」
    「はい、何でしょうか?」
     精神修練の一環として、共に写本をしていた晴奈たちは、師匠の差し出す手紙を手に取り、読んでみた。
    「……え? 狐の、……妖怪、ですか?」
    「冒頭からまた、胡散臭い話ですね」
     晴奈も良太も、けげんな顔で柊に応えた。
    「あの、良く読んでみるとこれ、先生のご友人からの手紙ですよね。助けて欲しい、と書かれているのですが……」
     良太の質問に、柊は困ったような顔でうなずいた。
    「そうなの。何でも、彼がいる街でも被害が出たらしくって。彼が率いている自警団でその妖怪を探して捕まえよう、って言うことになったらしいの。
     それで腕の立つ人が欲しいから、来てくれないかって言うんだけど」
    「はあ……」
     話を聞いた晴奈は写本に戻りながら、率直な意見を述べた。
    「胡散臭いにも、程がありますね」
    「そうですか?」
     意外そうな顔をした良太を見て、晴奈は少し呆れる。
    「そう思わないか? 確かに、困ったことが起きたから手を貸してくれ、と言うこと自体は特に不審でもない。
     私が胡散臭いと言っているのは、妖怪などと言う表現だ」
    「表現? どう言う意味かしら」
     今度は柊が尋ねる。
    「妖怪などいるわけがありません。何しろ私はこれまで一度も、そんな奇怪で非現実的なものを見たことが無いですし」
    「でもほら、黒炎教団の神様とか。300年生きてるって言うし」
     良太の意見も、晴奈はにべも無く否定する。
    「だからそんなもの、私は見たこと無い。知り合いが見たとは言っているが、私自身が確かめたわけでは無いしな」
    「ああ、なるほどね。……うーん」
     晴奈の言い分を聞いて、柊は腕を組む。
     間を置いた後、ゆっくりとした口調で、晴奈と良太に説明し始めた。
    「えーと、ね。晴奈、誤解してると思うんだけど、……いるのよ、実際」
    「え?」
    「神話の時代から、数多の化物がそこら中に存在したと言われているわ。
     天帝教の英雄たちが竜や巨大な狼に襲われ、討伐したと言うおとぎ話を初めとして、その手の話は枚挙に暇が無い。
     でも文明が進むにつれて、そう言った話は少なくなっていった。これは人間が住む地域、生活圏が、そう言った化物の棲む地域に入り込み、侵食したせい。
     だから結果として、その場所にいた化物は討伐、淘汰されて、とっくの昔に消滅しているわ」
    「まあ、そう言う話であればまだ、うなずけます。
     しかしその話を前提にしたとしても、どっちにせよ、既にそんなものはこの世からいなくなった。そう考えられますよね?」
     晴奈の反論に、柊は首を振った。
    「いいえ、まだ世界全域に人間の手が入ったわけじゃないもの。
     この央南に限っても、屏風山脈は峠道から外れれば異世界も同然だし、あちこちの森や近海にも、人間が入り込めない場所はたくさんあるわ。
     だから、まだ駆逐されていない化物、妖怪は、確実にいるのよ。そう見えないのは、そんなところに踏み行ったことが無いからよ。
     これまでの旅も、なるべく安全なところを選んだわけだし」
    「そんなもの、……ですか」
     そう説明されても、まだ晴奈は腑に落ちない。それを察したらしく、柊がすっと立ち上がった。
    「じゃ、証拠を見せてあげる」
    「証拠?」
     柊はいきなり、上着を脱ぎ始めた。良太が素っ頓狂な声を出し、飛び上がる。
    「え、ちょっ、先生!?」
    「ちゃんと下は着てるから。……ほら」
     上着を脱ぎ、肌着をへその上までめくった柊を見て、晴奈たちは絶句した。
    「……!」「その、傷は」
    「刀傷には見えないでしょ?」
     どう見ても、大型獣の爪痕――それが腰から鳩尾の下にかけて、柊の右半身に付いていた。
    「10年くらい前、友人と旅をしてた時に付けられたんだけどね。あの屏風山脈を越える時に、うっかり峠道から外れてしまって。で、襲われたの。
     わたしは大ケガを負うし、魔術師だった友人も杖を折られちゃうし。下手をすれば死んでたところだったわ」
    「……」
     良太は食い入るように、柊の傷痕に見入っている。晴奈は恐る恐る尋ねてみた。
    「その、化物とは」「あら、聞きたいの? 嘘だって言ってたくせに」
     柊は服を着直しながら、珍しく恐ろしげな笑みを浮かべて尋ね返す。
    「……いえ、やめておきます」
     その笑い方があまりにも怖かったので、晴奈は口をつぐんだ。

     ちなみに良太は柊を見つめたまま、放心していた。よほど柊の肌着姿が強烈だったらしい。
    蒼天剣・逢妖録 1
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、37話目。
    三人旅。

    2.
     ともかく柊は友人からの願いを受け、手伝いのために晴奈を、そして後学のために良太を連れ、友人のいる央南中部の村、英岡(えいこう)を訪ねた。
    「やあ、良く来てくれたな雪乃」
     街に着くなり、あごひげを生やした道着姿の、短耳の男が出迎える。道着の家紋とたすきのかけ方からして、確かに同門であるらしい。
    「久しぶりね、謙」
     謙と呼ばれた男は晴奈たちを見て、軽く会釈した。
    「君たちが雪乃のお弟子さんかい? 俺は樫原謙と言う者だ。雪乃とは10年以上前に、一緒に稽古していた」
     晴奈はつられて挨拶を返す。
    「黄晴奈です。お初にお目にかかります、樫原殿」
    「ほう、今どき珍しい、堅い挨拶だな。よろしくお願い申す、黄殿、と」
     良太も晴奈に続き、挨拶をする。
    「桐村良太と言います。始めまして、樫原さん」
    「よろしく、桐村くん。……はは、やっぱり堅っ苦しいのはかなわん。黄くんも楽にしてくれていいからな」
    「さてと、謙。挨拶も済んだことだし、そろそろ例のこと、説明してもらっていい?」
     柊に問われた謙は「おう」と応え、街の方に向かって歩き出す。
    「ま、立ち話もなんだから。俺の家で話そう。飯も出すぜ」

     立ち話も、と言った割には、謙は家までの道中、しゃべり倒した。よほど旧友に会ったのが嬉しかったのだろう。
    「しっかし、雪乃は変わんないな。やっぱり、エルフだからかな」
    「ふふ、そうね。謙はどうなの? ヒゲが生えてるくらいで、見た目はそんなに変わってないけれど」
    「いや、やっぱり34ともなるとどこかしら、おじさん臭くなっちまうみたいだな。嫁さんにもよく、からかわれてるよ」
    「ああ、そう言えば結婚したのよね。奥さん、元気なの?」
     謙は嬉しそうに声をあげる。
    「おお、元気元気。もう4年経つけど、いまだに熱々だよ」
    「あら、のろけちゃって」
     柊は口に手を添え、クスクスと笑う。
    「雪乃はどうなんだ? そろそろ、いい相手はできたか?」
    「ぅへ?」
     謙に尋ねられた柊から、妙な声が出る。
    「はは、まだいないみたいだな。っつーか、オクテなところ、まだ治ってないんだな」
    「い、いいじゃない、わたしのことは」
     柊は顔を赤らめ、パタパタと手を振ってごまかした。
    「あ、そこを右だ」
     謙が指し示した方向に、小ぢんまりとした家が立っている。
    「あ、嫁さんに雪乃たちのこと、言ってくるから。ちょっと待っててくれ」
     謙は一足先に家へ入っていった。晴奈たち三人はその間、謙について話す。
    「大分、気さくな方ですね」
    「ええ、とっても話しやすい人よ。腕も立つし、塞では人気者だったわ」
    「そうなんですか……」
     なぜか、それを聞いた良太の顔が曇る。
    「やっぱり、その、先生も強い方を好まれますか?」
    「え? うーん、まあ、どっちかって言えば、だけど。何でそんなことを?」
    「あ、いえ」
     そうこうするうちに謙が、「狐」の女性を伴って戻ってきた。
    「待たせたな、みんな。彼女が俺の嫁さんだ」
     紹介された狐獣人の女性は、柊たちにぺこりと頭を下げた。
    「はじめまして、棗(なつめ)と申します。主人がお世話になっております」
     こんな田舎には多少場違いにも思える恭しい挨拶に、柊たちも同じように頭を下げ、挨拶を返す。お互いの紹介が済んだところで、謙がその場を締めた。
    「じゃ、そろそろ家で話をしよう。飯は、その後で」

     家に入ってすぐ、棗が台所の方に向かう。
    「ご飯の用意をいたしますから、その間……」
    「おう。見とくわ」
     謙がひらひらと手を振り、何かを了承する。謙は柊たちを居間に案内した後、「ちょっと待っててくれ」と言ってどこかに消えた。
    「見とく、って何でしょう?」
     晴奈の問いに、柊はクス、と笑う。
    「そりゃ新婚さんで、奥さんが忙しい間見るものって言ったら」
    「あ、なるほど」
     そこで晴奈も良太も、答えに行き当たる。
     間も無く柊たちの予想通りに、謙が「狐」の幼児を抱きかかえながら戻ってきた。
    「いや、すまんすまん。待たせたな」
    「いえいえ。……わあ、可愛い」
     柊は子供の顔を覗き込み、その頭を優しく撫でる。自分の子をほめられた謙は、気恥ずかしそうに笑う。
    「へへ……」
    「『狐』だけど、顔は謙に似てるわね。名前は?」
    「桃って言うんだ。ほら、耳と尻尾がちょっと桃色だろ?」
    「なるほどねー」



     余談になるが、この世界にはいわゆる「ハーフ」が存在しない。
     例えば長耳と短耳が結婚し、その子供が生まれたとしても、その子供の耳が足して2で割った大きさ、と言うことは無い。
     顔つきや体格など若干の遺伝は生じるが、その子供は短耳か、長耳のどちらかにしかならない。これは他の種族に対しても、同様である。
     短耳の謙と狐獣人の棗の子である桃も、顔立ちは父親似だが、耳や尻尾と言った身体的特徴は、母親のそれである。
    蒼天剣・逢妖録 2
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、38話目。
    雪中の妖狐。

    3.
    「あ、そうそう。和んでる場合じゃなかったな」
     謙は居間に腰を下ろし、ようやく本題に入った。
    「手紙にも書いていた妖怪なんだが、最近は英岡の東側、天神川下流でよく目撃されているらしい。これまでの目撃例を辿ると、どうやら天玄からこっちに南下しているようだ」
    「天玄から? あんな大都会で、妖怪が出たって言うの?」
     前述の柊の言葉を借りれば、人間が多く暮らす場所では妖怪や化物は現れにくいはずなのだが、謙はうなずいて返す。
    「ああ、その時も大騒ぎになったんだ。もっとも、うわさがうわさを呼んで、妖怪が出たこと自体がうやむやになったが。
     ともかく、その妖怪はこっちに向かって動いている。すでに旅人や郊外の家屋など、被害もチラホラ出ていると言うし、この街を警護している俺としては早急に捕まえるか、殺すかしたいところなんだ」
    「なるほど。それで、次に現れる場所とかはもう、目星が付いてるの?」
     謙はもう一度うなずき、宙を指した手を下ろしていく。
    「ああ。俺たちの予測では、また天神川の、以前より南の地点に現れると読んでいる。それも、一両日中に。
     だから人をあちこちに配置して、天神川周辺をまんべんなく見張るつもりなんだ」

     晴奈たちは到着したその日から、妖怪討伐に参加することとなった。
     夕暮れになってから天神川のほとりにたむろしていた討伐隊に合流し、謙と柊、晴奈、良太の4人で捜索することになった。
    「魔術まで使うと言うからな。気を付けろよ、みんな」
    「ええ」
    「分かりました」
     対人のみとは言え、柊と晴奈は戦い慣れしているせいもあって、割と落ち着いている。
    「りょ、了解です」
     しかしそんな経験など無い良太は、怯えがちに晴奈の袖をつかんでいる。
    「良太。動きにくい」
    「す、すみません」
     謝りながらも、袖から手は離さない。その様子を見ていた謙はぷっ、と吹いた。
    「はは、しっかり者の姉と気弱な弟、って感じだな」
    「ふふ、そうね」
     晴奈は片袖をつかまれたまま、左手をパタパタ振る。
    「勘弁して下さいよ……」
     その様子を温かい目で見ていた謙は、深々とうなずいている。
    「いいなぁ、そう言うのも。次は男の子もいいなぁ」
    「謙、本当におじさん臭いわよ、クスクス……」
    「へへ、そりゃおじさんだしな。お前だって、もう30じゃなかったか?」
     柊はすまし顔で、謙に返す。
    「エルフは長生きなの。あと20年は若者よ、うふふ」
    「はは、そりゃうらやましい」
     二人の笑い声で、良太も緊張がほぐれてきたようだ。晴奈から手を離し、話に加わる。
    「本当に、先生は綺麗な方ですよ」
    「え?」「へ?」
     突然、会話が止まる。晴奈は心の中で呆れている。
    (こいつ、空気読んでないな。突拍子が無いにもほどがある)
    「ああ、どうも、ありがとね」
     とりあえず、柊は礼を言う。謙はニヤニヤしている。良太もとりあえず笑ってはいるが、空気がおかしくなったことに、ここでようやく気付いたようだ。
     と――遠くから、誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。

     叫び声を聞きつけた4人が現場に向かうと、辺りは既に修羅場と化していた。
    「な」
    「何だこりゃ?」
    「凍って、……る」
    「さっ、寒い……」
     年の暮れが近いとは言え、まだ雪の積もらない時期である。ところがその一帯は氷に覆われ、凍り付いているのだ。
     辺りにはチラホラ人が倒れており、その体には霜が分厚く降りている。
    「大変、助けなきゃ!」
    「ええ!」
    「待て!」
     凍りついた者たちを助け出そうとする柊と良太を、謙が止める。
    「……いる。すぐ、近くに」
     晴奈もその気配を感じ取り、刀を抜いて構える。良太はまだ、うろたえたままだ。
    「え、え?」
    「良太、わたしの後ろにいなさい。……来るわ」
     柊がそう言った瞬間、木々を裂いて巨大な狐が飛び込んできた。
     全体的に白く、耳と尻尾の先や手足がわずかに桃色を帯びた、体長2メートルはあろうかと言う大狐だった。
    「ひゃああっ!?」
     叫ぶ良太を気に留めず、晴奈が斬り込む。
    「そらッ!」
    「ギャアアッ!」
     晴奈の刀を避け、大狐はボソボソと何かを「唱えた」。
    「……『アイ、ス……、ジャ、ベリ……、ン』!」
    「な……!?」
     柊が驚き、叫ぶ。晴奈は着地直後で、動けない。大狐の背中辺りに氷の槍が形成され、晴奈に向かって飛んできた。
     が、槍は晴奈から大きくはずれ、後ろの木に当たる。
    「……え?」
     てっきり飛んでくると思い、身構えていた晴奈は呆気に取られる。
    「……グルルル」
    「また来るぞ!」
     今度は大狐の周囲に、拳大の雹が十数個現れ、四方に飛び散る。
    「うわああ!?」「動かないで、良太!」
     今度も、命中精度は低い。ほとんど四人に向かうこと無く、地面や木々にぶつかり、弾けていく。
    「何で……?」
    「使えはするが、当たるまでは行かないらしい。っと、またかよ!?」
     大狐は謙に向き直り、また氷の槍を発射した。
    「チッ……! 『火射』!」
     いち早く反応した謙が焔流の炎でその槍を溶かし、消滅させる。
    「グア!」
     大狐は舌打ちをするように吠え、ぴょんと跳んでその場から消えた。
    「な、何なの……!? 今の、魔術だったわ、よね? まさか本当に、魔術を使うなんて」
    「まあ、あの通りだ。使うんだ、本当に。
     ……っと、こんなこと話してる場合じゃない! まだ助かるかも知れない」
     謙は刀をしまい、周りに倒れている者の救助に向かった。
    蒼天剣・逢妖録 3
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第39話。
    梶原夫婦の事情と、柊一門の寝相。

    4.
     結局あの大狐は捕まえられず、また、凍傷によるケガ人こそ出たものの、凍死した者はいなかった。
     双方大きな被害の出ないまま、今回の討伐作戦は失敗に終わった。

     帰宅した四人を、棗は簡単な食事と熱いお茶で労ってくれた。
    「皆さん、お疲れ様でした」
     差し出された茶を受け取りつつ、謙は壁の時計を見て、呆れた声を上げる。
    「うわ、よく見りゃもう朝方じゃねえか。すまんな棗、こんな時刻まで」
    「いえいえ、ご無事で何よりです」
     二人の様子を見ていた良太はなぜか、うらやましそうに見ている。
    「いいですねぇ、何か」
    「うん?」
    「理想の夫婦、って感じです」
    「はは、そうか?」
     謙は嬉しそうに笑い、お茶を一息に飲む。
    「まあ、俺にはできた嫁さんだよ、本当に」
    「まあ、あなたったら」
     棗は口元に手を当て、コロコロと笑った。
    「そう言えば、二人の馴れ初めとか聞いてなかったわね。どうやって出会ったの?」
    「ん? んー……」
     ところが柊に質問された途端、二人は顔を見合わせて黙り込んでしまった。
    「あ、あら? 何か、いけなかったかしら」
    「あー、いや。悪いってわけじゃないんだが。うーん」
     謙はもう一度、棗を見る。棗は少し困ったような顔を見せたが、口から手を離して説明してくれた。
    「……まあ、主人と懇意にして下さっている方ですから、秘密にしていただければ。
     元々、わたくしは天玄のある名家の出だったのですが、少しばかり、家といさかいがありまして。そこで家を離れ、この街まで来たところで、謙と出会ったのです」
     そこで謙が話を切り上げ、休むよう促した。
    「まあ、巷じゃ良くある恋愛話、さ。……さあ、もう寝よう」

    「ビックリしましたね。まさかここに来て、あんな話が待ってるなんて」
     寝床を用意され、早速横になったところで、良太が口を開く。
    「んあ?」
     早くも半分眠りかかっていた晴奈は、それにぼんやりと応える。
    「そうだな、うん。しかし、幸せそうでいいじゃないか」
    「そうですね、本当。……はあ」
    「どうした?」
     急にため息をついた良太に、晴奈が声をかける。柊からは反応が無いので、既に眠っているらしい。
    「僕、最近よく考えるんです。『幸せな家庭』って、あるのかなって」
    「はあ?」
    「おじい様と母はケンカの末、離れ離れになりました。そして母と父は、……亡くなって。僕は将来、樫原さんみたいに幸せな家庭が作れるのかなって」
     晴奈は眠気が押し寄せる頭で、のたのたと答える。
    「それは、まあ、難しいと思うぞ。お前は、仇討ちをする、だろう?」
    「……はい」
    「そんな危険なことを、しなければならん、そんな人生に、女子供を巻き込む、など」
    「そうです、よね」
     しんみりとした声が返ってきたが、既に晴奈は眠っていた。



    「うう、ん」
     誰かがうめいている声で、晴奈ははっと目を覚ました。
    (あ、いかん。良太の相談に乗っていたのに)
    「すまない、りょ……」「りょう、た」
     晴奈が良太に声をかけようとした矢先、その反対側――すなわち、柊の方から声が聞こえてきた。
    (おっと、起こしたか?)
    「りょうたぁ、ううん……」
     突然、晴奈は尻尾をつかまれた。
    「ひゃん!?」
     妙な声が出てしまう。どうやら、柊が寝ぼけて自分の尻尾を触っているらしい。
    「し、師匠、あの」「いかないでぇ」「にゃうっ!?」
     妙に切なげな声で、柊が尻尾を引っ張る。
    「あの、本当にお止めください」「だめぇ、いかないでぇ」「にゃーッ!?」
     これでもかと強く引っ張られ、晴奈は思わず叫んだ。



    「ふあ、ぁ……」
     朝になり、自然に良太の目が覚めた。のそ、と起き上がり、何気なく晴奈たちを見た。
    「……ちょっ」
     良太の顔が真っ赤になる。柊が晴奈を羽交い絞めにして、嬉しそうな顔で寝息を立てていたのだ。一方の晴奈は、泣きそうな顔で眠っていた。
    「……起こした方がいいかなぁ、これ」

    「ごめんなさいね、晴奈」
    「……いえ」
     部屋の隅で尻尾の付け根を押さえてうずくまる晴奈に、柊が謝っていた。
    (あれほど痛いとは、思いもよらなかった)
    「わたし、変な夢を見ちゃって」
    「どんな夢ですか?」
     顔を洗い終えた良太が問いかけると、柊は顔を赤くしてバタバタと手を振った。
    「いいのっ、何でも無いから」
    「はあ……」
     応えてはくれなかったが、晴奈には粗方の予想が付いていた。
    (散々寝言で、『良太』だの『行かないで』だの言って私の尻尾を引っ張り倒していたから、恐らく良太が崖を踏み外して、命綱を師匠が握っていたとか、そんな夢だろうな。
     ……助けておけよ、師匠の夢の中の私め)
    蒼天剣・逢妖録 4
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第40話。
    師匠の逆鱗。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     正午少し前に、晴奈たちは自警団の会議に参加した。昨夜取り逃がした大狐を、もう一度捕まえようかどうか話し合っているのである。
    「思ったよりてこずった、と言うか」
    「難しいな、捕まえるのは」
    「あの動きに加え、魔術まで使われては……」
     昨夜の失敗で、自警団内の空気は重苦しく淀んでいる。
    「しかし、決して倒せないと言うわけではない。現に、あいつの術は俺が破っている」
     団長である謙は場を盛り上げようとするが、団員の顔に希望の色が浮かんでこない。
    「でも、我々では歯が立ちません」
    「団長以外、ほぼ全滅でしたし」
     一向に場の沸き立たないまま、消極的な案が出される。
    「このまま、放っておくわけには行きませんか?」
    「何だと?」
    「あの狐はどんどん南下しているというじゃないですか。もしかしたら、このまま英岡から離れてくれるかも」
     それを聞いた謙は「ううむ……」とうなり、腕を組む。
    (確かに、一理あると言えば、あるのだが)
     晴奈もその理屈に納得しないではないのだが、どうも引っかかる。
    「しかしですね」
     柊も同様だったらしく、手を挙げた。
    「これまで南下したから、これからもずっと南へ行く、……とは限らないでしょう。
     英岡自体かなり南にありますから、狐の南下がここで止まる可能性は少なくないと思います。ここで村の方には絶対に来ない、とも断言できないですし。
     もう一度捜索に当たり、きっちりと始末を付けておいた方が、後顧の憂いを断てるのでは」
     柊の意見に、各々考え込む様子を見せる。長い沈黙が流れた後、謙が採決を取った。
    「……どちらにしても、このままうなるだけでは埒が明かない。どちらかに決めよう。
     このまま放っておいた方がいい、と言う者」
     こちらの案には10人の手が挙がった。
    「では、もう一度捜索した方がいい、と言う者」
     柊が真っ先に手を挙げる。それに続いて、晴奈と良太が手を挙げる。が、それに続いたのは5人――合計で、8人だった。
    「……決まりだな。
     では、一応の警戒だけはしておくが、こちらから討伐には出向かない、と言うことにしよう」
     謙も不安に思っていたらしく、折衷案を出す形で場をまとめた。



     会議が終わり、晴奈たちはまた樫原家に戻ってきた。
    「おかえりなさい、皆さん」
     洗濯の途中だった棗がにこやかに出迎えてくれる。謙は会議で決まったことを伝え、もう2、3日、夜の巡回をすることを伝えた。
    「そうですか……。でも、ここしばらく、あまり休んでいらっしゃらないのでしょう?」
    「まあ、鍛えてるから心配はいらない。終わったらぐっすり寝るさ」
    「そう……。無理なさらないでくださいね」
     それを見ていた柊と晴奈はほぼ同時に、樫原夫妻に声をかけた。
    「あの、良かったら」「ん?」
     晴奈が引き、柊が提案した。
    「わたしと晴奈で今日の巡回、交代するわよ」
    「え? いや、しかしお客にそんなことは……」
     申し訳無さそうな顔をする謙に人差し指を立て、柊が続ける。
    「水臭いわよ、お客だなんて。一日くらい、家族みんなでゆっくり休んだ方がいいわよ」
    「……そうだな。じゃあ、柊一門のご好意に甘えるとするかな」
     柊はにっこり笑って承諾した。
    「ええ、任せてちょうだい。晴奈と良太がいれば、全然問題無いわ」
     名前を呼ばれ、良太が目を丸くする。
    「え? 僕……」「黙れ。空気読め」「……はい」
     良太が口を開きかけたが、晴奈が小声で黙らせた。

     夕方からの巡回に備え、晴奈たちは寝室に戻った。
    「ゴメンね、良太」
    「いえ、そんな……」
     いつの間にか良太まで参加することにしてしまい、柊が手を合わせて謝っていた。
    「しかし良太、仮に私と師匠だけで行ったらお前、多分困るぞ」
    「え? ……あ、ですよね。家族水入らず、ですもんね」
     良太は頭をポリポリとかいて、柊に謝り返した。
    「すみません、僕の考えが至らなくて」
    「いいのよ、謝らなくて。元々、わたしが勝手に言っちゃったんだから。でも、二人とも頼りにしてるから、今夜はよろしくお願いね」
     頼りにしていると言われ、良太の顔が一気にほころぶ。
    「あ……、は、はいっ! 精一杯、頑張らせていただきますっ!」
    「うふふ、ありがとね」
     晴奈は隣の部屋にいる樫原夫妻の声に耳を傾け、軽くため息をつく。
    「ふむ……。本当に、幸せそうだ」
    「ん?」
    「いや……。私の家族は、ある事件で妹がさらわれたからな。それに私自身、親に反発して家を出た口だし、お前の言っていた『幸せな家庭』って奴に、私も少なからず憧れてはいるんだ」
    「そうだったんですか……。姉さんのところも、大変なんですね。
     ……あ、そう言えば」
     良太は何かに気付き、柊の方を見た。
    「先生って、ずっと紅蓮塞にいたんですよね?」
    「ええ、そうよ」
    「いつから塞にいらっしゃるんですか? ご家族とかは?」
     良太からそう質問された瞬間、ほんの一瞬だけ、柊の顔が曇った。
    「……さあ? 物心付いた時からいたもの。覚えてないわ」
     答えた柊の顔は平静を装っているようにも見えたが、明らかに不快そうな目をしていた。
    「あ……。何か、その、えっと。……すみません」
     良太は慌てて謝ったが、柊の機嫌は直らない。
    「いいのよ、別に。……散歩してくる」
     柊は顔を背け、そのまま部屋を出て行ってしまった。
    「僕、変なこと言っちゃいましたか? ああぁー……」
     良太は頭を抱えてへこんでいる。
    「まあ、虫の居所が悪かったのだろう。気にするな、良太」
     晴奈は良太の肩を叩きながら慰めつつ、柊の態度に疑問を抱いていた。
    (あれほど不快感をあらわにされるとは。一体、何があったのだろう?)
    蒼天剣・逢妖録 5
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第41話。
    きょうだい。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     散歩から戻ってきた柊は、すっかりいつも通りの優しげな顔に戻っていた。
    「お待たせ、二人とも。さあ、巡回に行きましょ」
     その顔を見て、晴奈も良太もほっとした。
    (良かった、機嫌が戻ったようだ。
     まったく、普段怒らぬこの方にあんな態度を見せられると、ヒヤヒヤしてしまうな)



     巡回が始まる頃には、短い日差しで若干温くなった空気も、もう既に冷えかかっていた。夕べよりも空気が乾燥し、より寒さが増している。
    「はぁ、寒い」
     良太が鼻まで巻いた襟巻き越しに、白い息を吹く。
    「これも修行みたいなもんだ。我慢しろ」
     そう言う晴奈も良太同様、口と鼻を隠すように襟巻きをしている。
    「姉さんも寒いんじゃないですか?」
    「何を根拠に」
    「ほら、動物の猫だって寒いの、苦手じゃないですか。猫獣人なら、やっぱり」
    「馬鹿なことを。私は猫獣人であって猫ではない。お前だって『裸の耳なんて豚みたいですね』などと言われたら、いい気はしないだろう?」
    「そりゃまあ」
    「大体剣士ともあろうものが少々の暑さ寒さでガタガタと文句を言うな。心頭滅却すれば火もまた涼しと言うだろう」
    「そんなこと言っても、姉さんの耳、プルプルしてますよ」
     晴奈は掌でぺた、と猫耳を覆う。
    「うるさい。……ほら、巡回に集中しろ」
     会話をずっと聞いていた柊は、たまらず笑い出した。
    「……ふ、ふふ、あははっ。本当に二人とも、姉弟みたいね」
    「また、そんなこと……。勘弁してくださいよ、師匠」
     晴奈もつられて笑う。ところが、柊はひとしきり笑った後、唐突に黙り込んでしまった。
    「……姉弟ねぇ。いたのかしら、わたしに」
    「え?」
     柊が何のことを言っているのか分からず、晴奈が聞き返そうとしたその時だった。
    「……晴奈、良太! 何か、感じない?」
     柊の顔が、険しくなった。

     柊に言われて、良太は初めてその気配に気付いた。
     空気が、異様に冷え切っているのだ。既に日は暮れているとは言え、落ちてからたったの数十分で、ここまで気温は下がらない。
     それに何より、獣の臭いが漂ってきている。
    「これ……は」
    「間違い無い、奴だ。良太、下がっていろ」
    「やっぱりまだ、この辺りにいたのね」
     晴奈も柊も静かに刀を抜き、良太を挟むように身構える。くおおん、と言う甲高い叫び声が、辺りにこだまする。
    「う、わ……! 耳が、痛い!」
     良太は叫びに嫌悪感を覚え、耳をふさぐ。晴奈と柊は、身構えたまま動かない。
    「ど、どこから?」
     良太はきょろきょろと、辺りを見回す。だが、昨夜の大狐の姿は、どこにも見当たらない。
     再び、くあああ、と言う叫び声が響き渡る。
    「ひ、い……」
     良太の頭が、締め付けられるように痛む。
    (よ、良く平気でいられるな、二人とも)
     耳を押さえながら、良太は周りの二人に感心していた。
     だがよく見てみると、二人とも脚がガクガクと痙攣している。後ろを向いたままの頭が、異様に震えている。そして、耳からはするる、と血が――。
    「え……!?」
     晴奈と柊は刀を握りしめたまま、二人同時に膝を着いてしまった。
    「『ショックビート』……、これ、で……、うご、け……、ない」
     真正面からのそのそと、大狐が歩いてきた。
    「き、みは、とっさに……、みみを、ふさいだか。にど……、も、かけた……、のに。できれば……、てあら、な、こと……、は、したく、な、かった、……のだ、が」
     狐はパクパクと、口を動かしている。それに合わせて、狐の方向から人間のような声が聞こえてくる。紛れも無く、この大狐がしゃべっているのだ。
    「ひ……」
     良太は慌てて刀を構えるが、恐怖で脚が震え、動けない。
    「うごか……、ないで、くれ。あまり……、さわ、ぎ、に……、した、く、ない」
    「た、助けて……」
     良太は怯えつつも、刀を正眼に構えて牽制しようとする。ところが、ここで大狐が妙なことを言い始めた。
    「たす、けてほしい、のは、こ、……っちの、ほう」
    蒼天剣・逢妖録 6
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第42話。
    妖狐との再戦。

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    7.
    「……え?」
     思いもよらない大狐の言葉に、良太はぽかんとする。
    「た、助けてほしい? って?」
     良太の問いに答える代わりに、大狐は自分の名を名乗った。
    「しょ、……うせい、あま、……あ、ら……、い、ち……と、もう……、す」
    「あまあら、いち?」
    「ああ、はら……、ちい」
    「ああはら、ちい? ……あまはら、いちい? アマハラ・イチイさん、ですか?」
     大狐――イチイは大儀そうに、あごを下ろす。どうやら、うなずいているようだ。
    「いか、に……も。しょう、せい、あに……えに、たばか、られ、……のよう、な、すがたに」
    「え、え……?」
     イチイの声には半ば獣の吠える声が混じり、正確には聞き取れない。だが、何となくは分かってきた。
    「てん、……えん、をぬけ、だし、ここ、ま、で……、にげて、きた、のだが。この、ような、すが、……たになって、は、だれ、……も、まとも、に……、せっして、くれな、……い」
     良太は混乱しつつも、イチイの話を整理する。
    (アマハライチイさん、って言う、……人で。あにえ、って人にだまされて、こんな姿になって、てんえん……、天玄かな? を抜け出して、ここまで逃げてきた? でも、この姿じゃまともに取り合ってくれる人なんかいないから、……それが、妖怪の正体?)
    「あ、あの、イチイさん」
    「なん、だ」
     良太は恐る恐る、イチイに近付く。
    「あの、街の人を襲ったって、聞いたんですが」
    「そ、れは、……おそって、きた、から。……い、いや、しょうせい、もわる、……い、のだ。と、きおり、……じ、じせいが、きか……、なく、な、なる。
     あ、たま、が……、け、け……けも、の、に……」
     イチイのしゃべり方が、次第におかしくなってくる。獣の咆哮が混じり、非常に苦しそうにうめきだした。
    「う、うぐ、……はなれ、ろ、しょう、ねん。しょ、しょう、せい、もう、じせいが……、が、がっ、ガアッ、グアアア!」
     突如、イチイは吠え出した。どうやら、時折自制が利かなくなるらしい。
     良太は慌てて、倒れたままの晴奈たちを起こそうとした。
    「先生! 姉さん! 襲ってきます! 早く……」
     晴奈の襟巻きを引っ張ろうと、手をかけたその時。
    「……何だって? 少し黙ってくれ、良太」
     うるさそうな声を出しながら、晴奈が顔を上げた。
    「姉さん! 大丈夫ですか!?」
    「うるさい。耳が痛い。……ゴボゴボ言ってるんだ」
     晴奈は良太の手をつかんで、どうにか立ち上がる。
    「あ、あの、大丈夫ですか、姉さん?」
     良太が声をかけるが、晴奈は応じず、ただ良太の顔をじっと見ている。
     と、彼女は唐突に顔を傾け、耳をぺちぺちと叩く。すると真っ赤な血がボタボタと、もう片方の耳から垂れてきた。
    「ひゃっ!?」
    「あの叫び声で、鼓膜がおかしくなったようだ。お前が何を言っているか、全然分からぬ」
     今度は反対側に首を傾ける。同じように耳にたまった血を抜き、ようやく地面に落ちていた刀を手に取る。
    「うー、吐きそうだ。何故、こんなに地面が揺れているのだ」
     その言葉と、ユラユラと体を揺らす仕草から、良太は昔読んだ医学の本に、似たような症状が書かれていたことを思い出した。
    (あの術、多分音で耳を潰すんだ。いや、耳だけじゃなく、耳の奥――脳まで揺さぶってるんだろう。多分姉さん、平衡感覚がおかしくなってる。
     そんな状態で、戦えるのか……!?)

     良太の心配は当たっていた。
     晴奈は刀を構えてはみたものの、その途端に、体が右に傾いていく。
    「お、っと」「……!」
     とっさに良太が晴奈の肩をつかんでくる。放してもらおうと良太の方に顔を向けるが、焦点が定まらず、良太の顔がブレて見える。
    「……!」
    「何だって? ……いいや。何か心配はしてくれてそうな顔だ。
     問題無い、大丈夫だ良太。いいから手、放せ」
     晴奈は身をよじって良太の手をはがし、もう一度構え直す。
    「はー、あー、すー、はー、すー、はー」
     晴奈は深呼吸をして、何とか平衡感覚を戻そうとするが、地面は一向に傾いたままだ。
    (参ったな、急坂だ)
     右脚にこれでもかと力を入れ、無理矢理に踏ん張る。
     この間、イチイは何とか頑張ってくれていたようだが、どうやら限界に達したらしく、晴奈に向かって口を大きく拡げ、牙を向いてきた。
    蒼天剣・逢妖録 7
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第43話。
    見えない敵の片鱗。

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    8.
    「来い、白狐」
     体を傾けたまま、晴奈が刀の先を向けて挑発する。その挑発にイチイが乗り、叫びながら飛び込んできた。
    「『火射』ッ!」
     晴奈の刀から炎が走る。凍てつく空気を切り裂き、燃える剣閃がイチイへと飛んで行く。
     しかし、どうやら完全な獣になっても魔術は使えるらしく、イチイのすぐ手前に透明な壁が現れ、そこで炎が阻まれ四散した。
    「あ、姉さん、あの」
     良太はイチイが殺されないよう晴奈に声をかけるが、まだ鼓膜の治らない晴奈が応えるはずも無い。
    「おおおおッ! 『火閃』!」
     晴奈はイチイの目の前へ飛び込み、「壁」に向かって炎の乗った刀を振り下ろす。
    「グアッ!?」
     振り下ろした瞬間、炎は火花に形を変え、バチバチと音を立てて飛び散る。炎が散ると同時に、「壁」に幾筋もの亀裂が入り、消滅した。
    「はー、はー、はーっ、はーっ、ぜぇ、はああ……」
     だが、その一撃で晴奈は力尽きたらしい。ぜぇぜぇと荒い息をしていたが、やがて膝から崩れ、その場にうずくまってしまった。
    「くそ、ここまで、か……ッ」
     晴奈の手から、刀が落ちる。晴奈自身もその場に倒れ、動かなくなった。
    「あ、姉さん!」
    「落ち着いて、良太」
     と、いつの間にか柊も回復したらしく、良太の後ろに立っていた。
    「相討ちよ」
    「え?」
     おたおたしながらも、良太は晴奈とイチイの様子を伺う。
     依然として、晴奈は伸びたままだったが、一方のイチイも晴奈の一撃で額を割られており、仰向けに倒れていた。



    「姉さん、聞こえますか?」
    「ああ、聞こえている」
     柊の治療術で、晴奈の聴力はどうにか元に戻った。だが脳への衝撃はすぐに治るものでは無く、近くの小屋まで運んでもらい、横になっていた。
    「んで、その狐、何て名前だったって?」
     イチイも倒れている間に鎖と荒縄で縛り、今は檻に入れられている。その間に謙たちを呼び、イチイが目を覚まし次第、彼から事の次第を説明してもらおうと、良太が提案したのだ。
    「えっと、アマハライチイさんです」
     良太から名前を聞き、謙の顔が険しくなる。
    「アマハラ……、天原、か?」
    「多分、そうかも……」
     良太の顔も、ひどく不安そうだ。周りの自警団員たちも、神妙な顔を並べている。
    「天原って、まさか、あの天原か?」
    「まさか。名士だぞ、天原家は」
    「いや、しかし。うわさに聞けば、今の当主の桂氏は……」
    「言うなって。どこに奴の間者がいるやら分からん」
     と、晴奈は小声で良太に尋ねる。
    「良太、天原って何だ?」
     対する良太も、小声で説明する。
    「えっと、玄州を治めてる『狐』の方で、州都の天玄に住まわれてるんです。
     何でも今の当主は、何て言うか、そのー、……変わり者だとか」
    「ふむ」
     と、その時。檻の方からガタ、と音が聞こえた。
    「ガッ、グアッ、ギャッ」
     イチイが檻を揺らし、しきりに吠えている。どうやら、今は獣の状態らしい。
    「イチイさん? あの、イチイさーん」
     良太が檻に近寄り、イチイに声をかけてみる。
    「ギャウッ、グウウ」
     だが、一向に人間の言葉をしゃべる気配が無い。団員たちは、揃って疑い深い表情を並べ、その様子を伺っている。
    「本当に、あれが人の言葉を……?」
    「どう聞いても、獣が吠えているとしか」
    「ガセじゃないのか?」
     一向に反応してもらえず、良太も段々と困った様子になる。
    「イチイさんー、あの、起きてくださいよー」
    「ギャッ、ギ……、ぎ、ぎ、き、つい」
     と、ようやく反応が返って来た。
    「しょう、ねん。なわを、といて……、もらえ、ないか?」
     団員たちがそれを聞き、ざわめき出す。
    「……今の聞いたか?」
    「あ、ああ。人の、言葉だ」
    「まさか、本当に?」
     良太は檻を開け、縄と鎖を解いてやった。イチイは一度深呼吸をして、周りにいる者たちを一瞥した。
    「あ、あ。ありが、とう、しょうねん。……だんだん、頭が、はっきりして、きた。
     ここは、どこだ? えーと、その」
    「あ、良太と言います。桐村良太。えっと、ここは天玄から南にある、英岡と言う街です」
    「そうか、ありがとう良太君。
     ……改めて、名乗らせていただこう。小生の名は、天原櫟。天玄の……」
     イチイが名乗ろうとした、その瞬間。
     小屋全体がグラリと揺れた。

    「な……」
     声を出す暇も無く、目の前が「斬られた」。
     まずは小屋の壁が、線を一本引いたかのように、ざっくりと割られる。
     続いて鋼鉄製の檻が、粘土のようにぐしゃりと引き千切られた。
     そして最後に、檻の中のモノ。
    「あ……」
     良太の前半身が、真っ赤に染まった。
     しかし良太には、ケガは無い。どこからも出血などしていない。
    「い……」
     晴奈も、柊も、そして謙たち団員も。
     何が起こったのか分からず、そして動けなかった。
    「イチイさん!? い、イチイさあああん!?」
     良太は力の限り叫んだが、それに答える声は無かった。



    「作戦終了しました」
    《ご苦労でした。まったく、あっちこっち逃げるから面倒だったでしょう?》
     小屋から離れた小さな丘に、顔を布で覆った、黒ずくめの女が立っていた。
    「いえ、それほどでも。……それと、もう一つご報告が」
    《何でしょう?》
    「従姉妹殿を見つけましたが、どう致しましょう?」
    《従姉妹? 僕の? 誰?》
    「棗様です」
    《ああ、そんなのいましたね。でも、まあ、今さら来られても相続問題とか、色々面倒です。とりあえず、放っておいてください》
    「分かりました。それでは帰投します」
     黒装束の女は、夕闇に溶けるように姿を消した。
    蒼天剣・逢妖録 8
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第44話。
    三人旅の終わり。

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    9.
     確かめるまでもなく、イチイは死んでいた。
     この惨状――何者かによる、凄絶な「死刑執行」に恐れをなした自警団員たちは、緘口令を敷いた。妖怪が出たこと自体は隠さなかったものの、この地で捕まえたこと、殺されたこと、そしてその正体について、一切口を閉ざすことにしたのである。
     この結末に、晴奈も良太も不満を感じてはいたが、どこからともなく攻撃を仕掛け、家屋をぶつ切りにするような者が相手では、手も足も出ない。いずれ何かの機に恵まれるよう、同様に口をつぐむしかなかった。
     そしてイチイの死体は、秘密裏に埋葬された。

     そのイチイの墓の前で、良太が泣いていた。
    「イチイさん……」
     ぐすぐすと鼻声で、ずっと彼を偲んでいた。
     と、そこへ誰かがやってくる。
    「あ……棗さん」
     棗は良太と同じように墓の前に座り、手を合わせた。
     そこで顔を上げ、不思議そうに尋ねてきた。
    「あの、何故泣いていらっしゃるのですか?」
    「え?」
     棗は手拭を差し出しながら、悲しそうな顔で尋ねる。
    「この櫟と言う方はあなたにとって、縁もゆかりもない人ですよ。それなのに、何故?」
    「イチイさんは、僕を襲いませんでした。それに、鎖を解いた時、ありがとうと言ってくれましたし、名前も、覚えてもらって……」
     良太は手拭を受け取り、涙と鼻水を拭く。その様子を見ていた棗は、悲しげな顔のまま、クスッと笑う。
    「……お優しい方ですね。うちの人も優しいけれど、あなたの優しさは一層、骨身に染み入るよう」
     棗は墓に手を添え、涙を流した。
    「この方の言葉が正しければ、この人はわたくしの従兄弟でした」
    「え……」
    「この方もお優しい方で、幼い頃から良くしていただきました。頭も良く、きっと次の天原家当主はこの方になるだろうと、囁かれていました。
     ですが実際に当主となったのは、桂小父様。しかも、何故か当主になる前後、わたくしたち一族の血を引く者は皆、不審な死を遂げております。
     ですからわたくしは天玄を出たのですけれど、櫟おじ様は、桂おじ様から逃げることができなかったのでしょうね。何故このようなお姿になったのかは、恐ろしくて想像もできませんが」
     棗は立ち上がり、その場を後にしようとした。それを見て、良太は思わず声をかける。
    「あ、あの、棗さん」
    「はい?」
    「……その、何と言えばいいか」
     棗は振り返り、ふるふると首を振って、優しく返した。
    「いいえ、お気になさらないで。櫟おじ様もこれでようやく楽になれたのですし、わたくしももう、天原棗ではございません。呪われた血筋とは、無関係です」
     そしてまた、踵を返す。良太に背中を向けたまま、棗はこう言い残し、去って行った。
    「そっと、しておいてくださいませ」



     たった二日、三日の滞在だったが、晴奈たちにとっては忘れられぬ旅になった。
    「何だか、どっと疲れてしまいました」
    「そりゃ、昼夜逆転してた上に鼓膜破れて頭痛めて、ってなれば疲れもするわよ」
    「そうですよね、はは……」
     帰路に着いたところで、晴奈は良太が元気の無さ気な顔をしているのに気付く。
    「良太、どうした?」
    「……いえ、何でも」
    「無いわけないじゃない。顔、青いわよ」
     柊がぺた、と良太の額に手を当てる。
    「……あら、今度は赤くなった。風邪?」
    「い、いえ、それは、先生が」
    「あら。わたしが、……どうしたの?」
     柊はいじわるっぽく笑っている。
     傍目に見ればこれも弟をからかう姉、と見えなくも無いのだが、この時晴奈は、柊のわずかな不自然さを見抜いていた。
    (うん? 師匠も、何だか顔に赤みが差している。旅の疲れで熱、出たんじゃないだろうか)
     と、眺めているうちにいつの間にか、晴奈が二人を追い越し、前に出る。
    「あ、晴奈。置いてかないでよー」
     それに気付いた柊が、またもイタズラっぽい声を出す。
    「おっと、失礼しました。……とは言え、皆疲れていることですし、早目に帰りましょう。双月節も間近ですし」
    「あら、そう言えばそうだったわ。早くしないと年が明けちゃうわね。
     よーし、急いで帰りましょ、晴奈、良太!」
    「はいっ」
     駆け足になる柊に応え、晴奈と良太も走り出した。

    蒼天剣・逢妖録 終
    蒼天剣・逢妖録 9
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第45話。
    夢のお告げ?

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    1.
     ある日、晴奈は気がかりな夢を見た。

     その夢の中で、晴奈は15歳に戻っていた。場所は嵐月堂、かつて黒炎教団と戦ったあの場所である。
    「……? 教団員たちは、どこに?」
     夢の中だからか、記憶は混乱している。
     周りに尋ねようとしたその時、晴奈の目の前を、とても懐かしく、長い間気にかけていた者が横切った。
    「め……」
     声を出そうとした瞬間、景色は一変した。
     晴奈はさらに若返り、13歳になった。場所は黄屋敷、晴奈の実家である。
    「待って、明奈!」
     晴奈は廊下を走り、妹、明奈の後を追った。

     追いかければ追いかけるほど、場所も時間も、晴奈の姿もころころ変わる。
     8歳、故郷の港で。
     18歳、師匠との旅の途上、森に挟まれた街道で。
     14歳、父に己の実力を見せつけた修練場で。
     16歳、青江の街中で。
     19歳、伏鬼心克堂で。
     数え切れないほど多くの場所をさまよい、晴奈は追い続けた。

     何時間経ったのか。
     ようやく、晴奈は追いついた。今、自分が何歳なのか良く、分からない。場所もどこなのか、さっぱり見当がつかない。
    「明奈っ」
     明奈のすぐ後ろまで迫った晴奈は、飛び込んで妹を抱きしめる。妹は動きを止め、そのまま何も言わず、じっとしている。
    「……良かった。ああ、良かった。本当に、……戻って来てくれて」
     そこで、目が覚めた。

     その気がかりな夢に一体何の意味があるのかと、晴奈は目を覚ましてからずっと考えていた。
     朝稽古の時も、朝食の時も、門下生たちに稽古をつける時も、頭の中にはそのことしか浮かんでこない。
    (あの、夢は……。何かの、兆しなのだろうか。これから何か起こることの、現れであろうか)
     そんなことをぐるぐると頭の中で思案し、やがてこんな結論に至った。
    (焔流の門を潜り、早7年。
     免許皆伝も得たし、人を指導するようにもなった。私は十分、力がついたはずだ。あの夢は、私に力が付いたことを、具体化したものなのかも知れぬ。
     それはつまり、私が、いよいよ明奈を救い出せると言う機が――来た、か)

     思うが早いか、晴奈は紅蓮塞を飛び出し、北西へと進んでいた。
     その道の先には、屏風山脈――すなわち、黒炎教団の本拠地、黒鳥宮がある。
    (待ってろ、明奈! 今、助け出してやるからな!)
     晴奈は足早に、街道を突き進んでいく。師匠と何度か旅を経験したおかげで、一人きりでも大まかな道筋は分かる。
    「待ってろよ、明奈」
     晴奈は自分の足の、あまりにも軽快な進み具合に、これも夢では無いかと怪しんだほどだった。



     やがて4日も進んだ頃、晴奈は屏風山脈のふもと、黒荘と言う街にたどり着いた。
     教団が近くにあり、また、街の名前に「黒」とある通り、ここは教団の教区、つまり縄張り内である。
     そのため、一見しただけでも焔流の剣士であると分かる晴奈が来た途端、住人たちは揃っていぶかしげな視線を向けてきた。
    (フン……! こちらは焔流、免許皆伝の身だ! 来るなら来い、黒炎め!)
     口や行動には出さないまでも、晴奈のその態度からは、教団への敵対心がありありと浮かんでいる。
     当然、道を歩けば歩くほど、遠巻きに眺める者たちが続々と増えていく。
    (さあ、いつ来る? どう来る?)
     晴奈の心と態度はどんどん、挑発的になってくる。
     やがて、晴奈の前に一人、男が現れた。
     だがその姿はどう見ても、教団員には見えない。ボロボロの外套と三角形の帽子は、まるで央北か央中のおとぎ話に出てくる、魔法使いのようだった。
    「一つ聞いても、いいね?」
     そのエルフは、眉をひそめながら声をかけてくる。
    「何だ?」
    「君、誰にケンカ売ってるね?」
     晴奈はその言葉を聞いた瞬間、自制を止めた。
    「いいだろう。私はこ……」「バカ」
     名乗りを上げようとした瞬間、目の前が暗転した。

    「……う?」
     気が付くと、晴奈はどこかの、小屋の中で横になっていた。
    「目、覚めたね?」
     横には先程のエルフが座っており、呆れた目を晴奈に向けている。
    「何故、私はここに?」
    「私が運んだね。……どーやら焔の人っぽいけど、何であんなコトしようとしたね?」
    「む?」
    「教団員だらけのあの村で、いきなり『私は焔の剣士だ』なんて、自殺行為もいいとこだね」
     エルフは30代くらいの見た目に似合わない、少年のような高い声と妙な言葉遣いで、晴奈を責める。
    「自殺行為なものか! 私は焔流、免許皆伝の……」「はいはい」
     エルフは晴奈の言葉をさえぎり、彼女の額をペチ、と叩いた。
    「自慢はいいから。私は理由を聞いてるね。なんで焔流の剣士サマがわざわざこんなトコまでやって来て、あんな挑発めいたコトしてたのか、ってのをね」
    「……聞きたいと言うのなら、いくらでも聞かせてやる」
     エルフに促され、晴奈は街に来た理由を説明した。
    「ふーん。妹を救いにねぇ」
     話を聞き終えたエルフは腕を組んだまま斜に構え、黙り込む。晴奈はイライラしつつ立ち上がり、その場を離れようとした。
    「先を急ぐので、これで失礼させてもら……」「話は終わってないよ、おバカ」
     いきなり罵倒され、晴奈は面食らう。
    「なっ!? 誰が馬鹿だと!?」
    「一回ちゃんとボコられなきゃ分かんないみたいだし、その高くなった鼻、ポッキリ折ってあげようかね?」
     エルフは晴奈を頭から、馬鹿にしている。自尊心の高い晴奈は、エルフの態度に怒りをあらわにした。
    「……望むところだ。返り討ちにしてくれる」
    蒼天剣・遭賢録 1
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第46話。
    賢者との遭遇。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     小屋の外に出た晴奈は辺りを見回してみる。どうやら黒荘の外れらしく、少し離れたところに人家が見える。
    「ホラ、突っ立ってないでさっさとそっちに行くね」
     すぐ後ろにエルフが立ち、背中をバシッと叩いてくる。
    「……」
     偉そうに振舞うエルフに、晴奈の怒りはさらに膨れる。
     開けた場所に出たところで、エルフはどこからか杖を取り出し、気だるそうに身構える。
    「はい、んじゃ、まー。ちゃっちゃと、やろうかね」
     そのやる気の無い構え方に、晴奈の怒りは頂点に達した。
    (何が『高くなった鼻をポッキリ』だ!? お前自身が増長すること、はなはだしいではないか!
     その油断、高く付くぞ!)
     晴奈は駆け出し、エルフに初太刀を入れようとした。
    「わ、バカだねー」
     それを眺めていたエルフはまた晴奈をあざ笑い、ゆらりと杖を振った。

     その瞬間――。
    「……!?」
     地面が引っくり返り、景色が勢い良く滑る。
     いや、晴奈がさかさまになりながら、吹っ飛んだのだ。
    「敵を知り、己を知れば百戦負け無し。だのに今の君、私のコトをどれだけ知ってるって言うね?」
     エルフの声がやけに遠く、尾を引くように聞こえる。
    「な、何をした!?」
     エルフのはるか後方まで飛ばされた晴奈は、混乱しつつも空中で体勢を立て直し、どうにか無傷で着地する。
    「んでもって、キミは」
     刀を構え直し、エルフの位置を確認しようとしたが、どこにも姿が無い。
    「ど、どこだ!?」
    「どれだけ自分がバカでマヌケで向こう見ずで身の程知らず、ってコトを知ってるね?」
     振り向いてもやはり、エルフを見付けられない。
    「……!」
     晴奈の右肩に電流めいた痛みが走る。
     その痛みが魔術か、それとも杖を振り下ろされたものなのか良く分からないまま、晴奈の脚から力が抜けていく。
    「ぎ……ッ」
     急速に遠のいていく意識の端で、エルフがまた自分をあざける笑い声が聞こえた。

    「……う、っ」
     気が付くと、また小屋の中だった。先程と同じように、エルフが傍らに座っている。
    「目、醒めたね?」
     晴奈は自分に何が起こったのか、懸命に整理し――負けたことを、理解した。



    「ま、それじゃ。一個いっこ考えていこうかね」
     エルフは小屋のものを勝手にいじって、茶を沸かしている。
    「何で君は、私に勝てると思ったね?」
    「それは、その。私は、焔流の免許皆伝であるし」
    「うんうん、それはさっき聞いた。で、免許皆伝だから、何で勝てるって?」
    「え? いや、だから、……その」
     そう問われ、晴奈の思考は止まる。
    「それは君の剣術が一端のモノになったって言う証明であって、誰にでも勝てるって証明では無いよね?」
    「それは……」
     答えに窮する晴奈に構わず、エルフは指摘を続ける。
    「もしそんな風に思ってるなら、それは君の先人全員に対する侮辱だね」
    「なに?」
    「だってね、君がもし、浅はかにもさっきの街中で名乗りを上げてたら、きっと街の人はみんな、君を殺しに来るね。
     ソコで君が負けてさ、『焔流、敵にあらず!』なんて言われちゃったら、焔流のみんなはどんな気持ちになるだろうね?」
    「……!」
     エルフの言った光景を想像し、晴奈はひやりと冷たいものを感じた。
    「免許皆伝は無敵の証明じゃないね。その流派の教えを修め切った、その流派の代表になったって証明だ。
     ソレを履き違えて、『自分はとっても強いんだ』なんて公言したりなんかしたら、とんでもない大恥をかかせることになる。君だけじゃなく、君の属する剣術一派全体にもね」
    「……」
     エルフの説教を、晴奈は頭も猫耳も垂れ、ただ聞くしか無かった。
     そこで茶が沸き、エルフは茶を晴奈に差し出しつつ、説教を締めくくった。
    「敵のコトはおろか、自分のコトすら知らない、分かってない。
     そんなおバカが勝てる道理なんて無いね」

     晴奈は自分の慢心と大言壮語を反省するついでに、自分が見た夢の話をした。
    「私は、妹をつかむ夢を見たのです」
    「ふーん。だから現実でも妹を救えるかも、って?」
    「はい……」
    「ふーん、ソレはソレは、結構な思い付きだね」
     エルフは晴奈の話を、鼻で笑う。
    「きっかけを何かに求めるのは自由だけどね。
     思い立ったら即行動、じゃなくてさ、立ち止まってじっくり考えた方がいいね。『今が本当にその機なのか? 本当は自分の思い込みじゃ無いのか?』ってね」
    「……」
     うつむく晴奈を見て、エルフはふー、とため息をつく。
    「まあ、そう落ち込むなってね。もしかしたら、本当に吉兆かも知れない。無闇に期待するのはおろかだけど、さらりと流すのも味気ないしね。
     そんなもん、『何かいいコトあるかもー』くらいで考えた方がいいね。頼ったり過信したりってのはダメだけどね」
     いいとも、悪いとも言い切れない結論に、晴奈は少し困惑した。
    「そんなもの、ですかね」
    「そんなもんだね。
     さて、そろそろ私は行くね。精進しな」
     エルフは茶を飲み終えるなり、そそくさと小屋を後にした。
     晴奈は小屋に残り、魂を抜かれたような心持ちで、ぼんやりと茶をすする。
    「……あ」
     しばらく経って、晴奈はエルフの名前を聞いていなかったことに気が付いた。
    蒼天剣・遭賢録 2
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第47話。
    賢者の名前と、何かのフラグ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     8日ぶりに戻ってきた晴奈を見て、柊は安堵のため息を漏らした。
    「良かった……! 晴奈、無事に戻ってきたのね」
    「はい。ご心配を、おかけいたしました」
     晴奈は深々と、頭を下げた。その様子を見て、柊は不思議そうな顔をする。
    「ん? 晴奈、何かあった?」
    「……いえ。特に、何も」

     紅蓮塞に戻ってからすぐ、晴奈は精神修養を積むことにした。刀を振るうこともせず、黙々と座禅を組む晴奈の姿に、柊は不安そうな顔を重蔵に見せていた。
    「大丈夫でしょうか、晴奈は」
    「んー、まあ」
     重蔵はぷい、と晴奈から顔を背け、腕を後ろに組んでこう言った。
    「ここしばらく浮ついておった心が、程よく落ち着いたのは確かじゃ。悪いことでは無い。放っておいても、問題は無いじゃろ」
     重蔵の言葉に、柊も「そうですね……」とうなずく。
    「ま、無事に帰ってきて何よりじゃ」



     戻ってからさらに一週間ほど経ち、晴奈はすっかり元の通り、稽古に姿を見せていた。
    (あのエルフの言う通り、私は確かに愚かだったかも知れぬ。気ばかり焦って、とんでもない失態を犯すところだった。
     今一度、修行のやり直しだ)
     そんな風に考え、黙々と木刀を振るっていたところに――。
    「知ってるか? 『旅の賢者』の話」
    「何だそりゃ」
     門下生たちの話し声が聞こえてきた。
     あまり長くなるようであれば諌めようかと考えていたのだが、その内容を聞くうち、晴奈は目を丸くした。
    「何でも、旅人の前に現れて、色々ためになることを教えてくれるって言う、変な奴らしいんだけどな」
    「胡散臭ぇー」
    「まあ、聞けって。で、友達から聞いたんだけど、こないだ黒荘に現れたんだってさ」
    「へー」
    (こ、黒荘?)
     叱るのも忘れ、晴奈は話に耳を傾ける。
    「何でも、ウチの人間ともめたんだって」
    「ホントかよー」
    「見た奴がいるとか、いないとか」
    「いなきゃうわさにならねーよ」
    「そりゃそうだ、ははは……」
    (……汗顔の至りだ)
     修行によるものとは別の、ひやりとした汗が額に浮き出てくる。
     たまらず、晴奈は彼らに声をかけた。
    「もし、お主ら」
    「あ、先生」
     門下生たちはしまったと言う顔をしたが、晴奈は諌めず、二人に尋ねた。
    「その『旅の賢者』とやらの話、詳しく聞かせてくれないか?
     いや、単に興味があるだけなのだが。別に気になるとかでは、無いのだが」
    「はあ? えー、まあ、話せと仰るなら」
     門下生もうわさに聞いた程度であるらしく、説明はたどたどしいものだった。
    「まー、何て言うか、めちゃくちゃ長生きな奴だそうで、あの『黒い悪魔』と同じくらいか、下手するとそれ以上生きてるとか、何とか。
     世界中を旅してて、そいつに出会った歴史上の有名人は、何人もいるらしいですよ。まあ、俺も良く知らないんですが。
     で、確か名前が、……何だっけなぁ? 外国っぽい名前で、えーと、確かー」
     門下生はしばらく記憶を探った後、手を叩いて叫んだ。
    「そうそう! モール、でした。『旅の賢者』モール。それが、そいつの呼び名ですよ」
    「ふむ、モール、か。そうか……」
     晴奈はそれを聞くと、門下生たちの前から立ち去った。
    「……怒られると思ったんだけど。どうしたんだろう、黄先生?」
    「さあ?」
     残された門下生2人は、きょとんとした顔を見合わせていた。

    (そうか、モールと言うのか)
     モールの憎たらしく、ふてぶてしい態度と言葉を思い出し、晴奈はほんの少し、イラつきを覚える。
    (まったく、情けない。あんなヘラヘラとした奴に、いいようにやられてしまうとは!
     今一度、気を引き締めなければ)
     自分のふがいなさを改めようと、ぐっと拳を握ったところで――。
    「あれ、姉さん」
     目の前を良太が通りかかる。
    「お、良太。稽古はどうした?」
    「さっき終わりました。姉さんもですか?」
    「ああ。一風呂浴びてから飯でもと思っていたが、一緒に食べるか?」
    「ええ。……あの、姉さん」
     にこやかだった良太の顔に、困ったような顔色が浮かぶ。
    「ん?」
    「ちょっと、お話があるんですが……。良ければ書庫まで」
    「……?」
     良太の様子が気になり、晴奈は何も言わずに付いていく。
     書庫に着くなり、良太は中に誰もいないことを確かめ、扉を閉める。
    「どうした? 何か妙だぞ、良太」
    「ええ、まあ、その。あんまり、他の人に聞かれたくなくって」
     良太はもう一度、辺りを見回す。
    「えー……、その」
     良太の顔が赤くなってくる。それを見た晴奈は、思わず身構えてしまう。
    「何だ?」
     良太は一歩晴奈に近付き、彼女の耳元でぼそっとつぶやいた。
    「実は、あの……」

    蒼天剣・遭賢録 終
    蒼天剣・遭賢録 3
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第48話。
    衝撃の告白。

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    1.
     晴奈が黒荘から紅蓮塞に戻って、数週間が過ぎた時のこと。
     晴奈は書庫の中で、いきなり告白された。

    「好きなんです」
    「は?」
     晴奈はぽかんとしてしまう。目の前にいる、顔を真っ赤にした良太を見て、後ろを振り返り、もう一度前を向き、猫耳を掌でポンポンと叩いて問い直す。
    「すまない、良太。もう一度、言ってくれないか?」
    「ですから、あの、好きなんです」
    「……良太」
     晴奈は脱力しそうになるのをこらえて、良太の肩に手を置く。
    「落ち着こう。うん、まあ、落ち着け」
    「えっと、あの」
     良太は手を振り、ゆっくりと説明する。
    「晴奈の姉さんが、好きってことじゃないです。いえ、好きなんですけど、そう言う意味じゃなくて」
    「だから、落ち着け」
    「えーと、えー、ともかく。姉(あね)さんのことは普通に好きです。あの、恋愛とかじゃなくて、本当の姉(ねえ)さんって感じで」
    「ああ、まあ。それなら、いいんだ」
     ほっとする晴奈を見て、良太も安心した顔をする。
    「ええ、まあ、それでですね。その、……が好きなんです」
     安堵のため息が、のどの途中で引っかかる。
    「……もう一度、言ってくれ」
    「先生が、その……」
     晴奈はもう一度、良太の肩に手を置いた。
    「先生って、……聞くが。それは、私の師匠のことか?」
    「……はい」
     良太が答えた瞬間、晴奈は良太を書庫の奥まで押し込んだ。
    「待て待て待て待て! 待て、良太!」
    「は、はい」
     晴奈は良太の肩に手をおいたまま、深呼吸をする。
    「もう一度、聞くぞ」
    「はい」
    「お前が、好きだと、言っているのは、誰だって?」
     良太は顔を真っ赤にしたまま、もう一度答えた。
    「あの、……柊先生です」
    「はぁー……」
     晴奈はそれ以上立っていられなくなり、良太の前にへたり込んだ。
    (こいつ、よりによって自分の師匠を好きになるか……!? 何を考えているんだ、まったく?)
    「あ、その、えーと」
    「うーむ、……そんなことを聞かされてもなぁ」
     晴奈は平静を装って立ち上がるが、内心、かなり動揺していた。良太は軽く咳払いをし、話を続けようとする。
    「こ、コホン。それで、ですね、あの」
    「何だ? 他に何を言う気だ?」
    「えーと、その、ちょっと、聞きたいんですが」
    「……何を?」
     良太はまた、顔を赤くして尋ねてくる。
    「先生の、好きなものって何でしょうか?」
    「はあ?」
     普段、自分が話すこととあまりにも違う部類の話題に、晴奈は頭を抱えてうなる。
    「むう……。好きって、師匠の、好きなものか。うーむ、そうだなぁ……」
     懸命に考えてはみるが、混乱した頭では答えが出てこない。
    「あの、例えば、食べ物とか」
     良太が具体的に質問してくれたので、何とか答えが浮かんでくる。
    「んー、そうだなぁ。キノコなどの山菜は、好んで食べていたな。後、肉料理はあまり、食べないとか。あ、でも鳥料理は好きだと言っていた」
    「ふむふむ」
     良太は懐紙を取り出し、晴奈の言ったことを書き連ねている。
    「じゃあ、えーと、趣味は、何でしょう?」
    「趣味、か。んー、小物を集めるのが好きだと聞いた」
    「じゃ、じゃあ、そのー。どう言う男性が好きか、って、分かります?」
    「はあ? んー……、そう言えば昔、聞いた覚えがあるな」
     晴奈は椅子に腰掛け、記憶を探る。
    「ああ、そうだ。確か強くて正直で、優しい者を好きになったことがある、と言っていた」
    「す、好きになった、人……、ですか」
     良太の顔が、一瞬にして曇る。晴奈は慌てて訂正する。
    「あ、いやいや、その人物は既に塞を離れている。今、師匠が想っている者は、多分、恐らく、いないと、思うぞ」
    「そ、そうですか!」
     また、良太の顔が明るくなる。そのまま良太は、ぺこりと頭を下げて書庫から出て行った。
    「ありがとうございました! また相談、乗ってくださいね!」
     残された晴奈は、良太の浮かれっぷりに、呆気に取られていた。
    「そんなこと聞かされても、……どうしろと」
     晴奈は頭を抱えながら、良太の話を反芻する。
    (実際、どうなのだろう?)
     晴奈は先程挙げた師匠の好みと、良太を比較してみた。
    (良太は確かに優しい子だ。隠しごとはしているが、正直者と言えば正直者だ。後は強さだが、……これは残念、と言うべきか。
     しかし良太と、師匠か……)
     恋愛経験の無い晴奈がいくら考えても、予想も予測も、一向に立たない。
    (……ピンと来ないにも、程がある。私自身が、色恋に興味無いからなぁ)



     結局、良太の告白をこの日以来、聞くことはなかった。
     だから晴奈も、しばらくするとこの一件はすっかり、忘れてしまっていた。
    蒼天剣・鞭撻録 1
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第49話。
    晴奈、撃沈。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     双月暦513年の早春。
     晴奈は20歳、良太は17歳になっていた。
     入門したての頃はひ弱ですぐにばてていた良太だったが、柊師弟の指導のおかげで、今では年相応に筋肉もつき、他の門下生と見劣りしないまでに成長していた。

    「うん。強くなったな、良太」
     良太に稽古をつけていた晴奈は、一段落したところで良太をほめた。良太は嬉しそうにぺこりと頭を下げる。
    「はい、ありがとうございます」
    「これなら教団が攻めて来ても十分護りにつける、……かも知れないな」
     晴奈の言葉に、良太はきょとんとした顔をする。
    「教団が、攻めて来る?」
    「あ、そうか。良太はまだ、知らないか。
     よく考えてみれば、私が15の時に来襲されて以来、ずっと黒炎教団からの音沙汰は無いからなぁ。明奈も無事なんだかどうなんだか」
    「えっと……?」
     晴奈は良太に教団が数年に一度、紅蓮塞に攻め込んでくることを説明した。
    「へぇー。怪しい集団とは聞いていましたが、そんなことまでしてるんですか」
    「もしかしたら、そろそろ来るかも知れないな。以前襲ってきた時から、もう何年も経っているし」
    「へぇ……」
     そこで良太が黙り込んだ。
     会話が不自然に途切れたため、晴奈は良太の顔を見る。
    「良太?」
    「証明に、なりますかね?」
    「え?」
     唐突に、良太が質問してくる。
    「何の証明だ?」
    「えっと、もしも、僕がその防衛戦で活躍できたら、僕の強さの、証明になりますか?」
    「……?」
     唐突な言葉が続き、晴奈は首を傾げる。
    「良太。もっと、落ち着いて説明……」
     言いかけて、晴奈は既視感を覚えた。
    (……? 前にも、こんなことを良太に言ったな、そう言えば?)
    「あ、えっとですね」
     良太は深呼吸し、ゆっくりと説明した。
    「ほら、その、以前に、柊先生は強い男を好まれると、姉さんが言っていたじゃないですか。でも、僕はあまり、強くないですから。姉さんに稽古をつけてもらって、それなりに力はついたとは思うんですが、それを実証する機会が、なかなか無くって」
    「ああ……」
     晴奈はようやく、以前良太が柊のことを好きだと告白していたことを思い出した。
    「そうか、なるほど。もし教団が来て、追い返すことができれば、強いことの証明になる、と」
    「はい、そう思うんですが、どうでしょうか?」
     晴奈は深くため息をつき、良太の額を指でぺちっと弾いた。
    「あいたっ!?」
    「寝言は寝て言え、馬鹿者」
    「ダメ、ですかね?」
    「物事の履き違え、はなはだしいことこの上無い。強さとは、そんなものではない」
    「は、はあ……?」
     良太は一瞬きょとんとしつつ、腕を組んで晴奈の言葉をぶつぶつと繰り返す。
    「強さ……強い証明……」
     明らかに納得が行かなさそうな良太の顔を見て、晴奈は内心、こんなことを思っていた。
    (こう言う時にモール殿のような方がいてくれたなら、納得の行く説明をしてくれそうなのだが。私ではうまく言葉が浮かばん)
     晴奈は一人悩む良太を置いて、修行場を後にした。

     稽古でかいた汗を流すため、晴奈は浴場を訪れた。
    (そろそろ、他の者も来るかな?)
     蛇足になるが、ここは勿論混浴などでは無く、女湯である。
     焔流剣術は剣の腕だけではなく魔力も必要になるため、平均的に男より魔力が高いと言われる女の割合が、他の剣術一派よりも多い。
     それに加えて紅蓮塞は宿場としての機能も備えており、旅客や焔流以外の修行者も多く訪れるため、混浴では何かと都合が悪いのだ。
    (先客は、……いるようだな)
     湯煙の中を一瞥すると、うっすら人の影が1つ、湯船に見えた。
    「お邪魔します」
    「ん? あれ、晴奈ちゃんじゃないの」
    「え? その声は……」
     先客はここに何度か足を運んでいる旅客、橘だった。
    「来ていらしたのですか」
    「ええ。やっぱココのお風呂、冬には最高だし。ま、今年はちょーっと遅くなっちゃったんだけどね」
     そう言って橘は、楽しそうに笑う。晴奈は体を洗いながら、橘と世間話に興じた。
    「今回の目的は、湯治ですか」
    「うん、そんなトコ。いいわよねー、ココ。温泉沸いてるし」
    「山の中ですからね」
    「ホント、隠れた名湯よ。で、今日も修行だったの?」
    「ええ、勿論。……横、失礼します」
     体を洗い終わった晴奈は湯船に入り、橘の横に座る。
    「……ふー。やはり、風呂は気持ちがいい」
    「ホントねぇ。あー、これでお酒があったらいいのになぁ」
    「橘殿は、呑む方ですか?」
    「うん、大好き。こーゆートコで熱燗をきゅーっとやるのが、いいのよねぇ」
     橘はくい、とお猪口で呑む真似をする。その仕草があまりに堂に入っていたので、晴奈は思わず吹き出した。
    「ぷ、はは……。なるほど、それは美味しそうだ」
    「晴奈ちゃんも、お酒呑めんの? って言うか、そっか、もう大人よね」
     そこで橘は晴奈の体を、チラ、と見る。胸の辺りで視線を止め、もう一度同じことを言った。
    「……大人よね?」「失敬な」
     晴奈も負けじと、橘を見返すが――。
    「……完敗だ」「ふっふっふ、参ったか」
     晴奈は猫耳を垂らし、そっぽを向いた。

    「そう言えば、橘殿」
     しばらくそっぽを向いていた晴奈はふと思い立ち、橘に質問してみた。
    「ん?」
    「その、色恋の話は、得意でしょうか?」
     橘の長耳が、嬉しそうにピクピク跳ねる。
    「え? なになに? 晴奈ちゃん、好きな男できた?」
    「あ、いや。私の、弟弟子の話です」
    「へー、弟弟子とデキちゃった?」
    「なっ、違います! そうではなくっ!」
     晴奈は水面でパチャパチャと手を振り、否定する。
    「弟弟子から、色恋の相談を受けたのです!」
    「あーら、なーんだ残念。んで、どんな話?」
     晴奈は少し前に、良太が柊に対して恋をしていることと、彼が強くなりたいと願っていることを説明した。
    「ふーん、雪乃をねぇ。まあ、あの子もキレイだもんね」
    「私は、どうするべきなのでしょう」
    「ん?」
     きょとんとする橘に、晴奈は困った顔で心境を話す。
    「もしも、師匠と良太が結ばれたりすれば、私は二人にどう、接すればいいのか。祝福すべきなのか、それとも修行中の身でありながら師匠をたぶらかすとは、と怒るべきなのか」
    「んー」
     橘は一瞬、チラ、と浴場の入口を見る。
    「まあ、ソレはソレで、アリじゃん? 結ばれたってコトは、二人とも相思相愛で幸せってコトなんだし。アンタに人の幸せ、邪魔する権利も無いわけだしね」
    「まあ、それは、確かに」
    「ソレにさ、聞いてるとその良太って子、戦うとか乱暴系なコトに向いてる気、しないのよね。
     もしそーゆー関係になって、剣の道から外れるなんてコトがあったとしてもさ、その子にとってはそっちの方が、結果的にはいいんじゃん?」
    「……ふ、む」
     その言葉に晴奈も、納得させられるところがあった。
     以前、良太を鍛え直した際に、良太の口から親の仇を取りたい、と発せられたことがある。それを聞いた時、晴奈はとても心苦いものを感じていた。
    「仇を討ちたい」と言う良太のその決意は、心優しい彼には似つかわしくない、呪われた感情だったからである。
    「まあ、もしそんなコトになったらさ」
    「はい」
     橘は親指を立て、ニッコリ笑った。
    「アンタの師匠と弟くんのお祝いゴトなんだし、思いっきり祝福してあげなさいよ」
    「……そうですね」
     晴奈も微笑み返し、親指を立てた。
    蒼天剣・鞭撻録 2
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第50話。
    黒炎の再襲撃。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     晴奈の予測は、現実になった。
     と言っても、悪い方の予測である。
    「また、黒炎が攻めてきそうだ……!」
    「またか!? まったく、面倒臭くてかなわん!」
    「焼き払ってくれるわ!」
     黒炎教団襲来の報せを受け、塞内では迎撃の準備が行われていた。

    「来るんですか?」
     この騒ぎを聞きつけた良太は、柊に詳しい話を聞いていた。
    「ええ、そのようね。
     でも良太、あなたは中にいなさい。戦いに出られるような腕では無いわ」
    「そんな! 晴奈姉さんだって、15で戦いに出たと言うではないですか!?」
     柊は大きく首を振り、良太の肩に手を置く。
    「晴奈は剣の素質があったから、15歳で出られたの。
     でもあなたには、そこまでの才は無い。それはあなた自身が分かっていることでしょう?」
    「それは、……はい」
    「大人しく、安全な場所でじっとしていて」
    「……分かりました」
     良太はうつむいたまま、素直に返事をした。



     数時間後、晴奈と柊はがっちりと武装を固めて、前回と同じく嵐月堂で待機していた。
    「晴奈、準備はできた?」
    「ええ、万事整いました」
     厳戒態勢で敵の襲来を待ちつつ、晴奈は横に並ぶ柊に声をかける。
    「師匠、あの」
    「ん?」
     晴奈は柊に、良太が柊を想っていることを打ち明けようかと迷ったものの――。
    「……いえ。何でもありません。生き残りましょうね」
    「勿論よ。……そろそろ来るわ。気を引き締めましょう」
    「はいっ」
     5年前と同様に堂の壁が破られ、教団員が侵入してきた。晴奈は目を凝らしてみたが、今回はあの「狼」、ウィルバーの姿は無かった。
    (これは残念。雪辱の機会は無しか)
     ともあれ、晴奈は教団員に飛び掛り、バタバタとなぎ倒していく。前回同様、八面六臂の大立ち回りを見せつけ、敵を次々と倒していった。
    (5年前に比べれば、何とぬるく感じることか)
     柊の方も晴奈と同様、特に苦戦する様子も無く、ひらりひらりと戦場を駆け巡っている。
     3時間ほど戦ったところで、教団員たちは撤退し始める。周りの剣士たちは勝利を確信し、次第に緊張感が消え失せていく。
    「……ふう。後はこのまま、きっちり反撃を抑えていれば勝てるわね。後もう少し頑張りましょう、晴奈」
    「はい!」
     額の汗を拭いながら、柊師弟はほっとした表情を見せ合っていた。
     ところが――。
    「大変だ! 雨月堂が破られたらしい!」
     背後から、伝令役を務めていた剣士が飛び込んできた。
    「雨月堂だって!? あんなところ、今まで狙われなかったじゃないか!」
    「それに、あそこには門下生たちが避難して……!」
    「くそ、もしかしてここを襲っていたのは囮、陽動作戦だったのか!?」
     この報せに、剣士たちは一斉に青ざめた。そして柊師弟も同様に、冷や汗を垂らす。
    「雨月堂、って……」
    「まずい、良太がいる!」
     晴奈たちは急いで、雨月堂に走っていった。

    (そりゃ、ぬるいわけだ! 相手は本気で、かかって来なかったのだから!)
     晴奈も柊も、全速力で塞内を走り抜ける。重たい武具を脱ぎ捨て、道着と胸当て、鉢金、刀大小二本の軽装になって雨月堂を目指す。
    「無事でいろ、良太!」
     軽装になったおかげで、二人は他の剣士たちより若干早く、雨月堂に着くことができた。
     雨月堂は紅蓮塞の中で最も南にある修行場である。通常、教団は北西から攻め込んでくるため、南側にある修行場はまず、狙われない。
     だから教団が襲ってきた際には、この辺りに非戦闘員を非難させていたのだが――。
    「わああっ!」
    「来るな、来るなーッ!」
    「ひいーッ!」
     予想外の強襲に、多くの者が逃げ惑っている。門下生も半分ほどは、怯えて隅に縮こまっている。
     残りの半分は勇気を奮い起こし、懸命に教団員と戦っていたが――。
    (逃げてくれた方がいい。半端な実力や身の丈に合わぬ蛮勇では、到底太刀打ちできる相手では無いのだ。
     ……だが、遅かったか)
     既に数名、門下生が血を流して倒れ、事切れている。皆、手に刀や木刀を持ち、正面から斬られていた。
    (良太はまだ、無事か!?)
     晴奈と柊は、良太の姿を探す。
    「あ、いました!」
     良太は隅で震える者たちの前に立ち、木刀を構えて教団員と対峙していた。だが、良太自身もガタガタと震え、今にも木刀を取り落としそうになっている。
    「良太、今助けに……」「おっと、待ちな」
     走り出そうとした刹那、晴奈の目の前を棍がかすめた。

     その棍を、晴奈は一日たりとも忘れたことは無い。自分の頭を割った武器であるし、忘れられるはずが無いのだ。
    「貴様は!」
     晴奈の真横に、黒い髪の狼獣人がニヤニヤと笑いながら立っていた。
    「ウィルバー! ウィルバー・ウィルソンか!?」
    「へぇ、覚えてたのか」
     5年ぶりに見るウィルバーはたくましく成長し、晴奈よりも頭一つほど背が高い。戦闘服の袖から見える腕にも、精強と言うべき筋肉がたっぷり付いている。
    「えーと、何だっけお前? 名前、聞いて無かったよな。……ま、いいや。ここで殺せば、忘れていいな、うん」
     自分勝手にそうつぶやくなり、ウィルバーは三節棍を構え、襲いかかってきた。
    「馬鹿も休み休み言え!」
     晴奈は向かってきた棍を、勢い良く弾く。キン、と甲高い音を立てて、棍の先端が宙に浮く。
    「お、っと」
     ウィルバーは棍の末端をくい、と引っ張り、浮いた棍を手元に収めた。
    「悪い悪い、なめてた」
    「愚弄するか、私を。ならば私も乗ってやろう、犬め」
     犬、と呼ばれてウィルバーの顔が凍りつく。
    「前にも言ったろうが。……このオレを、犬と呼ぶんじゃねえッ!」
     瞬間、三節棍がうねり、風を切って、何度も晴奈に襲い掛かる。しかし晴奈は顔色一つ変えず、その攻撃をすべて弾き返した。
    「……速ええ。昔より断然、動きも速いし、見切るのも速い」
     ようやくウィルバーは警戒の色を見せ、トン、と短く跳んで後ろに下がり、間合いを取ろうとした。
    「……5年前の借り」
    「え?」
     ウィルバーが後ろに跳ぶと同時に、晴奈は間合いを一気に詰める。
    「今ここで、返させてもらうぞッ!」
     ウィルバーが着地した瞬間、晴奈は突きを入れた。
    「ぐあ!?」
     三節棍で防御している部分を器用にすり抜け、刀がウィルバーの脇腹に刺さる。
     だが戦闘服の下に鎖帷子(くさりかたびら)でも着込んでいたのか、刀は貫通せずに途中で引っかかった。
    「っぐ、……甘い、甘いぜ、『猫』! 通るかよ、こんなもん!」
    「ならば!」
     脇腹に刀を刺したまま、晴奈は刀から手を離し、ウィルバーの鳩尾に拳をめり込ませた。
    「ごふ……っ」
     ウィルバーの顔が一瞬で真っ青になり、そのまま仰向けに倒れ、気を失った。
     晴奈は帷子に絡んだままの刀を引き抜き、血のにじんだ右拳を握りしめながら、涼やかに言い放った。
    「この黄晴奈、侮ってもらっては困る」

     晴奈とウィルバーが戦っている間に、柊は良太に加勢していた。
     良太を囲み、ニタニタ笑っていた教団員を背後から次々に斬りつけ、あっと言う間に全員打ちのめしてしまった。
    「大丈夫、良太!?」
    「あ、あ……、先生!」
     柊の顔を見た途端、良太は木刀を落し、その場に崩れるように座り込む。
     柊は良太の体を抱きしめ、安堵のため息を漏らした。
    「良かった、死んでなかった……!」
    「せ、先生」
     傍から見れば、弟子の安否を気遣う師匠と見える。だが、良太にとっては恋心を抱く者からの抱擁である。当然顔を赤くし、戸惑った。
    「あ、あのっ、その、だ、だ、大丈夫、です」
    「……心配かけて、もう」
     そこへ、ウィルバーを倒した晴奈が戻ってきた。
    「お、……お、っと」
     晴奈と良太の目が合った。
    (もう少し、放っておいてやる。役得だな、良太)
    (す、すみません)
     晴奈は良太と目配せで会話した後、師匠に気付かれないよう、そっと後ろに下がった。
    蒼天剣・鞭撻録 3
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第51話。
    指導・鞭撻、合わせて深く教えること。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     結局奇襲戦法も実らず、教団は今年もすごすごと引き上げた。
    「くそ、南から攻めろなんて叔父貴め、適当なこと言いやがって」
     ウィルバーはブツブツ文句を言いながら、帰路に就いていた。まだズキズキと痛む鳩尾をさすりながら、ウィルバーは晴奈のことを思い返す。
    「いてて……。あの猫女め、今度は真っ向から邪魔しやがったか。前みたいに頭カチ割ってやろうと思ってたのによ。
     ……セイナか。覚えておいてやる――今度こそ、ボッコボコにしてやんよ」



     ケガ人の治療や修行場の修繕作業による喧騒を避け、晴奈と良太は書庫の中で話をしていた。
    「怖かったです、本当に……」
    「まあ、そうだろうな」
     今日ばかりは、流石に良太も本を読めるような気分ではないらしく、ずっと両手を堅く組んだままだ。
    「多くの人間は修羅場など、そうそう遭うものではないからな。それでも一度や二度で慣れるものでは無いし、私だっていまだに平静にはなり切れない。
     あそこで奮い立つことができるだけ立派だよ、良太」
    「……そう、ですかね」
     良太の顔は青ざめ、意気消沈していることが伺える。
    「本当に、怖かったです。前と違って少しは力が付いたはずなのに、やっぱり怖くてたまらない。僕は本当に、仇を討てるんでしょうか……」
    「それは私が出すべき答えでは無いな」
     晴奈は良太に向き直り、昔聞いた言葉を伝えた。
    「『敵を倒すならば、倒される覚悟を持て』と言う。
     仇を討つと言うことはそのまま、敵を倒すと言うことだ。しかし敵とて人間であるし、簡単に死にたくはないはずだ。
     当然、抵抗することは想像に難くない。であるならば倒されること、返り討ちに遭うことも、考えておかなければならぬ。
     良太、いつかお前に強さを問われたことがあったが、それが答えのひとつだ。その覚悟が、本当に持てるのかどうか。自分の意志を貫くために、死ぬ覚悟、何か大きなものを失う覚悟があるか。
     その覚悟が持てるのなら、仇を討ちに行けばいい」
     良太は晴奈の言葉を、黙って聞いていた。その目には深い、諦めの色が浮かんできていた。



     一方――。
    「どーもー。元気にしてる、雪乃?」
     柊の部屋を、橘が訪れていた。
    「あら、小鈴? 久しぶり……」「何言ってんのよ。お風呂で会ったじゃない」
     橘の一言に、柊の表情が凍り付く。
    「甘いわね。気付いてたわよ、アンタがあたしと晴奈ちゃんの会話聞いてたの」
    「そ、そう」
     橘はイタズラっぽく笑い、柊の横に座り込む。
    「で、どうなのよ?」
    「どう、って?」
    「良太くんのコト」
     橘が尋ねた途端、柊の顔に赤みが差す。
    「な、何にも? 大事な弟子としか……」「またまたぁ」
     言いかけた柊の長耳を、橘がくいくいと引っ張る。
    「いたっ、何するのよ?」
    「嘘、下手くそねぇ。顔に書いてあるじゃないの。『わたしは良太君のことが……』」「言わないで!」
     長耳を真っ赤にし、顔を伏せる柊を見て、橘はため息をつく。
    「ホント、柊一門は恥ずかしがりやばっかりねぇ。もっと素直になればいいじゃないの」
    「そう言う問題じゃ無いの」
     顔を伏せたまま、柊はブツブツとつぶやく。
    「だって、家元から任されたお孫さんよ? それに、わたしの弟子だし。年も、離れてるし。ここでもし、付き合ったり結ばれたり、なんか、したら、焔流の師範として、他の剣士に示しが付かなくなるじゃない」
    「……雪乃ぉ」
     橘はもう一方の耳もつかみ、ピコピコ揺らす。
    「アンタ、好きなんでしょ? で、向こうが好きだってコトも分かってる。他の要素なんか、どうだっていいじゃないの」
    「そうは、行かないわよ……」
    「ゴチャゴチャ言い訳しない!」
     橘の一喝に、柊はビクッと震える。
    「アンタ、そんな言い訳ばっかりだから、いっつもいつも恋が実らないんじゃないの? 初恋の人にも結局告白しないで、それっきりだったんでしょ?
     もういい加減、動いてみたらいいじゃん? もうそろそろさ、そーゆー幸せつかんでもいいと思うんだけどね、あたしは。
     ソレともアンタ、まさか60になっても70になっても片思いで済ますつもり?」
    「……」
     耳をつかまれたまま、柊はじっと橘の顔を見つめていた。その目はまるで、助けを求めているように見える。
    「良かったら色々、手伝ってあげるわよ」「……うん」



     紅蓮塞に今、春の嵐が吹こうとしていた。

    蒼天剣・鞭撻録 終
    蒼天剣・鞭撻録 4
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第52話。
    キューピット2人。

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    1.
     黒炎の襲撃から、2日後。
     晴奈は橘から呼ばれ、彼女が得た柊についての情報を聞かされていた。
    「なんと。師匠も、良太のことを?」
     橘の言葉に、晴奈は目を丸くする。その反応に対しても、橘は面白がっているようだ。
    「そ、そ。だから実際、両思いなのよね。
     で、良太くんは今どうしてんの? 襲われかけたって聞いたけど」
    「ええ、どうにか大事に至る前に撃退しましたが、自信を喪失したらしく、今は自分の立てた志に迷いを抱いているようです」
    「ふーん……。自信喪失ねぇ。んじゃさ」
     橘はあごに指を当て、考える様子を見せた。
    「今、告白させちゃおうかな」
    「え!? いきなりですね……?」
     驚く晴奈に、橘が「何言ってんの」と言いたげに肩をすくめる。
    「二人ともしゅんとなってる今ならさ、聞いてくれるかもじゃん? とりあえず本人たちがつながらなきゃ、話は何にも始まらないわけだし。
     ってワケで晴奈ちゃん、今年はなかなか熱くなりそうよ、んふふふふ」
     そう言って橘は、一際イタズラっぽく笑った。



     ともかく橘の指示の下、晴奈は良太に接触した。
    「まだ塞内の修繕作業が終わっていないし、今日の稽古は無しだ。また書庫にでも行こうか、良太」
     そう言って晴奈は良太を書庫に誘うが、良太は浮かない顔で首を振る。
    「いえ、今日はあまり、そんな気分じゃ……」「えっ」
     晴奈の反応に、良太は不思議そうな顔をする。
    「な、何です? 行かないと、ダメなんですか?」
    「え、あ、いや、その、えーと」
    「すみませんが、今日はこれで……」「ま、待てっ!」
     晴奈は逃すまいと、良太の腕をつかむ。
    「待て、って……。何でそんなに慌ててるんですか?」
     けげんな顔をする良太に、晴奈はしどろもどろになりつつも、誘導を試みる。
    「い、いや、そのな。本を探したいのだが、見つからなくて。良太なら知っているのでは無いかと、うん、そうなんだ。一緒に本、探してくれないか?」
    「……まあ、そう言うことなら」
     何とか誘うことに成功し、晴奈はほっと胸を撫で下ろす。
    (良かった。何とか連れて行けそうだ)
     横目で晴奈の様子を見ていた良太は、こんな風にぼそっとつぶやいていた。
    「……変な姉さん」

     一方――。
    「どもー」
     私室で読書していた柊のところを、橘が訪ねた。
    「ねえ、聞いたんだけどさ。ココに書庫あるんだよね?」
    「ええ、あるけれど。どうかしたの?」
    「いっぺん見て見たいなーって。ねえ、連れて行ってくれる?」
     が、橘が誘った途端、柊はいぶかしげな目を向けてくる。
    「何か企んでるでしょ?」
    「う」
     一瞬で看破され、橘は返答に詰まる。
     その様子を見た柊は、また本に視線を落としてしまった。
    「やっぱり。そんな気したもの。行かないわよ」
     態度を頑なにされつつも、橘は諦めない。
    (んー、ココは正攻法で押した方がいいかな)
     橘は笑って、正直に話した。
    「まあ、企んでるって言ってもね。良太くん、ソコに呼んでんのよ」
    「え!?」
     良太の名前を出した途端、柊が反応する。その様子を内心面白がりながら、橘が続ける。
    「もう待たせてあるから。ね、行こ行こ?」
    「……おせっかいよ、小鈴」
     それでも柊は首を振り、立とうとしない。
     そこで橘は、こう言って挑発した。
    「おせっかいでも、何でもさぁ。アンタ、自分から行く度胸あるの?」
    「……」
    「今までみたいに、何かと理由をつけてごまかす気?」
    「そんなこと……!」
     反論しかけた柊の手を、橘はぐいっと引っ張る。
    「なら、今度こそガツンと行きなさいよ。待ってるわよ、あの子も」
    「……」
     まだ逡巡した様子を見せながらも、柊は立ち上がった。
    蒼天剣・懸想録 1
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第53話。
    オクテの告白。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     先に書庫へ着いたのは、柊と橘だった。
    「良太はどこ?」
     橘は中を覗き、まだ晴奈たちが到着してないことに舌打ちする。
    (あっちゃー……、早く着すぎたわ)
     橘はどうにか機転を利かせ、柊を書庫に入れさせようとる。
    「奥じゃない? もしかしたら手持ち無沙汰で、本を見てるかも」
    「そう……」
     柊は素直に信じ、中に入ろうとした。
     が、そこで足を止める。
    「そう言えば小鈴、あなたと良太って面識無いわよね? どうやって呼んだの?」
    「え? いや、ホラ。晴奈ちゃんいるでしょ? あの子に手伝ってもらって、……あー、と」
     晴奈の名前を出した途端、柊の表情が曇る。
    「晴奈まで駆り出したの?」
    「う、うん。ちょっと手伝ってもらった」
    「あんまり迷惑、かけないで欲しいんだけど。晴奈は無関係でしょ?」
    「いや、でもさ。元はと言えばあの子があたしに相談してきて……」
     橘がしゃべればしゃべるほど、柊の機嫌は悪くなっていく。
    「その時点でもう、おせっかいじゃないの! 余計なことばっかり……!」
     柊は橘に背を向け、そこから離れようとする。
    「ま、待って待って、ちょ、雪乃っ」
     橘が慌てて追いかけようとした、丁度その時。
    「あ……」「せ、先生」
     晴奈が良太を連れ、書庫前にやって来た。
    (晴奈ちゃん、バッチリっ)
     柊の後ろで、橘は晴奈に親指を立てて感謝した。

     ともかく二人を書庫に導くことに成功したが、その肝心の二人が、なかなか会話しようとしない。
     どちらも相手や横にいる晴奈たちの顔、それから本棚を、所在なさ気にチラチラ見ているばかりである。
     見かねた晴奈が、まず良太に事情を説明しようとした。
    「その、何だ。良太、お前には教えていなかったが……」「晴奈」
     と、柊がさえぎった。
    「言う、から。黙ってて」
    「あ、はい」
     晴奈が引いたところで、柊が顔を真っ赤にしながら、か細い声で何かを言った。
    「コホン。……そ、の。あの、ね。うん。……です」
    「え?」
     小さすぎて良太にはまったく、届かない。
    「……なの」
    「すみません、あの、もう少し、大きく……」
     戸惑う良太に、柊は今度は、書庫中が震えるかと思うほど大きな声を出した。
    「好きなのっ!」
     それを聞いた途端、良太の顔もどんどん赤くなっていく。
    「……はい、えっと、そうですか。……そうですか」
     柊はまだ動揺が収まらないらしく、たどたどしく続けた。
    「あ、あのね、前から、えっと、その。ずっと前から、あの、うん。ずっと、前、から」
    「ぼ、僕も、です。初めて会った時から、その、好きでした」
     良太もうわずった声で応える。
    「でも、その。僕、強くも無いし、まだ17ですし、先生と、その、吊り合わないって、思ってて」
    「そ、そんなのわたしだって! わたしだって、良太に比べれば随分年上だし、ずっと剣の道にいたから、そんな、女らしくなんか無いし、そんな……」
    「ええい、やかましいっ」
     もたもたとした問答に痺れを切らした橘が、二人の間に割って入った。
    「いいじゃない、コレまでがどうだこうだって話は。今、二人ともお互いに、相手のコトが好きだって言ってんだから」
    「……」「……」
     二人は橘に目を向け、少し間を置いてコクリとうなずいた。
     が、そのまま二人とも下を向き、動かなくなる。
    「……あ、あの、小鈴。聞いていい?」「ん?」
     顔を伏せたまま、柊が尋ねてくる。
    「こ、告白したら、どうすればいいの?」
     その質問に、橘は吹き出した。
    「ぷ、ちょ、ちょっと、ソレ聞く?」
    「だって、分からないんだもの」
    「……はー。単純よ。どっちも好きっつってんだから、そのまんま付き合えばいいじゃない、く、くく……」
     橘はこらえきれず、笑い出そうとした。

     ところがそこで、晴奈が口を挟む。
    「いえ、橘殿。事はそう、単純でもなくなりそうです」
    「くく、……え?」
     橘は顔を上げ、晴奈を見る。晴奈は真っ青な顔で、書庫の入口を凝視している。
     晴奈の視線を追ってみると、そこには――。
    「……あ」
     入口のすぐ側でこちらを伺いつつ、目を丸くしている重蔵が立っていた。
    「な、なんじゃて?」
    蒼天剣・懸想録 2
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、54話目。
    祖父の沙汰。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     柊が告白した直後、一同は重蔵の部屋に集められ、並んで重蔵と向かい合う形で座らされた。
    「珍しく雪さんが大声で何か叫んでおるから何かと思うたが、……うーむ、そうか。
     まだわしも動揺しておるが、……まず、そうじゃな。確認させてもらおうかの、雪さん」
    「は、はいっ」
     柊が指名され、半ば裏返った声で返事をする。
    「あ、いやいや。落ち着きなさい。まあ、ともかく。わしは怒ったりせんよ」
    「そ、そうですか」
    「今のところは、じゃけどな。事の次第によっては分からん」
    「……」
     柊ののどが鳴るのが、そこにいた全員に聞こえた。
    「まず聞こうかの。……雪さんは良太のことを好いておると。これは、相違無いな?」
    「……はい」
    「その好いた相手が自分の弟子だと言うことも、承知しておるのかの?」
    「そ、それは重々……」「晴さんは黙っとれ!」「……し、失礼いたしました」
     師匠の弁護をしようとした晴奈を、重蔵が一喝してさえぎる。
     その様子を見て一際恐縮した様子を見せつつも、柊は弁明した。
    「分かっているつもりです。ですが己の心情に嘘は、つけません」
    「わしの孫と言うことも、承知しておろうな?」
    「はい。しかしわたしは、家元の孫としてではなく、一人の人間として、良太を見ています」
    「そうか。……良太」
    「はい……」
     か細い声で重蔵に答えた良太を、重蔵が一喝する。
    「声が小さい!」「はっ、はいっ!」
     良太がぴんと背筋を正したところで、重蔵が同じことを尋ねてきた。
    「雪さんのことを、真剣に想うておるのか?」
    「はい!」
    「自分の師じゃぞ?」
    「師であろうと無かろうと、僕はせんせ、……雪乃さんのことが好きなんです!」
    「……はー。参ったのう。参った参った」
     良太の答えを聞くなり、重蔵は残り少ない髪を撫で付けるように頭をかいた。
    「良太、お前さんを見とると思い出すわい。お前の、お母さんのことを」
    「え?」
    「昔、お前の母さんに腕飾りを贈ってやったんじゃ。ガラス細工の、風流な一品でな。大層喜んで、ずっと手放さなかった。
     しかしある日、割れてしまってのう。わしが新しい物を買ってやると言ったら、『私はこれが好きなの。他に、どんなに綺麗なものがあっても、私はこれがいい』と答えたんじゃ」
     その話を聞いた途端、良太の目から涙がこぼれ出した。
    「それ、母さん持ってました。初めは割れたままだったそうですが、職人だった父と出会った時、接いでもらったと」
    「そうか……。あの場に無かったと言うことは、盗られてしまったようじゃな」
    「はい……」
    「む、話が逸れてしまったな。
     ともかく、『師であること関係無しに、雪さんと言う人間が好きだ』と言うその口ぶりは、お前の母さんそっくりじゃ。そう言う意固地と言うか、頑固なところが後に、わしとのいさかいの原因となってしまったが……。
     思えば、昔のわしも頑固じゃった。自分の意を曲げなかったために、話し合えなかった者、決別した者の多いこと、多いこと……。
     ここでもし、お前たちの仲を認めねば、きっと同じことになるじゃろうな」
     重蔵の言葉を聞き、晴奈たち四人はそれぞれ驚いた。
    「それじゃ、おじい様……」
    「認めていただけるのですか!」
    「ただし」
     沸き立つ四人に掌を向け、重蔵は提案した。
    「良太、お前さんの志を一つ、捨てなさい」
    「……?」
     何のことか分からず、良太は戸惑う。
    「志を、一つ……?」
    「仇討ちじゃ。この理由、分からないでもないじゃろう?」
     良太の目が、せわしなく動く。その様子は、迷っているとも、理由が分からないとも取れる。
    「分からんか?」
    「え、っと、その……」
    「良太。その意味が分かるまで、この話はお預けじゃ。
     では雪さんを除いて、下がってよい」
     その言葉に、晴奈は内心、安堵した。
    「は、はい」
     横にいる橘も同様に、ほっとした表情を浮かべている。
    「ソレじゃ、失礼しました」
     晴奈たちはぺこりと頭を下げ、呆然としたままの良太の肩を叩く。
    「良太、出るぞ」
    「……え、あ、はい。失礼しました」

     残された柊と重蔵は、晴奈たちが部屋を出た後、しばらく無言で向かい合っていた。
    「……雪さん」
     また、重蔵が先に口を開く。
    「はい」
    「率直に言うとじゃな」
    「はい」
     また、ポリポリと頭をかく。
    「意外じゃった。まさか雪さんが、良太とくっつくとは思わなんだ」
    「そ、そうですか」
    「まあ、しかしじゃな。……雪さんと良太なら、確かに良縁かも知れんのう」
    「もったいなきお言葉、ありがとうございます」
     柊は深々と頭を下げる。
    「ほれ、雪さん」
     顔を上げたところに、お猪口が差し出される。
    「義父ならぬ、義祖父と一緒に呑もうじゃないか」
    「……ありがたく、頂戴します」
     柊はとても美しく笑い、お猪口を受けた。
    蒼天剣・懸想録 3
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第55話。
    志の始末。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「うーん」
     良太は腕を組んでうなっている。
     晴奈の部屋に集まった三人は、重蔵の言葉を考えて――と言うより、晴奈は薄々、その答えはつかんでいるし、橘も解している様子を見せている。
     晴奈と橘は悩む良太をよそ目に、柊のことを話していた。
    「それにしても雪乃と家元さん、何の話をしてんのかしらね?」
    「さあ……? 案外打ち解けて、酒でも呑んでいるのかも」
    「んふふ、ありそー」
     笑う橘に、ついに良太が不機嫌な顔を見せた。
    「すみません、お二人とも」
    「あら、うるさかった? ゴメンねー」
    「いえ……」
     良太はまた、腕を組んでうなる。
    「付き合うなら、仇討ちをやめろ……、か。どう、つながりがあるんだろう?」
    「ふふふ……」
     良太の悩む姿を見て、晴奈は思わず苦笑した。
    「何ですか、姉さん? ……あ、もしかして答え、知っているんでしょう?」
    「ああ、いやいや。知っていると言うか、見当は付いている」
     良太は顔を上げ、晴奈に手を合わせる。
    「教えてもらってもいいですか?」
    「いやいや、これはお前自身が理解しなければならぬことだ。『それは私が出すべき答えでは無いな』」
     そう言って晴奈は、良太に「助言は与えたぞ」と言いたげに人差し指を立てた。
    「……あ」
     どうやら良太も答えに行き着いたらしく、慌てて部屋を出て行った。

    「おじい様っ!」
     良太は重蔵の部屋の戸を開け、大股で上がりこんだ。
     重蔵とともに酒を呑んでいた柊は、半ばとろんとした目で良太を見つめる。
    「良太、答えは分かったの?」
    「ええ。よろしいでしょうか?」
     重蔵は良太に顔を向け、話すよう促す。
    「言ってみなさい」
    「はい。えーと、恐らくは、『仇を討とうとするならば、討たれることもありうる』と。
     もし僕が、その、結ばれた後も、諦めることなく仇を討ちに行けば、返り討ちに遭う可能性は少なくありません。それだけではなく、雪乃さんにも迷惑が及ぶかも知れない。
     敵を作れば、その敵に自分だけではなく、自分の親しい者、愛する者にまで危険が及ぶ。だから、愛する者と結ばれることを考えれば、それを脅かす敵など作ってはならないし、追ってもならない、そう言うことですね?」
    「うむ。その通りじゃ」
     重蔵はぱたりと膝を打ち、柊の手を取って立ち上がる。
    「それが分かれば、文句は無い。さあ、良太。雪さんに、『仇は追わん』と誓うんじゃ」
    「……しかし」
    「む?」
     答えを導きつつもなお、良太は逡巡する。
    「それなら、僕の無念はどうなるのでしょうか」
    「……」
    「無残に殺された両親の無念を、僕は……」「それなら良太」
     開いたままの戸から、晴奈が入ってきた。
    「その仇、私がいつか必ず取ってやろう。私なら、託すに十分だろう?」
    「姉さん?」
    「良太、お前は清く優しい男だ。そんなお前が『仇を討つ』などと言う呪縛に捕らわれるのを見過ごしておくのは、どうも忍びない」
     晴奈の言葉に、良太はまた涙を流す。
    「そんな、だって姉さんは、無関係……」
    「無関係なものか、『弟』よ。お前と師匠の幸せのためなら、一肌脱いでやるさ」
    「姉さん……」
    「さあ誓え、良太」
     良太は涙を拭い、真剣な目をして柊の手を取った。
    「ち、誓います。誓います……っ! 僕は仇を討つと言う志を、晴奈の姉さんに託します!
     だから、おじい様! 認めて、下さいますか!?」
     最後はほとんど絶叫に近い声で、良太は嘆願した。
    「うるさいわいっ。……くく、まあ、良しとしようかの」
     重蔵は苦笑しながら、二人の仲を認めた。



     こうして柊と良太の仲は公認のものとなり、そして同時に、良太は剣の修行をやめた。
    「仇を追うことを諦めた今、剣の腕を磨く意味も無くなりました。
     今後は、紅蓮塞の書庫番になろうかと考えています」
    「確かにそっちの方が良太には似合うな。
     そう考えると悪かったな、しごいたりなんかして」
     謝る晴奈に、良太は笑って首を振る。
    「いえ、あれは僕から頼んだことですし、姉さんには感謝してます」
    「姉さん」と呼ばれ、晴奈はクスクスと笑う。
    「もう柊一門から抜けたのだから、『姉』などと呼ばずとも良いのに」
    「いいえ! 晴奈の姉さんは、ずっと僕の姉さんですよ」
     良太は晴奈に、深く頭を下げた。
    「……本当に、色々とありがとうございました、姉さん」

    「折角家元さんも認めてくれたんだからさー、さっさと結婚しちゃえば良かったじゃない。あの誓いの時なんか、いかにもそんな雰囲気だったのに」
     橘の言葉に、柊は飲んでいたお茶を吹きそうになる。
    「ゴホ、ゴホ……。そ、そんなわけには行かないでしょ、いくらなんでも。ま、まだ早いわ」
    「まーた、足踏みしてる。ソレもアンタらしいけど」
    「……色々ありがとね、小鈴」
     橘はニヤニヤ笑って、柊の耳をくいくい引っ張った。
    「礼なんかいいわよ、別に。
     ま、結婚式やる時は呼んでよ。また旅するつもりだから、行けるかどうか分かんないけどね」
    「ええ、ぜひ呼ぶわ。……今度は、自力で式までこぎつけるからね」



     重蔵は一人、手に花束を持ち、紅蓮塞の南東にある霊園を歩いていた。やがて一番奥の大きな墓の前で立ち止まり、一礼して花を添える。
    「晶良、お前の息子にいい人が見つかったぞ」
     重蔵は亡き娘に声をかけ、手を合わせる。
    「お前さんには悪いかと、ちと思うたが、良太にはお前の仇を討たせることを諦めさせた。
     その際に晴奈と言う子が、うれしいことを言ってくれたんじゃ。『良太が仇討ちなどと言う呪縛に捕らわれるのは見ておけん』、とな。
     わしもずっと、そう思っておった。あの子は、優しい。到底、敵を狙い続け、敵に狙われ続けると言う修羅の道に、入り込める人間では無いからのう。
     ……しかし、じゃ。その代わりに、晴さんにその呪縛を背負わせてしもうた。常識で図るならばまったく愚かしく、卑怯で悪どい、恥ずべき判断でしか無いのじゃが――正直な気持ちと言うか、直感として、あの子ならやり通してしまえる、そんな気がするのじゃ。
     あの子には、そんな艱難辛苦などやすやすと吹き飛ばしてしまえる、修羅の気がほの見える。もし晴さんがその気――精神力やら決断力、反骨心、克己心やら、そうした苦難・逆境を跳ね返し、突き進む、強い意志の力――を正しく使役できれば、きっと万事うまく行く気がするんじゃ。……まあ、すべてわしの思い込みかも知れんが。
     晴さんにこの仇を背負わせたことがわしの、人生最後の過ちなのか、それとも人生最大の英断なのか……。後はただ、祈るばかりじゃ」
     重蔵はもう一度礼をし、立ち去る前に一言、付け加えた。
    「近いうち良太とその相手を、見せに来てやるからの。楽しみにしていなさい、晶良」

    蒼天剣・懸想録 終
    蒼天剣・懸想録 4
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第56話。
    逆鱗、ふたたび。

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    1.
     双月暦513年、秋。
     柊と良太の仲が公認になり、半年が過ぎた。
     初めはお互い恥ずかしがって、手も握らないような状態だったが、今では紅蓮塞の市街地、宿場町を散策するなどして、その仲を深めていた。
    「何だか、あっと言う間」
    「え?」
     良太の横にいた柊が、どこかから流れてくる温泉の湯気を見てぽつりとつぶやいた。
    「どうしたんです、雪乃さん?」
    「あなたと付き合うようになって、春から夏、秋まで。あっと言う間に過ぎてしまったわね」
    「そうですねぇ。楽しい時間は早く過ぎる、って言いますけど、本当だったんですね」
    「……うふふっ」
     柊は良太の腕を取り、抱きしめる。
    「こんなに幸せで、いいのかしら」
     恋人の甘えてくるような言葉に、良太もにやけてくる。
    「あはっ、いいんじゃないですか? 何か、後ろめたいことが?」
    「……そうね。幸せで、いいのよね」
     柊の、腕を抱く力が強くなる。
    「……? ええ、いいですよ」
     だが、雰囲気が盛り上がれば盛り上がるほど、柊の言葉の端に何か、捉えがたい感情が見え隠れする。それを感じる度、良太はある思いを抱いていた。

     良太は――心底幸せなのだが――何か不安のような、違和感のようなものを感じていた。
    (何だろう、この気持ち……?
     雪乃さんの温かさが、本当に心地よくて。話す言葉の一つ一つが、きらめく宝石のようで。本当に、幸せ一杯、……なん、だ、けど。
     なぜだろう、なぜ、こんな気持ちに――まるで、遠い遠い世界にぽつんと立つ、街灯のように――一瞬、ほんの一瞬だけ、雪乃さんがはるか遠くに感じてしまう……)
     だが生来の気弱さと、柊が過去に触れることをひどく嫌うために、良太はずっと何も聞かずに済ましていた。
     柊と一旦離れ、午後の仕事である書庫の整理に向かうまでは。



    「また、ラ行にカ行の本が……。ちゃんと片付けてほしいな、もう」
     良太は間違った場所に納められた本を抱え、元の場所に戻そうとしていた。
     書庫は焔流の者が図書館として使っているため、しばしば乱雑な使われ方もされたりする。
    「あー、まただ。今度はマ行に、タ行。こんな適当な入れ方してたら、本が見つけられなくなるじゃないか」
     ブツブツ文句を言いながら、別の場所に納められていた本を元の棚に戻す。
    「『毎日の鍛錬』。何でこれをカ行に入れるかなぁ。
     こっちもだ。『名士録・央南編(510年度版)』。図鑑の分類に入れるなら、まだ分かるけどさぁ……」
     と、その名士録を棚に戻そうとして、ふと興味が沸く。
    「……名士録、かぁ。おじい様も載ってるかな?」
     他の本を机に乗せ、何となくそれを開いてみる。
    「あった。『焔重蔵(ほむら じゅうぞう) 短耳 男性 436~ 焔流剣術家元、剣術家』。そっか、もう70越えてるんだな、おじい様って。
     あ、もしかして姉さんの家のもあるのかな? ……あるある。『黄紫明(こう しめい) 猫獣人 男性 461~ 黄商会代表、実業家』。へぇー……。結構、面白いかも」
     良太はパラパラと、名士録をめくっていく。
    「『天原桂(あまはら けい) 狐獣人 男性 475~ 天原財閥宗主、第41代央南連合主席』。やっぱり載ってた、はは。
     ……僕の知ってる名士って言えば、これくらいかな?」
     一通り読み終えて、本を閉じようとしたその時――目の端に、ある文字が映った。
    「『柊雪花……』」
     恋人とほぼ同じ名前に指が思わず反応し、す、と差し込んだ。
    (まあ、関係無いだろうけど)
     そう思いつつも、読まずにはいられない。指を差し込んだ頁を開いて、先ほどの名前を確認する。
    「『柊雪花(ひいらぎ せっか) 長耳 女性 443~485? 古美術商、資産家』。
     485年没、なのかな? だとしたら何で510年度版に載ってるんだろう? これ、生きてる人しか載せてないはずなんだけど……?」
     気になったので、良太はこの女性について調べてみた。

     書庫なので、資料はいくらでも出てくる。この雪花と言う人物も、調べ始めて30分もしないうちに詳細が判明した。
     柊雪花、長耳。元々は父親から古美術商を受け継ぎ、細々と商売していたのだが、20代の終わり頃から希少価値の高い小物を多数手がけるようになり、一代で巨額の財を築いた。晩年には央南でも十指に入る資産家となったが――。
    「485年に行方不明となり、……ああ、だからまだ載ってるのか。
     行方不明になった資産家、かぁ。何だか想像を掻き立てられるなぁ」
    「何の想像をしてるんだかな。推理小説の読みすぎじゃないか?」
     不意に後ろから声をかけられる。振り返るとかつての姉弟子、晴奈が立っていた。
    「あ、姉さん」
    「何を見てるんだ?」
    「あ、ほら。この柊雪花って人、雪乃さんに名前が似てると思って」
     良太は読んでいた資料を晴奈に手渡す。
    「なるほど。確かに怪しい」
    「ですよね? 何だか気になるでしょ?」
    「私が気になるのは、それだけじゃない」
     晴奈はある頁を指差す。
    「小物の売買、と言うのも師匠と似ている。あの人は小物を集めるのが好きだから」
    「あ、なるほど。……エルフで、小物好きで、名前も似てる。偶然でしょうか?」
     良太が尋ねてみたが、晴奈は肩をすくめるばかりである。
    「どうだかな。私に聞くより、師匠に聞いてみた方が早いと思うが」
    「……ですよねー」

     書庫整理を切り上げ、良太は雪花について書かれた本を持って、柊の部屋を訪れた。
    「こんにちは、雪乃さん」
    「あら、良太? どうしたの?」
     嬉しそうな顔で、柊が戸を開けて出てくる。
    「えっと、そのですね。あ、中入ってもいいですか?」
    「いいわよ」
     柊はニコニコしながら、部屋に戻る。良太も部屋に入り、中を見回す。
    (確かに小物が多いな。狐の置物とか、観葉植物とか。それに良く見ると、何個か古ぼけてるのがある)
    「どうしたの?」
     入口で立ち止まっている良太を見て、柊が首をかしげる。
    「あ、いえ」
     いぶかしがられ、良太は慌てて座り込んだ。
    「どうかしたの?」
    「あ、えっとですね。実は、こんなの見つけたんですよ」
    「ん?」
     良太は持って来た本を開き、柊に見せる。
    「ほら、この雪花って人、雪乃さんに、良く、似て……」
     しゃべりかけて、良太は言葉を失った。頁を見た柊の顔が――まるで人形のように――無表情になっている。
    「……雪乃さん?」
     突然、柊が立ち上がり、傍らに置いていた刀をつかみ出した。
    「な、何を?」
    「……ダメ」
    「え?」
     柊は今にも刀を抜きそうな気配を漂わせながら、あまりにも冷たい声で命令してきた。
    「この話は、もうしないで」
    「ゆ、雪乃さん?」
    「いい? もうこの話は、絶対に、しないで」
     無表情のまま、異様に殺気を撒き散らす柊に、良太の額からボタボタと冷や汗が走る。
    「……わ、分かり、ました」「……」
     良太は本を閉じ、慌てて部屋を出た。

     一人きりになった柊は、ぽつりとつぶやく。
    「何で……、良太が、あれを」
     刀を握りしめたまま、柊はぽろぽろと涙を流した。
    蒼天剣・琴線録 1
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第57話。
    謎が謎を呼ぶ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「姉さん……」
    「ど、どうした良太? またボタボタと……」
     自分の部屋に飛び込んできた良太を見て、晴奈はぎょっとした顔をする。
    「姉さん、僕、どうしたら……」
    「待て、落ち着け良太。何がなんだか分からぬ」
    「雪乃さんが、ひっく、ダメって、うえっ、あの本、そのっ、……ひいいー」
    「……何が何やら」
     話にならないので、とりあえず晴奈は良太を部屋に入れて、そのまま泣かせておいた。

    「落ち着いたか?」
    「は、はい」
     手拭を差し出しながら、晴奈は呆れていた。
    「まったく、お前は毎度毎度、唐突だな」
    「すみません」
    「で、何があったんだ?」
     良太は涙を拭きながら、柊の部屋で起こったことを話した。
    「お前も唐突なら、師匠も唐突だな。そこまで怒るとは……?」
    「やっぱり何か、関係があるんでしょうか?」
    「無けりゃ、怒る理由がない。……気になるな」
     晴奈は良太が抱えていた本を手に取り、雪花の頁をめくる。
    「姉さん、あの」
    「何だ?」
     良太は困った顔で、晴奈を止めようとする。
    「雪乃さんは、絶対このことには触れるなって」
    「だから?」
    「……調べちゃ、いけない気がするんです」
     晴奈はため息をつき、良太の手を取る。
    「いいか、良太。お前は柊雪乃と言う女性を、どんな存在だと思っている?」
    「え? ……その、恋人、ですけど」
    「その恋人が、苦しんでいたらどうする? 放っておくのか?」
     良太はぶんぶんと首を振り、否定する。
    「そんなわけ無いじゃないですか!」
    「なら、助けてやれ。それだけ過敏に反応すると言うことは、ずっと苦しめられているのだ。その雪花と言う女との間にある、何かに」
    「……」
     まだ迷う様子を見せる良太に、晴奈は一喝した。
    「良太! いいのか、お前は?」
    「え?」
    「このまま相手の心に当たりも障りもせず、安穏と過ごしていけると思うのか? 相手が隠しごとをし、それに苦しめられているのを知ったまま黙殺するような暮らしを続けて、本当に幸せにできると思っているのか?」
    「……!」
     晴奈の言葉に、良太は宿場街で散策していた時に感じた、あの違和感を思い出した。
    (あの感覚。雪乃さんが遠い、遠い存在に感じてしまうあの何とも言えないわびしさ。
     もしかしてその感覚は、この秘密が原因なんじゃないか?)
     良太は晴奈の手を離し、本を手に取った。
    「行きましょう、姉さん」
     泣きじゃくった声から一転、ぴんと声を張った良太に、晴奈はニヤッと笑って返す。
    「どこにだ?」
    「おじい様のところです。
     あの方は雪乃さんの師匠ですし、ずっと昔から塞にいらっしゃる方です。雪乃さんと雪花さんにつながりがあるのなら、雪花さんのこともご存知かも」
    「よく言った、良太。付き合ってやる、その調べもの」
     晴奈はもう一度、良太に手を差し出す。良太は力強く、晴奈の手を握った。
    (あの感覚を、消し飛ばしてしまいたい。僕はもっと、雪乃さんの近くにいたいんだ)



    「あー……、うむ。知っておる」
     晴奈と良太に雪花のことを尋ねられた重蔵は、困った顔をして答えた。
    「じゃが、うーむ。これはのう、言えんのじゃ」
    「なぜですか、おじい様」
    「約束しておってな。その、柊雪花と言う女性と。
     わしはその、雪花さんにまつわるあらゆることを、口にしないと約束しておるのじゃ。剣士の誇りにかけて、それは破れん」
    「そんな……」
     困った顔をする孫を見て、重蔵も困った顔で返す。
    「じゃから、わしは言えんのじゃ。……すまぬ、良太」
    「……はい」
     祖父から聞き出すのは無理と見て、良太は仕方なく立ち上がった。
     晴奈も立ち上がり、部屋を後にしようとした、その時――。
    「もう一度言う。わしは『言えん』のじゃ」
     ちゃりん、と金属音が響く。その音に晴奈たちは振り返ったが、重蔵は依然、背を向けたままである。
     だがそのすぐ後ろに、何かの鍵が落ちていた。
    「これは……」「では、失礼します。行くぞ、良太」
     尋ねようとした良太を止め、晴奈は鍵を取って部屋を出た。良太も仕方なく付いて行き、今度は晴奈に尋ねる。
    「何で聞かないんですか、姉さん」
    「聞いて答えてくれる雰囲気だったか?」
    「……確かに」
    「これが家元にできる、最大限の譲歩なのだろう。……ふむ」
     晴奈は鍵を眺めながら、その使い道を思案する。
    「普通の、真鍮の鍵だな。どこに使うのかも、書いていない。……片っ端から、調べてみるか」

     それから数日かけて、晴奈と良太は塞内の倉と言う倉を回り、重蔵からもらった鍵に合うものを探したが、一向にそれらしきものが見つからない。
    「これも、違うな」
    「こっちも、大きさが全然……」
     倉においてある鍵付きの箱や錠前に、片っ端から鍵を当ててみたが、それらすべてが合致しなかった。
    「見つかりませんね……」
    「そうだな……」
     何も知らない者が見たら荒らしていると誤解されかねないくらい、二人はあちこちの倉を引っ掻き回していた。
    「もしかしたら……」
     と、作業を続けつつ、晴奈がこんなことを言い出した。
    「雪花と言う女性、師匠の縁者やも知れんな」
    「ありそうですね、それ」
     晴奈の予想に、良太も乗ってみる。
    「もしかしたら、お母さんなのかな」
    「ふむ」
     二人があれこれ想像していると、カタ、と戸口から音がした。
    「……良太?」
     いつの間にか、倉の入口に柊が立っている。
     晴奈たちは話を聞かれたかと冷汗を流しつつ、恐る恐る尋ねる。
    「その、えっと、……どうされました?」
    「何か探し物?」
     対する柊は、笑みを浮かべて尋ねてきた。
    (……どうやらまだ、私たちが雪花氏のことを探っているとは気付いていないらしい)
    (で、ですかね?)
     晴奈と良太は目配せして柊の反応を確認しつつ、それらしい話を作った。
    「あ、……ええ、家元からこの鍵に合う箱があるので探してほしい、と良太が頼まれまして」
    「そ、そうなんですよ、はは、面倒でしょ?」
    「それで、手間がかかりそうなので、私が手伝っている次第でして」
     しどろもどろな説明ながら、どうやら柊は話を信じたらしい。
    「あら、そうなの? 良かったら、わたしも手伝おっか?」
     その返事に、晴奈と良太はもう一度顔を見合わせ、慌てて取り繕う。
    「あ、いやいや。お手を煩わせるわけには」
    「そうですよ、ええ、僕たちだけで何とか、大丈夫です、はい」
     が、柊は離れようとしない。
    「ううん、わたしも暇だし、良太の手伝いなら喜んでするわよ」
     晴奈たちはどうしようかと、三度目配せする。
    (どうしましょう、姉さん?)
    (どうもこうもない。ここで断るのも変だろう?)
     諦めた晴奈は、柊に頭を下げた。
    「では、お願いしてもよろしいでしょうか?」
     柊はにっこりと笑い、袖をまくった。
     対する晴奈と良太は、もう一度目配せした。
    (何とかしないと修羅場になるな、これは)
    (……こ、困ったなぁ)



     三者三様、様々な思いを抱えつつも、錠探しは進められた。
     だが、10以上あった塞内の倉をすべて回っても、ついに鍵に合うような物は見つけられなかった。
    蒼天剣・琴線録 2
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第58話。
    あの建物の、裏の顔。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     何日も費やした錠探しが空振りに終わり、晴奈と良太は憔悴した顔を並べていた。
    「他に、倉ってありましたっけ?」
    「私の知る限り、無いな」
    「……本当に、これにはまる錠があるんでしょうか?」
     そんなことをつぶやいた良太に、晴奈が目をとがらせる。
    「まさか、家元が嘘をついたとでも?」
    「そうは言ってませんけど、でも、鍵が合う箱が無いんじゃ」
     良太の言葉に、晴奈もうなるしかない。
    「うーむ」
    「……あ、待てよ?」
     と、良太は自分の言葉であることを思い付いた。
    「どうした?」
    「鍵、って言っても、かけるものって一杯ありますよね」
    「と言うと?」
     良太は鍵をつかみ、立ち上がる。
    「ほら、机とか、金庫とか、……他には、扉とか」

     良太の意見に従い、晴奈たちは鍵のかけられた扉を探すことにした。
    「まあ、考えてみれば確かに『箱に使う鍵』とは言っていないな。どこか、開かずの間になっている部屋の鍵かも知れぬ」
    「でしょ? ……それに、『倉を探し終わっても無かったから、おじい様の勘違いだった』って口実も作れるし、雪乃さんにこれ以上付き合わせなくて済みます」
    「それもそうだな。一時はどうなることかと思ったが」
     二人は同時に安堵のため息を漏らしつつ、捜索を続ける。
    「……入らない」
    「ここも、違うみたいですね」
     だが、扉の方も2棟ほど当たったものの、依然それらしいものが見つかる気配が無い。二人は軽くため息をつきながらも、次の修行場に向かうことにした。
    「えっと、次は……」
    「心克堂だ。ここは飛ばそう」
    「え?」
     良太は何か引っかかるものを感じ、反対する。
    「いや、ここも行ってみた方がいいんじゃないですか?」
    「何故だ? この中は私も入ったし、お前も中は知っているだろう? 何も無いぞ」
    「うーん、何て言うか、何だろう……、何か、気になるんですよ」
    「はぁ?」
     要領を得ない意見に、晴奈は首を縦に振らない。
    「その、うーん……、調べるだけ、調べてみませんか? そんなに時間、かかることでも無いですし」
    「……そんなに言うなら、まあ」
     結局晴奈が折れ、伏鬼心克堂も当たることになった。
     堂までの道を歩きながら、良太は考えをまとめてみる。
    「何て言うか、あそこは魔術がかかっているんですよね」
    「ああ。入門試験は鬼を見せられ、免許皆伝の試験でもまた、別のものを見せられる」
    「へぇ、卒業試験でもですか。
     まあ、それも含めて、あそこには何か、僕たちが知らないような仕掛けがあるような、そんな気がするんですよ」
    「そんなものかな……?」
     話しているうちに、二人は伏鬼心克堂の前に着いた。
    「じゃ、試してみるか」
     晴奈は鍵を、扉の鍵穴に当ててみる。
     すると、かちゃ、とわずかに音を立てて、鍵は鍵穴に入ってしまった。
    「……!」
    「あ、当たり?」
    「ま、待て。……回してみないことには」
     手首をひねると、すんなり回る。そしてかち、と鍵穴から響き、扉は開いた。
    「開きました、……ね」
    「ああ。……開いたな」
     二人は一瞬顔を見合わせ、同時にうなずく。そして中に、足を踏み入れた。
     次の瞬間――二人の足から、接地感が消えた。

    「わ、わあっ!?」「穴!?」
     二人はそのまま、下へと落っこちた。
     運動神経のいい晴奈は「猫」らしく、音も無く着地したが、鈍臭い良太は尻からどす、と地面にぶつかった。
    「あ、あたた……」
    「大丈夫か、良太?」
    「ちょっと、痛いけど。大丈夫です」
     良太は晴奈に手を貸してもらいながら、よたよたと立ち上がる。
    「何が何だか……。お堂に、落とし穴?」
    「と言うか、私たちが勝手に落っこちたようだな。
     ほら、はしごもある。どうやら地下道のようだ」
    「あ、本当だ」
     後ろを振り返ると、木のはしごがしっかりかかっている。二人は顔を見合わせて苦笑した。
    「はは……、やっちゃいましたね」
    「ふふ、私としたことが。
     ……ともかく、あの鍵でここに来られたと言うことは」
    「この先に雪花さんの手がかりがある、ってことですね」
    「そうだな。奥に行ってみよう」
     晴奈たちは地下道の先に進むことにした。
    「む……。少し、暗いな」
    「あ、大丈夫ですよ。僕、雪乃さんにこう言う時に役立つ魔術、教えてもらいましたから」
    「ほう」
    「見ててくださいよー。……照らせ、『ライトボール』!」
     良太が手をかざすと、その手の先に光球がポンと現れ――すぐ消えた。
    「あれ? おかしいなー……。 えい! ……えい!」
     何度やっても、光球は一瞬現れ、消えるのを繰り返す。
     見かねた晴奈は、良太に手を差し伸べた。
    「……私の袖をつかんでいろ。私は『猫』だから、暗いところでも多少は目が利く」
    「す、すみません」
     しゅんとする良太を見て、晴奈はまた苦笑した。

     地下道を歩いて間も無く、二人は松明を発見した。
    「良太、火種はあるか?」
    「あ、はい。確か、……ありました。はい」
     良太は持っていた燐寸で松明に火を点ける。辺りが照らされた瞬間、二人は息を呑んだ。
    「お……?」
    「こ、これ……!」
     壁中に、幾何学的な紋様が張り巡らされている。
     良太はその紋様をまじまじと見つめ、ポンと手を打った。
    「これが、伏鬼心克堂の正体なんだ……!」
    「うん?」
    「これ、全部『魔法陣』ですよ! めちゃくちゃ大量に描いてありますけど、多分全部、幻術関係のやつです」
     晴奈は意味が分からず、聞き返した。
    「まほうじん、って何だ?」
    「あ、えーとですね、簡単に言うと魔術を使いやすくするために、紙や壁に呪文を羅列するんですよ。で、言葉で唱えるよりもっと簡潔にするために、図形を用いたりもするんです。
     鬼を見たりするのは、この幻術系の魔法陣が作動してたせいですね」
    「ほう……」
     晴奈は何の気無しに壁に触ろうとしたが、それを見た良太が袖を引っ張り、慌てて止める。
    「あ、触っちゃダメです! 下手に触ったら、誤作動を起こしちゃいます!」
    「お、おお?」
     良太の剣幕を見て、晴奈は手を引っ込めた。
    「まずいのか?」
    「下手すると、魔力をとことんまで吸われて倒れちゃいますよ」
    「なるほど、まずいな。……先に進もう」
     さらに奥へ進むと扉があり、魔法陣もそこで途切れている。
    「……開けるぞ」
    「はい」
     二人ともゴクリとのどを鳴らし、その扉に手をかける。扉はギシギシと音を立て、途中でわずかに引っかかりつつも開いた。
     中を覗くと、そこには――。
    「……に、人間!?」
    「いや、あれは……」
     人間と同じ大きさの人形が、小さな机の前で座っていた。

     人形は、どうやら木製であるらしい。松明のぼんやりとした灯りの下で見ると、本物の人間かと見紛うほど精巧にできている。深緑の着物を羽織り、央中風の小さな椅子に腰かけたその体は、今にも動き出しそうな雰囲気をかもし出している。
     そして、その顔は――。
    「雪乃さん、そっくりだ」
    「……机の上に、何か乗っている」
     晴奈はそっと手を伸ばし、机の上に乗っている本を取った。
    「日記だ。持ち主は、……柊雪花」
    「読んでみますか?」
    「ああ」
     晴奈と良太は机の前に座り、日記を開いた。
    蒼天剣・琴線録 3
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第59話。
    古い日記。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「482年 6月10日 雨
     焔先生との商談もまとまり、ようやく一息つける。
     この後はどうしようか。大月に戻ってもいいが、掘り出し物を見つけに弧月へ向かうのも、紅蓮塞からなら近い。
     どうせ帰っても一人だ。それならいっそ、小旅行気分で弧月に行くのも悪くない。
     決めた。弧月に行こう。

     482年 6月19日 曇り
     ようやく弧月に着いた。こう雨続きでは、整備された街道でも歩くのが困難になってしまう。
     弧月はやっぱり、古美術商には垂涎の街だ。あっちこっちに遺跡があるから、掘り出し物が一杯あって、すごく楽しい。
     とりあえず今日は宿でゆっくりして、明日から露店などを見て回ろう。

     482年 6月21日 雨
     すごい掘り出し物、発見! 古代の魔術を記した本!
     クリスに売れば、どれだけの値が付くのか!
     ううん、それより! とっても面白いことが書いてあった。
     帰ったら、試してみよう。こう考えると、大月に帰りたくて、仕方なくなってきた。
     とりあえずもう一日、露店めぐりをしようかな。橘さんのお店も美味しかったし、また行ってみよう。

     482年 7月19日 晴れ
     わくわくして仕方が無い。私に、家族ができるなんて!
     名前は雪乃と、花乃と名付けた。もちろん、私の名前から取った。まだ術の効果が出て間も無いためか、雪乃たちの動きはのろい。いや、赤ちゃんだから、かな?
     赤ちゃん。私に、赤ちゃん。
     こうして文字に書くだけで、震えるほど嬉しい」



    「雪乃……。やっぱり、雪花さんは雪乃さんのお母さんだったんですね」
    「いや待て、良太。おかしいぞ、これ」
     読み進めていた晴奈は、日記の矛盾点を指摘する。
    「師匠が7月に生まれたとするならば、6月にははまだ、雪花殿は身重だったはずだ。そんな体で、紅蓮塞やら何やらに行けるか?」
    「え? ……おかしい、ですね?」
    「それに、6月の時点では家族がいない、とある。独身からいきなり、2人の子持ちだと?」
    「じゃあ、養子なのかな……?」
     良太は食い入るように日記を見つめている。晴奈はさらに、気になる点を指摘した。
    「あと、師匠には花乃と言う姉妹がいることになるな。師匠からそんな話を聞いたこと、あるか?」
    「無いです」
    「術と言うのも気にかかるが……。何が何やら、見当が付かぬ。
     ともかく、続きを読んでみよう」



    「482年 10月2日 晴れ
     雪乃も花乃もすくすく成長している。
     ハイハイできるようになった。もう、可愛くて仕方無い!
     ご飯もよく食べるし、健康そのもの。やっぱり、この子達を作って正解だった。
     私、幸せ!

     482年 11月1日 曇り
     クリスがやってきた。あの魔術書の買い取りに来てくれたのだ。もう使いたい術は使ったのだし、売ることにした。287200クラムで交渉成立。玄銭に換算して、200万以上は軽く超える。本の値段としては、相当な儲けになった。
     ついでにクリスと食事。儲けさせてくれたお礼に全額おごらせてもらおうとしたが、『次の商売の時、またお世話になるから』と、割り勘になった。
     流石、金火狐一族。顧客は大事ってわけね。

     482年 12月18日 雪
     花乃がしゃべった!
     私のこと、お母さんって言ってくれた! 嬉しい! 可愛い! 大好き!

     483年 双月節1日 晴れ
     あけましておめでとう。今年もよろしくね、雪乃、花乃。
     花乃からちょっと遅れて、雪乃もしゃべれるようになった! 本当、嬉しい!」



    「あ、の……」
    「ああ……」
     晴奈も良太も、同じ箇所を指差している。
    「作った、って」
    「それに、魔術は使った、だ」
    「まさか……」
    「……続きを、読もう」



    「485年 5月25日 晴れ
     雪乃も花乃も、本当に可愛い。今日なんか、花の冠を二人して作って、私に贈ってくれた。感激! 大事にするからね!
     追記、少し気になることがある。つま先が、軽くしびれている。揉み解しても、しびれはなかなか消えなかった。どこかにぶつけたかな?

     485年 8月10日 晴れ
     雪乃が転んだ。慌てて手当てしようと思ったら、膝から綿が出ていた。もう2年経つのに、まだ術は完璧ではないのだろうか? 早く、完璧になってほしいな。
     そしてもう一つ、気になることが私自身にも。つま先のしびれがひどくなってきた。今度、お医者さんに診てもらおう。

     485年 8月13日 雨
     わけわからない なにがどうしたのよ

     485年 8月14日 雨
     わけが分からない。私の体に、大量の木片? しかも筋肉や骨と融合して、取り出すのは不可能? 聞いていて、ぞっとした。
     私の不安が分かるのか、花乃がお茶を淹れ、雪乃が出してくれた。本当に、いい子たち。
     あ、雪乃のケガはほとんど治ったみたい。良かった。

     485年 9月6日 晴れ
     モールとか言う、変な人に出会った。
     怖かった。いきなり「キミ、人形になりかけているね」なんて言ってくるんだもの。でも、その人の言葉は、痛いほどよく分かった。
     魔術には、代償を必要とするものもあるのだと、ようやく気付かされた。私は人として、踏み込んではいけない領域に入ってしまったのだ。
     私は家族がほしい、ただそれだけが願いだったのに。
     雪乃と花乃が泣いている私を見て、つられて泣き出してしまった。ゴメンね、二人とも。

     485年 9月7日 曇り
     モールを家に泊めて、二日目。
     雪乃と花乃の遊び相手になってくれるし、結構いい人なのかな? でも、子供たちにデコピンしたり、「人形ちゃん」と呼びかけたりするのはやめてほしい。
     二人とも、れっき―――――――
     れっ き と した 人間 ―だ か ら。
     手、痛く ―なっ て ―き た」



     良太は震えている。晴奈も、ダラダラと冷汗を流していた。
    「これ、って……」「待て」
     言いかけた良太の口を、晴奈が押さえる。
    「……師匠」
     ぽつりとつぶやいた晴奈の一言に、身を震わす者が二名いた。
     それは晴奈の横にいた良太と――通路の陰に隠れていた、柊だった。
    蒼天剣・琴線録 4
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第60話。
    良太の愛、雪花の愛。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「知ってしまったのね……」
     物陰から柊が現れた。まるで人形のように無表情な顔から、ポタポタと涙が流れている。
    「ゆ、雪乃さん」
    「……」
     一言発したきり、柊は何もしゃべらない。
    「その、僕はあなたを助けようと……」
     良太が何か言おうとするが、言葉にならない。
    「……その、あのっ」「もういいわ」
     凍りつくような声で、柊が良太の弁明をさえぎった。無表情だった顔が、とても悲しそうに歪む。
    「そうよ。わたしは、人形だった。31年前、は。それを人間に変えたのは、母さん。魔術で人形を、人に変えたのよ。
     でもその魔術は、代償が必要だった――術の使用者を、人間から人形に変えると言う」
    「雪乃さん……」
    「家元も、わたしの出自はご存知よ。母が動けなくなる直前、ここに来たから。母はすべてを家元に伝えたわ。
     魔術で人形を、人間に変えたこと。ある人物から聞いた、代償のこと。そして数年のうちに、母は完全に人形になってしまうこと。
     でもそうなる前に、いくつかのお願いを家元にしたの。まず、心克堂地下道の修繕をする代わりに、その奥にかくまってほしい。次に、自分が人形になったことを誰にも知らせないでほしい。
     そして――わたしを、自分の代わりに育ててほしいと」
     柊は顔を伏せ、その場にうずくまった。
    「知らないでほしかった……! 良太に、知ってほしくなかった……! 折角、いい人にめぐり合えたと思ったのに、何で! 何で、知ってしまうのよ!?」
    「雪乃さん、僕は」
    「もうおしまいよ……! わたしはあまりにも呪われているもの! それを知られたら、わたしはもう、生きてはいけない……!」
     柊は急に立ち上がり、背を向けて走り去っていった。
    「ゆ、雪乃さん!」
     良太も――普段のとろくささが、嘘のように――急いで、後を追いかけた。
     残った晴奈は追いかけようとも考えたが、途中で足を止めた。
    (二人の問題だ。私が行って、どうなる? 二人で、解決しなければならぬことなのだ。
     それよりも、優先すべきは)
     晴奈は地面に落ちた日記を取り、もう一度読み始めた。



    「485年 9月16日 雨
     モールは口がちょっと、ううん、かなり悪いけど、思っていたよりずっと、いい人だった。私の治療をしてくれたのだ。
     いや、厳密に言えば魔術の応用を教えてくれた。動かないものを、動かせるようにする術。それで何とか日記も書けるし、ゆっくりとだが歩けるようになった。
     モールによれば、これも一時的な処置であるらしい。1、2年経てば、その術でも動けなくなるのだそうだ。脳まで、木や綿になって。
     絶望しそうだ。私の余命は、あと1年。雪乃や花乃が成長する様を、それ以上見られないのだ。いや、もっとはっきり言えば、幼いこの子たちを遺して、私は死んでしまうのだ。
     何とかできないか、モールに頼んでみた。答えは「無理だね」。術を解除すれば、あるいは助かるのかも知れないと言うのだが、それはつまり、子供たちの死を意味する。
     それ以外の方法は、無い。はっきり言われた。
     悲しい。体がバラバラになりそうなほど、悲しい。どうしようもないのだろうか?

     485年 9月17日 曇り
     クリスが来た。モールとともに、私の体と、子供たちのことを告白した。
     やっぱり、驚いていた。そうだよね、普通。
     モールが本はまだ持っているのかと尋ねたが、答えは×。すでに、ある名士のところに渡ってしまったのだそうだ。買い戻すのは、至難の業だろう。モールは「それがあれば、何とかできたかもしれないね」と言ってくれたが、私はもう、諦めた。
     託そう、子供たちを。このままでは私だけではなく、子供たちも死んでしまう。
     クリスに頼み込み、子供たちを引き取ってくれないかどうか聞いてみた。だが、残念ながらどちらか一人しか、無理だと言う。金火狐一族とは言え、クリスは末席。子供2人を抱えられる財力も地位も、持っていないのだそうだ。
     結局、クリスには花乃だけを託した。クリスは責任持って、育ててくれると約束してくれた。
     本当に、良かった。花乃をお願いね、クリス。

     485年 9月30日 晴れ
     モールに助けてもらって、何とか紅蓮塞まで来られた。
     本当に最後までありがとう、モール。
     焔先生に事情を説明し、雪乃を引き取ってくれないかとお願いした。先生は快く引き受けてくれた。これで心残りは無い。
     また、私をかくまってくれることを提案してくれた。私はそれを快諾し、今こうして地下にいる」



     日記は、そこで止まっていた。
    (まあ、以後ずっとここにいれば、書くものは無いだろうな)
     晴奈はその後の頁をぱらぱらとめくる。後に続くのは、白紙ばかり――。
    「お?」
     ではなかった。一頁に渡って、詩のようなものが書かれている。



    「雪乃。花乃。
     ごめんなさいね。私の、遊び心のせいで。
     もしかしたら人形のまま、平穏に。永遠に。生きていけたかもしれないのに。
     でも、私は――」

     詩を読み終えた途端、晴奈の目からぽた、と涙が出た。



     地下道の出入り口で、良太はようやく雪乃に追いついた。
    「ゆ、ゆきっ、のっ、さん」
    「……」
     雪乃は振り向かず、梯子に手をかける。良太は持てる筋肉をすべて使い、柊に飛びつく。
    「行かないで、雪乃さん!」「きゃっ!?」
     良太の飛び込みに引っ張られ、雪乃は梯子から落ちる。二人はそのまま、絡まるように地面に倒れこむ。
    「やめて、良太……」「雪乃さん!」
     倒れこんだまま、上になった良太が雪乃に叫ぶ。
    「雪乃さん! 雪乃さん! 行かないで、雪乃さん!」
    「え……」
     良太は顔を真っ赤にしたまま、下に押さえ込んだ雪乃に叫び続ける。
    「人形とか、人間とか、そんなの知らない! 僕は、雪乃さんが好きなんだ!」
    「りょ……」
    「今こうして触ってる雪乃さん、温かくて柔らかいし! この感触が綿とか、肉とか、そんなことどうでもいい!
     今ここにいる、雪乃さんが好きなんだ!」
     良太の心の叫びを聞くうち、雪乃も顔が赤くなっていく。
    「でも、わたしは、母さんの……」
    「雪花さんだってさあ! 雪乃さんに、幸せになってほしいって、きっと思ってますよお!」
     絶叫が、次第に嗚咽になっていく。
    「そう、願わない、親なんて、いないでしょお……。そうじゃなきゃ、雪乃さんも、花乃さんも生まれなかったでしょお……」
     下で半ば、されるがままになっていた雪乃は、良太の下敷きになっていない左手で良太をつかみ、抱きしめた。
    「……良太」
     雪乃も、いつの間にか泣いていた。



    「雪乃。花乃。
     ごめんなさいね。私の、遊び心のせいで。
     もしかしたら人形のまま、平穏に。永遠に。生きていけたかもしれないのに。
     でも、私は。あなたたちを人間にしたこと、後悔してない。
     あなたたちは、私に多くの感動と、愛おしさを与えてくれた。
     そして、勝手な言い分かも知れないけれど。
     私は、あなたたちに無限の可能性を贈った。
     元気でいてね。
     幸せになってね。
     私のことは、気にしないでね。

     大好き」
    蒼天剣・琴線録 5
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第61話。
    消える風景、現れる偶像。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     晴奈は元来た通路を、日記を抱えたまま戻っていく。
     そして、出入り口に来たところで――。
    (うわっ!?)
     晴奈は口を押さえ、前を向いたまま、静かに後ずさった。
    (……ま、まあ、仲が戻ったようで何よりか)



     晴奈と良太、そして雪乃は重蔵のところへ戻った。
    「家元。この日記、拝読いたしました。
     最後の頁に『追伸の、追伸。この日記を読んだ人は、読んでいない人に話したりしないでね』と書かれておりましたので、もうお話しいただいてもよろしいかと」
    「……そうか」
     重蔵はコク、と深くうなずき口を開いた。
    「あれから、もう30年近くなるんじゃのう。
     初めに、柊先生から雪さんのことを聞いた時は、そりゃもう仰天したわい。しかしの、その頃にはすでに、本物……、と言うか、普通の人間じゃったからのう。魔力もあったし筋も良かったから、そのまま剣士の修行を積ませることにしたんじゃ。
     まあ、その後のことは周知の通り。うちの師範になり、そのままうちに住み、たまに諸国を漫遊し、晴さんと良太に出会った。
     これがわしの知る、柊雪乃と言う女性についてのすべてじゃ」
    「あの、おじい様」
     そこまで重蔵が話したところで、良太が挙手する。
    「雪花さんの日記には、花乃と言う人物も出てきました。どうやら、雪乃さんの姉妹に当たるようなのですが。こちらは何かご存知でしょうか?」
     重蔵は腕を組み、首を横に振る。
    「すまん。そちらについては皆目、見当も付かん。柊先生から、クリス・ゴールドマンと言う行商人に預けたとは聞いておるが」
    「ゴールドマン? 確か、央中の大富豪では」
     晴奈がそう尋ねたが、重蔵はもう一度首を振る。
    「恐らく、そうじゃとは思う。が、話の筋からして、どうやら傍系の者か、あるいはその名を騙った者のようじゃ。
     今現在どうしているのかは、残念ながら分からん。一度金火狐に手紙を宛ててみたものの、返事は返って来んかった。
     ともかくわしが分かるのは、雪さんと柊先生についてのみじゃ」
     そこで重蔵は深くため息をつき、奥の間に入った。そしてすぐ、晴奈たちのところに戻る。
    「ようやく、これを渡せるのう。
     これは柊先生から、『雪乃が結婚する時は贈ってください』と頼まれていたものなんじゃが」
     重蔵の手には小さな箱が乗せられている。雪乃はそろそろと、その箱を手に取った。
    「母さんの、贈り物……」
     中を開けると、そこには指輪が2つ入っていた。
    「なるほど、結婚指輪ですか」
    「もう、渡してもいい頃合じゃと思うてな」
     雪乃はその指輪を取り出し、はめようとする。が、そこで良太が雪乃の手をつかむ。
    「あ、雪乃さん」
    「え?」
    「それ……、僕が、付けます」
     それを聞いた途端、周りが一斉に反応した。
    「おう、おう。ついに決めなさるか」
     重蔵は嬉しそうにニヤついている。
    「頑張れ、良太」
     晴奈は両拳を胸の前で固め、応援する。
    「……」
     そして雪乃は、顔を真っ赤にして手を差し出した。
    「それ、じゃ。付け、ますね」
     良太も緊張した面持ちで、指輪を雪乃の指にはめた。

     その瞬間、良太の心から、あの殺伐とした風景が消え去った。
    (あ……)
     あの遠い世界の孤独な街灯が、砂になって消えていく。
    (感じる)
     砂は風に舞い、虚空へと飛んで行く。
    (雪乃さんが、すごく……近くに来てくれた)
     砂がすべて散り去った後には――澄み切った青空の下、早春の高原の真ん中でにこにこと笑う雪乃の姿が、ありありと脳裏に浮かんだ。
    (近い! すごく近いよ、雪乃さん!
     僕はようやくあなたの側に、……来られた!)
     良太は目の前にいる雪乃の手を握ったまま、一言発した。
    「結婚、してください」
     雪乃は顔を真っ赤にしながらまっすぐに良太の目を見つめ、小さくうなずいた。

    蒼天剣・琴線録 終
    蒼天剣・琴線録 6
    »»  2008.10.08.
    晴奈の話、第62話。
    紅蓮塞の記念すべき日。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     514年、春。いつもはむさ苦しい紅蓮塞が、今日は華やかに染まっていた。
     現在の家元、焔重蔵の孫である桐村良太と、焔流の女剣士、柊雪乃の婚礼が行われるためである。

    「うっわー」
     宿場街を歩いていた橘は、普段とあまりにも違う塞内の様子に驚いていた。
    「すっご、大イベントじゃないの」
     どこを見ても、「焔家 ご成婚記念」ののぼりが立っている。
    「ご成婚記念、ねぇ。まあ言ってみりゃ、良太くんってこの街の王子サマだもんね」
     雰囲気に流され、橘は道端の露店で温泉まんじゅうを買う。
     が、食べようと包みを開いた瞬間、思わず吹き出してしまった。
    「ぷっ」
     まんじゅうすべてに良太と雪乃の顔が、焼印で押されていたからだ。
    「ココまで来るとちょっと引くわー。食べられないってば、こんなの」
     と、一人冗談をこぼしつつ、口にぽい、と放り込む。
    「はむっ。……うっわ、あっまーい」
     橘は頬を押さえながら、まんじゅうすら甘ったるい、この街の浮かれようを笑っていた。
    「二人の仲を祝って、ってコトなのかしらねー。でもこのデザインはありえないでしょ」
     そう評しつつ、先ほどの露店を振り返ると――。
    「ぶふっ」
    「これ、良太さんかしら」
     あごひげを生やした侍風の、子供を背負った短耳の男と、見るからにおしとやかな白い「狐」の女性が、まんじゅうを見て笑っていた。

    「こりゃねーよ、わはは……」
    「本当、少しお遊びが過ぎますね、ふふ……」
     謙と棗はそのまんじゅうを見つめ、大笑いしていた。
    「むぐ。……あら、とっても甘い」
    「ほう。一つくれないか」
     桃を背負って両手がふさがっているため、棗が謙の口にまんじゅうを運ぶ。
    「はい、どうぞ」
    「むしゃ。……うは、甘いなぁ」
     謙は顔をしかめつつも、まんじゅうを飲み込む。
    「おかーさーん、あたしもー」
     続いてまんじゅうをせがんだ桃にも、棗が食べさせた。
    「はいはい。ほら、あーんして」
    「あーん。……ほんとだ、あまーい」
     まんじゅうをつまみつつ、梶原夫妻は今日の主役について意見を交わす。
    「しかし雪乃があの子と結婚するとは。何度考えてもしっくり来ないんだよな」
    「そうでも無いですよ。良太さんは芯が清く、優しい方ですもの。雪乃さんには、それが良く分かっていらっしゃるのよ」
    「まあ、そうだな。頼りないところはあったが、その点は雪乃が補ってやるだろうからな。そう考えると、似合いの二人なのかも知れん」
     と、ここで桃が口を挟んでくる。
    「ねえ、おとうさん。ゆきのさんって、どんなひと?」
    「んー、そうだな。ちょっとオクテだけど、気が良くて明るい、いい子だな」
    「おくて、って?」
    「あー、と、どう言ったもんか。
     ……そうだな、例えばあっちの露店で、このまんじゅうを食べようかどうしようか、もじもじしてるような奴って感じだな」
    「あのちゃいろの『とら』さん?」

    「か、顔が。……うーん」
     買ったまんじゅうを見て、柏木は硬直した。
    「こう言うの、苦手なんだよなぁ。うぐいす餅とかひよこまんじゅうとか人形焼きとか、動物とか人っぽいお菓子。
     しかしおめでたいものだし、食べないと悪いよなぁ」
     意を決して、口にぽい、と入れる。
    「……ぐ、んがっ!?」
     が、口に投げる勢いが良すぎたために、のどに詰まらせてしまった。
    「ゲホ、ゴホ、ぐえ、ゲホ……」
     柏木はのどを押さえ、悶絶する。
     と、そこへ梶原一家が慌てて寄って来た。
    「だ、大丈夫ですか!? ……えいっ!」
     棗が柏木の背中をバシバシと叩き、まんじゅうを柏木ののどから叩き出した。
    「げっ、ゴホッ、……ハァハァ」
     顔を真っ赤にしたまま、柏木は棗に礼を言う。
    「す、すみません、お騒がせ……、ゲホ」
    「無理なさらないで。……はい、お水」
     棗の差し出した水をガブガブと飲み、柏木はようやく落ち着いた。
    「はー、はー」
    「おいおい、焔剣士ともあろう者が情けねーなぁ」
     呆れた顔でつぶやいた謙に、柏木が目を丸くする。
    「え? あ、あなたも焔の方ですか?」
    「おう。俺の名は樫原謙だ、よろしくな」
    「あ、これはどうも。私、柏木栄一と申します。青江は楢崎瞬二派の、焔流の者です」
     柏木の自己紹介を聞いた謙は目を丸くした。
    「え? 君、楢崎さんのお弟子さんか? いやー、こりゃどうもどうも」
    「先生をご存知なんですか?」
    「塞にいた時にゃ、お世話になったもんだ。っと、ちゃんと名乗らなきゃな。本家、焔流免許皆伝の身だ。よろしくな」
     道端で自己紹介を始めた途端、周り中から同じような声が沸き起こる。
    「楢崎先輩なら、私も知ってます!」
    「え、君も?」
    「じゃ、本家?」
    「わあ、私も教えてもらったんですよ!」
     ざわめく宿場街を見て、騒ぎの発端となった謙と柏木は、互いに困った顔をした。
    「はは……、雪乃に会うはずが、これじゃ同窓会だ」
    「思いがけず、ですね……」



    「何なのよー、ホント」
     急に込み始めた街路を縫うように歩きながら、橘はブツブツ文句を言う。
    「通れないっつーの。……もう、服がグチャグチャになっちゃうじゃん!」
     橘は袖を互い違いに握りしめながら、杖を懐に挟んでじりじりと進む。
    「よいしょー、よいしょっ」
     人ごみを何とか切り抜け、細道に入る。そこで巫女服の乱れを直し、杖が無事なことを確認する。
    「33、34、35……、36、と。よし、鈴は全部無事ね」
     杖に付けた鈴をシャラシャラ鳴らして、問題が無いことを確認した。
     と――視界の端に、人の顔が見えた。
    「あれ?」
     一瞬見えたその顔に、橘は見覚えがある。いや、あるどころでは無い。
    「え、雪乃?」
     橘はその人物が向かった細い路地に入ってみる。
    「おーい?」
     だが、路地には橘以外には、誰の姿も無かった。
    「……見間違い? 一瞬、雪乃がいたと思ったんだけど」
    蒼天剣・夢幻録 1
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第63話。
    雪乃の今後と、橘たちの邂逅。

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    2.
     宿場街と修行場の境にある、催事場の新婦控え室。
    「夢みたい……」
     白無垢の装束を羽織った雪乃が、側にいた晴奈につぶやく。
    「わたしが、結婚するなんて」
    「大丈夫です。夢ではありません」
     晴奈も普段の道着姿とは違い、振袖を着てめかし込んでいる。
    「……そうね、ふふ」
     晴奈に髪をとかしてもらいながら、雪乃は幸せそうに笑う。
    「ところで、……師匠」
    「ん?」
    「今後はどうされるのですか?」
     晴奈はためらいつつも、雪乃の身の振りについて尋ねる。
    「刀は置かないわ。それは確か」
    「そうですか」
     晴奈は内心、ほっとする。
     それを鏡越しに見透かしたらしく、雪乃がクスッと笑う。
    「あら、やめちゃうと思ってた?」
    「えっ? あ、いや、その」
     動揺する晴奈を見て、雪乃はまた笑う。
    「剣士の道は、わたしの人生そのものだもの。それを捨てたら、わたしと言う人間が一気にぼやけてしまいそうだから」
    「……そうですね。私も、刀を置いた師匠と言うのは想像もつきません」
    「あら、わたしはそんなに無骨な女かしら?」
     いじわるっぽく笑う師匠に、晴奈は苦笑しつつこう返した。
    「いやいや、そんなことは。私にとって師匠は、理想の女性です」
    「あら、ありがと」
     身だしなみを整え終えたところで、雪乃は化粧台から立ち上がり、窓の外を見た。
    「……わたしたちのために、こんなに人が集まってくれるなんて」
     眼下に広がる宿場街と、そこにある人だかりに向けて、雪乃は小さく頭を下げた。

     一方、良太は――。
    「じゃからな、夫婦と言うものは、すべからく……」
    「は、はあ」
     式に浮かれ酔っ払った重蔵の、20周目に入った話を、困った顔で聞いていた。



    「うーん」
     路地をいくら見回しても、橘は先程の女性を見つけられなかった。
    「絶対、雪乃だと思ったんだけどなー」
     完全に見失ったため、諦めて大通りに戻ろうとする。
     と、向かいからバタバタと人が入ってきた。
    「はー、ここなら落ち着いて歩ける」
    「本当に、大騒ぎになってしまいましたからね」
     梶原一家と、柏木である。
    「おまんじゅう、もうないの?」
     指をくわえながら尋ねる桃を、棗が叱る。
    「こら、指をくわえてはいけませんよ。……ごめんなさいね、あの騒ぎで落してしまったみたいなの」
    「えー」
     無いと言われてもなお、桃はねだる。
    「たべたいー」
    「無理を言っては行けませんよ、桃。もう少し騒ぎが収まってから、また買いに行きましょう」
    「……たべたいのー」
     ぐずる桃を見て、橘は思わず、自分が買っていたまんじゅうを差し出した。
    「あの、良かったらどうぞ」
    「あら、いえいえ、お構いなく」
     遠慮する棗に、橘は再度勧める。
    「いえ、あたしももう、お腹が一杯で。どうぞ、召し上がってください」
    「そうですか? それでは、ありがたく……」
     棗はまんじゅうを受け取り、桃に食べさせた。
    「ありがと、おねえちゃん」
     きちんと礼を言った桃に、橘はにっこり笑って返した。
    「いーのいーの、美味しく食べてちょうだい」

     その後、謙から大通りでの騒ぎの原因を聞かされ、橘は大通りをながめる。
    「まだ思い出話に花が咲きっぱなし、って感じねー」
    「桃もいるから、俺達は早々に切り上げたんだが、あの様子じゃまだまだ混みそうだ」
     謙の言葉に、橘は肩をすくめる。
    「んじゃ、裏路地を進んだ方が早く着きそうね」
    「ああ。良ければ一緒に行くか?」
    「ええ、喜んで」
     橘たち五人は裏路地を進みつつ、自己紹介を交わした。
    「雪乃とは俺が若い頃、一緒に修行してたんだ。で、小鈴さんはどんな関係で?」
    「あたしは旅の仲間。昔から良く、あっちこっち旅してたの」
     橘の話に、謙はうんうんとうなずく。
    「あー、そう言やちょくちょく姿を見せなかったなー」
     と、こんな風に雪乃の思い出話を語っていたところで――。
    「……!」
     橘はまた、雪乃に似た誰かが路地の角を曲がっていくのを、目の端にとらえた。
    蒼天剣・夢幻録 2
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第64話。
    草葉の陰から。

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    3.
    「どうされたのですか、小鈴さん?」
    「今、あの角に雪乃が……」
     橘の言葉に、謙も柏木も目を丸くする。
    「何ですって?」
    「そりゃ無いだろう。雪乃は今、式の準備中だろうし」
    「でも、確かにいたのよ」
     橘は後を追いかけようと、ひょいと角を曲がったところで――。
    「おわっ!?」《きゃっ!?》
     曲がった途端にその誰かとぶつかってしまい、橘は尻餅をついた。
    「いてて……、ご、ごめんなさーい」
     謝りながら立ち上がり、橘は相手に手を差し伸べる。
    「大丈夫ですか?」
     深緑の着物を着た、その長耳の女性は、ぱたぱたと手を振りつつ謝り返してきた。
    《い、いえ、大丈夫です。あなたこそ、お怪我はありませんでした?》
     ヨタヨタと立ち上がるその女性の声を聞いて、橘は違和感を覚えた。
    (あれ? 何か今の声、……変じゃない?
     何て言うか、薄皮一枚隔ててるって言うか、ちょっと遠いトコにいますよって言うか)
     橘がいぶかしんでいる間に、女性はパタパタと着物の裾をはたきつつ、橘の方に振り返った。
    「……!? え、やっぱ雪乃?」
    《え?》
     その女性は、雪乃そっくりの顔をしていた。

     橘たち五人は突き飛ばしたおわびも兼ねて、路地の途中にあった喫茶店で女性にお茶をおごりつつ、話をすることにした。
    「それじゃ雪花さんって、雪乃の……?」
    《はい。あまり大きな声では言えないのですが、あの子の母です》
     雪花と名乗ったその女性は、うつむきがちに話す。
    《あの子が幼い頃から、わけあってこの塞で預かっていただいて》
    「それで今度雪乃が結婚するから、一目会いたい、と」
    《そうです。……今さら、会える道理は無いのですが》
     雪花は悲しげな顔でお茶をすする。謙が頭をかきながら、なだめている。
    「まあ、そう言いなさんな、雪花さん。やっぱり嬉しいぜ、自分の親が来てくれたら」
    《そうでしょうか……?》
     謙は横にいる棗の肩を抱き、自信たっぷりにうなずく。
    「ああ、間違い無い。俺と棗の結婚の時もそうだったもんな」
    「ええ、そうですね」
     棗も微笑んで同意する。
    「この人、親の前で『ありがとう、ありがとう』と言いながら号泣……」「いいから。それはいいから」
     謙は棗の肩から手をほどき、両手を合わせてやめさせた。その様子を見ていた雪花が、口元に手を当てて苦笑する。
    《ふふ、仲がいいんですね》
    「あら」
     その仕草を見た橘は、感心した声をあげる。
    「雪花さん、やっぱり似てる」
    《そう、ですか?》
    「今の笑い方、雪乃も良くやってたわ。やっぱり親子なのね」
    《そう……。それを聞くと、本当に会いたくなりますね》
     また、うつむきがちにお茶をすする。ずっと見ていた柏木が、ためらいつつも尋ねてみる。
    「あの、雪花さん。お会いになればいいのでは?」
    《……そうしたいのは、山々ですが》
     雪花はなお、ためらう。
    《先程も申し上げた通り、今更会うことなど、私には到底できないのです。
     ですからこうして、草葉の陰で見守っていることしか》
    「ちょっと、『草葉の陰』って……。まるで死んでるみたいなこと、言わないで下さいよ。こんなおめでたい日に、不謹慎ですよ」
     柏木はたちの悪い冗談と思ったらしく、雪花の返答に苦い顔を返す。
    《あっ、えっと、その……、いえ、そうですね。変なこと、言ってしまいましたね》
     だが、橘はこの女性が、まともな人間でないこと――幽霊であることを薄々察していた。
    (あー、間違い無い。この人、死んでる人だわ)
     と言ってもこの時点までは確信は無かったのだが、柏木の言葉に見せた雪花の反応で、それを確信した。
     と、向かいに座る樫原夫妻も、どうやら自分と同じことに気付いているらしく、神妙な顔を並べている。
    (やっぱり、……よね?)
     橘は隣にいる雪花に気付かれないよう、謙に目配せする。
    (ああ。多分、間違い無い)
     謙はわずかにうなずき、橘に同意する。が――。
    (つっても悪霊とかじゃ無さそうだし、このまま……)
    (ああ。指摘したり攻撃したりなんかせず、話を聞くだけのが良さそうだ)
     橘たちは花嫁の母親の幽霊を交えた、奇妙な茶会を続けることにした。



     式の手伝いをしていた門下生が、雪乃を呼びに来た。
    「柊先生、間もなく式が始まります」
     それに応じ、雪乃は晴奈を伴って部屋を出る。
    「いよいよ……、ね」
    「緊張していらっしゃいますか?」
     そう尋ねる晴奈を見て、雪乃は口に手を当ててクスクス笑う。
    「晴奈、あなたの方が緊張してるんじゃない? 目、すわってるわよ」
    「いや、……どうも、慣れなくて」
    「わたしもよ。ねえ、晴奈」
     雪乃はすっと、手を差し出す。
    「手を握ってて」
    「え?」
    「緊張してるの。いいかしら?」
     請われた晴奈は、雪乃の手を優しく握りしめる。
    「ありがと」
    「……師匠。こんな時に、何ですが」
     晴奈はわずかに目をそらし、恥ずかしそうに告白した。
    「私は師匠のことを、……その、姉のように慕っていました。その、不敬だとは思っていたのですが」
    「あら、そんなこと無いわよ。わたしも妹みたいに思ってたもの」
    「そ、そうですか」
     雪乃はまた、クスクス笑う。
    「これからはお姉ちゃんって呼んでもいいわよ」
     そう提案した雪乃に、晴奈は顔を赤くしつつ首を振る。
    「い、いやいや。……姉と思っても、やはり私には師匠です」
    「そう。……それにしても、良太はあなたを姉と慕い、あなたはわたしを姉と慕っていた。そしてわたしが、良太と結婚。
     あなたが良く言っているけれど、これこそ『何が何やら』って話よね」
    「はは……」
     他愛の無い話をするうちに雪乃の緊張はほぐれ、握っていた手が緩む。
    「そろそろ神前式の場に着くわ。ここからはわたしだけで行くから式場で待っていてね、晴奈」
    「はい」

     一方、良太は――。
    「すみません、本当に」
    「い、いえ」
    「どうかこのまま、式が始まるまで眠らせて置いてください。よろしくお願いします」
    「あ、はい」
     門下生に平謝りし、新郎控え室で酔いつぶれた重蔵の世話をお願いしていた。
    蒼天剣・夢幻録 3
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第65話。
    滑り込みセーフ。

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    4.
    「……あっ!」
     雪花との談話の途中、橘が式の時刻を思い出し、思わず立ち上がる。
    「店長さん、今何時!?」
    「ん、13時47分ですね」
     一人席の向こうで皿を拭いていた若い狐獣人の店主が、後ろにかけてあった時計を見て答える。確かに、針は二つとも上方を差している。
    「いっけない! 雪乃の結婚式、始まっちゃうわ!」
    「あ、やべっ」
     橘たち五人は慌てて席を立ち、店主に金を払う。
     だが、雪花は席こそ立ったものの、五人とは距離を置いている。どうやら、ここで別れるつもりらしい。
    「ねえ、行きましょうよ、雪花さん」
     柏木はまだ雪花を誘おうとするが、雪花は依然として、首を縦に振らない。
    《いいえ、わたしはここで……》
    「何でですか? 行ってあげても……」「いいよ、栄一くん。雪花さんにも、色々事情はあるんだろう」
     謙は柏木を抑え、雪花に向き直る。
    「じゃあ、俺たちは行くけど。何か伝言とか、あるかな?」
    《え……、と。そう、ですね。では……》
     雪花は少し黙り込んだ後、一言だけ伝えた。
    《幸せになって、と》

     店を出た五人は、すぐに大通りへと駆け出す。
    「式って2時からよね?」
    「ええ、確か」
    「間に合うかなぁ」
    「急ぎましょう!」
     大通りの混雑は既に引いており、走れば十分に間に合いそうだった。
    「しかし、奇遇ですよね」
    「うん?」
     走りながら、柏木がつぶやく。
    「柊先生のお母さんと、式の日に会うなんて」
    「……どうでしょうね?」
     棗は少し笑いながら、こう答える。
    「もしかしたら、雪花さんがわたくしたちを引き寄せたのかも」
    「はぁ……?」
     まだ雪花が幽霊だったとは気付いていないらしく、柏木はきょとんとしていた。



     神前式が済み、雪乃と良太は二人並んで式場へと歩いていた。
    「……ねぇ」
     式場までの付き添いたちに聞こえないような小声で、雪乃が尋ねる。
    「おじい様はどうされたの? 確か神前式は、一緒に出るはずじゃなかった?」
    「それがですね」
     良太も同じように、小声で返す。
    「あんまり嬉しかったみたいで、酔っぱらって寝ちゃったんです」
    「あら……」
     雪乃は笑いそうになるのをこらえながら、良太の様子に気付いて手を握った。
    「……ふふ、やっぱり緊張してる」
    「そりゃ、しますよ」
    「実はわたしもさっき、あんまり緊張してたものだから、晴奈に手を握ってもらっていたの」
     雪乃がそう言うと、良太は手を強く握り返してきた。
    「じゃあ、僕が震えてる場合じゃないですね」
    「あら、頼もしいわね」
    「……ダメだ。やっぱり震えてきちゃう」
     良太の言葉通り、雪乃の手に振動が伝わってくる。だが、握るのをやめようとはしない。
    「でも、式場まで絶対、放しませんよ」
    「ありがと、良太」
     雪乃も強く、握り返す。
    「じゃ、わたしも絶対、放さないから」
    「ありがとう、雪乃さん」
     手をつないだまま、二人は式場へと進んだ。

    「はー、はー」
    「今、何時?」
    「14時、ちょっと前ですね」
    「間に合ったー」
     橘たち五人はなだれ込むように、式場に到着した。
    「お、晴奈くんだ」
     謙が席に着いていた晴奈を見つけ、手を振って近寄った。
    「あ、樫原殿! お久しぶりです!」
     近寄ってきた謙に、晴奈は立ち上がって深々と頭を下げた。
    「相変わらずだなぁ。そんなにかしこまらなくても。……まだ、始まってないよな?」
    「ええ、そろそろ神前式も終わりますし、間も無く二人が来る頃かと」
    「そっか。いやー、危ない危ない」
     謙は汗を拭きつつ、晴奈の横の席を確認する。
    「お、丁度良かった。俺たちの席っぽいな」
    「あ、はい。この辺りはすべて友人席ですから」
    「そっか。……確かに、さっき会った奴の名前がズラッとあるな。それじゃ棗とか、途中で会った奴とかも呼んでくるわ」
     謙はまた立ち上がり、入口にいた橘たちを呼ぶ。
    「おーい、ここに席あるぞー」
    「はーい」
     橘も手を振りつつ、晴奈の側に寄った。
    「よいしょー、っと。……あら、晴奈ちゃん久しぶりー」
    「お久しぶりです、橘殿。棗殿も、お元気そうで」
    「ええ、お久しぶりね。ほら、桃もご挨拶なさい」
     棗に背負われていた桃が、眠たそうに頭を下げる。
    「むにゃ、こんにちは、……すー」
    「あ、眠っちゃ……、すみませんね、この子疲れているみたいで」
    「いえ、お気遣い無く。……と、柏木さんも、お久しぶりです」
     棗の後ろにいた柏木はぺこ、と頭を下げる。
    「お久しぶりです、黄さん」
    「元気そうで、なによりです。……楢崎殿は、まだ?」
    「はい、未だに行方はさっぱりで。残念ながら今回の式も、代わりに私が、と言うことで」
    「そうですか……。早く戻って来られるといいですね」
    「ええ、本当に。……ささ、湿っぽい話はこのくらいにして」
     柏木も席に着いたところで、式場が静かになる。
     雪乃と良太が、式場に現れた。
    蒼天剣・夢幻録 4
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    晴奈の話、第66話。
    夢より深いところ。

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    5.
    「先生、起きてくださいねー」
     誰かが声をかけてくる。
    「う、ん……、お、っと」
     重蔵は重たいまぶたを、どうにかこじ開けた。
    「しまった、寝てしもうたか」
    「はい、お水どうぞ」
    「……?」
     目の前には若い狐獣人の店主がいる。
     そこは何故か、喫茶店だった。
    (はて……? わしは確か、催事場で良太に、夫婦の何たるかを教えておったような気がしたんじゃが?)
    「大丈夫ですね?」
     店主が心配そうに見つめてくる。
     重蔵は心配無いと言う代わりに、出された水をぐいと飲んだ。
    「……ぷはっ。……ほう、これは甘露じゃな」
     一息に飲んで、重蔵の目はぱっちりと覚めた。
    「酔い覚ましの水は格別にうまいものじゃが、それを差し引いても抜群じゃ」
    「ええ。大分深いところから、水を引き上げていますからね」
    「そうか、そうか」
     酔いが引いてきた重蔵は、周りをくるっと見渡した。
    「……おや?」
     深緑の着物を着た見覚えのあるエルフが、「狐」の女の子を膝に乗せて壁際の席に座っている。
    「おう、雪さんじゃないか」
    《あら》
     声をかけられたエルフは顔を上げ、重蔵に笑いかけた。
    《お久しぶりです、焔先生》
    「……おや? 雪さんではないな?」
     顔立ちは自分の愛弟子、雪乃に良く似てはいるが、良く見れば別人である。
    「ん……? その深緑の着物、……まさか柊先生? 柊雪花先生か?」
    《覚えていて下さったのですね、焔先生》
     重蔵の額に、ぶわっと汗が広がる。
    (まさか、わしは死んだのか?)
    「いいえ」
     重蔵の様子を察した店主が、下を向いたまま口を開く。
    「ここは現実から少し離れた世界、言ってみりゃ夢みたいなもんですね。先生は酔ったまま眠ったから、こちらに一時、お越しになったようですね」
    「そ、そうか」
     重蔵は自分の胸に手を当て、鼓動があることを確認する。
    (確かに、生きておるようじゃな)
    「こちら、どうぞ」
     店主が差し出した手布を受け取り、額の汗を拭う。
    《今日は本当に、雪乃に縁のある方が集まってきますね》
    「ふむ。まあ、式じゃからのう、今日は」
     平静を取り戻してくると、この状況にも気楽に振舞えるようになってくる。
     重蔵はとりあえず、30年ぶりに見る友人と話をすることにした。
    「まあ、変わっとらん……、と言うのは当たり前かのう」
    《そうですね、ふふ》
    「先生は確か、42で亡くなられて……」
    《ええ、そうです。重蔵さんは、大分お年を召したようですね》
    「それも、当たり前じゃな」
     いつの間にか店主が差し出したお茶を飲みながら、重蔵は笑う。
    「あれから何年経ったことか。あの頃幼かった雪さんが、もう人の妻になる歳じゃろ。時が経つと言うのは、時々恐ろしくなるくらいに早いものじゃ」
    《本当に、その通りですね。
     この30年、ずっとお堂の下で過ごしてきたけれど、入門したての子が何年かして、免許皆伝の試験でまたやって来た時、いつも驚きますもの。みんな、あんまりにも背格好が変わってしまいますから》
     雪花もお茶を飲みつつ、思い出話を語る。
     と、雪花の膝で眠っていた「狐」の女の子が、むくっと起き上がった。
    「う……、ん。……あれ?」
     女の子は眠たげな目で、辺りを見回す。
    「あ、おばちゃん」
    《おはよう、桃ちゃん》
    「ここ、さっきのおみせ?」
    《そうよ。眠っちゃったから、またこっちに来てしまったみたいね》
     雪花は桃の頭をなで、店主に声をかける。
    《すみません、この子を帰していただいてもいいですか?》
    「いいよ。さ、こっち来な、桃ちゃん。おね、……じゃないや、お兄さんが送ってあげるからね」
     店主はやや大儀そうに、雪花たちの方へ歩いてきた。
    「ん……?」
     その力の抜けたフラフラとした歩き方に、重蔵は既視感を覚える。
    「もし、店主」
    「うん?」
    「以前、お会いしたことは無かったか?」
    「ありますね。雪花を送った時に」
     店主は重蔵に顔を向けず、気だるそうに答えた。
    「……? いや、確かに柊先生を預かった時、付き添いがおったのは覚えておる。しかし、『狐』ではなかったような……?」
     そこでようやく、店主が振り向いた。
    「ああ、あの時は『この姿』じゃありませんでしたね。確か、……何だっけ、雪花。あの時、私は『猫』だったっけ? 長耳だったっけね?」
    《『猫』だったわ。花乃が細い尻尾にじゃれ付いていた記憶があるから》
     雪花の返答を聞き、店主はポンと手を打つ。
    「あ、そうそう。うん、『猫』だったね。割りと可愛い系のね。あの時期、何やかやでしょっちゅう体換えてたから、記憶がぼんやりなんだよねぇ」
     店主の妙な話と言葉遣いを聞くうち、重蔵の記憶が呼び覚まされていく。
    「……思い出した。確か店主、あなたの名前は――モール、でしたな。
     何百年と生きる、旅の魔術師。時代によってその姿かたちは異なり、種族や性別すら異なることもあると言う……」「まあその辺で、ね」
     店主は肩をすくめつつ、重蔵の言葉をさえぎる。
    「私のことは第三者ですし、気にしないで下さいね。
     桃ちゃんを送っていくので、その間じっくり、二人で昔話でもどうぞ」
     そう言うと店主は桃に手を差し出し、にこっと笑いかける。
    「さ、桃ちゃん。お母さんのところ、帰ろうねー」
    「はーい」
     桃は素直にその手を握り、店主とともに店の奥へと消えた。
     その様子を眺めながら、雪花はクスクス笑う。
    《あの方、高名な魔術師なのにとても子煩悩ですのよ。でもその分、大人にはひどく冷たいみたい》
    「ほう。しかしその高名な者が、何故こんな店など……?」
    《さあ……? 気まぐれな方ですから、こう言う日にわたしを呼び起こすのも一興かと思っているのかも》
     雪花は笑いながら席を立ち、重蔵の横に腰かける。
    《今日一日はここにいられます。よろしかったら、ゆっくりお話を》
    「うむ、そうしようか。……ふむ」
     重蔵は店主がいたところを探り、棚から酒を取り出した。
    「茶もいいが、おめでたい日じゃ。やはりこちらの方が、話が進むわい」
    《あら、こちらでもお飲みになるんですね、ふふ……》



    「むにゃ……」
     式の途中から眠ってしまった桃は、むくっと起き上がった。
    「おはよう、桃」
     すぐ側にいた棗が声をかけ、お茶を差し出す。
    「おはよ、おかあさん」
     桃はまだ半分ほど、寝ぼけている。
    「あれ? もーるさんは?」
    「モール? ……誰かしら?」
     きょとんとする棗には応えず、桃は辺りを見回す。
    「あれ? ……おみせ、じゃない」
    「もう、この子ったら寝ぼけて。……ほら、ちゃんと起きなさい。綺麗よ、花嫁さん」
     棗に抱えられ、桃は上座の新郎新婦を眺める。
     あちこちから酌を勧められ、祖父同様泥酔しかかっている良太はさておき、雪乃の方は非常に美しかった。化粧も整っており、酒を勧められて多少赤くはなっているものの、それがかえって艶っぽさを引き出している。
    「わー……、せっかさん、きれい」
     雪花と雪乃の見分けが付かない桃の一言に、棗は苦笑した。
    「桃、あれは雪花さんじゃなくて、雪乃さんですよ」
    「……え?」
     横から、驚いたような声が漏れる。
    「棗殿、今何と仰いました?」
     晴奈が目を丸くして、聞き返してきた。
    蒼天剣・夢幻録 5
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第67話。
    式もたけなわになりまして。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「……面妖な」
     式の合間に話を聞いた晴奈は、橘たちから聞いた雪花の話に眉をひそめていた。
    「確かに、師匠の母上は雪花と言う名前ですし、それを知る者はいないはずです。橘殿の話ですし、信じるには十分なのですが……、うーん」
     霊能関係を嫌う晴奈としては、なかなか信じられる話ではない。
    「まあ、式が済んだら、師匠に話をしてみましょうか」
    「そうね。お母さんからの祝辞も預かってるし」
     一方、話を聞いていた柏木は真っ青な顔をしている。
    「あ、あれ、幽霊だったんですか……」
    「やっぱり、気付いてなかったんだな」
     謙は今頃怯え出す柏木を見て、笑っていた。



    「はい、ただいま……、って。先生、また飲んでたね?」
     戻ってきた店主、モールが一人席でいびきをかいている重蔵を見て、呆れた声を出す。
    《珍しいわ。いつもは先生、こんなに飲む人じゃないのに。よほど嬉しいのね》
    「だろうね。人の酒、こんなに飲むなんてね。
     ……げ、これ『白狐』じゃない。たっかい酒、こんなにガブ飲みするかね、普通?」
     モールは口をとがらせつつ、重蔵が抱えていた酒瓶を取り上げ、棚にしまおうと戸を開ける。
    「うわぁ」
     棚の中にあったはずの酒が、半分ほど空にされている。
    《ごめんなさい、モール。……だいぶ、開けてしまわれて》
    「人の隠れ家、飲み放題の酒蔵か何かだと思ってるのかね、まったく。
     ……はぁ。『猫桜』も、『雪兎』も残ってない。いくらすると思ってるんだかね、もう」
     空になった酒瓶を恨めしそうに眺めるモールを見て、雪花は頭を下げる。
    《ごめんなさいね、本当に。……美味しかったわ》
    「そりゃそうだろうねぇ、秘蔵の逸品だったしねぇ。
     ……と、そろそろ戻ってもらわなきゃ。あんまり魂を引っ張ったまんまじゃ、体に悪いね」
     モールは酔い潰れた重蔵の肩を叩き、起こそうとする。
    「ほら、先生。そろそろ起きてくださいね」
    「うう……む」
    「ほら、起きて」
     何度か肩をゆすり、ようやく重蔵が頭を上げる。
    「おお、すまんのう」
    「すまんじゃないですって、先生。ほら、帰りますね」
     重蔵はフラフラと立ち上がるが、足取りがおぼつかない。見かねたモールが肩を貸す。
    「うっげ、酒臭っ。……ほら、帰りますって、ね」
    「……柊先生」
     重蔵はよたよたと歩きながらも、雪花に話しかける。
    《はい、何でしょう?》
    「また、会いましょう」
    《ええ。また、今度》
     重蔵は小さくうなずき、モールとともに店の奥へ消えた。

    「……お?」
     新郎控え室の、畳の上。重蔵はようやく目を覚ました。
    「いかん、寝てしもうた」
     周りを見ると、自分の世話をしていたらしい門下生が一人、うたた寝している。そして視界に入った時計は、既に4時を回っている。
    「……しまった!」
     慌てて立ち上がり、式場へと走ろうとして――。
    「……う、え」
     口を押さえ、反対側にある手洗い場へ逆走した。

    「いかんいかん、飲みすぎたわい。まったく、この歳にもなって酒に呑まれるとは」
     式場へと急ぎつつ、自分の悪酔いを恥じていると――。
    「あ、おじい様!」
    「おう、良太。……しまった、間に合わなんだか」
     良太と雪乃、晴奈、その他友人たちがぞろぞろと、式場から出てきた。
    「気分の方は大丈夫ですか?」
    「ああ、ちと酔いが残っておるが、まあ、悪くは無い。
     ……すまんかったのう。よりによってお前の式に行きそびれるとは。一生の不覚じゃ」
     がっくりとうなだれる重蔵を見て、棗に背負われていた桃がなぐさめの声をかける。
    「だいじょうぶ、おじいちゃん? おげんき、だして」
    「……はは、心配いらんよ桃ちゃん。式が無事済んだのなら、不満なんかありゃせんよ」
     重蔵は自分の失敗を笑い飛ばし、場を和ませようとした。
     だが、その場にいた桃を除く全員が、不気味なものを見るような目で重蔵を見ている。
    「……ん? どうかしたかの、みんな?」
    「な、何で家元、俺の娘の名をご存知なんですか? お会いするのは、初めてのはずなんですが?」
     謙が恐る恐る尋ねてくる。桃が何てこと無い、と言う感じで答えた。
    「おみせで、あったもん」
    「おう、そうじゃ。『狐』の店で、な」



     今日起こったことのすべてを聞き、雪乃と良太は目を丸くしている。
    「小鈴たちがわたしの母さんと会って」
    「おじい様と桃ちゃんが、同じ店にいた、と」
     二人は顔を見合わせ、笑い出す。
    「クスクス……、今日はみんな、大変だったのね」
    「そうみたいですねぇ、ふふ」
     橘たちもつられて笑い出す。
    「あはは……、不思議な日だったわ、ホント」
    「なかなか無い体験だった、うん」
     重蔵も嬉しそうに腕を組み、うなずいている。
    「めでたい日にこれだけ、不可思議なことが起こる。間違い無く、吉兆じゃな。
     ……これは式で言うつもりじゃったが、すっかりすっぽかしてしもうた。名誉挽回のつもりも兼ねて、ここで言うておくかの」
     重蔵は真面目な顔になり、雪乃と良太に祝辞を述べる。
    「良太。雪さん。おめでとう。相思相愛で何よりじゃが、時には……」
     重蔵の長い祝辞に、良太は心の中で辟易していた。
    (……これ、さっき何回も聞かされたのと同じ内容だ)
     その様子を察した雪乃が、片目をつぶって目配せする。
    (いいじゃない、おじい様がわたしたちを大事に思ってくれている証だから)
    (そうですね)
     良太も片目をつぶって、雪乃に応えた。
    蒼天剣・夢幻録 6
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第68話。
    モールの予言。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
    「……さて。今日はもう店じまいだね」
     モールが手を拭きつつ、何やら呪文を唱える。
    《わたしも帰らないと》
    「うん、そろそろ時間だね。……雪花」
     詠唱の途中で、モールは雪花に声をかけた。
    「今日は客引き、ありがとね。おかげで――あのじーさんのタダ飲みがなきゃ――ボチボチ儲かったね」
    《いえいえ。……今度はいつ戻ってくるの?》
     雪花に応える前に、モールは手を二度叩く。
     すると店の照明が落ち、椅子や机、調度品は色あせ、喫茶店はただのあばら家になった。
    「んー、4、5年したらもう一回、こっちに来るつもりだね。何で?」
    《……わたしのために、無理すること無いのよ》
     店が消えると同時に、雪花の姿も少しずつ薄れていく。
    《風来坊のあなたが、こんなことで手を煩わせること無いのよ。わたしはもう、生き返るのを諦めているんだし》
    「ま、そう言うなってね。魔術師として、この件から手を引く気にならないんだよね。
     そもそもあの本、雪花は自分の楽しみのために利用したけどね、使い方によっては央南全域を魔物の巣窟に変えることもできちゃう、ヤバい代物だからね。ほっといたら、何が起こるか。
     それを防ぐためにも、私はあの本を手に入れなきゃいけない。キミを助けるのは、そのついでだからね」
     大仰に両手を挙げるモールに、雪花は口に手を当てて、クスクスと笑い出した。
    《モール、あなた本当に素直じゃないわね。本当におせっかいな、ひねくれ者》
    「フン。勝手に私を美化しないでほしいね。私は正義の味方でも何でもないからね。
     ……と、もうすぐ消えるね。それじゃまたね、雪花」
     完全に姿が消える直前、雪花はコクリとうなずいた。
    《……またね、モール。一応、期待しておくから》
     雪花の姿が完全に消える。一人残ったモールはぽつりとつぶやいた。
    「やれやれ……」

    「次は、ドコを探そうかねぇ」
     先ほどまで可愛らしい椅子だった角材に腰掛け、ぼんやりと次の行き先を考える。
    「ドコに行こうかねー……。もう央南は飽きたし。かと言ってバカみたいに寒いトコや暑いトコも、後100年は行きたいと思わないし。
     どーこーがーいーいーかーねー……。あー、たまには占いでもしてみようかね」
     どこからか取り出したくじ束を、先程まで流麗な造りの机だった木箱の上にばら撒く。
    「へぇ? 戦乱の相、革新の相、そして混立の相か」
     占いの結果を見て、モールは腕を組んでうなる。
    「んー、央南にこの三相か。しかも世の中が乱れるほどの、大戦乱。
     ……こりゃ、とんでもない凶兆だね。近いうち、この央南で戦争が起きるらしいね。……もう少し、占うか」
     もう一度、くじ束を木箱に撒く。
    「西の方角、海の気配、……あれ? 女難? くじが混ざっちゃったか」
     女難の相を示したくじを取り除こうとしたその瞬間、モールに悪寒が走った。
    「……! いや、コレは――英傑の相に代わって、女難。どうやらかなりの女傑が現れると見た」
     くじを何度も束ねては撒き、最初に出た三相の答えを探る。
    「戦乱の相には、央南西部の港町に関係がある女傑の登場が示唆されている。
     革新の相には、央南の外――外国から現れる、智将の登場。
     混立の相には、その二人が立ち向かう数多の強敵。
     ……まずいね、コレは。央南で本探しするどころじゃないかもしれない。近い将来、間違い無く央南は戦火にさらされるね、こりゃ」
     モールの顔に、深い嫌悪の色が浮かんだ。



     モールの予言は2年後の双月暦516年、現実のものとなった。
     この年から央南の歴史、世界の歴史――そして晴奈の人生が、大きく動き出すこととなる。

    蒼天剣 夢幻録 終
    蒼天剣・夢幻録 7
    »»  2008.10.09.

    晴奈の話、27話目。
    晴奈の昇華。

    1.
     人を含め、何物においても、何のきっかけも無しに、突然その姿や性質が変わることは無い。

     黄晴奈にしても、元は単なる町娘である。
     その「ただの人」であるはずの彼女に、周囲が思いもよらぬような変化を与えたのは、焔流の剣士である柊雪乃だった。
     彼女との出会いが晴奈にただならぬ衝撃を与え、剣士としての道を歩ませることとなったのだ。

     その後も晴奈には、「きっかけ」が連続して訪れた。
     魔術師橘との出会い、ウィルバーとの戦い、師匠とクラウンとの勝負、いくつもの旅――その様々な経験が、ついに彼女を、その高みにまで登らせた。



     双月暦512年、秋。
    「……はぁ。参ったわねぇ」
     晴奈はいきなり、柊からこう言われた。
    「え?」
     これまで6年やってきたように、その日もいつも通りに、二人で朝稽古を始めようとしたのだが、晴奈が木刀を構えた瞬間、柊がため息をついたのだ。
    「どうされたのですか、師匠?」
    「まあ、打ち合えば分かるわ」
     そう言って柊は一歩、踏み込んできた。
    (これは……)
     その瞬間、晴奈の頭にたぎるような感覚――黒炎が攻めてきた時や、島と戦った時に感じたのと同じ、息が止まるような緊張感が生じる。
    (……殺気!?)
     元より「稽古であっても真剣にやる」と約束してはいたが、それは技術の面と心持ちで、だけのことであり、まさか本当に殺すつもりでやってきたわけでは無い。
     だがこの時、柊は明らかに本気でかかって来た。その一挙手一投足に、本気で晴奈を殺そうとする気配がにじんでいるのを、晴奈はぞくりと感じていた。
    「くッ!」
     柊が斬りかかると同時に、晴奈は木刀で防御する。だが、ボキ、と言う鈍い音と共に、晴奈の持っていた木刀が真っ二つに折れた。
     柊はいつの間にか真剣を構え、さらにその刃は赤く輝いている。それは紛れも無く、焔流の「燃える刀」だった。
    「し、師匠!? 一体、何故に!?」
    「問答無用ッ! 刀を抜け、晴奈ッ!」
     師匠から向けられる正真正銘の殺意に、晴奈は若干戸惑い、怯む。
    (一体、何をしているのですか、師匠!?)
     だが、その困惑を無理矢理押さえ込み、腰に差していた刀を抜く。
    (……いや、今はそんなことを考えるな)
     晴奈は頭から余計な思考を追い出し、覚悟を決める。
    (今考えるべきは目の前の――『敵』を倒すことだ!)
     晴奈は刀を構え、刃に炎を灯した。

     まだ日も差さぬ、朝もやの立ち込める修行場に、二つの火がゆらめいていた。二人はしばらくにらみ合ったまま、静止する。
     そして先に、柊が仕掛けた。
    「ぃやああああッ!」
     燃え盛る刀を振り上げ、飛び上がる。
     晴奈は瞬時に、柊の太刀筋を袈裟斬りと判断し、刀を脇に構える。
    「させるかッ!」
     晴奈は地面を滑るように低く跳ぶ。一歩分体が前に進み、柊の間合いから外れる。
     柊の刀は晴奈の体を裂くこと無く、切れ味の悪い鍔本が肩に食い込むに留まった。
    「くあ……、あお、おあぁぁッ!」
     痛みからの叫びを気合の声に変え、晴奈は刀の柄を柊の鳩尾にめり込ませる。
    「く、は……」
     柊の口からか細い呻きが漏れ、がくりと頭を垂れてその場に崩れ落ちた。
     それを見た途端、晴奈の緊張が解ける。呼吸を整え、次第に冷静さを取り戻し、そこでようやく、自分が師匠を倒したと自覚した。
    「……師匠!」
     我に返った晴奈は、慌てて柊の側に駆け寄る。柊はぐったりとし、動かない。その青ざめた顔を見て、晴奈の顔からも血の気が引く。
    (ま、まさか。柄で突いたとは言え、打ち所が悪かったか……!?)
     晴奈は柊を抱きかかえ、必死で呼ぶ。
    「師匠! 大丈夫ですか、師匠!」
     何度か声をかけたところで、柊のうめき声が返って来た。
    「……くぅ、痛たた」
     真っ青な顔をしている割にはしゃんとした動作で、柊は晴奈の手をつかむ。
    「強くなったわね、晴奈」
    「え?」
    「今の動き、そして気迫。それに迷いない太刀筋。19でもう、その域に達するなんて」
    「え、あ、ありがとうございます。……あの、師匠?」
     生きていたと安堵する間も無く突然の賞賛を受け、晴奈は戸惑っている。
     それを知ってか知らずか――柊はこう続けた。
    「もう、わたしから教えることは何も無い。修行はおしまいよ」

    蒼天剣・烈士録 1

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、27話目。晴奈の昇華。1. 人を含め、何物においても、何のきっかけも無しに、突然その姿や性質が変わることは無い。 黄晴奈にしても、元は単なる町娘である。 その「ただの人」であるはずの彼女に、周囲が思いもよらぬような変化を与えたのは、焔流の剣士である柊雪乃だった。 彼女との出会いが晴奈にただならぬ衝撃を与え、剣士としての道を歩ませることとなったのだ。 その後も晴奈には、「きっかけ」が連続して...

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    晴奈の話、28話目。
    免許皆伝試験。

    2.
     晴奈と柊の戦いから3時間ほど後、晴奈は柊に連れられ、家元である重蔵の前に並んで座っていた。
    「ふむ、そうか。晴さん、師匠に追いつきなすったか」
     重蔵は腕を組み、何かを考え込む様子を見せる。
     やがて決心したように、ぱたりと膝を打った。
    「ようやった、晴さん。良くぞ6年と言う短い歳月で、そこまで己を磨き上げたものじゃ」
    「は、はあ。ありがとうございます、家元」
    「じゃが、まだ免許皆伝とはいかんな。今はまだ、その手前じゃ。
     どうする、晴さん。免許皆伝の証を、狙ってみるかの?」
     この問いに、晴奈の心は当惑すると同時に、とても高揚した。
    (め、免許皆伝!?
     まだ、私は19で、そう、6年だ。修行してまだ、6年しか経っていない。こんな若輩者がそんなものをもらって、いいのか?
     い、いや、しかし。家元が直々に、そうお声をかけてくださっているのだ。であれば、私にその資格があると言っているも、同然なのでは。
     ならば、……狙ってみるか?)
     晴奈は目を閉じ、心を落ち着かせる。
    「どうかな?」
     重蔵がもう一度聞いてくる。晴奈は少し間を置いた後、「はい」と答えた。

     晴奈はふたたび、あの「鬼が出る」堂――伏鬼心克堂を訪れた。免許皆伝の試験は、この堂で行われるのだ。
     だが、入門試験として入った前回と比べ、違う点があった。まず、前もって刀を大小二振りと、武具を身に付けた状態で入らされたことだ。
    (まるで、誰かと戦えと言っているような?)
     いぶかしみつつ堂に入ったところで、重蔵が床を指し示した。
    「さあ、晴さん。そこに座って、わしの話をよーく聞きなさい」
    「あ、はい」
     言われた通りに、晴奈は正座する。そしてもう一つの違いについても、ここで聞かされた。
    「これから一昼夜、丸一日。ここにいてもらう。その間眠らずにいられれば、試験は修了。晴れて、免許皆伝じゃ。
     じゃが、勝手は入門の時とはちと違う。この堂の仕組みには、気付いておるじゃろ?」
    「はい。己の心が、鬼を作るのですね」
     晴奈の回答に、重蔵は深くうなずいてこう続ける。
    「そう。確かに入門時の仕掛けは、そうじゃった。
     じゃが、今度の仕掛けはそれとは、ちと違う。出てくるのは、鬼では無いのじゃ」
    「鬼では無い? では、一体何が?」
     重蔵は首を横に、ゆっくりと振る。
    「それは、晴さん自身で確認し、その理由を考えてみなさい。それがこの試験の答えであり、真意じゃ」
     そう言って、重蔵は堂から出て行った。



     試験が始まってから1時間が過ぎた。
     完全武装した状態での座禅は、流石に武具がうっとうしすぎて気が散ってしまう。とりあえず最初のうちはじっと座ってはいたが、やがてそれにも飽きた。
     晴奈は何とも無しに立ち上がり、重蔵が言っていた、この試験に出てくる「何か」を待ち構えることにした。
    (鬼ではない、か。この重装備だし、もしかすれば鬼と戦えと言っているのかと思ったが、そうでは無いのか。
     では、一体何と戦うのだ?)
     敵を待ち構えることと、思案に暮れる他にはやることが無いので、晴奈は手入れでもしようかと、刀を鞘から抜いた。
    (……!)
     と、その刃に黒い影が映っている――晴奈の背後に、誰かがいるのだ。
    「何奴だ!」
     振り返ると、そこには忘れようにも忘れられない、狼獣人の顔があった。
    「……!? ウィルバー! 何故、ここにいるのだ!」
    「……」
     かつて晴奈に手痛い敗北を負わせた、あのウィルバーがいたのだ。
     ウィルバーは一言も発さず、いきなり襲い掛かってくる。
    「く、この……!」
     4年前と同じく、三節棍は変幻自在の動きを見せ、晴奈を翻弄する。一端をうかつに刀で受けると、もう一端が跳んでくる。
     最初は距離を取りつつ、棍を受けずに弾いて防御していたが、跳んでくる棍は重く、何度も受けるうちに晴奈の手がしびれてきた。
    「……くそッ」
     接近戦は不利と判断し、晴奈は後ろに飛びのく。すかさず一歩踏み込み、間合いを詰めてきたウィルバーを見て、晴奈は瞬時にある戦術を閃く。
    「それッ!」
     踏み込んできたウィルバーに、突きを浴びせる。当然、ウィルバーは防御するため、棍でそれを絡め取る。
    (棍を使ってくるならば、至極面倒な相手になる。だが、それを封じれば……!)
     防御に棍を使うならば当然、その瞬間だけは棍での攻撃ができない。
     晴奈は絡め取られた刀から手を離し、脇差を抜いてウィルバーの眉間を斬りつけた。
    「……!」
     ウィルバーの額から血が噴き出し、そのままバタリと前のめりに倒れた。
    「ハァ、ハァ……。何故、こいつがここに?」
     刀を拾いながら、晴奈は呼吸を整える。
     倒れたまま動かないウィルバーを見下ろしながら、とどめを刺そうと一歩踏み出した、その時――。
    「……!?」
     風を切る音に気付き、とっさに身をよじる。それと同時に、石の槍が頬をかすめた。
    「たっ、橘殿!? いきなり、何をするのです!?」
     先程のウィルバーと同様、橘がいつの間にか、杖を構えて立っていた。
    「……」
     そして橘もまた、無言で襲い掛かってきた。



    「ゼェ、ゼェ」
     堂にこもってから、あっと言う間に8時間が経とうとしていた。
    「わけが、分からぬ」
     最初にウィルバーが襲い掛かったのを撃退してから、既に20人近い手練を打ちのめしている。辺りには彼らが一言も発さず、また、目を覚ますことも無く倒れ伏している。
     襲ってくるのはウィルバーを初めとする、黒炎の者たち。橘や柏木など、修行を共にした者たち――どう言うわけか、晴奈と出会ってきた様々な者たちが、敵味方を問わず、引っ切り無しに襲ってくるのだ。
    「一体、何故に?」
     19歳にして剣術を極めた晴奈とて、8時間も兵(つわもの)たちを相手にし続けては、さすがに疲れも色濃く表れてくる。肩で息をし、後ろでまとめた髪はとうにほつれ、乱れている。敵から受けたダメージも少なくない。
     それを体現するかのように、鉢金がパキ、と音を立てて割れた。
    「後、一体、何人、倒せば、いいのだ!?」
     晴奈以外動く者がいない堂内で、晴奈は鉢金を投げ捨て、叫ぶ。

     と――またしても、敵が現れた。

    蒼天剣・烈士録 2

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、28話目。免許皆伝試験。2. 晴奈と柊の戦いから3時間ほど後、晴奈は柊に連れられ、家元である重蔵の前に並んで座っていた。「ふむ、そうか。晴さん、師匠に追いつきなすったか」 重蔵は腕を組み、何かを考え込む様子を見せる。 やがて決心したように、ぱたりと膝を打った。「ようやった、晴さん。良くぞ6年と言う短い歳月で、そこまで己を磨き上げたものじゃ」「は、はあ。ありがとうございます、家元」「じゃが、...

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    晴奈の話、29話目。
    本当の敵とは。

    3.
     さらに時は過ぎ、十余時間が経過した。
    「ひゅー、はぁー」
     もはや、呼吸もままならない。ひとり言をしゃべる気力も失せた。具足や篭手、脇差もとっくに使い物にならなくなっており、残っているのは刀一振りと胸当て、そして道着だけである。
    (まだか? まだなのか? まだ、時間は……!?)
     途中、この異変に気付いて誰か来るのではと、淡い期待も抱いていたのだが、どう言うわけか焔流の者さえ襲ってくるのである。
     そしてこの事実から推理し、晴奈はある結論に行き着いていた。
    (伏鬼心克堂、すなわち心に伏す鬼を克する堂。ここは心の中のものが、現実に現れるのだ。
     恐らくウィルバーなんかや橘殿など、様々な強敵が出てきたのはそのせいだろう。敵を己自身が想定し、作っているのだ。心の中にいる兵たちを、私自身がこの堂に呼び出しているのだ。
     ……にしても、多い! 私はこれほど多くの者たちと戦ってきたのか? 考えもしなかったが、私はこれだけ多く、人を倒してきたのか。
     しかし、そう考えるならば光明はある。疲れて頭はうまく回らない、が……。もう、考え付く限りのすべての兵は、出尽くしたはずだ。もう、現れるわけが無い。
     他に、私が戦い、その強さを認めた者など、一人も残っていない……はず、だ)
     だが晴奈は、一つの可能性に思い当たってしまう。
    (強い、者? いないか、本当に?
     その強い者たち、彼らを、すべて倒した人間がいる、……だろう?)
     考えた瞬間、しまったと舌打ちする。考えれば、それは現実になるのだ。
    (私としたことが! よりによって、こいつの相手を……!)
     目の前にすうっと、人の影が現れる。そしてその顔が、あらわになる。
    (こいつの――『黄晴奈』の、相手をしなければならぬとは!)
     目の前に現れたのは、自分自身。
     晴奈だった。



     自分自身と戦う。
     この奇妙な戦いに、晴奈は戸惑い、困惑し、そして延々と苦しまねばならなかった。

     勝手知ったる自分のことであるはずなのに、こうして「他人」として向き合うと、大まかな動きは検討が付いても、とっさの反応――意識の外で行われる動作など、細かなところまでは予測し切れない。
     完全に動きを読み切ったつもりでとどめを刺そうとしても、半ば本能的な動きで防がれる。そしてほぼ無意識に繰り出される斬り返しで、晴奈は退かざるを得ない。
     目の前の相手は間違い無く自分なのに、その動きがさっぱり読めないことに、晴奈はまず戸惑っていた。

     そしてようやく相手を「自分とは別のものだ」と割り切り、対応するようにしても、今度はその機敏な動きに翻弄され、またも困惑させられる。
     自分が考えられる限界の動きを、相手もその限界ギリギリでこなしてくる。
    「自分ならばこう対処する」と言う戦術・戦法も、相手がそっくりそのまま使ってくるため、意味が無い。
     力技で押そうとしても、同等の力で押し返してくる。
     己の持てるすべての力を使い切り、捨て身になったとしても、相手も同じ力量で立ち向って来るであろうし、その結果相討ちになるのは明白。
     打つ手が何一つ見出せず、晴奈は今までに無いほどに苦しめられた。

     そして晴奈は――薄々ながらも怯えていた。
     自分自身と戦ってからずっと、その「自分自身」からひどく重苦しく、冷たい悪感情をぶつけられているのだ。
     それはこの19年で最も鋭く、最も強い殺意だった。
    (私が、私を殺そうとしている)
     何度、心が折れそうになったか分からない。芯の強い晴奈でさえ、この殺意に怯えたのだ。
    (こんなに、私は殺気立っていたのか。これほど敵に、殺意を向けていたのか。そして実際、殺した者もあった。
     戦いの中でも、仇を討ちに行った時も、こんなに強い殺意を受けたことは無かった。……私と戦った者は皆、こんな気持ちだったのだろうか)
     相手を倒せない焦りと、絶え間なく浴びせられる殺意で、晴奈の手足が重たくなってくる。
    (今まで思っても見なかったが――私は『戦い』の片側しか見ていなかったのだな。もう片側、倒される者のことなど、まったく思いもよらなかった。
     これほど人を絶望させて――私は敵を、殺すのか)
     晴奈の心の中に、じわりと罪悪感が染み出した。

     自分との戦いが始まって、あっと言う間に2時間が経った。
    (どうすればいい……?)
     両者とも疲労が蓄積しているのが、己の肉体の重さと、相手の顔色で分かる。
    (ここまで、私が強いとは。どうすれば、倒せる? どこに隙がある? 何が弱点だ?
     ……ダメだ、策が浮かばない。ともかく、倒さなければ!)
     そう考えたところで、不意に、頭の中で何かが思い返される。
    (……『倒す』? 倒さなければならない? 何故だ?
     よく考えれば、この試験を修了するには24時間眠らずにいればいいのだ。『敵を倒せ』など、誰も言っていないじゃないか?
     であるならば、襲ってきても、ただ防ぐ。無闇に攻撃はしない。己の体力回復に専念――こちらからは、何もする必要は無いのだ)
     そう考えた晴奈は刀を正眼に構え、相手との距離を取った。それでも相手は襲い掛かってくるが、その都度刀を弾き、距離を取る。こちらはただ防御し、攻撃は一切行わない。
     やがてその状態で5分も経った頃、相手も正眼に構え、そのまま静止した。

    (こちらが戦えば、相手も戦う。
     戦わなければ、相手も戦おうとはしない。
     相手が戦おうとしても、こちらが応じなければ、戦いにはならぬ。
     戦えば戦うだけ私は疲労し、時間を費やし、いたずらに人を傷つけ、苦しめる。それで得られるものがあるならまだしも、この場のように、戦うことに意味が無いのに戦うなど、何の得にもならぬ。ならば、戦わなければよいのだ。
     無闇な戦いは、疲れ、失うだけ――そうか。それこそが、この試験の本意なのか)



     そのまま微動だにせず、晴奈と晴奈は向き合った。
     そして長い時が、立ち尽くす二人の間に茫漠と流れ――24時間が、経った。

    蒼天剣・烈士録 3

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、29話目。本当の敵とは。3. さらに時は過ぎ、十余時間が経過した。「ひゅー、はぁー」 もはや、呼吸もままならない。ひとり言をしゃべる気力も失せた。具足や篭手、脇差もとっくに使い物にならなくなっており、残っているのは刀一振りと胸当て、そして道着だけである。(まだか? まだなのか? まだ、時間は……!?) 途中、この異変に気付いて誰か来るのではと、淡い期待も抱いていたのだが、どう言うわけか焔流の...

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    晴奈の話、30話目。
    お説教。

    4.
     堂の戸が、すっと開かれる。重蔵がニコニコと笑みを浮かべながら、堂に入ってきた。
    「おう、おう。起きておったな、晴さん」
     晴奈は一瞬重蔵に顔を向け、すぐに目の前で刀を構えていた「自分」の方に視線を戻した。だが、既にそこには誰もいない。辺りを見回しても、人の姿は重蔵だけである。
     この24時間の間戦ってきた者たちは、どこにもいなかった。
    「さて、聞こうかの。晴さん、この試験は何を問うものじゃろ?」
     すべてを察した顔で、重蔵は晴奈に問いかける。晴奈はこの24時間で至った考えを、率直に話した。
    「……戦いの、意義。無闇に戦うことが、正しいことかどうか。無益な戦いは、無駄であると言うことだと」
    「ほぼ、正解じゃ。じゃが後一つ、逆のことも考えなければならぬ」
    「逆のこと? と言うと」
     晴奈は刀を納めつつ、聞き返す。
    「意味も無く戦えば、どうなる?」
    「意味も、無く……。恐らく、無為。何もなさぬかと」
    「さよう。じゃが、確実に失ったものがある。時間や話す機会、物、その他諸々、そして何より、人命。人は失った分、何かを手に入れようとする生き物じゃ。戦いで失ったものを取り戻そうとし、それは時として次の戦いを生む。
     そして戦いでまた何かを失い、さらに手に入れようとし――行き着く先は、修羅の世界じゃ。こうなるともう、無限の損失しか残らん。永遠に失い続ける人生を歩み、何も生み出すことは無い。それは己自身をも滅ぼす、まさしく地獄じゃ。
     無益な戦いこそ、剣士の名折れと心得よ。それがこの試験の本意じゃ」
    「なるほど……」
     重蔵の答えを聞いて、晴奈はしばらく顔を伏せ、考える。
    「……もう一つ、思ったことがあるのです」
    「うん?」
    「私は、私と向かい合った時、ひどく怯えていました」
     それを聞いた重蔵が、「ほう」と声をあげた。
    「自分まで呼びなすったか」
    「ええ。そして対峙した時、ずっと私は私から殺意をぶつけられていました。お恥ずかしい話ですが、これまで私は、あれほど強い殺意を受けたことが無かったのです」
    「ふむ」
     重蔵は腰を下ろし、晴奈に座るよう促す。
    「まあ、今までの経験から言うとじゃな」
    「はい」
     座り込み、同じ目線にいる晴奈をじっと見て、重蔵は言葉を続ける。
    「晴さんみたいに、自分を呼び出した者は滅多におらんのじゃ。
     呼び出した者は例外なく、若くして才能を開花させ、道を極めた者。そう言う者ほど、自分に自信を持っておるのじゃろうな」
    「はあ……」
    「正直な話、わしが試験を受けることを促した時、『自分にはその資格がある』と思っておったじゃろ?」
    「……はい」
     心中を言い当てられ、晴奈は顔を赤くしてうなずく。
    「そんな者ほど、当然過ぎるほど当然のことに気付かん。『敵を倒す時は逆に、倒されることもある』と言うことにな。それが分からん者ほど修羅になりやすい。
     さっきも言うたが、剣士としてその道に身を落とすことは、何よりも悪い罪じゃ」
     罪、と聞いて晴奈の心がまた痛む。先ほど感じた罪悪感が、思い出されてきた。
    「自分と向かい合った時に感じたそれを、よく覚えておきなさい。修羅の道に足を踏み入れそうになった時、それを思い出せば、思い止まることができるじゃろう」
    「はい……」
     晴奈は重蔵の言葉を、心に深く刻みつけた。

     重蔵は懐から巻物を取り出し、晴奈の眼前で紐解き、開く。
    「これは、焔流剣術の始まりからずっと書き連ねておる、免許皆伝の書じゃ。
     ほれ、この端。『焔玄蔵』と書かれておるじゃろ。これこそが我らの開祖、『焔剣仙』玄蔵。そしてその後に、おびただしい数の名前が連なっておる。これらは皆、焔流を極めし者。免許皆伝の証を得た者たちじゃ。
     そして今日、玄蔵と反対側の端に。黄晴奈の名を連ねよう」
     重蔵は指差した箇所に晴奈の名を書き、晴奈の手を取って拇印を押させた。
    「おめでとう。これより晴さんは、焔流免許皆伝を名乗ってよろしい」
    「……」
     晴奈は何か礼を言おうとしたが、言葉にならない。ばっと体を伏せ、重蔵の前で深々と頭を下げた。



     こうして双月暦512年の秋、晴奈は焔流免許皆伝と言う、最大・最高級の剣士の称号を得た。同時に紅蓮塞での地位も急激に上がり、指導に回ることも多くなった。
     だが、晴奈はこの現状に満足しなかった。いくら強くなっても、強くなったと言う証明を得ても――。
    (明奈を救い出せなくて、何が免許皆伝だ。
     いつか明奈が無事に帰ってくるまでは、いや、私が救い出すその時までは、この言葉を用いるまい)
     晴奈は救い出す機を待ち、黙々と修行に励んでいた。

    蒼天剣・烈士録 終

    蒼天剣・烈士録 4

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、30話目。お説教。4. 堂の戸が、すっと開かれる。重蔵がニコニコと笑みを浮かべながら、堂に入ってきた。「おう、おう。起きておったな、晴さん」 晴奈は一瞬重蔵に顔を向け、すぐに目の前で刀を構えていた「自分」の方に視線を戻した。だが、既にそこには誰もいない。辺りを見回しても、人の姿は重蔵だけである。 この24時間の間戦ってきた者たちは、どこにもいなかった。「さて、聞こうかの。晴さん、この試験は...

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    晴奈の話、31話目。
    頼りない後輩くん。

    1.
     免許皆伝を果たしてから、晴奈の環境は変わり始めていた。

     まず、第一に。師匠、柊と一緒に過ごす時間が減った。
    「また、別な子の指導を頼まれちゃって」
    「そうですか。では、私の弟弟子、となるわけですね」
     柊が新たな門下生に指導を行うこととなり、免許皆伝の身、即ち「教えるもの無し」である晴奈と付き合う時間は、相対的に減るからである。
     とは言え晴奈もそれを寂しく思うような年頃でもないし、柊もそうは思っていないらしい。
    「ええ、そんなところね。その子が起きたら、また改めて紹介するわね」
    「起き、たら……?」
     柊は困ったように、クスクスと笑った。
    「心克堂で、泡を吹いて倒れちゃったのよ。先が思いやられるわ」
    「な、なんと」

     第二に。自分自身が門下生の指導に当たるようになった。
     と言っても、晴奈は免許皆伝こそ果たせど、まだ「師範」では無い。まだ弟子を取るような身分では無いため、他の門下にいる者たちを集めて基本的な内容を教え、監督すると言う、師範格の補佐のような立場に就くこととなった。
    「わ、私、が、本日の指導に当たる、黄、晴奈だ。……んん、皆、その、精進するように」
    「はい、先生!」
     指導初日であがっている晴奈とは裏腹に、門下生たちは皆初々しく、さわやかな挨拶を返してきた。
    「で、では、えーと、んん。まずは、柔軟体操、からかな。各自、えー、私に合わせて、屈伸を始め、なさい」
    「はい!」
     挨拶はたどたどしかったものの、体を動かし始めると段々、調子が乗り始める。
    「よし、それでは素振り、百本行こうか」
    「はい!」「え」
     多くの者が快活に応える中、小さく戸惑ったような声をあげる者がいる。
    (ん? 入門したての者には多すぎたか……?)
     晴奈も一瞬戸惑ったが、ともかくやらせてみる。
    「……はじめっ」
     晴奈の号令に合わせ、ほとんどの者が軽々と百回、竹刀を振り終わる。
     ところが一名、30回を越えたあたりでへばっている者がいた。
    「ゼェ、さんじゅ、う、さん……、さん、ゼェ、さんじゅう、よん……」
    (お、おいおい)

     第三に。紅蓮塞での交友関係も、新しい広がりを見せた。
    「まったく、『お坊ちゃん』にも困ったものだ」
    「そうですねぇ」
     晴奈と同じく、ここ最近指導に当たるようになった者たちと集まり、碁を囲んだり茶や酒を酌み交わしたりしつつ話をする機会が増えていた。
    「確かに、あれはひ弱だ。剣士に向いていないのでは無いのだろうか」
     碁を指しつつそう評する晴奈に、一同は揃ってうんうんとうなずいている。
    「言えてますねぇ」
    「あのもやしっ子、本当に焔の血筋なのか?」
    「さあ……?」
     続いて、全員が首をひねる。
    「正直に言えば、そうは信じられんよ」
    「まあ、家元が自分の孫であると仰っているし、疑う道理もあるまい」
    「いやー、でもあの子、家元には全然似てませんしねぇ」
    「しかし魔力は、あるようではある。座禅などの修練は、いい成績だった」
     晴奈の言葉に、碁の相手は腕を組んでうなる。
    「ふーむ、そうですか。それなら体を鍛えれば、それなりになるかも知れないですねぇ」
    「今のところは気長に観るのが、いいのではないかと」
    「それがいいかもですねぇ。……ほい、と。へへ、黄さん、悪いですねぇ」
     話している間に、相手が盤上に並んだ晴奈の石を、ひょいひょいと取り上げる。
    「む、うー。……投了」



     先程から晴奈の話に上ってくる、このひ弱で気も弱い、短耳の少年。この少年はその年、塞の話題の中心人物となっていた。
     焔流家元、焔重蔵の孫だと言うのだが、16歳の男子にしては体力も腕力も無く、剣士と言うよりは書生の雰囲気をかもし出している。
     名前は桐村良太。いかにも頼りなげなこの弟弟子を、晴奈も当初、あまり良くは評価していなかった。
    (不安だな、どうも。師匠にいらぬ苦労や心配が増えぬと良いのだが)

    蒼天剣・指導録 1

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、31話目。頼りない後輩くん。1. 免許皆伝を果たしてから、晴奈の環境は変わり始めていた。 まず、第一に。師匠、柊と一緒に過ごす時間が減った。「また、別な子の指導を頼まれちゃって」「そうですか。では、私の弟弟子、となるわけですね」 柊が新たな門下生に指導を行うこととなり、免許皆伝の身、即ち「教えるもの無し」である晴奈と付き合う時間は、相対的に減るからである。 とは言え晴奈もそれを寂しく思うよ...

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    晴奈の話、32話目。
    貧弱、貧弱ぅ。

    2.
     紅蓮塞に来た当初から、良太の評価は低かった。
     入門試験の時点で、いきなり倒れたからである。
    「お、鬼があぁ……」
     心克堂の仕組みを見抜くことができず、目の前に鬼を出現させてしまい、そのまま気絶したのだと言う。
    「むう。……じゃが、逃げんかっただけましじゃな」
     結果を聞いた重蔵も困った顔をしたが、この時は妙な温情を見せ、塞内に入れてしまった。そこでまず、ケチが付いた。

     様子見と言う温情を付けて入門し、いざ稽古に入ったものの。
    「ヒィヒィ、ゼェゼェ」
     素振りでばてる。
    「痛っ!」
     稽古でうずくまる。
    「も、もうダメ……」
     5分も走れない。
     まともにできるのは座禅や読経などの、精神修練のみ。
     指導に当たる者たちは良太のことを「祖父の七光りの厄介者」と馬鹿にし、遠ざけていた。



     とは言え晴奈にとっては弟弟子であるし、自分も修行を始めたばかりの頃には似たような扱いを受けたこともある。
     疎ましく思う一方で、どこか親近感のような、同情心のようなものを良太に感じていた。
    「調子はどうだ、良太」
    「あ、晴奈の姉(あね)さん」
     ある日、書庫の側に置いてあった長椅子で一人、本を読んでいる良太を見つけたので、晴奈は声をかけてみた。
     ちなみに良太は姉弟子である晴奈を「姉さん」と呼び、とても慕っている。
    「調子、は……。そうですね、毎日、筋肉痛です」
    「そうか。体力は、前より付いたか?」
    「うーん……。あんまり付いた気、しないです」
    「ふむ、そうか」
     晴奈は良太の横に座り、読んでいる本を眺める。
    「何を読んでいる?」
    「え? ああ、えっと。歴史小説ですね。央南の、八朝時代の頃を書いた本です」
    「そうか。面白いか?」
    「ええ。すごく心が落ち着きます」
     そう言って良太は、にっこりと笑う。
    「実を言うと僕、体を動かすの苦手なんです。ここに来る前から、ずっと本ばかり読んでましたから」
    「前、か。そう言えば、お主は何故ここに?」
     それを尋ねた途端、良太は困ったような顔を見せた。
    「あの、それは、ちょっと……」
     その曇った表情に、晴奈は慌てて手を振る。
    「あ、いやいや。言いたくなければ言わなくとも良い。……そうか、まあ、お主にも色々事情があるのだな」
     ばつが悪くなり、晴奈はそこで言葉を切った。
     と、良太は読んでいた本を閉じ、じっと晴奈を見つめてくる。
    「ん? 私の顔に何か付いているか?」
    「晴奈姉さん、お願いがあるんです」
     良太は座り直し、晴奈に頭を下げた。
    「僕を、鍛え直してください」
    「……ふむ?」
     良太も塞内での自分の評判は良く知っていたらしく、思いつめた顔を晴奈に向け、もう一度頭を下げた。
    「僕に力が無いせいで、おじい様の評判まで落としているらしくて。折角僕に色々してくださったおじい様の顔に、泥を塗るような真似はしたくないんです」
    「なるほど。そう言うことであれば、協力は惜しまない。が……」
     晴奈は良太の体つきを上から下まで一通り眺め、ため息をつく。その体つきはどう見ても、貧弱と言う他無い。
    「……相当、大仕事になりそうだ」

     翌日、晴奈は良太を連れて、紅蓮塞の裏手にある山へと登った。
    「ゼェ、ゼェ」
    「頑張れ、良太」
     登り始めて早々、すでにばてている良太の手を引き、晴奈は山道を進む。
    「どこに、行くん、ですか?」
    「まあ、修行の代名詞だな。いわゆる、山ごもりという奴だ。紅蓮塞が山で修行するために、小屋を作っている。そこを貸してもらったから、しばらくはそこで生活するぞ」
    「山、ごもりです、かぁ」
     良太の声がどんどん弱くなってくる。晴奈はため息混じりに、良太に声をかけた。
    「もう少し頑張れ。しゃべらなくても、いいから」
    「はぃ……」
     2時間ほどかけて、晴奈たちは小屋までたどり着いた。
     なお、蛇足になるが――塞からこの小屋までは、晴奈一人の場合だと20分で着く距離である。
    (ふう……。参るな、のっけから)

    蒼天剣・指導録 2

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、32話目。貧弱、貧弱ぅ。2. 紅蓮塞に来た当初から、良太の評価は低かった。 入門試験の時点で、いきなり倒れたからである。「お、鬼があぁ……」 心克堂の仕組みを見抜くことができず、目の前に鬼を出現させてしまい、そのまま気絶したのだと言う。「むう。……じゃが、逃げんかっただけましじゃな」 結果を聞いた重蔵も困った顔をしたが、この時は妙な温情を見せ、塞内に入れてしまった。そこでまず、ケチが付いた。 ...

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    晴奈の話、33話目。
    スポ根?

    3.
     山小屋に到着した晴奈たちはとりあえず、休憩に入った。到着した時点で、良太が真っ青な顔でばてていたからである。
    「す、すいま、せん」
    「いいから。ともかく呼吸を整えろ」
    「は、いー」
     晴奈は良太の呼吸が整うまでの短い間、夕べ柊と交わした会話を思い返していた。



     良太が「自分を鍛え直して欲しい」と晴奈に請うた話を聞かされ、柊は頬に手を当ててうなっていた。
    「良太がそんなことを……」
    「任せていただいても、よろしいでしょうか?」
     話を聞いた柊は、腕を組んでもう一度うなる。
    「うーん……、そうねぇ、このままだと修行にならないし。……うん、お願いしようかな」
    「ありがとうございます」
    「お礼を言うのはわたしの方よ。
     ……まあ、重蔵先生からね、『こんなことを頼めるのは雪さんしかおらんでのぉ。どうか、あの子が将来困らんように指導してやってくれ』と言われたんだけど、その……。えっと、思った以上に、体力の無い子でね。いずれはわたしも、付きっきりで鍛えてやろうとは思っていたんだけど、……その、最近、ね、ちょっと、立て込んでいて」
     わずかに目をそらし、困ったような顔でつぶやく柊に、晴奈はドンと自分の胸を叩く。
    「お任せください、師匠。必ず、見違えるように鍛えてみせますよ」
    「ええ、お願いね。……あ、そうそう」
     柊は晴奈の猫耳に口を寄せ、そっとささやいてきた。
    「まあ、無いとは思うけど。油断しちゃダメよ」
    「はぁ……? 何を、油断すると?」
     晴奈の顔を見て、柊は呆れたような笑みを浮かべた。
    「……無いわよね、どう考えても」



    (任せてくれ、とは言ったものの)
     ようやく呼吸が落ち着き、汗を拭いている良太を見て、晴奈は心配になる。
    (山登りでこれか。改めて思うが、なかなか苦労しそうだな)

     ともかく、晴奈と良太の山ごもりは幕を開けた。
    「ほら、ばてるな! もっと根性見せろ!」
    「は、はひ」
     まずは、持久力を付けるための走り込み。やはり5分もしないうちに、良太は走ると言うより歩くと言った方がいいような状態になったが、そこで晴奈が活を入れる。
    「もっと足上げろッ!」
    「は、いっ」
     後ろから声をぶつけ、足を動かせる。
    「ほら、手も振れ! もっと息を吸え! 吐くより吸え!」
    「はい、っ、ハァ、すぅー、ハァ」
    「ほら、また足が上がってないぞ! 足上げろッ!」
     何度も足が止まりそうになっていたが、晴奈の活で何とか30分、良太は走り通した。

     次は竹刀の素振り。
    「まだ40回も行ってない! もっと腕を振り上げろ!」
    「は、ぁ……、はいっ」
     汗だくになり、上半身裸になった良太に、晴奈がまた活を入れる。
    「声が小さい!」
    「はい、っ! 38! 39! 4、0! よんじゅう、いち! よん、じゅう、に! よんじゅう、さん、よ、ん、じゅー……」
    「また腕が下がってる! 声出せ!」
    「45ッ!」
     これもつきっきりで晴奈がしごき、何とか素振り百回をやり通した。

     打って変わって、今度は良太が得意としている精神修養の一環、座禅。
    「……」「……」
     二人とも相手を見つめ合い、一言も発しない。
    「……」「……」
     しごかれ、疲労困憊のはずの良太はまったく、眠たげな気配を見せない。
    「……」「……」
     無論、晴奈も6年経験を積んでいるので、これしきのことで眠ったりはしない。
    「……」「……」
     木々のざわめきと互いの呼吸しか聞こえない小屋の中で、時間は刻々と過ぎていく。
     やがて西日が窓から差し込み、カラスの鳴く声が聞こえてきた。
    「……飯にしようか」「はい」



     その日の修行を終え、二人は夕食を作ることにした。
    「精神力だけは人並み以上だな。あれだけの時間をかけて、疲労を抱えていながら眠らずにおれるなど、そうそうできない」
    「そうですか。ありがとうございます」
     二人並んで台所に立ち、食材を切りながら雑談する。
    「体力も、声をかければかけるだけ絞り出せる。まったく無い、と言うわけでも無さそうだ。この調子なら毎日へこたれずに頑張れば、着実に鍛えられるだろう」
    「本当ですか」
     良太の声が嬉しそうに、台所に響く。
    「ああ。明日からも頑張ろう」
    「はいっ」

     食事も済み、日もすっかり落ちた頃、二人は床に就いた。当然また明日も、早朝から特訓である。
    「本当に、今日はありがとうございました」
    「『姉』の務めみたいなものだ。礼などいらぬ」
    「はは、はい……」
     うとうとしかけたところに、良太が楽しそうに声をかけてきた。
    「姉さん、かぁ。僕、兄弟がいないので、何だか嬉しいです」
    「そうか。まあ、明日も頑張れ、『弟』よ」
    「はい、姉さん」
     短い会話の後、二人ともすぐ眠りに就いた。

    蒼天剣・指導録 3

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、33話目。スポ根?3. 山小屋に到着した晴奈たちはとりあえず、休憩に入った。到着した時点で、良太が真っ青な顔でばてていたからである。「す、すいま、せん」「いいから。ともかく呼吸を整えろ」「は、いー」 晴奈は良太の呼吸が整うまでの短い間、夕べ柊と交わした会話を思い返していた。 良太が「自分を鍛え直して欲しい」と晴奈に請うた話を聞かされ、柊は頬に手を当ててうなっていた。「良太がそんなことを……」...

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    晴奈の話、34話目。
    師匠のみょーな心配と、家元の検分。

    4.
     晴奈と良太が山ごもりを始め、一ヶ月が経った。
    「走れ! もっと足上げろ!」「はいっ!」
     初日はすぐにへたり、走ることもままならなかった良太だが、このしごきに体が慣れてきたのか、(多少手足の動きは鈍ったままだが)走り切れるようになった。
    「もう少しで百だ! 後20回、こらえろ!」「はい!」
     まともに30回できなかった素振りも、今は何とか60辺りまで、無難にこなせる。
     晴奈の特訓は、着実に実を結んでいた。

     その夜。
    「そろそろ、山を降りるとするか」
    「え?」
     床に入ったところで、晴奈が声をかけた。
    「この一月、お前はよく頑張った。最初の頃より大分、力は付いたろう。もう皆と同じように稽古をつけても、置いていかれるようなことはあるまい」
    「そうですか……」
     なぜか、良太の声は寂しそうだった。その沈んだ声をいぶかしがりつつも、晴奈はそれ以上何も言わなかった。
     話が途切れて10分も経った頃、良太の方から沈黙を破った。
    「……昔」
    「ん?」
    「昔、僕の母は紅蓮塞にいたそうです」
     唐突に、良太は自分の身の上を語り始めた。
    「でも、おじい様とケンカして出て行ったと、母から聞きました」
    「そうか」
    「母はその後央南を転々とし、やがて玄州の天玄で父と結婚しました。そして僕が生まれたんですが、その後……」
     その口ぶりから、晴奈は良太の家に、何か悲劇があったのだろうと勘付いた。そして良太の口から、予想通りの言葉が出てくる。
    「両親とも、亡くなりました。僕がいない間に、……強盗に襲われて。
     事情を聞いたおじい様は、僕を引き取ってくれました。そして『自分の力で、自分を守れるように精進しなさい』と」
    「……そうか」
    「あの……」
    「ん?」
     良太はそこで、口ごもる。
    「……あの、……いえ。その、一ヶ月の間、ありがとうございました」
     何かを言おうとしたようだが、晴奈はあえて尋ねようとはしなかった。
    「ああ。また何かあれば、何でも相談してくれ」



     翌朝、晴奈たちは山を降り、久々に紅蓮塞へと帰ってきた。そのまま柊のいる部屋まで向かい、二人で修行の成果を報告した。
    「師匠、ただいま戻りました」
    「おかえり、晴奈。それで、良太は強くなった?」
    「ええ、それなりに。紅蓮塞での修行にも耐えられるでしょう」
     それを聞いた柊は、嬉しそうに微笑んだ。
    「良かった。そっちの方はもう安心ね」
     晴奈は柊の言葉を聞き、首をかしげた。
    「そっち、とは?」
     聞いた途端、柊は困ったような顔をした。
    「あ、えーと、その。……無いとは、思うんだけどね」
    「ん?」
     柊は晴奈の猫耳に口を寄せ、そっと尋ねてきた。
    「何にも、無かったわよね?」
    「は? ですから、十分鍛えられたかと」
    「……無さそうね。良かった良かった」
    「?」

     続いて家元、重蔵にも同様に報告する。
     重蔵は柊のように変な勘繰りもせず、素直に喜んだ。
    「そうか、そうか。これで一安心じゃな。
     まあ、少し見てみようかの。二人とも、そこで待っていなさい」
     そう言うなり、重蔵は立ち上がって部屋を出る。
     良太はきょとんとした顔で、晴奈に尋ねる。
    「見てみるって一体、何でしょうか?」
    「実力が付いたかどうかを、だろう」
    「はあ……」
     まだ具体的に何をされるのか分かっていないらしく、良太は首をかしげた。
    「見る……、か? どうやって見るんだろう?」
    「とりあえず」
     晴奈はそっと立ち上がり、部屋の端で座り直した。
    「え?」
     立ち上がりかける良太を手で制しつつ、晴奈はこう助言する。
    「得物は手元に近付けておけ」
    「……あ、なるほど」
     そこで良太も、何が起きるか気付いたらしい。慌てて傍らに置いていた木刀を手に取り、周りの気配を伺うように、きょろきょろと見回す。
     その瞬間、晴奈は何かを感じ取った。
    (ふむ……? 不思議な奴だな。あれだけひ弱なくせに、ここで急に一端の剣気――手練が戦いに臨む際、自然と発するような、そんな空気を帯び始めた。
     多少侮っていたが、やはりこいつも焔の血筋と言うことか?)
     良太を包む空気が変化する。それまで怯え、戸惑う兎のようだった目に、緊急を感じ取っている輝きが、ちらちらと浮かんでくる。
    (しかし、それだけが理由では無さそうだ。
     この目は勇猛果敢に敵を打ち砕く虎とも、圧倒的な威圧感で獲物を狩る狼とも違う、どこか切迫した目つきだ。
     例えるなら、手負いの獣。修羅場を潜り、憔悴しきった羊のような……?)
     晴奈は腕を組みながら、じっと良太を見ていた。

     と、唐突に天井が開き、そこから重蔵が槍を持って飛び込んできた。
    「!」
    「せやあッ!」
     重蔵は飛び込んでくると同時に、槍を振り下ろしてくる。
     良太は目を見開きながら、バタバタと後ろに下がる。間一髪避けることはできたが、休む間も無く重蔵が二撃目を繰り出す。
    「そりゃッ!」
    「……ッ!」
     良太は声も上げず、鞘に収めたままの刀でそれを防ぐ。
    「それ、もう一丁ッ!」
     バンと床を蹴る音とともに、槍がもう一度良太に向かって伸びる。
    「うわ、っ」
     刀を抜けないまま、良太はもう一度鞘で防ごうとした。
    「あ、まずい良太」
     黙って成り行きを見ていた晴奈は、そこで声を漏らす。
     重蔵の槍は良太の鞘のすぐ手前でいきなり、ぴょんと跳ねた。
    「えっ」
     そのまま拳一つほど進んだところで、槍の穂先が勢い良く下がる。バチ、と言う音が響き、良太の刀ははたき落とされてしまった。
    「あ……」
    「ふーむ。晴さん、どれくらいじゃろ?」
     問われた晴奈は、二人が仕合った時間を答える。
    「7、いえ、8秒だったかと」
    「8秒か」
     良太の鼻先に槍を当てたまま、重蔵はぽつりとつぶやいた。
    「まだまだ、じゃなー」
     重蔵は槍を床の間に立てかけ、元の位置に座った。

    蒼天剣・指導録 4

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、34話目。師匠のみょーな心配と、家元の検分。4. 晴奈と良太が山ごもりを始め、一ヶ月が経った。「走れ! もっと足上げろ!」「はいっ!」 初日はすぐにへたり、走ることもままならなかった良太だが、このしごきに体が慣れてきたのか、(多少手足の動きは鈍ったままだが)走り切れるようになった。「もう少しで百だ! 後20回、こらえろ!」「はい!」 まともに30回できなかった素振りも、今は何とか60辺りま...

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    晴奈の話、35話目。
    不毛な情熱。

    5.
     座り直したところで、重蔵が満足気に感謝の意を表す。
    「まあ、それでも最初の頃に比べれば幾分、様変わりしたのう。ようやった、晴さん」
    「はい、ありがとうございます」
     晴奈たちも元の位置に戻り、揃って頭を下げた。
    「まあ、後何年か、じっくり修練を積みなさい」
    「はい。それでは、失礼……」「待った」
     と、もう一度頭を下げ、立ち上がろうとした良太を、晴奈が止めた。
    「何でしょう、姉さん」
    「一つ聞いてもいいか?」
    「……はい?」
     座り直した良太をじっくりと見て、尋ねる。
    「お主の経緯を聞いたが、嘘をついているだろう」
    「えっ」
    「両親が殺された時、お主はその場にいなかったと言ったな?」
    「え、ええ、はい」
    「本当は、いたんじゃないか?」
    「……!?」
     良太の目が見開かれる。晴奈は続いて尋ねる。
    「あの、家元を待ち構える際の、怯えにも似た鬼気迫る気配。何の危難にも出会わず、安穏と生きてきた者が出せるものでは無い。
     よほど己の身が危機にさらされなければ、得られぬ類のものだ」
    「……」
     良太の額に汗が浮かぶ。二人の様子を見ていた重蔵が、はーっとため息を漏らした。
    「流石じゃな、晴さん。その通りじゃよ」
    「おじい様!」
     良太が止めようとしたが、重蔵は片手を挙げ、それをさえぎる。
    「心配するな、良太。雪さんも晴さんも、口は堅い。周りに吹聴して、お前の秘密を暴くようなことはせんよ」
    「……」
     重蔵は座り直し、ゆっくりと語り始めた。
    「まあ、その。始めはわしと、わしの娘のいさかいが原因じゃった。
     わしも娘も、あの頃はひどく頑固じゃった。娘には剣術やら作法やら色々と教えたが、それをすべて、『私はもっと別な人生を歩みたいの』と言って捨て去った。そして口喧嘩の末に、娘は塞を離れた。
     それからしばらくして、娘から手紙が届いた。『ある街でいい人と出会い、結婚した。男の子が生まれたのだが、名前を考えてくれないか』、とな。正直、わしは少し複雑な気分じゃった。娘が勝手にどこの馬の骨とも知れぬ輩と、と怒った反面、反目していたわしを頼ってくれたその気持ちを嬉しくも思った。……結局、わしは和解した。『良太』と一筆したため、娘に送り返したのじゃ。
     その後、何度か手紙でやり取りし、そしてつい最近、『戻ってみてもいいか』と返事が来た。わしは喜んでそれを了解した。で、どうせなら迎えに行ってやろうとそう考えて、娘夫婦のいる天玄に向かった。じゃが……」
     重蔵はそこで言葉を切る。その顔はいつもよりしわが深くなり、くぼんだ目がひどく悲しそうに光っていた。
    「襲われておった。
     家は扉も、窓も破られ、娘も、夫と思われる男も、むごたらしく殺されておったのじゃ。そしてわしは、今まさに良太に襲いかかろうとしていた男を見つけた。考える間も無く、わしはそいつを斬った。腕は落としたものの、そいつは逃げてしまった。
     後に聞けば、そいつは人さらいだったそうじゃ。央南や、央中で暗躍する人身売買の組織があり、良太はそやつらに狙われたのじゃと。わしは良太を連れて急いで天玄を離れ、ここに戻ってきた」
    「……」
     すすり泣く声が、良太から聞こえてくる。晴奈が振り向くと、良太がボタボタと涙を流しているのが見えた。
     その様子を眺めながら、重蔵は晴奈に礼を言った。
    「鍛えてやってくれてありがとう、晴さん。この調子なら、良太はいつかきっと、大願を成就できるじゃろうな」
    「大願?」
     良太はグスグスと、鼻をすすりながら答えた。
    「仇を、取りたいん、です。僕の両親を、殺した、その男を、討ちたい」
    「……そうか」
     晴奈はなぜか、良太がそんな言葉を吐いたことにひどく、胸が痛んだ。
    (優しいこいつが、そんな悲壮な決意を抱く、……のか。私はもしかしたら、こいつが歩むべきだった人生を、曲げてしまったのでは無いだろうか。
     本当にこいつを、鍛えて良かったものか)



     晴奈の心境とは裏腹に、晴奈の評判は大きく上がった。
    「あの『坊ちゃん』を見事に鍛えるとは、なかなかに優れた練士では無いか」と評され、晴奈に指導を請う者、晴奈を慕う者が多くなった。
     勿論、良太もその一人である。
    「晴奈の姉さん、また今日もお願いしますねっ」
     子犬のように晴奈を慕う良太を見て、晴奈は心の奥にわだかまりを覚えずにはいられない。
    (……しかし)
    「ああ。今日も厳しく行くからな。頑張れよ」
    「はいっ!」
    (こいつがそれを望み、全うしようと言うのならば、応えてやらねばなるまい。
     姉弟子として、また、教官としても)
     晴奈は深呼吸し、雑然とした思いを頭から払いのける。
     良太と、前にいる門下生たちに向かって、大声を上げて指導を始めた。
    「では、今日も行くぞ! まずは柔軟からだ! はじめッ!」

    蒼天剣・指導録 終

    蒼天剣・指導録 5

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、35話目。不毛な情熱。5. 座り直したところで、重蔵が満足気に感謝の意を表す。「まあ、それでも最初の頃に比べれば幾分、様変わりしたのう。ようやった、晴さん」「はい、ありがとうございます」 晴奈たちも元の位置に戻り、揃って頭を下げた。「まあ、後何年か、じっくり修練を積みなさい」「はい。それでは、失礼……」「待った」 と、もう一度頭を下げ、立ち上がろうとした良太を、晴奈が止めた。「何でしょう、姉...

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    晴奈の話、36話目。
    妖怪話と、現代っ子の反応。

    1.
     双月暦512年、暮れ。
     央南中部ではある「化物」のうわさが広まっていた。姿は白い大狐で人語を解し、魔術を操り、人里離れた人家や旅人を狙うと言うのだ。



    「へぇ」
     柊が手紙を読み終わり、驚いたような声を漏らした。
    「晴奈、良太。ちょっとこれ、見てみて」
    「はい、何でしょうか?」
     精神修練の一環として、共に写本をしていた晴奈たちは、師匠の差し出す手紙を手に取り、読んでみた。
    「……え? 狐の、……妖怪、ですか?」
    「冒頭からまた、胡散臭い話ですね」
     晴奈も良太も、けげんな顔で柊に応えた。
    「あの、良く読んでみるとこれ、先生のご友人からの手紙ですよね。助けて欲しい、と書かれているのですが……」
     良太の質問に、柊は困ったような顔でうなずいた。
    「そうなの。何でも、彼がいる街でも被害が出たらしくって。彼が率いている自警団でその妖怪を探して捕まえよう、って言うことになったらしいの。
     それで腕の立つ人が欲しいから、来てくれないかって言うんだけど」
    「はあ……」
     話を聞いた晴奈は写本に戻りながら、率直な意見を述べた。
    「胡散臭いにも、程がありますね」
    「そうですか?」
     意外そうな顔をした良太を見て、晴奈は少し呆れる。
    「そう思わないか? 確かに、困ったことが起きたから手を貸してくれ、と言うこと自体は特に不審でもない。
     私が胡散臭いと言っているのは、妖怪などと言う表現だ」
    「表現? どう言う意味かしら」
     今度は柊が尋ねる。
    「妖怪などいるわけがありません。何しろ私はこれまで一度も、そんな奇怪で非現実的なものを見たことが無いですし」
    「でもほら、黒炎教団の神様とか。300年生きてるって言うし」
     良太の意見も、晴奈はにべも無く否定する。
    「だからそんなもの、私は見たこと無い。知り合いが見たとは言っているが、私自身が確かめたわけでは無いしな」
    「ああ、なるほどね。……うーん」
     晴奈の言い分を聞いて、柊は腕を組む。
     間を置いた後、ゆっくりとした口調で、晴奈と良太に説明し始めた。
    「えーと、ね。晴奈、誤解してると思うんだけど、……いるのよ、実際」
    「え?」
    「神話の時代から、数多の化物がそこら中に存在したと言われているわ。
     天帝教の英雄たちが竜や巨大な狼に襲われ、討伐したと言うおとぎ話を初めとして、その手の話は枚挙に暇が無い。
     でも文明が進むにつれて、そう言った話は少なくなっていった。これは人間が住む地域、生活圏が、そう言った化物の棲む地域に入り込み、侵食したせい。
     だから結果として、その場所にいた化物は討伐、淘汰されて、とっくの昔に消滅しているわ」
    「まあ、そう言う話であればまだ、うなずけます。
     しかしその話を前提にしたとしても、どっちにせよ、既にそんなものはこの世からいなくなった。そう考えられますよね?」
     晴奈の反論に、柊は首を振った。
    「いいえ、まだ世界全域に人間の手が入ったわけじゃないもの。
     この央南に限っても、屏風山脈は峠道から外れれば異世界も同然だし、あちこちの森や近海にも、人間が入り込めない場所はたくさんあるわ。
     だから、まだ駆逐されていない化物、妖怪は、確実にいるのよ。そう見えないのは、そんなところに踏み行ったことが無いからよ。
     これまでの旅も、なるべく安全なところを選んだわけだし」
    「そんなもの、……ですか」
     そう説明されても、まだ晴奈は腑に落ちない。それを察したらしく、柊がすっと立ち上がった。
    「じゃ、証拠を見せてあげる」
    「証拠?」
     柊はいきなり、上着を脱ぎ始めた。良太が素っ頓狂な声を出し、飛び上がる。
    「え、ちょっ、先生!?」
    「ちゃんと下は着てるから。……ほら」
     上着を脱ぎ、肌着をへその上までめくった柊を見て、晴奈たちは絶句した。
    「……!」「その、傷は」
    「刀傷には見えないでしょ?」
     どう見ても、大型獣の爪痕――それが腰から鳩尾の下にかけて、柊の右半身に付いていた。
    「10年くらい前、友人と旅をしてた時に付けられたんだけどね。あの屏風山脈を越える時に、うっかり峠道から外れてしまって。で、襲われたの。
     わたしは大ケガを負うし、魔術師だった友人も杖を折られちゃうし。下手をすれば死んでたところだったわ」
    「……」
     良太は食い入るように、柊の傷痕に見入っている。晴奈は恐る恐る尋ねてみた。
    「その、化物とは」「あら、聞きたいの? 嘘だって言ってたくせに」
     柊は服を着直しながら、珍しく恐ろしげな笑みを浮かべて尋ね返す。
    「……いえ、やめておきます」
     その笑い方があまりにも怖かったので、晴奈は口をつぐんだ。

     ちなみに良太は柊を見つめたまま、放心していた。よほど柊の肌着姿が強烈だったらしい。

    蒼天剣・逢妖録 1

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、36話目。妖怪話と、現代っ子の反応。1. 双月暦512年、暮れ。 央南中部ではある「化物」のうわさが広まっていた。姿は白い大狐で人語を解し、魔術を操り、人里離れた人家や旅人を狙うと言うのだ。「へぇ」 柊が手紙を読み終わり、驚いたような声を漏らした。「晴奈、良太。ちょっとこれ、見てみて」「はい、何でしょうか?」 精神修練の一環として、共に写本をしていた晴奈たちは、師匠の差し出す手紙を手に取り...

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    晴奈の話、37話目。
    三人旅。

    2.
     ともかく柊は友人からの願いを受け、手伝いのために晴奈を、そして後学のために良太を連れ、友人のいる央南中部の村、英岡(えいこう)を訪ねた。
    「やあ、良く来てくれたな雪乃」
     街に着くなり、あごひげを生やした道着姿の、短耳の男が出迎える。道着の家紋とたすきのかけ方からして、確かに同門であるらしい。
    「久しぶりね、謙」
     謙と呼ばれた男は晴奈たちを見て、軽く会釈した。
    「君たちが雪乃のお弟子さんかい? 俺は樫原謙と言う者だ。雪乃とは10年以上前に、一緒に稽古していた」
     晴奈はつられて挨拶を返す。
    「黄晴奈です。お初にお目にかかります、樫原殿」
    「ほう、今どき珍しい、堅い挨拶だな。よろしくお願い申す、黄殿、と」
     良太も晴奈に続き、挨拶をする。
    「桐村良太と言います。始めまして、樫原さん」
    「よろしく、桐村くん。……はは、やっぱり堅っ苦しいのはかなわん。黄くんも楽にしてくれていいからな」
    「さてと、謙。挨拶も済んだことだし、そろそろ例のこと、説明してもらっていい?」
     柊に問われた謙は「おう」と応え、街の方に向かって歩き出す。
    「ま、立ち話もなんだから。俺の家で話そう。飯も出すぜ」

     立ち話も、と言った割には、謙は家までの道中、しゃべり倒した。よほど旧友に会ったのが嬉しかったのだろう。
    「しっかし、雪乃は変わんないな。やっぱり、エルフだからかな」
    「ふふ、そうね。謙はどうなの? ヒゲが生えてるくらいで、見た目はそんなに変わってないけれど」
    「いや、やっぱり34ともなるとどこかしら、おじさん臭くなっちまうみたいだな。嫁さんにもよく、からかわれてるよ」
    「ああ、そう言えば結婚したのよね。奥さん、元気なの?」
     謙は嬉しそうに声をあげる。
    「おお、元気元気。もう4年経つけど、いまだに熱々だよ」
    「あら、のろけちゃって」
     柊は口に手を添え、クスクスと笑う。
    「雪乃はどうなんだ? そろそろ、いい相手はできたか?」
    「ぅへ?」
     謙に尋ねられた柊から、妙な声が出る。
    「はは、まだいないみたいだな。っつーか、オクテなところ、まだ治ってないんだな」
    「い、いいじゃない、わたしのことは」
     柊は顔を赤らめ、パタパタと手を振ってごまかした。
    「あ、そこを右だ」
     謙が指し示した方向に、小ぢんまりとした家が立っている。
    「あ、嫁さんに雪乃たちのこと、言ってくるから。ちょっと待っててくれ」
     謙は一足先に家へ入っていった。晴奈たち三人はその間、謙について話す。
    「大分、気さくな方ですね」
    「ええ、とっても話しやすい人よ。腕も立つし、塞では人気者だったわ」
    「そうなんですか……」
     なぜか、それを聞いた良太の顔が曇る。
    「やっぱり、その、先生も強い方を好まれますか?」
    「え? うーん、まあ、どっちかって言えば、だけど。何でそんなことを?」
    「あ、いえ」
     そうこうするうちに謙が、「狐」の女性を伴って戻ってきた。
    「待たせたな、みんな。彼女が俺の嫁さんだ」
     紹介された狐獣人の女性は、柊たちにぺこりと頭を下げた。
    「はじめまして、棗(なつめ)と申します。主人がお世話になっております」
     こんな田舎には多少場違いにも思える恭しい挨拶に、柊たちも同じように頭を下げ、挨拶を返す。お互いの紹介が済んだところで、謙がその場を締めた。
    「じゃ、そろそろ家で話をしよう。飯は、その後で」

     家に入ってすぐ、棗が台所の方に向かう。
    「ご飯の用意をいたしますから、その間……」
    「おう。見とくわ」
     謙がひらひらと手を振り、何かを了承する。謙は柊たちを居間に案内した後、「ちょっと待っててくれ」と言ってどこかに消えた。
    「見とく、って何でしょう?」
     晴奈の問いに、柊はクス、と笑う。
    「そりゃ新婚さんで、奥さんが忙しい間見るものって言ったら」
    「あ、なるほど」
     そこで晴奈も良太も、答えに行き当たる。
     間も無く柊たちの予想通りに、謙が「狐」の幼児を抱きかかえながら戻ってきた。
    「いや、すまんすまん。待たせたな」
    「いえいえ。……わあ、可愛い」
     柊は子供の顔を覗き込み、その頭を優しく撫でる。自分の子をほめられた謙は、気恥ずかしそうに笑う。
    「へへ……」
    「『狐』だけど、顔は謙に似てるわね。名前は?」
    「桃って言うんだ。ほら、耳と尻尾がちょっと桃色だろ?」
    「なるほどねー」



     余談になるが、この世界にはいわゆる「ハーフ」が存在しない。
     例えば長耳と短耳が結婚し、その子供が生まれたとしても、その子供の耳が足して2で割った大きさ、と言うことは無い。
     顔つきや体格など若干の遺伝は生じるが、その子供は短耳か、長耳のどちらかにしかならない。これは他の種族に対しても、同様である。
     短耳の謙と狐獣人の棗の子である桃も、顔立ちは父親似だが、耳や尻尾と言った身体的特徴は、母親のそれである。

    蒼天剣・逢妖録 2

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、37話目。三人旅。2. ともかく柊は友人からの願いを受け、手伝いのために晴奈を、そして後学のために良太を連れ、友人のいる央南中部の村、英岡(えいこう)を訪ねた。「やあ、良く来てくれたな雪乃」 街に着くなり、あごひげを生やした道着姿の、短耳の男が出迎える。道着の家紋とたすきのかけ方からして、確かに同門であるらしい。「久しぶりね、謙」 謙と呼ばれた男は晴奈たちを見て、軽く会釈した。「君たちが雪...

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    晴奈の話、38話目。
    雪中の妖狐。

    3.
    「あ、そうそう。和んでる場合じゃなかったな」
     謙は居間に腰を下ろし、ようやく本題に入った。
    「手紙にも書いていた妖怪なんだが、最近は英岡の東側、天神川下流でよく目撃されているらしい。これまでの目撃例を辿ると、どうやら天玄からこっちに南下しているようだ」
    「天玄から? あんな大都会で、妖怪が出たって言うの?」
     前述の柊の言葉を借りれば、人間が多く暮らす場所では妖怪や化物は現れにくいはずなのだが、謙はうなずいて返す。
    「ああ、その時も大騒ぎになったんだ。もっとも、うわさがうわさを呼んで、妖怪が出たこと自体がうやむやになったが。
     ともかく、その妖怪はこっちに向かって動いている。すでに旅人や郊外の家屋など、被害もチラホラ出ていると言うし、この街を警護している俺としては早急に捕まえるか、殺すかしたいところなんだ」
    「なるほど。それで、次に現れる場所とかはもう、目星が付いてるの?」
     謙はもう一度うなずき、宙を指した手を下ろしていく。
    「ああ。俺たちの予測では、また天神川の、以前より南の地点に現れると読んでいる。それも、一両日中に。
     だから人をあちこちに配置して、天神川周辺をまんべんなく見張るつもりなんだ」

     晴奈たちは到着したその日から、妖怪討伐に参加することとなった。
     夕暮れになってから天神川のほとりにたむろしていた討伐隊に合流し、謙と柊、晴奈、良太の4人で捜索することになった。
    「魔術まで使うと言うからな。気を付けろよ、みんな」
    「ええ」
    「分かりました」
     対人のみとは言え、柊と晴奈は戦い慣れしているせいもあって、割と落ち着いている。
    「りょ、了解です」
     しかしそんな経験など無い良太は、怯えがちに晴奈の袖をつかんでいる。
    「良太。動きにくい」
    「す、すみません」
     謝りながらも、袖から手は離さない。その様子を見ていた謙はぷっ、と吹いた。
    「はは、しっかり者の姉と気弱な弟、って感じだな」
    「ふふ、そうね」
     晴奈は片袖をつかまれたまま、左手をパタパタ振る。
    「勘弁して下さいよ……」
     その様子を温かい目で見ていた謙は、深々とうなずいている。
    「いいなぁ、そう言うのも。次は男の子もいいなぁ」
    「謙、本当におじさん臭いわよ、クスクス……」
    「へへ、そりゃおじさんだしな。お前だって、もう30じゃなかったか?」
     柊はすまし顔で、謙に返す。
    「エルフは長生きなの。あと20年は若者よ、うふふ」
    「はは、そりゃうらやましい」
     二人の笑い声で、良太も緊張がほぐれてきたようだ。晴奈から手を離し、話に加わる。
    「本当に、先生は綺麗な方ですよ」
    「え?」「へ?」
     突然、会話が止まる。晴奈は心の中で呆れている。
    (こいつ、空気読んでないな。突拍子が無いにもほどがある)
    「ああ、どうも、ありがとね」
     とりあえず、柊は礼を言う。謙はニヤニヤしている。良太もとりあえず笑ってはいるが、空気がおかしくなったことに、ここでようやく気付いたようだ。
     と――遠くから、誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。

     叫び声を聞きつけた4人が現場に向かうと、辺りは既に修羅場と化していた。
    「な」
    「何だこりゃ?」
    「凍って、……る」
    「さっ、寒い……」
     年の暮れが近いとは言え、まだ雪の積もらない時期である。ところがその一帯は氷に覆われ、凍り付いているのだ。
     辺りにはチラホラ人が倒れており、その体には霜が分厚く降りている。
    「大変、助けなきゃ!」
    「ええ!」
    「待て!」
     凍りついた者たちを助け出そうとする柊と良太を、謙が止める。
    「……いる。すぐ、近くに」
     晴奈もその気配を感じ取り、刀を抜いて構える。良太はまだ、うろたえたままだ。
    「え、え?」
    「良太、わたしの後ろにいなさい。……来るわ」
     柊がそう言った瞬間、木々を裂いて巨大な狐が飛び込んできた。
     全体的に白く、耳と尻尾の先や手足がわずかに桃色を帯びた、体長2メートルはあろうかと言う大狐だった。
    「ひゃああっ!?」
     叫ぶ良太を気に留めず、晴奈が斬り込む。
    「そらッ!」
    「ギャアアッ!」
     晴奈の刀を避け、大狐はボソボソと何かを「唱えた」。
    「……『アイ、ス……、ジャ、ベリ……、ン』!」
    「な……!?」
     柊が驚き、叫ぶ。晴奈は着地直後で、動けない。大狐の背中辺りに氷の槍が形成され、晴奈に向かって飛んできた。
     が、槍は晴奈から大きくはずれ、後ろの木に当たる。
    「……え?」
     てっきり飛んでくると思い、身構えていた晴奈は呆気に取られる。
    「……グルルル」
    「また来るぞ!」
     今度は大狐の周囲に、拳大の雹が十数個現れ、四方に飛び散る。
    「うわああ!?」「動かないで、良太!」
     今度も、命中精度は低い。ほとんど四人に向かうこと無く、地面や木々にぶつかり、弾けていく。
    「何で……?」
    「使えはするが、当たるまでは行かないらしい。っと、またかよ!?」
     大狐は謙に向き直り、また氷の槍を発射した。
    「チッ……! 『火射』!」
     いち早く反応した謙が焔流の炎でその槍を溶かし、消滅させる。
    「グア!」
     大狐は舌打ちをするように吠え、ぴょんと跳んでその場から消えた。
    「な、何なの……!? 今の、魔術だったわ、よね? まさか本当に、魔術を使うなんて」
    「まあ、あの通りだ。使うんだ、本当に。
     ……っと、こんなこと話してる場合じゃない! まだ助かるかも知れない」
     謙は刀をしまい、周りに倒れている者の救助に向かった。

    蒼天剣・逢妖録 3

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、38話目。雪中の妖狐。3.「あ、そうそう。和んでる場合じゃなかったな」 謙は居間に腰を下ろし、ようやく本題に入った。「手紙にも書いていた妖怪なんだが、最近は英岡の東側、天神川下流でよく目撃されているらしい。これまでの目撃例を辿ると、どうやら天玄からこっちに南下しているようだ」「天玄から? あんな大都会で、妖怪が出たって言うの?」 前述の柊の言葉を借りれば、人間が多く暮らす場所では妖怪や化物...

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    晴奈の話、第39話。
    梶原夫婦の事情と、柊一門の寝相。

    4.
     結局あの大狐は捕まえられず、また、凍傷によるケガ人こそ出たものの、凍死した者はいなかった。
     双方大きな被害の出ないまま、今回の討伐作戦は失敗に終わった。

     帰宅した四人を、棗は簡単な食事と熱いお茶で労ってくれた。
    「皆さん、お疲れ様でした」
     差し出された茶を受け取りつつ、謙は壁の時計を見て、呆れた声を上げる。
    「うわ、よく見りゃもう朝方じゃねえか。すまんな棗、こんな時刻まで」
    「いえいえ、ご無事で何よりです」
     二人の様子を見ていた良太はなぜか、うらやましそうに見ている。
    「いいですねぇ、何か」
    「うん?」
    「理想の夫婦、って感じです」
    「はは、そうか?」
     謙は嬉しそうに笑い、お茶を一息に飲む。
    「まあ、俺にはできた嫁さんだよ、本当に」
    「まあ、あなたったら」
     棗は口元に手を当て、コロコロと笑った。
    「そう言えば、二人の馴れ初めとか聞いてなかったわね。どうやって出会ったの?」
    「ん? んー……」
     ところが柊に質問された途端、二人は顔を見合わせて黙り込んでしまった。
    「あ、あら? 何か、いけなかったかしら」
    「あー、いや。悪いってわけじゃないんだが。うーん」
     謙はもう一度、棗を見る。棗は少し困ったような顔を見せたが、口から手を離して説明してくれた。
    「……まあ、主人と懇意にして下さっている方ですから、秘密にしていただければ。
     元々、わたくしは天玄のある名家の出だったのですが、少しばかり、家といさかいがありまして。そこで家を離れ、この街まで来たところで、謙と出会ったのです」
     そこで謙が話を切り上げ、休むよう促した。
    「まあ、巷じゃ良くある恋愛話、さ。……さあ、もう寝よう」

    「ビックリしましたね。まさかここに来て、あんな話が待ってるなんて」
     寝床を用意され、早速横になったところで、良太が口を開く。
    「んあ?」
     早くも半分眠りかかっていた晴奈は、それにぼんやりと応える。
    「そうだな、うん。しかし、幸せそうでいいじゃないか」
    「そうですね、本当。……はあ」
    「どうした?」
     急にため息をついた良太に、晴奈が声をかける。柊からは反応が無いので、既に眠っているらしい。
    「僕、最近よく考えるんです。『幸せな家庭』って、あるのかなって」
    「はあ?」
    「おじい様と母はケンカの末、離れ離れになりました。そして母と父は、……亡くなって。僕は将来、樫原さんみたいに幸せな家庭が作れるのかなって」
     晴奈は眠気が押し寄せる頭で、のたのたと答える。
    「それは、まあ、難しいと思うぞ。お前は、仇討ちをする、だろう?」
    「……はい」
    「そんな危険なことを、しなければならん、そんな人生に、女子供を巻き込む、など」
    「そうです、よね」
     しんみりとした声が返ってきたが、既に晴奈は眠っていた。



    「うう、ん」
     誰かがうめいている声で、晴奈ははっと目を覚ました。
    (あ、いかん。良太の相談に乗っていたのに)
    「すまない、りょ……」「りょう、た」
     晴奈が良太に声をかけようとした矢先、その反対側――すなわち、柊の方から声が聞こえてきた。
    (おっと、起こしたか?)
    「りょうたぁ、ううん……」
     突然、晴奈は尻尾をつかまれた。
    「ひゃん!?」
     妙な声が出てしまう。どうやら、柊が寝ぼけて自分の尻尾を触っているらしい。
    「し、師匠、あの」「いかないでぇ」「にゃうっ!?」
     妙に切なげな声で、柊が尻尾を引っ張る。
    「あの、本当にお止めください」「だめぇ、いかないでぇ」「にゃーッ!?」
     これでもかと強く引っ張られ、晴奈は思わず叫んだ。



    「ふあ、ぁ……」
     朝になり、自然に良太の目が覚めた。のそ、と起き上がり、何気なく晴奈たちを見た。
    「……ちょっ」
     良太の顔が真っ赤になる。柊が晴奈を羽交い絞めにして、嬉しそうな顔で寝息を立てていたのだ。一方の晴奈は、泣きそうな顔で眠っていた。
    「……起こした方がいいかなぁ、これ」

    「ごめんなさいね、晴奈」
    「……いえ」
     部屋の隅で尻尾の付け根を押さえてうずくまる晴奈に、柊が謝っていた。
    (あれほど痛いとは、思いもよらなかった)
    「わたし、変な夢を見ちゃって」
    「どんな夢ですか?」
     顔を洗い終えた良太が問いかけると、柊は顔を赤くしてバタバタと手を振った。
    「いいのっ、何でも無いから」
    「はあ……」
     応えてはくれなかったが、晴奈には粗方の予想が付いていた。
    (散々寝言で、『良太』だの『行かないで』だの言って私の尻尾を引っ張り倒していたから、恐らく良太が崖を踏み外して、命綱を師匠が握っていたとか、そんな夢だろうな。
     ……助けておけよ、師匠の夢の中の私め)

    蒼天剣・逢妖録 4

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第39話。梶原夫婦の事情と、柊一門の寝相。4. 結局あの大狐は捕まえられず、また、凍傷によるケガ人こそ出たものの、凍死した者はいなかった。 双方大きな被害の出ないまま、今回の討伐作戦は失敗に終わった。 帰宅した四人を、棗は簡単な食事と熱いお茶で労ってくれた。「皆さん、お疲れ様でした」 差し出された茶を受け取りつつ、謙は壁の時計を見て、呆れた声を上げる。「うわ、よく見りゃもう朝方じゃねえか。...

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    晴奈の話、第40話。
    師匠の逆鱗。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     正午少し前に、晴奈たちは自警団の会議に参加した。昨夜取り逃がした大狐を、もう一度捕まえようかどうか話し合っているのである。
    「思ったよりてこずった、と言うか」
    「難しいな、捕まえるのは」
    「あの動きに加え、魔術まで使われては……」
     昨夜の失敗で、自警団内の空気は重苦しく淀んでいる。
    「しかし、決して倒せないと言うわけではない。現に、あいつの術は俺が破っている」
     団長である謙は場を盛り上げようとするが、団員の顔に希望の色が浮かんでこない。
    「でも、我々では歯が立ちません」
    「団長以外、ほぼ全滅でしたし」
     一向に場の沸き立たないまま、消極的な案が出される。
    「このまま、放っておくわけには行きませんか?」
    「何だと?」
    「あの狐はどんどん南下しているというじゃないですか。もしかしたら、このまま英岡から離れてくれるかも」
     それを聞いた謙は「ううむ……」とうなり、腕を組む。
    (確かに、一理あると言えば、あるのだが)
     晴奈もその理屈に納得しないではないのだが、どうも引っかかる。
    「しかしですね」
     柊も同様だったらしく、手を挙げた。
    「これまで南下したから、これからもずっと南へ行く、……とは限らないでしょう。
     英岡自体かなり南にありますから、狐の南下がここで止まる可能性は少なくないと思います。ここで村の方には絶対に来ない、とも断言できないですし。
     もう一度捜索に当たり、きっちりと始末を付けておいた方が、後顧の憂いを断てるのでは」
     柊の意見に、各々考え込む様子を見せる。長い沈黙が流れた後、謙が採決を取った。
    「……どちらにしても、このままうなるだけでは埒が明かない。どちらかに決めよう。
     このまま放っておいた方がいい、と言う者」
     こちらの案には10人の手が挙がった。
    「では、もう一度捜索した方がいい、と言う者」
     柊が真っ先に手を挙げる。それに続いて、晴奈と良太が手を挙げる。が、それに続いたのは5人――合計で、8人だった。
    「……決まりだな。
     では、一応の警戒だけはしておくが、こちらから討伐には出向かない、と言うことにしよう」
     謙も不安に思っていたらしく、折衷案を出す形で場をまとめた。



     会議が終わり、晴奈たちはまた樫原家に戻ってきた。
    「おかえりなさい、皆さん」
     洗濯の途中だった棗がにこやかに出迎えてくれる。謙は会議で決まったことを伝え、もう2、3日、夜の巡回をすることを伝えた。
    「そうですか……。でも、ここしばらく、あまり休んでいらっしゃらないのでしょう?」
    「まあ、鍛えてるから心配はいらない。終わったらぐっすり寝るさ」
    「そう……。無理なさらないでくださいね」
     それを見ていた柊と晴奈はほぼ同時に、樫原夫妻に声をかけた。
    「あの、良かったら」「ん?」
     晴奈が引き、柊が提案した。
    「わたしと晴奈で今日の巡回、交代するわよ」
    「え? いや、しかしお客にそんなことは……」
     申し訳無さそうな顔をする謙に人差し指を立て、柊が続ける。
    「水臭いわよ、お客だなんて。一日くらい、家族みんなでゆっくり休んだ方がいいわよ」
    「……そうだな。じゃあ、柊一門のご好意に甘えるとするかな」
     柊はにっこり笑って承諾した。
    「ええ、任せてちょうだい。晴奈と良太がいれば、全然問題無いわ」
     名前を呼ばれ、良太が目を丸くする。
    「え? 僕……」「黙れ。空気読め」「……はい」
     良太が口を開きかけたが、晴奈が小声で黙らせた。

     夕方からの巡回に備え、晴奈たちは寝室に戻った。
    「ゴメンね、良太」
    「いえ、そんな……」
     いつの間にか良太まで参加することにしてしまい、柊が手を合わせて謝っていた。
    「しかし良太、仮に私と師匠だけで行ったらお前、多分困るぞ」
    「え? ……あ、ですよね。家族水入らず、ですもんね」
     良太は頭をポリポリとかいて、柊に謝り返した。
    「すみません、僕の考えが至らなくて」
    「いいのよ、謝らなくて。元々、わたしが勝手に言っちゃったんだから。でも、二人とも頼りにしてるから、今夜はよろしくお願いね」
     頼りにしていると言われ、良太の顔が一気にほころぶ。
    「あ……、は、はいっ! 精一杯、頑張らせていただきますっ!」
    「うふふ、ありがとね」
     晴奈は隣の部屋にいる樫原夫妻の声に耳を傾け、軽くため息をつく。
    「ふむ……。本当に、幸せそうだ」
    「ん?」
    「いや……。私の家族は、ある事件で妹がさらわれたからな。それに私自身、親に反発して家を出た口だし、お前の言っていた『幸せな家庭』って奴に、私も少なからず憧れてはいるんだ」
    「そうだったんですか……。姉さんのところも、大変なんですね。
     ……あ、そう言えば」
     良太は何かに気付き、柊の方を見た。
    「先生って、ずっと紅蓮塞にいたんですよね?」
    「ええ、そうよ」
    「いつから塞にいらっしゃるんですか? ご家族とかは?」
     良太からそう質問された瞬間、ほんの一瞬だけ、柊の顔が曇った。
    「……さあ? 物心付いた時からいたもの。覚えてないわ」
     答えた柊の顔は平静を装っているようにも見えたが、明らかに不快そうな目をしていた。
    「あ……。何か、その、えっと。……すみません」
     良太は慌てて謝ったが、柊の機嫌は直らない。
    「いいのよ、別に。……散歩してくる」
     柊は顔を背け、そのまま部屋を出て行ってしまった。
    「僕、変なこと言っちゃいましたか? ああぁー……」
     良太は頭を抱えてへこんでいる。
    「まあ、虫の居所が悪かったのだろう。気にするな、良太」
     晴奈は良太の肩を叩きながら慰めつつ、柊の態度に疑問を抱いていた。
    (あれほど不快感をあらわにされるとは。一体、何があったのだろう?)

    蒼天剣・逢妖録 5

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第40話。師匠の逆鱗。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 正午少し前に、晴奈たちは自警団の会議に参加した。昨夜取り逃がした大狐を、もう一度捕まえようかどうか話し合っているのである。「思ったよりてこずった、と言うか」「難しいな、捕まえるのは」「あの動きに加え、魔術まで使われては……」 昨夜の失敗で、自警団内の空気は重苦しく淀んでいる。「しかし、決して倒せないと言うわけではない。現に、...

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    晴奈の話、第41話。
    きょうだい。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     散歩から戻ってきた柊は、すっかりいつも通りの優しげな顔に戻っていた。
    「お待たせ、二人とも。さあ、巡回に行きましょ」
     その顔を見て、晴奈も良太もほっとした。
    (良かった、機嫌が戻ったようだ。
     まったく、普段怒らぬこの方にあんな態度を見せられると、ヒヤヒヤしてしまうな)



     巡回が始まる頃には、短い日差しで若干温くなった空気も、もう既に冷えかかっていた。夕べよりも空気が乾燥し、より寒さが増している。
    「はぁ、寒い」
     良太が鼻まで巻いた襟巻き越しに、白い息を吹く。
    「これも修行みたいなもんだ。我慢しろ」
     そう言う晴奈も良太同様、口と鼻を隠すように襟巻きをしている。
    「姉さんも寒いんじゃないですか?」
    「何を根拠に」
    「ほら、動物の猫だって寒いの、苦手じゃないですか。猫獣人なら、やっぱり」
    「馬鹿なことを。私は猫獣人であって猫ではない。お前だって『裸の耳なんて豚みたいですね』などと言われたら、いい気はしないだろう?」
    「そりゃまあ」
    「大体剣士ともあろうものが少々の暑さ寒さでガタガタと文句を言うな。心頭滅却すれば火もまた涼しと言うだろう」
    「そんなこと言っても、姉さんの耳、プルプルしてますよ」
     晴奈は掌でぺた、と猫耳を覆う。
    「うるさい。……ほら、巡回に集中しろ」
     会話をずっと聞いていた柊は、たまらず笑い出した。
    「……ふ、ふふ、あははっ。本当に二人とも、姉弟みたいね」
    「また、そんなこと……。勘弁してくださいよ、師匠」
     晴奈もつられて笑う。ところが、柊はひとしきり笑った後、唐突に黙り込んでしまった。
    「……姉弟ねぇ。いたのかしら、わたしに」
    「え?」
     柊が何のことを言っているのか分からず、晴奈が聞き返そうとしたその時だった。
    「……晴奈、良太! 何か、感じない?」
     柊の顔が、険しくなった。

     柊に言われて、良太は初めてその気配に気付いた。
     空気が、異様に冷え切っているのだ。既に日は暮れているとは言え、落ちてからたったの数十分で、ここまで気温は下がらない。
     それに何より、獣の臭いが漂ってきている。
    「これ……は」
    「間違い無い、奴だ。良太、下がっていろ」
    「やっぱりまだ、この辺りにいたのね」
     晴奈も柊も静かに刀を抜き、良太を挟むように身構える。くおおん、と言う甲高い叫び声が、辺りにこだまする。
    「う、わ……! 耳が、痛い!」
     良太は叫びに嫌悪感を覚え、耳をふさぐ。晴奈と柊は、身構えたまま動かない。
    「ど、どこから?」
     良太はきょろきょろと、辺りを見回す。だが、昨夜の大狐の姿は、どこにも見当たらない。
     再び、くあああ、と言う叫び声が響き渡る。
    「ひ、い……」
     良太の頭が、締め付けられるように痛む。
    (よ、良く平気でいられるな、二人とも)
     耳を押さえながら、良太は周りの二人に感心していた。
     だがよく見てみると、二人とも脚がガクガクと痙攣している。後ろを向いたままの頭が、異様に震えている。そして、耳からはするる、と血が――。
    「え……!?」
     晴奈と柊は刀を握りしめたまま、二人同時に膝を着いてしまった。
    「『ショックビート』……、これ、で……、うご、け……、ない」
     真正面からのそのそと、大狐が歩いてきた。
    「き、みは、とっさに……、みみを、ふさいだか。にど……、も、かけた……、のに。できれば……、てあら、な、こと……、は、したく、な、かった、……のだ、が」
     狐はパクパクと、口を動かしている。それに合わせて、狐の方向から人間のような声が聞こえてくる。紛れも無く、この大狐がしゃべっているのだ。
    「ひ……」
     良太は慌てて刀を構えるが、恐怖で脚が震え、動けない。
    「うごか……、ないで、くれ。あまり……、さわ、ぎ、に……、した、く、ない」
    「た、助けて……」
     良太は怯えつつも、刀を正眼に構えて牽制しようとする。ところが、ここで大狐が妙なことを言い始めた。
    「たす、けてほしい、のは、こ、……っちの、ほう」

    蒼天剣・逢妖録 6

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第41話。きょうだい。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 散歩から戻ってきた柊は、すっかりいつも通りの優しげな顔に戻っていた。「お待たせ、二人とも。さあ、巡回に行きましょ」 その顔を見て、晴奈も良太もほっとした。(良かった、機嫌が戻ったようだ。 まったく、普段怒らぬこの方にあんな態度を見せられると、ヒヤヒヤしてしまうな) 巡回が始まる頃には、短い日差しで若干温くなった空気も、もう...

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    晴奈の話、第42話。
    妖狐との再戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
    「……え?」
     思いもよらない大狐の言葉に、良太はぽかんとする。
    「た、助けてほしい? って?」
     良太の問いに答える代わりに、大狐は自分の名を名乗った。
    「しょ、……うせい、あま、……あ、ら……、い、ち……と、もう……、す」
    「あまあら、いち?」
    「ああ、はら……、ちい」
    「ああはら、ちい? ……あまはら、いちい? アマハラ・イチイさん、ですか?」
     大狐――イチイは大儀そうに、あごを下ろす。どうやら、うなずいているようだ。
    「いか、に……も。しょう、せい、あに……えに、たばか、られ、……のよう、な、すがたに」
    「え、え……?」
     イチイの声には半ば獣の吠える声が混じり、正確には聞き取れない。だが、何となくは分かってきた。
    「てん、……えん、をぬけ、だし、ここ、ま、で……、にげて、きた、のだが。この、ような、すが、……たになって、は、だれ、……も、まとも、に……、せっして、くれな、……い」
     良太は混乱しつつも、イチイの話を整理する。
    (アマハライチイさん、って言う、……人で。あにえ、って人にだまされて、こんな姿になって、てんえん……、天玄かな? を抜け出して、ここまで逃げてきた? でも、この姿じゃまともに取り合ってくれる人なんかいないから、……それが、妖怪の正体?)
    「あ、あの、イチイさん」
    「なん、だ」
     良太は恐る恐る、イチイに近付く。
    「あの、街の人を襲ったって、聞いたんですが」
    「そ、れは、……おそって、きた、から。……い、いや、しょうせい、もわる、……い、のだ。と、きおり、……じ、じせいが、きか……、なく、な、なる。
     あ、たま、が……、け、け……けも、の、に……」
     イチイのしゃべり方が、次第におかしくなってくる。獣の咆哮が混じり、非常に苦しそうにうめきだした。
    「う、うぐ、……はなれ、ろ、しょう、ねん。しょ、しょう、せい、もう、じせいが……、が、がっ、ガアッ、グアアア!」
     突如、イチイは吠え出した。どうやら、時折自制が利かなくなるらしい。
     良太は慌てて、倒れたままの晴奈たちを起こそうとした。
    「先生! 姉さん! 襲ってきます! 早く……」
     晴奈の襟巻きを引っ張ろうと、手をかけたその時。
    「……何だって? 少し黙ってくれ、良太」
     うるさそうな声を出しながら、晴奈が顔を上げた。
    「姉さん! 大丈夫ですか!?」
    「うるさい。耳が痛い。……ゴボゴボ言ってるんだ」
     晴奈は良太の手をつかんで、どうにか立ち上がる。
    「あ、あの、大丈夫ですか、姉さん?」
     良太が声をかけるが、晴奈は応じず、ただ良太の顔をじっと見ている。
     と、彼女は唐突に顔を傾け、耳をぺちぺちと叩く。すると真っ赤な血がボタボタと、もう片方の耳から垂れてきた。
    「ひゃっ!?」
    「あの叫び声で、鼓膜がおかしくなったようだ。お前が何を言っているか、全然分からぬ」
     今度は反対側に首を傾ける。同じように耳にたまった血を抜き、ようやく地面に落ちていた刀を手に取る。
    「うー、吐きそうだ。何故、こんなに地面が揺れているのだ」
     その言葉と、ユラユラと体を揺らす仕草から、良太は昔読んだ医学の本に、似たような症状が書かれていたことを思い出した。
    (あの術、多分音で耳を潰すんだ。いや、耳だけじゃなく、耳の奥――脳まで揺さぶってるんだろう。多分姉さん、平衡感覚がおかしくなってる。
     そんな状態で、戦えるのか……!?)

     良太の心配は当たっていた。
     晴奈は刀を構えてはみたものの、その途端に、体が右に傾いていく。
    「お、っと」「……!」
     とっさに良太が晴奈の肩をつかんでくる。放してもらおうと良太の方に顔を向けるが、焦点が定まらず、良太の顔がブレて見える。
    「……!」
    「何だって? ……いいや。何か心配はしてくれてそうな顔だ。
     問題無い、大丈夫だ良太。いいから手、放せ」
     晴奈は身をよじって良太の手をはがし、もう一度構え直す。
    「はー、あー、すー、はー、すー、はー」
     晴奈は深呼吸をして、何とか平衡感覚を戻そうとするが、地面は一向に傾いたままだ。
    (参ったな、急坂だ)
     右脚にこれでもかと力を入れ、無理矢理に踏ん張る。
     この間、イチイは何とか頑張ってくれていたようだが、どうやら限界に達したらしく、晴奈に向かって口を大きく拡げ、牙を向いてきた。

    蒼天剣・逢妖録 7

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第42話。妖狐との再戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7.「……え?」 思いもよらない大狐の言葉に、良太はぽかんとする。「た、助けてほしい? って?」 良太の問いに答える代わりに、大狐は自分の名を名乗った。「しょ、……うせい、あま、……あ、ら……、い、ち……と、もう……、す」「あまあら、いち?」「ああ、はら……、ちい」「ああはら、ちい? ……あまはら、いちい? アマハラ・イチイさん、ですか?」 ...

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    晴奈の話、第43話。
    見えない敵の片鱗。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    「来い、白狐」
     体を傾けたまま、晴奈が刀の先を向けて挑発する。その挑発にイチイが乗り、叫びながら飛び込んできた。
    「『火射』ッ!」
     晴奈の刀から炎が走る。凍てつく空気を切り裂き、燃える剣閃がイチイへと飛んで行く。
     しかし、どうやら完全な獣になっても魔術は使えるらしく、イチイのすぐ手前に透明な壁が現れ、そこで炎が阻まれ四散した。
    「あ、姉さん、あの」
     良太はイチイが殺されないよう晴奈に声をかけるが、まだ鼓膜の治らない晴奈が応えるはずも無い。
    「おおおおッ! 『火閃』!」
     晴奈はイチイの目の前へ飛び込み、「壁」に向かって炎の乗った刀を振り下ろす。
    「グアッ!?」
     振り下ろした瞬間、炎は火花に形を変え、バチバチと音を立てて飛び散る。炎が散ると同時に、「壁」に幾筋もの亀裂が入り、消滅した。
    「はー、はー、はーっ、はーっ、ぜぇ、はああ……」
     だが、その一撃で晴奈は力尽きたらしい。ぜぇぜぇと荒い息をしていたが、やがて膝から崩れ、その場にうずくまってしまった。
    「くそ、ここまで、か……ッ」
     晴奈の手から、刀が落ちる。晴奈自身もその場に倒れ、動かなくなった。
    「あ、姉さん!」
    「落ち着いて、良太」
     と、いつの間にか柊も回復したらしく、良太の後ろに立っていた。
    「相討ちよ」
    「え?」
     おたおたしながらも、良太は晴奈とイチイの様子を伺う。
     依然として、晴奈は伸びたままだったが、一方のイチイも晴奈の一撃で額を割られており、仰向けに倒れていた。



    「姉さん、聞こえますか?」
    「ああ、聞こえている」
     柊の治療術で、晴奈の聴力はどうにか元に戻った。だが脳への衝撃はすぐに治るものでは無く、近くの小屋まで運んでもらい、横になっていた。
    「んで、その狐、何て名前だったって?」
     イチイも倒れている間に鎖と荒縄で縛り、今は檻に入れられている。その間に謙たちを呼び、イチイが目を覚まし次第、彼から事の次第を説明してもらおうと、良太が提案したのだ。
    「えっと、アマハライチイさんです」
     良太から名前を聞き、謙の顔が険しくなる。
    「アマハラ……、天原、か?」
    「多分、そうかも……」
     良太の顔も、ひどく不安そうだ。周りの自警団員たちも、神妙な顔を並べている。
    「天原って、まさか、あの天原か?」
    「まさか。名士だぞ、天原家は」
    「いや、しかし。うわさに聞けば、今の当主の桂氏は……」
    「言うなって。どこに奴の間者がいるやら分からん」
     と、晴奈は小声で良太に尋ねる。
    「良太、天原って何だ?」
     対する良太も、小声で説明する。
    「えっと、玄州を治めてる『狐』の方で、州都の天玄に住まわれてるんです。
     何でも今の当主は、何て言うか、そのー、……変わり者だとか」
    「ふむ」
     と、その時。檻の方からガタ、と音が聞こえた。
    「ガッ、グアッ、ギャッ」
     イチイが檻を揺らし、しきりに吠えている。どうやら、今は獣の状態らしい。
    「イチイさん? あの、イチイさーん」
     良太が檻に近寄り、イチイに声をかけてみる。
    「ギャウッ、グウウ」
     だが、一向に人間の言葉をしゃべる気配が無い。団員たちは、揃って疑い深い表情を並べ、その様子を伺っている。
    「本当に、あれが人の言葉を……?」
    「どう聞いても、獣が吠えているとしか」
    「ガセじゃないのか?」
     一向に反応してもらえず、良太も段々と困った様子になる。
    「イチイさんー、あの、起きてくださいよー」
    「ギャッ、ギ……、ぎ、ぎ、き、つい」
     と、ようやく反応が返って来た。
    「しょう、ねん。なわを、といて……、もらえ、ないか?」
     団員たちがそれを聞き、ざわめき出す。
    「……今の聞いたか?」
    「あ、ああ。人の、言葉だ」
    「まさか、本当に?」
     良太は檻を開け、縄と鎖を解いてやった。イチイは一度深呼吸をして、周りにいる者たちを一瞥した。
    「あ、あ。ありが、とう、しょうねん。……だんだん、頭が、はっきりして、きた。
     ここは、どこだ? えーと、その」
    「あ、良太と言います。桐村良太。えっと、ここは天玄から南にある、英岡と言う街です」
    「そうか、ありがとう良太君。
     ……改めて、名乗らせていただこう。小生の名は、天原櫟。天玄の……」
     イチイが名乗ろうとした、その瞬間。
     小屋全体がグラリと揺れた。

    「な……」
     声を出す暇も無く、目の前が「斬られた」。
     まずは小屋の壁が、線を一本引いたかのように、ざっくりと割られる。
     続いて鋼鉄製の檻が、粘土のようにぐしゃりと引き千切られた。
     そして最後に、檻の中のモノ。
    「あ……」
     良太の前半身が、真っ赤に染まった。
     しかし良太には、ケガは無い。どこからも出血などしていない。
    「い……」
     晴奈も、柊も、そして謙たち団員も。
     何が起こったのか分からず、そして動けなかった。
    「イチイさん!? い、イチイさあああん!?」
     良太は力の限り叫んだが、それに答える声は無かった。



    「作戦終了しました」
    《ご苦労でした。まったく、あっちこっち逃げるから面倒だったでしょう?》
     小屋から離れた小さな丘に、顔を布で覆った、黒ずくめの女が立っていた。
    「いえ、それほどでも。……それと、もう一つご報告が」
    《何でしょう?》
    「従姉妹殿を見つけましたが、どう致しましょう?」
    《従姉妹? 僕の? 誰?》
    「棗様です」
    《ああ、そんなのいましたね。でも、まあ、今さら来られても相続問題とか、色々面倒です。とりあえず、放っておいてください》
    「分かりました。それでは帰投します」
     黒装束の女は、夕闇に溶けるように姿を消した。

    蒼天剣・逢妖録 8

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第43話。見えない敵の片鱗。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8.「来い、白狐」 体を傾けたまま、晴奈が刀の先を向けて挑発する。その挑発にイチイが乗り、叫びながら飛び込んできた。「『火射』ッ!」 晴奈の刀から炎が走る。凍てつく空気を切り裂き、燃える剣閃がイチイへと飛んで行く。 しかし、どうやら完全な獣になっても魔術は使えるらしく、イチイのすぐ手前に透明な壁が現れ、そこで炎が阻まれ四散...

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    晴奈の話、第44話。
    三人旅の終わり。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     確かめるまでもなく、イチイは死んでいた。
     この惨状――何者かによる、凄絶な「死刑執行」に恐れをなした自警団員たちは、緘口令を敷いた。妖怪が出たこと自体は隠さなかったものの、この地で捕まえたこと、殺されたこと、そしてその正体について、一切口を閉ざすことにしたのである。
     この結末に、晴奈も良太も不満を感じてはいたが、どこからともなく攻撃を仕掛け、家屋をぶつ切りにするような者が相手では、手も足も出ない。いずれ何かの機に恵まれるよう、同様に口をつぐむしかなかった。
     そしてイチイの死体は、秘密裏に埋葬された。

     そのイチイの墓の前で、良太が泣いていた。
    「イチイさん……」
     ぐすぐすと鼻声で、ずっと彼を偲んでいた。
     と、そこへ誰かがやってくる。
    「あ……棗さん」
     棗は良太と同じように墓の前に座り、手を合わせた。
     そこで顔を上げ、不思議そうに尋ねてきた。
    「あの、何故泣いていらっしゃるのですか?」
    「え?」
     棗は手拭を差し出しながら、悲しそうな顔で尋ねる。
    「この櫟と言う方はあなたにとって、縁もゆかりもない人ですよ。それなのに、何故?」
    「イチイさんは、僕を襲いませんでした。それに、鎖を解いた時、ありがとうと言ってくれましたし、名前も、覚えてもらって……」
     良太は手拭を受け取り、涙と鼻水を拭く。その様子を見ていた棗は、悲しげな顔のまま、クスッと笑う。
    「……お優しい方ですね。うちの人も優しいけれど、あなたの優しさは一層、骨身に染み入るよう」
     棗は墓に手を添え、涙を流した。
    「この方の言葉が正しければ、この人はわたくしの従兄弟でした」
    「え……」
    「この方もお優しい方で、幼い頃から良くしていただきました。頭も良く、きっと次の天原家当主はこの方になるだろうと、囁かれていました。
     ですが実際に当主となったのは、桂小父様。しかも、何故か当主になる前後、わたくしたち一族の血を引く者は皆、不審な死を遂げております。
     ですからわたくしは天玄を出たのですけれど、櫟おじ様は、桂おじ様から逃げることができなかったのでしょうね。何故このようなお姿になったのかは、恐ろしくて想像もできませんが」
     棗は立ち上がり、その場を後にしようとした。それを見て、良太は思わず声をかける。
    「あ、あの、棗さん」
    「はい?」
    「……その、何と言えばいいか」
     棗は振り返り、ふるふると首を振って、優しく返した。
    「いいえ、お気になさらないで。櫟おじ様もこれでようやく楽になれたのですし、わたくしももう、天原棗ではございません。呪われた血筋とは、無関係です」
     そしてまた、踵を返す。良太に背中を向けたまま、棗はこう言い残し、去って行った。
    「そっと、しておいてくださいませ」



     たった二日、三日の滞在だったが、晴奈たちにとっては忘れられぬ旅になった。
    「何だか、どっと疲れてしまいました」
    「そりゃ、昼夜逆転してた上に鼓膜破れて頭痛めて、ってなれば疲れもするわよ」
    「そうですよね、はは……」
     帰路に着いたところで、晴奈は良太が元気の無さ気な顔をしているのに気付く。
    「良太、どうした?」
    「……いえ、何でも」
    「無いわけないじゃない。顔、青いわよ」
     柊がぺた、と良太の額に手を当てる。
    「……あら、今度は赤くなった。風邪?」
    「い、いえ、それは、先生が」
    「あら。わたしが、……どうしたの?」
     柊はいじわるっぽく笑っている。
     傍目に見ればこれも弟をからかう姉、と見えなくも無いのだが、この時晴奈は、柊のわずかな不自然さを見抜いていた。
    (うん? 師匠も、何だか顔に赤みが差している。旅の疲れで熱、出たんじゃないだろうか)
     と、眺めているうちにいつの間にか、晴奈が二人を追い越し、前に出る。
    「あ、晴奈。置いてかないでよー」
     それに気付いた柊が、またもイタズラっぽい声を出す。
    「おっと、失礼しました。……とは言え、皆疲れていることですし、早目に帰りましょう。双月節も間近ですし」
    「あら、そう言えばそうだったわ。早くしないと年が明けちゃうわね。
     よーし、急いで帰りましょ、晴奈、良太!」
    「はいっ」
     駆け足になる柊に応え、晴奈と良太も走り出した。

    蒼天剣・逢妖録 終

    蒼天剣・逢妖録 9

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第44話。三人旅の終わり。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9. 確かめるまでもなく、イチイは死んでいた。 この惨状――何者かによる、凄絶な「死刑執行」に恐れをなした自警団員たちは、緘口令を敷いた。妖怪が出たこと自体は隠さなかったものの、この地で捕まえたこと、殺されたこと、そしてその正体について、一切口を閉ざすことにしたのである。 この結末に、晴奈も良太も不満を感じてはいたが、どこから...

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    晴奈の話、第45話。
    夢のお告げ?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ある日、晴奈は気がかりな夢を見た。

     その夢の中で、晴奈は15歳に戻っていた。場所は嵐月堂、かつて黒炎教団と戦ったあの場所である。
    「……? 教団員たちは、どこに?」
     夢の中だからか、記憶は混乱している。
     周りに尋ねようとしたその時、晴奈の目の前を、とても懐かしく、長い間気にかけていた者が横切った。
    「め……」
     声を出そうとした瞬間、景色は一変した。
     晴奈はさらに若返り、13歳になった。場所は黄屋敷、晴奈の実家である。
    「待って、明奈!」
     晴奈は廊下を走り、妹、明奈の後を追った。

     追いかければ追いかけるほど、場所も時間も、晴奈の姿もころころ変わる。
     8歳、故郷の港で。
     18歳、師匠との旅の途上、森に挟まれた街道で。
     14歳、父に己の実力を見せつけた修練場で。
     16歳、青江の街中で。
     19歳、伏鬼心克堂で。
     数え切れないほど多くの場所をさまよい、晴奈は追い続けた。

     何時間経ったのか。
     ようやく、晴奈は追いついた。今、自分が何歳なのか良く、分からない。場所もどこなのか、さっぱり見当がつかない。
    「明奈っ」
     明奈のすぐ後ろまで迫った晴奈は、飛び込んで妹を抱きしめる。妹は動きを止め、そのまま何も言わず、じっとしている。
    「……良かった。ああ、良かった。本当に、……戻って来てくれて」
     そこで、目が覚めた。

     その気がかりな夢に一体何の意味があるのかと、晴奈は目を覚ましてからずっと考えていた。
     朝稽古の時も、朝食の時も、門下生たちに稽古をつける時も、頭の中にはそのことしか浮かんでこない。
    (あの、夢は……。何かの、兆しなのだろうか。これから何か起こることの、現れであろうか)
     そんなことをぐるぐると頭の中で思案し、やがてこんな結論に至った。
    (焔流の門を潜り、早7年。
     免許皆伝も得たし、人を指導するようにもなった。私は十分、力がついたはずだ。あの夢は、私に力が付いたことを、具体化したものなのかも知れぬ。
     それはつまり、私が、いよいよ明奈を救い出せると言う機が――来た、か)

     思うが早いか、晴奈は紅蓮塞を飛び出し、北西へと進んでいた。
     その道の先には、屏風山脈――すなわち、黒炎教団の本拠地、黒鳥宮がある。
    (待ってろ、明奈! 今、助け出してやるからな!)
     晴奈は足早に、街道を突き進んでいく。師匠と何度か旅を経験したおかげで、一人きりでも大まかな道筋は分かる。
    「待ってろよ、明奈」
     晴奈は自分の足の、あまりにも軽快な進み具合に、これも夢では無いかと怪しんだほどだった。



     やがて4日も進んだ頃、晴奈は屏風山脈のふもと、黒荘と言う街にたどり着いた。
     教団が近くにあり、また、街の名前に「黒」とある通り、ここは教団の教区、つまり縄張り内である。
     そのため、一見しただけでも焔流の剣士であると分かる晴奈が来た途端、住人たちは揃っていぶかしげな視線を向けてきた。
    (フン……! こちらは焔流、免許皆伝の身だ! 来るなら来い、黒炎め!)
     口や行動には出さないまでも、晴奈のその態度からは、教団への敵対心がありありと浮かんでいる。
     当然、道を歩けば歩くほど、遠巻きに眺める者たちが続々と増えていく。
    (さあ、いつ来る? どう来る?)
     晴奈の心と態度はどんどん、挑発的になってくる。
     やがて、晴奈の前に一人、男が現れた。
     だがその姿はどう見ても、教団員には見えない。ボロボロの外套と三角形の帽子は、まるで央北か央中のおとぎ話に出てくる、魔法使いのようだった。
    「一つ聞いても、いいね?」
     そのエルフは、眉をひそめながら声をかけてくる。
    「何だ?」
    「君、誰にケンカ売ってるね?」
     晴奈はその言葉を聞いた瞬間、自制を止めた。
    「いいだろう。私はこ……」「バカ」
     名乗りを上げようとした瞬間、目の前が暗転した。

    「……う?」
     気が付くと、晴奈はどこかの、小屋の中で横になっていた。
    「目、覚めたね?」
     横には先程のエルフが座っており、呆れた目を晴奈に向けている。
    「何故、私はここに?」
    「私が運んだね。……どーやら焔の人っぽいけど、何であんなコトしようとしたね?」
    「む?」
    「教団員だらけのあの村で、いきなり『私は焔の剣士だ』なんて、自殺行為もいいとこだね」
     エルフは30代くらいの見た目に似合わない、少年のような高い声と妙な言葉遣いで、晴奈を責める。
    「自殺行為なものか! 私は焔流、免許皆伝の……」「はいはい」
     エルフは晴奈の言葉をさえぎり、彼女の額をペチ、と叩いた。
    「自慢はいいから。私は理由を聞いてるね。なんで焔流の剣士サマがわざわざこんなトコまでやって来て、あんな挑発めいたコトしてたのか、ってのをね」
    「……聞きたいと言うのなら、いくらでも聞かせてやる」
     エルフに促され、晴奈は街に来た理由を説明した。
    「ふーん。妹を救いにねぇ」
     話を聞き終えたエルフは腕を組んだまま斜に構え、黙り込む。晴奈はイライラしつつ立ち上がり、その場を離れようとした。
    「先を急ぐので、これで失礼させてもら……」「話は終わってないよ、おバカ」
     いきなり罵倒され、晴奈は面食らう。
    「なっ!? 誰が馬鹿だと!?」
    「一回ちゃんとボコられなきゃ分かんないみたいだし、その高くなった鼻、ポッキリ折ってあげようかね?」
     エルフは晴奈を頭から、馬鹿にしている。自尊心の高い晴奈は、エルフの態度に怒りをあらわにした。
    「……望むところだ。返り討ちにしてくれる」

    蒼天剣・遭賢録 1

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第45話。夢のお告げ?- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. ある日、晴奈は気がかりな夢を見た。 その夢の中で、晴奈は15歳に戻っていた。場所は嵐月堂、かつて黒炎教団と戦ったあの場所である。「……? 教団員たちは、どこに?」 夢の中だからか、記憶は混乱している。 周りに尋ねようとしたその時、晴奈の目の前を、とても懐かしく、長い間気にかけていた者が横切った。「め……」 声を出そうとした瞬間...

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    晴奈の話、第46話。
    賢者との遭遇。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     小屋の外に出た晴奈は辺りを見回してみる。どうやら黒荘の外れらしく、少し離れたところに人家が見える。
    「ホラ、突っ立ってないでさっさとそっちに行くね」
     すぐ後ろにエルフが立ち、背中をバシッと叩いてくる。
    「……」
     偉そうに振舞うエルフに、晴奈の怒りはさらに膨れる。
     開けた場所に出たところで、エルフはどこからか杖を取り出し、気だるそうに身構える。
    「はい、んじゃ、まー。ちゃっちゃと、やろうかね」
     そのやる気の無い構え方に、晴奈の怒りは頂点に達した。
    (何が『高くなった鼻をポッキリ』だ!? お前自身が増長すること、はなはだしいではないか!
     その油断、高く付くぞ!)
     晴奈は駆け出し、エルフに初太刀を入れようとした。
    「わ、バカだねー」
     それを眺めていたエルフはまた晴奈をあざ笑い、ゆらりと杖を振った。

     その瞬間――。
    「……!?」
     地面が引っくり返り、景色が勢い良く滑る。
     いや、晴奈がさかさまになりながら、吹っ飛んだのだ。
    「敵を知り、己を知れば百戦負け無し。だのに今の君、私のコトをどれだけ知ってるって言うね?」
     エルフの声がやけに遠く、尾を引くように聞こえる。
    「な、何をした!?」
     エルフのはるか後方まで飛ばされた晴奈は、混乱しつつも空中で体勢を立て直し、どうにか無傷で着地する。
    「んでもって、キミは」
     刀を構え直し、エルフの位置を確認しようとしたが、どこにも姿が無い。
    「ど、どこだ!?」
    「どれだけ自分がバカでマヌケで向こう見ずで身の程知らず、ってコトを知ってるね?」
     振り向いてもやはり、エルフを見付けられない。
    「……!」
     晴奈の右肩に電流めいた痛みが走る。
     その痛みが魔術か、それとも杖を振り下ろされたものなのか良く分からないまま、晴奈の脚から力が抜けていく。
    「ぎ……ッ」
     急速に遠のいていく意識の端で、エルフがまた自分をあざける笑い声が聞こえた。

    「……う、っ」
     気が付くと、また小屋の中だった。先程と同じように、エルフが傍らに座っている。
    「目、醒めたね?」
     晴奈は自分に何が起こったのか、懸命に整理し――負けたことを、理解した。



    「ま、それじゃ。一個いっこ考えていこうかね」
     エルフは小屋のものを勝手にいじって、茶を沸かしている。
    「何で君は、私に勝てると思ったね?」
    「それは、その。私は、焔流の免許皆伝であるし」
    「うんうん、それはさっき聞いた。で、免許皆伝だから、何で勝てるって?」
    「え? いや、だから、……その」
     そう問われ、晴奈の思考は止まる。
    「それは君の剣術が一端のモノになったって言う証明であって、誰にでも勝てるって証明では無いよね?」
    「それは……」
     答えに窮する晴奈に構わず、エルフは指摘を続ける。
    「もしそんな風に思ってるなら、それは君の先人全員に対する侮辱だね」
    「なに?」
    「だってね、君がもし、浅はかにもさっきの街中で名乗りを上げてたら、きっと街の人はみんな、君を殺しに来るね。
     ソコで君が負けてさ、『焔流、敵にあらず!』なんて言われちゃったら、焔流のみんなはどんな気持ちになるだろうね?」
    「……!」
     エルフの言った光景を想像し、晴奈はひやりと冷たいものを感じた。
    「免許皆伝は無敵の証明じゃないね。その流派の教えを修め切った、その流派の代表になったって証明だ。
     ソレを履き違えて、『自分はとっても強いんだ』なんて公言したりなんかしたら、とんでもない大恥をかかせることになる。君だけじゃなく、君の属する剣術一派全体にもね」
    「……」
     エルフの説教を、晴奈は頭も猫耳も垂れ、ただ聞くしか無かった。
     そこで茶が沸き、エルフは茶を晴奈に差し出しつつ、説教を締めくくった。
    「敵のコトはおろか、自分のコトすら知らない、分かってない。
     そんなおバカが勝てる道理なんて無いね」

     晴奈は自分の慢心と大言壮語を反省するついでに、自分が見た夢の話をした。
    「私は、妹をつかむ夢を見たのです」
    「ふーん。だから現実でも妹を救えるかも、って?」
    「はい……」
    「ふーん、ソレはソレは、結構な思い付きだね」
     エルフは晴奈の話を、鼻で笑う。
    「きっかけを何かに求めるのは自由だけどね。
     思い立ったら即行動、じゃなくてさ、立ち止まってじっくり考えた方がいいね。『今が本当にその機なのか? 本当は自分の思い込みじゃ無いのか?』ってね」
    「……」
     うつむく晴奈を見て、エルフはふー、とため息をつく。
    「まあ、そう落ち込むなってね。もしかしたら、本当に吉兆かも知れない。無闇に期待するのはおろかだけど、さらりと流すのも味気ないしね。
     そんなもん、『何かいいコトあるかもー』くらいで考えた方がいいね。頼ったり過信したりってのはダメだけどね」
     いいとも、悪いとも言い切れない結論に、晴奈は少し困惑した。
    「そんなもの、ですかね」
    「そんなもんだね。
     さて、そろそろ私は行くね。精進しな」
     エルフは茶を飲み終えるなり、そそくさと小屋を後にした。
     晴奈は小屋に残り、魂を抜かれたような心持ちで、ぼんやりと茶をすする。
    「……あ」
     しばらく経って、晴奈はエルフの名前を聞いていなかったことに気が付いた。

    蒼天剣・遭賢録 2

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第46話。賢者との遭遇。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 小屋の外に出た晴奈は辺りを見回してみる。どうやら黒荘の外れらしく、少し離れたところに人家が見える。「ホラ、突っ立ってないでさっさとそっちに行くね」 すぐ後ろにエルフが立ち、背中をバシッと叩いてくる。「……」 偉そうに振舞うエルフに、晴奈の怒りはさらに膨れる。 開けた場所に出たところで、エルフはどこからか杖を取り出し、気だる...

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    晴奈の話、第47話。
    賢者の名前と、何かのフラグ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     8日ぶりに戻ってきた晴奈を見て、柊は安堵のため息を漏らした。
    「良かった……! 晴奈、無事に戻ってきたのね」
    「はい。ご心配を、おかけいたしました」
     晴奈は深々と、頭を下げた。その様子を見て、柊は不思議そうな顔をする。
    「ん? 晴奈、何かあった?」
    「……いえ。特に、何も」

     紅蓮塞に戻ってからすぐ、晴奈は精神修養を積むことにした。刀を振るうこともせず、黙々と座禅を組む晴奈の姿に、柊は不安そうな顔を重蔵に見せていた。
    「大丈夫でしょうか、晴奈は」
    「んー、まあ」
     重蔵はぷい、と晴奈から顔を背け、腕を後ろに組んでこう言った。
    「ここしばらく浮ついておった心が、程よく落ち着いたのは確かじゃ。悪いことでは無い。放っておいても、問題は無いじゃろ」
     重蔵の言葉に、柊も「そうですね……」とうなずく。
    「ま、無事に帰ってきて何よりじゃ」



     戻ってからさらに一週間ほど経ち、晴奈はすっかり元の通り、稽古に姿を見せていた。
    (あのエルフの言う通り、私は確かに愚かだったかも知れぬ。気ばかり焦って、とんでもない失態を犯すところだった。
     今一度、修行のやり直しだ)
     そんな風に考え、黙々と木刀を振るっていたところに――。
    「知ってるか? 『旅の賢者』の話」
    「何だそりゃ」
     門下生たちの話し声が聞こえてきた。
     あまり長くなるようであれば諌めようかと考えていたのだが、その内容を聞くうち、晴奈は目を丸くした。
    「何でも、旅人の前に現れて、色々ためになることを教えてくれるって言う、変な奴らしいんだけどな」
    「胡散臭ぇー」
    「まあ、聞けって。で、友達から聞いたんだけど、こないだ黒荘に現れたんだってさ」
    「へー」
    (こ、黒荘?)
     叱るのも忘れ、晴奈は話に耳を傾ける。
    「何でも、ウチの人間ともめたんだって」
    「ホントかよー」
    「見た奴がいるとか、いないとか」
    「いなきゃうわさにならねーよ」
    「そりゃそうだ、ははは……」
    (……汗顔の至りだ)
     修行によるものとは別の、ひやりとした汗が額に浮き出てくる。
     たまらず、晴奈は彼らに声をかけた。
    「もし、お主ら」
    「あ、先生」
     門下生たちはしまったと言う顔をしたが、晴奈は諌めず、二人に尋ねた。
    「その『旅の賢者』とやらの話、詳しく聞かせてくれないか?
     いや、単に興味があるだけなのだが。別に気になるとかでは、無いのだが」
    「はあ? えー、まあ、話せと仰るなら」
     門下生もうわさに聞いた程度であるらしく、説明はたどたどしいものだった。
    「まー、何て言うか、めちゃくちゃ長生きな奴だそうで、あの『黒い悪魔』と同じくらいか、下手するとそれ以上生きてるとか、何とか。
     世界中を旅してて、そいつに出会った歴史上の有名人は、何人もいるらしいですよ。まあ、俺も良く知らないんですが。
     で、確か名前が、……何だっけなぁ? 外国っぽい名前で、えーと、確かー」
     門下生はしばらく記憶を探った後、手を叩いて叫んだ。
    「そうそう! モール、でした。『旅の賢者』モール。それが、そいつの呼び名ですよ」
    「ふむ、モール、か。そうか……」
     晴奈はそれを聞くと、門下生たちの前から立ち去った。
    「……怒られると思ったんだけど。どうしたんだろう、黄先生?」
    「さあ?」
     残された門下生2人は、きょとんとした顔を見合わせていた。

    (そうか、モールと言うのか)
     モールの憎たらしく、ふてぶてしい態度と言葉を思い出し、晴奈はほんの少し、イラつきを覚える。
    (まったく、情けない。あんなヘラヘラとした奴に、いいようにやられてしまうとは!
     今一度、気を引き締めなければ)
     自分のふがいなさを改めようと、ぐっと拳を握ったところで――。
    「あれ、姉さん」
     目の前を良太が通りかかる。
    「お、良太。稽古はどうした?」
    「さっき終わりました。姉さんもですか?」
    「ああ。一風呂浴びてから飯でもと思っていたが、一緒に食べるか?」
    「ええ。……あの、姉さん」
     にこやかだった良太の顔に、困ったような顔色が浮かぶ。
    「ん?」
    「ちょっと、お話があるんですが……。良ければ書庫まで」
    「……?」
     良太の様子が気になり、晴奈は何も言わずに付いていく。
     書庫に着くなり、良太は中に誰もいないことを確かめ、扉を閉める。
    「どうした? 何か妙だぞ、良太」
    「ええ、まあ、その。あんまり、他の人に聞かれたくなくって」
     良太はもう一度、辺りを見回す。
    「えー……、その」
     良太の顔が赤くなってくる。それを見た晴奈は、思わず身構えてしまう。
    「何だ?」
     良太は一歩晴奈に近付き、彼女の耳元でぼそっとつぶやいた。
    「実は、あの……」

    蒼天剣・遭賢録 終

    蒼天剣・遭賢録 3

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第47話。賢者の名前と、何かのフラグ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 8日ぶりに戻ってきた晴奈を見て、柊は安堵のため息を漏らした。「良かった……! 晴奈、無事に戻ってきたのね」「はい。ご心配を、おかけいたしました」 晴奈は深々と、頭を下げた。その様子を見て、柊は不思議そうな顔をする。「ん? 晴奈、何かあった?」「……いえ。特に、何も」 紅蓮塞に戻ってからすぐ、晴奈は精神修養を積む...

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    晴奈の話、第48話。
    衝撃の告白。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     晴奈が黒荘から紅蓮塞に戻って、数週間が過ぎた時のこと。
     晴奈は書庫の中で、いきなり告白された。

    「好きなんです」
    「は?」
     晴奈はぽかんとしてしまう。目の前にいる、顔を真っ赤にした良太を見て、後ろを振り返り、もう一度前を向き、猫耳を掌でポンポンと叩いて問い直す。
    「すまない、良太。もう一度、言ってくれないか?」
    「ですから、あの、好きなんです」
    「……良太」
     晴奈は脱力しそうになるのをこらえて、良太の肩に手を置く。
    「落ち着こう。うん、まあ、落ち着け」
    「えっと、あの」
     良太は手を振り、ゆっくりと説明する。
    「晴奈の姉さんが、好きってことじゃないです。いえ、好きなんですけど、そう言う意味じゃなくて」
    「だから、落ち着け」
    「えーと、えー、ともかく。姉(あね)さんのことは普通に好きです。あの、恋愛とかじゃなくて、本当の姉(ねえ)さんって感じで」
    「ああ、まあ。それなら、いいんだ」
     ほっとする晴奈を見て、良太も安心した顔をする。
    「ええ、まあ、それでですね。その、……が好きなんです」
     安堵のため息が、のどの途中で引っかかる。
    「……もう一度、言ってくれ」
    「先生が、その……」
     晴奈はもう一度、良太の肩に手を置いた。
    「先生って、……聞くが。それは、私の師匠のことか?」
    「……はい」
     良太が答えた瞬間、晴奈は良太を書庫の奥まで押し込んだ。
    「待て待て待て待て! 待て、良太!」
    「は、はい」
     晴奈は良太の肩に手をおいたまま、深呼吸をする。
    「もう一度、聞くぞ」
    「はい」
    「お前が、好きだと、言っているのは、誰だって?」
     良太は顔を真っ赤にしたまま、もう一度答えた。
    「あの、……柊先生です」
    「はぁー……」
     晴奈はそれ以上立っていられなくなり、良太の前にへたり込んだ。
    (こいつ、よりによって自分の師匠を好きになるか……!? 何を考えているんだ、まったく?)
    「あ、その、えーと」
    「うーむ、……そんなことを聞かされてもなぁ」
     晴奈は平静を装って立ち上がるが、内心、かなり動揺していた。良太は軽く咳払いをし、話を続けようとする。
    「こ、コホン。それで、ですね、あの」
    「何だ? 他に何を言う気だ?」
    「えーと、その、ちょっと、聞きたいんですが」
    「……何を?」
     良太はまた、顔を赤くして尋ねてくる。
    「先生の、好きなものって何でしょうか?」
    「はあ?」
     普段、自分が話すこととあまりにも違う部類の話題に、晴奈は頭を抱えてうなる。
    「むう……。好きって、師匠の、好きなものか。うーむ、そうだなぁ……」
     懸命に考えてはみるが、混乱した頭では答えが出てこない。
    「あの、例えば、食べ物とか」
     良太が具体的に質問してくれたので、何とか答えが浮かんでくる。
    「んー、そうだなぁ。キノコなどの山菜は、好んで食べていたな。後、肉料理はあまり、食べないとか。あ、でも鳥料理は好きだと言っていた」
    「ふむふむ」
     良太は懐紙を取り出し、晴奈の言ったことを書き連ねている。
    「じゃあ、えーと、趣味は、何でしょう?」
    「趣味、か。んー、小物を集めるのが好きだと聞いた」
    「じゃ、じゃあ、そのー。どう言う男性が好きか、って、分かります?」
    「はあ? んー……、そう言えば昔、聞いた覚えがあるな」
     晴奈は椅子に腰掛け、記憶を探る。
    「ああ、そうだ。確か強くて正直で、優しい者を好きになったことがある、と言っていた」
    「す、好きになった、人……、ですか」
     良太の顔が、一瞬にして曇る。晴奈は慌てて訂正する。
    「あ、いやいや、その人物は既に塞を離れている。今、師匠が想っている者は、多分、恐らく、いないと、思うぞ」
    「そ、そうですか!」
     また、良太の顔が明るくなる。そのまま良太は、ぺこりと頭を下げて書庫から出て行った。
    「ありがとうございました! また相談、乗ってくださいね!」
     残された晴奈は、良太の浮かれっぷりに、呆気に取られていた。
    「そんなこと聞かされても、……どうしろと」
     晴奈は頭を抱えながら、良太の話を反芻する。
    (実際、どうなのだろう?)
     晴奈は先程挙げた師匠の好みと、良太を比較してみた。
    (良太は確かに優しい子だ。隠しごとはしているが、正直者と言えば正直者だ。後は強さだが、……これは残念、と言うべきか。
     しかし良太と、師匠か……)
     恋愛経験の無い晴奈がいくら考えても、予想も予測も、一向に立たない。
    (……ピンと来ないにも、程がある。私自身が、色恋に興味無いからなぁ)



     結局、良太の告白をこの日以来、聞くことはなかった。
     だから晴奈も、しばらくするとこの一件はすっかり、忘れてしまっていた。

    蒼天剣・鞭撻録 1

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第48話。衝撃の告白。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 晴奈が黒荘から紅蓮塞に戻って、数週間が過ぎた時のこと。 晴奈は書庫の中で、いきなり告白された。「好きなんです」「は?」 晴奈はぽかんとしてしまう。目の前にいる、顔を真っ赤にした良太を見て、後ろを振り返り、もう一度前を向き、猫耳を掌でポンポンと叩いて問い直す。「すまない、良太。もう一度、言ってくれないか?」「ですから、あの、...

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    晴奈の話、第49話。
    晴奈、撃沈。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     双月暦513年の早春。
     晴奈は20歳、良太は17歳になっていた。
     入門したての頃はひ弱ですぐにばてていた良太だったが、柊師弟の指導のおかげで、今では年相応に筋肉もつき、他の門下生と見劣りしないまでに成長していた。

    「うん。強くなったな、良太」
     良太に稽古をつけていた晴奈は、一段落したところで良太をほめた。良太は嬉しそうにぺこりと頭を下げる。
    「はい、ありがとうございます」
    「これなら教団が攻めて来ても十分護りにつける、……かも知れないな」
     晴奈の言葉に、良太はきょとんとした顔をする。
    「教団が、攻めて来る?」
    「あ、そうか。良太はまだ、知らないか。
     よく考えてみれば、私が15の時に来襲されて以来、ずっと黒炎教団からの音沙汰は無いからなぁ。明奈も無事なんだかどうなんだか」
    「えっと……?」
     晴奈は良太に教団が数年に一度、紅蓮塞に攻め込んでくることを説明した。
    「へぇー。怪しい集団とは聞いていましたが、そんなことまでしてるんですか」
    「もしかしたら、そろそろ来るかも知れないな。以前襲ってきた時から、もう何年も経っているし」
    「へぇ……」
     そこで良太が黙り込んだ。
     会話が不自然に途切れたため、晴奈は良太の顔を見る。
    「良太?」
    「証明に、なりますかね?」
    「え?」
     唐突に、良太が質問してくる。
    「何の証明だ?」
    「えっと、もしも、僕がその防衛戦で活躍できたら、僕の強さの、証明になりますか?」
    「……?」
     唐突な言葉が続き、晴奈は首を傾げる。
    「良太。もっと、落ち着いて説明……」
     言いかけて、晴奈は既視感を覚えた。
    (……? 前にも、こんなことを良太に言ったな、そう言えば?)
    「あ、えっとですね」
     良太は深呼吸し、ゆっくりと説明した。
    「ほら、その、以前に、柊先生は強い男を好まれると、姉さんが言っていたじゃないですか。でも、僕はあまり、強くないですから。姉さんに稽古をつけてもらって、それなりに力はついたとは思うんですが、それを実証する機会が、なかなか無くって」
    「ああ……」
     晴奈はようやく、以前良太が柊のことを好きだと告白していたことを思い出した。
    「そうか、なるほど。もし教団が来て、追い返すことができれば、強いことの証明になる、と」
    「はい、そう思うんですが、どうでしょうか?」
     晴奈は深くため息をつき、良太の額を指でぺちっと弾いた。
    「あいたっ!?」
    「寝言は寝て言え、馬鹿者」
    「ダメ、ですかね?」
    「物事の履き違え、はなはだしいことこの上無い。強さとは、そんなものではない」
    「は、はあ……?」
     良太は一瞬きょとんとしつつ、腕を組んで晴奈の言葉をぶつぶつと繰り返す。
    「強さ……強い証明……」
     明らかに納得が行かなさそうな良太の顔を見て、晴奈は内心、こんなことを思っていた。
    (こう言う時にモール殿のような方がいてくれたなら、納得の行く説明をしてくれそうなのだが。私ではうまく言葉が浮かばん)
     晴奈は一人悩む良太を置いて、修行場を後にした。

     稽古でかいた汗を流すため、晴奈は浴場を訪れた。
    (そろそろ、他の者も来るかな?)
     蛇足になるが、ここは勿論混浴などでは無く、女湯である。
     焔流剣術は剣の腕だけではなく魔力も必要になるため、平均的に男より魔力が高いと言われる女の割合が、他の剣術一派よりも多い。
     それに加えて紅蓮塞は宿場としての機能も備えており、旅客や焔流以外の修行者も多く訪れるため、混浴では何かと都合が悪いのだ。
    (先客は、……いるようだな)
     湯煙の中を一瞥すると、うっすら人の影が1つ、湯船に見えた。
    「お邪魔します」
    「ん? あれ、晴奈ちゃんじゃないの」
    「え? その声は……」
     先客はここに何度か足を運んでいる旅客、橘だった。
    「来ていらしたのですか」
    「ええ。やっぱココのお風呂、冬には最高だし。ま、今年はちょーっと遅くなっちゃったんだけどね」
     そう言って橘は、楽しそうに笑う。晴奈は体を洗いながら、橘と世間話に興じた。
    「今回の目的は、湯治ですか」
    「うん、そんなトコ。いいわよねー、ココ。温泉沸いてるし」
    「山の中ですからね」
    「ホント、隠れた名湯よ。で、今日も修行だったの?」
    「ええ、勿論。……横、失礼します」
     体を洗い終わった晴奈は湯船に入り、橘の横に座る。
    「……ふー。やはり、風呂は気持ちがいい」
    「ホントねぇ。あー、これでお酒があったらいいのになぁ」
    「橘殿は、呑む方ですか?」
    「うん、大好き。こーゆートコで熱燗をきゅーっとやるのが、いいのよねぇ」
     橘はくい、とお猪口で呑む真似をする。その仕草があまりに堂に入っていたので、晴奈は思わず吹き出した。
    「ぷ、はは……。なるほど、それは美味しそうだ」
    「晴奈ちゃんも、お酒呑めんの? って言うか、そっか、もう大人よね」
     そこで橘は晴奈の体を、チラ、と見る。胸の辺りで視線を止め、もう一度同じことを言った。
    「……大人よね?」「失敬な」
     晴奈も負けじと、橘を見返すが――。
    「……完敗だ」「ふっふっふ、参ったか」
     晴奈は猫耳を垂らし、そっぽを向いた。

    「そう言えば、橘殿」
     しばらくそっぽを向いていた晴奈はふと思い立ち、橘に質問してみた。
    「ん?」
    「その、色恋の話は、得意でしょうか?」
     橘の長耳が、嬉しそうにピクピク跳ねる。
    「え? なになに? 晴奈ちゃん、好きな男できた?」
    「あ、いや。私の、弟弟子の話です」
    「へー、弟弟子とデキちゃった?」
    「なっ、違います! そうではなくっ!」
     晴奈は水面でパチャパチャと手を振り、否定する。
    「弟弟子から、色恋の相談を受けたのです!」
    「あーら、なーんだ残念。んで、どんな話?」
     晴奈は少し前に、良太が柊に対して恋をしていることと、彼が強くなりたいと願っていることを説明した。
    「ふーん、雪乃をねぇ。まあ、あの子もキレイだもんね」
    「私は、どうするべきなのでしょう」
    「ん?」
     きょとんとする橘に、晴奈は困った顔で心境を話す。
    「もしも、師匠と良太が結ばれたりすれば、私は二人にどう、接すればいいのか。祝福すべきなのか、それとも修行中の身でありながら師匠をたぶらかすとは、と怒るべきなのか」
    「んー」
     橘は一瞬、チラ、と浴場の入口を見る。
    「まあ、ソレはソレで、アリじゃん? 結ばれたってコトは、二人とも相思相愛で幸せってコトなんだし。アンタに人の幸せ、邪魔する権利も無いわけだしね」
    「まあ、それは、確かに」
    「ソレにさ、聞いてるとその良太って子、戦うとか乱暴系なコトに向いてる気、しないのよね。
     もしそーゆー関係になって、剣の道から外れるなんてコトがあったとしてもさ、その子にとってはそっちの方が、結果的にはいいんじゃん?」
    「……ふ、む」
     その言葉に晴奈も、納得させられるところがあった。
     以前、良太を鍛え直した際に、良太の口から親の仇を取りたい、と発せられたことがある。それを聞いた時、晴奈はとても心苦いものを感じていた。
    「仇を討ちたい」と言う良太のその決意は、心優しい彼には似つかわしくない、呪われた感情だったからである。
    「まあ、もしそんなコトになったらさ」
    「はい」
     橘は親指を立て、ニッコリ笑った。
    「アンタの師匠と弟くんのお祝いゴトなんだし、思いっきり祝福してあげなさいよ」
    「……そうですね」
     晴奈も微笑み返し、親指を立てた。

    蒼天剣・鞭撻録 2

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第49話。晴奈、撃沈。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 双月暦513年の早春。 晴奈は20歳、良太は17歳になっていた。 入門したての頃はひ弱ですぐにばてていた良太だったが、柊師弟の指導のおかげで、今では年相応に筋肉もつき、他の門下生と見劣りしないまでに成長していた。「うん。強くなったな、良太」 良太に稽古をつけていた晴奈は、一段落したところで良太をほめた。良太は嬉しそうにぺこ...

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    晴奈の話、第50話。
    黒炎の再襲撃。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     晴奈の予測は、現実になった。
     と言っても、悪い方の予測である。
    「また、黒炎が攻めてきそうだ……!」
    「またか!? まったく、面倒臭くてかなわん!」
    「焼き払ってくれるわ!」
     黒炎教団襲来の報せを受け、塞内では迎撃の準備が行われていた。

    「来るんですか?」
     この騒ぎを聞きつけた良太は、柊に詳しい話を聞いていた。
    「ええ、そのようね。
     でも良太、あなたは中にいなさい。戦いに出られるような腕では無いわ」
    「そんな! 晴奈姉さんだって、15で戦いに出たと言うではないですか!?」
     柊は大きく首を振り、良太の肩に手を置く。
    「晴奈は剣の素質があったから、15歳で出られたの。
     でもあなたには、そこまでの才は無い。それはあなた自身が分かっていることでしょう?」
    「それは、……はい」
    「大人しく、安全な場所でじっとしていて」
    「……分かりました」
     良太はうつむいたまま、素直に返事をした。



     数時間後、晴奈と柊はがっちりと武装を固めて、前回と同じく嵐月堂で待機していた。
    「晴奈、準備はできた?」
    「ええ、万事整いました」
     厳戒態勢で敵の襲来を待ちつつ、晴奈は横に並ぶ柊に声をかける。
    「師匠、あの」
    「ん?」
     晴奈は柊に、良太が柊を想っていることを打ち明けようかと迷ったものの――。
    「……いえ。何でもありません。生き残りましょうね」
    「勿論よ。……そろそろ来るわ。気を引き締めましょう」
    「はいっ」
     5年前と同様に堂の壁が破られ、教団員が侵入してきた。晴奈は目を凝らしてみたが、今回はあの「狼」、ウィルバーの姿は無かった。
    (これは残念。雪辱の機会は無しか)
     ともあれ、晴奈は教団員に飛び掛り、バタバタとなぎ倒していく。前回同様、八面六臂の大立ち回りを見せつけ、敵を次々と倒していった。
    (5年前に比べれば、何とぬるく感じることか)
     柊の方も晴奈と同様、特に苦戦する様子も無く、ひらりひらりと戦場を駆け巡っている。
     3時間ほど戦ったところで、教団員たちは撤退し始める。周りの剣士たちは勝利を確信し、次第に緊張感が消え失せていく。
    「……ふう。後はこのまま、きっちり反撃を抑えていれば勝てるわね。後もう少し頑張りましょう、晴奈」
    「はい!」
     額の汗を拭いながら、柊師弟はほっとした表情を見せ合っていた。
     ところが――。
    「大変だ! 雨月堂が破られたらしい!」
     背後から、伝令役を務めていた剣士が飛び込んできた。
    「雨月堂だって!? あんなところ、今まで狙われなかったじゃないか!」
    「それに、あそこには門下生たちが避難して……!」
    「くそ、もしかしてここを襲っていたのは囮、陽動作戦だったのか!?」
     この報せに、剣士たちは一斉に青ざめた。そして柊師弟も同様に、冷や汗を垂らす。
    「雨月堂、って……」
    「まずい、良太がいる!」
     晴奈たちは急いで、雨月堂に走っていった。

    (そりゃ、ぬるいわけだ! 相手は本気で、かかって来なかったのだから!)
     晴奈も柊も、全速力で塞内を走り抜ける。重たい武具を脱ぎ捨て、道着と胸当て、鉢金、刀大小二本の軽装になって雨月堂を目指す。
    「無事でいろ、良太!」
     軽装になったおかげで、二人は他の剣士たちより若干早く、雨月堂に着くことができた。
     雨月堂は紅蓮塞の中で最も南にある修行場である。通常、教団は北西から攻め込んでくるため、南側にある修行場はまず、狙われない。
     だから教団が襲ってきた際には、この辺りに非戦闘員を非難させていたのだが――。
    「わああっ!」
    「来るな、来るなーッ!」
    「ひいーッ!」
     予想外の強襲に、多くの者が逃げ惑っている。門下生も半分ほどは、怯えて隅に縮こまっている。
     残りの半分は勇気を奮い起こし、懸命に教団員と戦っていたが――。
    (逃げてくれた方がいい。半端な実力や身の丈に合わぬ蛮勇では、到底太刀打ちできる相手では無いのだ。
     ……だが、遅かったか)
     既に数名、門下生が血を流して倒れ、事切れている。皆、手に刀や木刀を持ち、正面から斬られていた。
    (良太はまだ、無事か!?)
     晴奈と柊は、良太の姿を探す。
    「あ、いました!」
     良太は隅で震える者たちの前に立ち、木刀を構えて教団員と対峙していた。だが、良太自身もガタガタと震え、今にも木刀を取り落としそうになっている。
    「良太、今助けに……」「おっと、待ちな」
     走り出そうとした刹那、晴奈の目の前を棍がかすめた。

     その棍を、晴奈は一日たりとも忘れたことは無い。自分の頭を割った武器であるし、忘れられるはずが無いのだ。
    「貴様は!」
     晴奈の真横に、黒い髪の狼獣人がニヤニヤと笑いながら立っていた。
    「ウィルバー! ウィルバー・ウィルソンか!?」
    「へぇ、覚えてたのか」
     5年ぶりに見るウィルバーはたくましく成長し、晴奈よりも頭一つほど背が高い。戦闘服の袖から見える腕にも、精強と言うべき筋肉がたっぷり付いている。
    「えーと、何だっけお前? 名前、聞いて無かったよな。……ま、いいや。ここで殺せば、忘れていいな、うん」
     自分勝手にそうつぶやくなり、ウィルバーは三節棍を構え、襲いかかってきた。
    「馬鹿も休み休み言え!」
     晴奈は向かってきた棍を、勢い良く弾く。キン、と甲高い音を立てて、棍の先端が宙に浮く。
    「お、っと」
     ウィルバーは棍の末端をくい、と引っ張り、浮いた棍を手元に収めた。
    「悪い悪い、なめてた」
    「愚弄するか、私を。ならば私も乗ってやろう、犬め」
     犬、と呼ばれてウィルバーの顔が凍りつく。
    「前にも言ったろうが。……このオレを、犬と呼ぶんじゃねえッ!」
     瞬間、三節棍がうねり、風を切って、何度も晴奈に襲い掛かる。しかし晴奈は顔色一つ変えず、その攻撃をすべて弾き返した。
    「……速ええ。昔より断然、動きも速いし、見切るのも速い」
     ようやくウィルバーは警戒の色を見せ、トン、と短く跳んで後ろに下がり、間合いを取ろうとした。
    「……5年前の借り」
    「え?」
     ウィルバーが後ろに跳ぶと同時に、晴奈は間合いを一気に詰める。
    「今ここで、返させてもらうぞッ!」
     ウィルバーが着地した瞬間、晴奈は突きを入れた。
    「ぐあ!?」
     三節棍で防御している部分を器用にすり抜け、刀がウィルバーの脇腹に刺さる。
     だが戦闘服の下に鎖帷子(くさりかたびら)でも着込んでいたのか、刀は貫通せずに途中で引っかかった。
    「っぐ、……甘い、甘いぜ、『猫』! 通るかよ、こんなもん!」
    「ならば!」
     脇腹に刀を刺したまま、晴奈は刀から手を離し、ウィルバーの鳩尾に拳をめり込ませた。
    「ごふ……っ」
     ウィルバーの顔が一瞬で真っ青になり、そのまま仰向けに倒れ、気を失った。
     晴奈は帷子に絡んだままの刀を引き抜き、血のにじんだ右拳を握りしめながら、涼やかに言い放った。
    「この黄晴奈、侮ってもらっては困る」

     晴奈とウィルバーが戦っている間に、柊は良太に加勢していた。
     良太を囲み、ニタニタ笑っていた教団員を背後から次々に斬りつけ、あっと言う間に全員打ちのめしてしまった。
    「大丈夫、良太!?」
    「あ、あ……、先生!」
     柊の顔を見た途端、良太は木刀を落し、その場に崩れるように座り込む。
     柊は良太の体を抱きしめ、安堵のため息を漏らした。
    「良かった、死んでなかった……!」
    「せ、先生」
     傍から見れば、弟子の安否を気遣う師匠と見える。だが、良太にとっては恋心を抱く者からの抱擁である。当然顔を赤くし、戸惑った。
    「あ、あのっ、その、だ、だ、大丈夫、です」
    「……心配かけて、もう」
     そこへ、ウィルバーを倒した晴奈が戻ってきた。
    「お、……お、っと」
     晴奈と良太の目が合った。
    (もう少し、放っておいてやる。役得だな、良太)
    (す、すみません)
     晴奈は良太と目配せで会話した後、師匠に気付かれないよう、そっと後ろに下がった。

    蒼天剣・鞭撻録 3

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第50話。黒炎の再襲撃。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 晴奈の予測は、現実になった。 と言っても、悪い方の予測である。「また、黒炎が攻めてきそうだ……!」「またか!? まったく、面倒臭くてかなわん!」「焼き払ってくれるわ!」 黒炎教団襲来の報せを受け、塞内では迎撃の準備が行われていた。「来るんですか?」 この騒ぎを聞きつけた良太は、柊に詳しい話を聞いていた。「ええ、そのようね。...

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    晴奈の話、第51話。
    指導・鞭撻、合わせて深く教えること。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     結局奇襲戦法も実らず、教団は今年もすごすごと引き上げた。
    「くそ、南から攻めろなんて叔父貴め、適当なこと言いやがって」
     ウィルバーはブツブツ文句を言いながら、帰路に就いていた。まだズキズキと痛む鳩尾をさすりながら、ウィルバーは晴奈のことを思い返す。
    「いてて……。あの猫女め、今度は真っ向から邪魔しやがったか。前みたいに頭カチ割ってやろうと思ってたのによ。
     ……セイナか。覚えておいてやる――今度こそ、ボッコボコにしてやんよ」



     ケガ人の治療や修行場の修繕作業による喧騒を避け、晴奈と良太は書庫の中で話をしていた。
    「怖かったです、本当に……」
    「まあ、そうだろうな」
     今日ばかりは、流石に良太も本を読めるような気分ではないらしく、ずっと両手を堅く組んだままだ。
    「多くの人間は修羅場など、そうそう遭うものではないからな。それでも一度や二度で慣れるものでは無いし、私だっていまだに平静にはなり切れない。
     あそこで奮い立つことができるだけ立派だよ、良太」
    「……そう、ですかね」
     良太の顔は青ざめ、意気消沈していることが伺える。
    「本当に、怖かったです。前と違って少しは力が付いたはずなのに、やっぱり怖くてたまらない。僕は本当に、仇を討てるんでしょうか……」
    「それは私が出すべき答えでは無いな」
     晴奈は良太に向き直り、昔聞いた言葉を伝えた。
    「『敵を倒すならば、倒される覚悟を持て』と言う。
     仇を討つと言うことはそのまま、敵を倒すと言うことだ。しかし敵とて人間であるし、簡単に死にたくはないはずだ。
     当然、抵抗することは想像に難くない。であるならば倒されること、返り討ちに遭うことも、考えておかなければならぬ。
     良太、いつかお前に強さを問われたことがあったが、それが答えのひとつだ。その覚悟が、本当に持てるのかどうか。自分の意志を貫くために、死ぬ覚悟、何か大きなものを失う覚悟があるか。
     その覚悟が持てるのなら、仇を討ちに行けばいい」
     良太は晴奈の言葉を、黙って聞いていた。その目には深い、諦めの色が浮かんできていた。



     一方――。
    「どーもー。元気にしてる、雪乃?」
     柊の部屋を、橘が訪れていた。
    「あら、小鈴? 久しぶり……」「何言ってんのよ。お風呂で会ったじゃない」
     橘の一言に、柊の表情が凍り付く。
    「甘いわね。気付いてたわよ、アンタがあたしと晴奈ちゃんの会話聞いてたの」
    「そ、そう」
     橘はイタズラっぽく笑い、柊の横に座り込む。
    「で、どうなのよ?」
    「どう、って?」
    「良太くんのコト」
     橘が尋ねた途端、柊の顔に赤みが差す。
    「な、何にも? 大事な弟子としか……」「またまたぁ」
     言いかけた柊の長耳を、橘がくいくいと引っ張る。
    「いたっ、何するのよ?」
    「嘘、下手くそねぇ。顔に書いてあるじゃないの。『わたしは良太君のことが……』」「言わないで!」
     長耳を真っ赤にし、顔を伏せる柊を見て、橘はため息をつく。
    「ホント、柊一門は恥ずかしがりやばっかりねぇ。もっと素直になればいいじゃないの」
    「そう言う問題じゃ無いの」
     顔を伏せたまま、柊はブツブツとつぶやく。
    「だって、家元から任されたお孫さんよ? それに、わたしの弟子だし。年も、離れてるし。ここでもし、付き合ったり結ばれたり、なんか、したら、焔流の師範として、他の剣士に示しが付かなくなるじゃない」
    「……雪乃ぉ」
     橘はもう一方の耳もつかみ、ピコピコ揺らす。
    「アンタ、好きなんでしょ? で、向こうが好きだってコトも分かってる。他の要素なんか、どうだっていいじゃないの」
    「そうは、行かないわよ……」
    「ゴチャゴチャ言い訳しない!」
     橘の一喝に、柊はビクッと震える。
    「アンタ、そんな言い訳ばっかりだから、いっつもいつも恋が実らないんじゃないの? 初恋の人にも結局告白しないで、それっきりだったんでしょ?
     もういい加減、動いてみたらいいじゃん? もうそろそろさ、そーゆー幸せつかんでもいいと思うんだけどね、あたしは。
     ソレともアンタ、まさか60になっても70になっても片思いで済ますつもり?」
    「……」
     耳をつかまれたまま、柊はじっと橘の顔を見つめていた。その目はまるで、助けを求めているように見える。
    「良かったら色々、手伝ってあげるわよ」「……うん」



     紅蓮塞に今、春の嵐が吹こうとしていた。

    蒼天剣・鞭撻録 終

    蒼天剣・鞭撻録 4

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第51話。指導・鞭撻、合わせて深く教えること。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 結局奇襲戦法も実らず、教団は今年もすごすごと引き上げた。「くそ、南から攻めろなんて叔父貴め、適当なこと言いやがって」 ウィルバーはブツブツ文句を言いながら、帰路に就いていた。まだズキズキと痛む鳩尾をさすりながら、ウィルバーは晴奈のことを思い返す。「いてて……。あの猫女め、今度は真っ向から邪魔しやがった...

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    晴奈の話、第52話。
    キューピット2人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     黒炎の襲撃から、2日後。
     晴奈は橘から呼ばれ、彼女が得た柊についての情報を聞かされていた。
    「なんと。師匠も、良太のことを?」
     橘の言葉に、晴奈は目を丸くする。その反応に対しても、橘は面白がっているようだ。
    「そ、そ。だから実際、両思いなのよね。
     で、良太くんは今どうしてんの? 襲われかけたって聞いたけど」
    「ええ、どうにか大事に至る前に撃退しましたが、自信を喪失したらしく、今は自分の立てた志に迷いを抱いているようです」
    「ふーん……。自信喪失ねぇ。んじゃさ」
     橘はあごに指を当て、考える様子を見せた。
    「今、告白させちゃおうかな」
    「え!? いきなりですね……?」
     驚く晴奈に、橘が「何言ってんの」と言いたげに肩をすくめる。
    「二人ともしゅんとなってる今ならさ、聞いてくれるかもじゃん? とりあえず本人たちがつながらなきゃ、話は何にも始まらないわけだし。
     ってワケで晴奈ちゃん、今年はなかなか熱くなりそうよ、んふふふふ」
     そう言って橘は、一際イタズラっぽく笑った。



     ともかく橘の指示の下、晴奈は良太に接触した。
    「まだ塞内の修繕作業が終わっていないし、今日の稽古は無しだ。また書庫にでも行こうか、良太」
     そう言って晴奈は良太を書庫に誘うが、良太は浮かない顔で首を振る。
    「いえ、今日はあまり、そんな気分じゃ……」「えっ」
     晴奈の反応に、良太は不思議そうな顔をする。
    「な、何です? 行かないと、ダメなんですか?」
    「え、あ、いや、その、えーと」
    「すみませんが、今日はこれで……」「ま、待てっ!」
     晴奈は逃すまいと、良太の腕をつかむ。
    「待て、って……。何でそんなに慌ててるんですか?」
     けげんな顔をする良太に、晴奈はしどろもどろになりつつも、誘導を試みる。
    「い、いや、そのな。本を探したいのだが、見つからなくて。良太なら知っているのでは無いかと、うん、そうなんだ。一緒に本、探してくれないか?」
    「……まあ、そう言うことなら」
     何とか誘うことに成功し、晴奈はほっと胸を撫で下ろす。
    (良かった。何とか連れて行けそうだ)
     横目で晴奈の様子を見ていた良太は、こんな風にぼそっとつぶやいていた。
    「……変な姉さん」

     一方――。
    「どもー」
     私室で読書していた柊のところを、橘が訪ねた。
    「ねえ、聞いたんだけどさ。ココに書庫あるんだよね?」
    「ええ、あるけれど。どうかしたの?」
    「いっぺん見て見たいなーって。ねえ、連れて行ってくれる?」
     が、橘が誘った途端、柊はいぶかしげな目を向けてくる。
    「何か企んでるでしょ?」
    「う」
     一瞬で看破され、橘は返答に詰まる。
     その様子を見た柊は、また本に視線を落としてしまった。
    「やっぱり。そんな気したもの。行かないわよ」
     態度を頑なにされつつも、橘は諦めない。
    (んー、ココは正攻法で押した方がいいかな)
     橘は笑って、正直に話した。
    「まあ、企んでるって言ってもね。良太くん、ソコに呼んでんのよ」
    「え!?」
     良太の名前を出した途端、柊が反応する。その様子を内心面白がりながら、橘が続ける。
    「もう待たせてあるから。ね、行こ行こ?」
    「……おせっかいよ、小鈴」
     それでも柊は首を振り、立とうとしない。
     そこで橘は、こう言って挑発した。
    「おせっかいでも、何でもさぁ。アンタ、自分から行く度胸あるの?」
    「……」
    「今までみたいに、何かと理由をつけてごまかす気?」
    「そんなこと……!」
     反論しかけた柊の手を、橘はぐいっと引っ張る。
    「なら、今度こそガツンと行きなさいよ。待ってるわよ、あの子も」
    「……」
     まだ逡巡した様子を見せながらも、柊は立ち上がった。

    蒼天剣・懸想録 1

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第52話。キューピット2人。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 黒炎の襲撃から、2日後。 晴奈は橘から呼ばれ、彼女が得た柊についての情報を聞かされていた。「なんと。師匠も、良太のことを?」 橘の言葉に、晴奈は目を丸くする。その反応に対しても、橘は面白がっているようだ。「そ、そ。だから実際、両思いなのよね。 で、良太くんは今どうしてんの? 襲われかけたって聞いたけど」「ええ、どうにか...

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    晴奈の話、第53話。
    オクテの告白。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     先に書庫へ着いたのは、柊と橘だった。
    「良太はどこ?」
     橘は中を覗き、まだ晴奈たちが到着してないことに舌打ちする。
    (あっちゃー……、早く着すぎたわ)
     橘はどうにか機転を利かせ、柊を書庫に入れさせようとる。
    「奥じゃない? もしかしたら手持ち無沙汰で、本を見てるかも」
    「そう……」
     柊は素直に信じ、中に入ろうとした。
     が、そこで足を止める。
    「そう言えば小鈴、あなたと良太って面識無いわよね? どうやって呼んだの?」
    「え? いや、ホラ。晴奈ちゃんいるでしょ? あの子に手伝ってもらって、……あー、と」
     晴奈の名前を出した途端、柊の表情が曇る。
    「晴奈まで駆り出したの?」
    「う、うん。ちょっと手伝ってもらった」
    「あんまり迷惑、かけないで欲しいんだけど。晴奈は無関係でしょ?」
    「いや、でもさ。元はと言えばあの子があたしに相談してきて……」
     橘がしゃべればしゃべるほど、柊の機嫌は悪くなっていく。
    「その時点でもう、おせっかいじゃないの! 余計なことばっかり……!」
     柊は橘に背を向け、そこから離れようとする。
    「ま、待って待って、ちょ、雪乃っ」
     橘が慌てて追いかけようとした、丁度その時。
    「あ……」「せ、先生」
     晴奈が良太を連れ、書庫前にやって来た。
    (晴奈ちゃん、バッチリっ)
     柊の後ろで、橘は晴奈に親指を立てて感謝した。

     ともかく二人を書庫に導くことに成功したが、その肝心の二人が、なかなか会話しようとしない。
     どちらも相手や横にいる晴奈たちの顔、それから本棚を、所在なさ気にチラチラ見ているばかりである。
     見かねた晴奈が、まず良太に事情を説明しようとした。
    「その、何だ。良太、お前には教えていなかったが……」「晴奈」
     と、柊がさえぎった。
    「言う、から。黙ってて」
    「あ、はい」
     晴奈が引いたところで、柊が顔を真っ赤にしながら、か細い声で何かを言った。
    「コホン。……そ、の。あの、ね。うん。……です」
    「え?」
     小さすぎて良太にはまったく、届かない。
    「……なの」
    「すみません、あの、もう少し、大きく……」
     戸惑う良太に、柊は今度は、書庫中が震えるかと思うほど大きな声を出した。
    「好きなのっ!」
     それを聞いた途端、良太の顔もどんどん赤くなっていく。
    「……はい、えっと、そうですか。……そうですか」
     柊はまだ動揺が収まらないらしく、たどたどしく続けた。
    「あ、あのね、前から、えっと、その。ずっと前から、あの、うん。ずっと、前、から」
    「ぼ、僕も、です。初めて会った時から、その、好きでした」
     良太もうわずった声で応える。
    「でも、その。僕、強くも無いし、まだ17ですし、先生と、その、吊り合わないって、思ってて」
    「そ、そんなのわたしだって! わたしだって、良太に比べれば随分年上だし、ずっと剣の道にいたから、そんな、女らしくなんか無いし、そんな……」
    「ええい、やかましいっ」
     もたもたとした問答に痺れを切らした橘が、二人の間に割って入った。
    「いいじゃない、コレまでがどうだこうだって話は。今、二人ともお互いに、相手のコトが好きだって言ってんだから」
    「……」「……」
     二人は橘に目を向け、少し間を置いてコクリとうなずいた。
     が、そのまま二人とも下を向き、動かなくなる。
    「……あ、あの、小鈴。聞いていい?」「ん?」
     顔を伏せたまま、柊が尋ねてくる。
    「こ、告白したら、どうすればいいの?」
     その質問に、橘は吹き出した。
    「ぷ、ちょ、ちょっと、ソレ聞く?」
    「だって、分からないんだもの」
    「……はー。単純よ。どっちも好きっつってんだから、そのまんま付き合えばいいじゃない、く、くく……」
     橘はこらえきれず、笑い出そうとした。

     ところがそこで、晴奈が口を挟む。
    「いえ、橘殿。事はそう、単純でもなくなりそうです」
    「くく、……え?」
     橘は顔を上げ、晴奈を見る。晴奈は真っ青な顔で、書庫の入口を凝視している。
     晴奈の視線を追ってみると、そこには――。
    「……あ」
     入口のすぐ側でこちらを伺いつつ、目を丸くしている重蔵が立っていた。
    「な、なんじゃて?」

    蒼天剣・懸想録 2

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第53話。オクテの告白。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 先に書庫へ着いたのは、柊と橘だった。「良太はどこ?」 橘は中を覗き、まだ晴奈たちが到着してないことに舌打ちする。(あっちゃー……、早く着すぎたわ) 橘はどうにか機転を利かせ、柊を書庫に入れさせようとる。「奥じゃない? もしかしたら手持ち無沙汰で、本を見てるかも」「そう……」 柊は素直に信じ、中に入ろうとした。 が、そこで足を...

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    晴奈の話、54話目。
    祖父の沙汰。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     柊が告白した直後、一同は重蔵の部屋に集められ、並んで重蔵と向かい合う形で座らされた。
    「珍しく雪さんが大声で何か叫んでおるから何かと思うたが、……うーむ、そうか。
     まだわしも動揺しておるが、……まず、そうじゃな。確認させてもらおうかの、雪さん」
    「は、はいっ」
     柊が指名され、半ば裏返った声で返事をする。
    「あ、いやいや。落ち着きなさい。まあ、ともかく。わしは怒ったりせんよ」
    「そ、そうですか」
    「今のところは、じゃけどな。事の次第によっては分からん」
    「……」
     柊ののどが鳴るのが、そこにいた全員に聞こえた。
    「まず聞こうかの。……雪さんは良太のことを好いておると。これは、相違無いな?」
    「……はい」
    「その好いた相手が自分の弟子だと言うことも、承知しておるのかの?」
    「そ、それは重々……」「晴さんは黙っとれ!」「……し、失礼いたしました」
     師匠の弁護をしようとした晴奈を、重蔵が一喝してさえぎる。
     その様子を見て一際恐縮した様子を見せつつも、柊は弁明した。
    「分かっているつもりです。ですが己の心情に嘘は、つけません」
    「わしの孫と言うことも、承知しておろうな?」
    「はい。しかしわたしは、家元の孫としてではなく、一人の人間として、良太を見ています」
    「そうか。……良太」
    「はい……」
     か細い声で重蔵に答えた良太を、重蔵が一喝する。
    「声が小さい!」「はっ、はいっ!」
     良太がぴんと背筋を正したところで、重蔵が同じことを尋ねてきた。
    「雪さんのことを、真剣に想うておるのか?」
    「はい!」
    「自分の師じゃぞ?」
    「師であろうと無かろうと、僕はせんせ、……雪乃さんのことが好きなんです!」
    「……はー。参ったのう。参った参った」
     良太の答えを聞くなり、重蔵は残り少ない髪を撫で付けるように頭をかいた。
    「良太、お前さんを見とると思い出すわい。お前の、お母さんのことを」
    「え?」
    「昔、お前の母さんに腕飾りを贈ってやったんじゃ。ガラス細工の、風流な一品でな。大層喜んで、ずっと手放さなかった。
     しかしある日、割れてしまってのう。わしが新しい物を買ってやると言ったら、『私はこれが好きなの。他に、どんなに綺麗なものがあっても、私はこれがいい』と答えたんじゃ」
     その話を聞いた途端、良太の目から涙がこぼれ出した。
    「それ、母さん持ってました。初めは割れたままだったそうですが、職人だった父と出会った時、接いでもらったと」
    「そうか……。あの場に無かったと言うことは、盗られてしまったようじゃな」
    「はい……」
    「む、話が逸れてしまったな。
     ともかく、『師であること関係無しに、雪さんと言う人間が好きだ』と言うその口ぶりは、お前の母さんそっくりじゃ。そう言う意固地と言うか、頑固なところが後に、わしとのいさかいの原因となってしまったが……。
     思えば、昔のわしも頑固じゃった。自分の意を曲げなかったために、話し合えなかった者、決別した者の多いこと、多いこと……。
     ここでもし、お前たちの仲を認めねば、きっと同じことになるじゃろうな」
     重蔵の言葉を聞き、晴奈たち四人はそれぞれ驚いた。
    「それじゃ、おじい様……」
    「認めていただけるのですか!」
    「ただし」
     沸き立つ四人に掌を向け、重蔵は提案した。
    「良太、お前さんの志を一つ、捨てなさい」
    「……?」
     何のことか分からず、良太は戸惑う。
    「志を、一つ……?」
    「仇討ちじゃ。この理由、分からないでもないじゃろう?」
     良太の目が、せわしなく動く。その様子は、迷っているとも、理由が分からないとも取れる。
    「分からんか?」
    「え、っと、その……」
    「良太。その意味が分かるまで、この話はお預けじゃ。
     では雪さんを除いて、下がってよい」
     その言葉に、晴奈は内心、安堵した。
    「は、はい」
     横にいる橘も同様に、ほっとした表情を浮かべている。
    「ソレじゃ、失礼しました」
     晴奈たちはぺこりと頭を下げ、呆然としたままの良太の肩を叩く。
    「良太、出るぞ」
    「……え、あ、はい。失礼しました」

     残された柊と重蔵は、晴奈たちが部屋を出た後、しばらく無言で向かい合っていた。
    「……雪さん」
     また、重蔵が先に口を開く。
    「はい」
    「率直に言うとじゃな」
    「はい」
     また、ポリポリと頭をかく。
    「意外じゃった。まさか雪さんが、良太とくっつくとは思わなんだ」
    「そ、そうですか」
    「まあ、しかしじゃな。……雪さんと良太なら、確かに良縁かも知れんのう」
    「もったいなきお言葉、ありがとうございます」
     柊は深々と頭を下げる。
    「ほれ、雪さん」
     顔を上げたところに、お猪口が差し出される。
    「義父ならぬ、義祖父と一緒に呑もうじゃないか」
    「……ありがたく、頂戴します」
     柊はとても美しく笑い、お猪口を受けた。

    蒼天剣・懸想録 3

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、54話目。祖父の沙汰。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 柊が告白した直後、一同は重蔵の部屋に集められ、並んで重蔵と向かい合う形で座らされた。「珍しく雪さんが大声で何か叫んでおるから何かと思うたが、……うーむ、そうか。 まだわしも動揺しておるが、……まず、そうじゃな。確認させてもらおうかの、雪さん」「は、はいっ」 柊が指名され、半ば裏返った声で返事をする。「あ、いやいや。落ち着きなさ...

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    晴奈の話、第55話。
    志の始末。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「うーん」
     良太は腕を組んでうなっている。
     晴奈の部屋に集まった三人は、重蔵の言葉を考えて――と言うより、晴奈は薄々、その答えはつかんでいるし、橘も解している様子を見せている。
     晴奈と橘は悩む良太をよそ目に、柊のことを話していた。
    「それにしても雪乃と家元さん、何の話をしてんのかしらね?」
    「さあ……? 案外打ち解けて、酒でも呑んでいるのかも」
    「んふふ、ありそー」
     笑う橘に、ついに良太が不機嫌な顔を見せた。
    「すみません、お二人とも」
    「あら、うるさかった? ゴメンねー」
    「いえ……」
     良太はまた、腕を組んでうなる。
    「付き合うなら、仇討ちをやめろ……、か。どう、つながりがあるんだろう?」
    「ふふふ……」
     良太の悩む姿を見て、晴奈は思わず苦笑した。
    「何ですか、姉さん? ……あ、もしかして答え、知っているんでしょう?」
    「ああ、いやいや。知っていると言うか、見当は付いている」
     良太は顔を上げ、晴奈に手を合わせる。
    「教えてもらってもいいですか?」
    「いやいや、これはお前自身が理解しなければならぬことだ。『それは私が出すべき答えでは無いな』」
     そう言って晴奈は、良太に「助言は与えたぞ」と言いたげに人差し指を立てた。
    「……あ」
     どうやら良太も答えに行き着いたらしく、慌てて部屋を出て行った。

    「おじい様っ!」
     良太は重蔵の部屋の戸を開け、大股で上がりこんだ。
     重蔵とともに酒を呑んでいた柊は、半ばとろんとした目で良太を見つめる。
    「良太、答えは分かったの?」
    「ええ。よろしいでしょうか?」
     重蔵は良太に顔を向け、話すよう促す。
    「言ってみなさい」
    「はい。えーと、恐らくは、『仇を討とうとするならば、討たれることもありうる』と。
     もし僕が、その、結ばれた後も、諦めることなく仇を討ちに行けば、返り討ちに遭う可能性は少なくありません。それだけではなく、雪乃さんにも迷惑が及ぶかも知れない。
     敵を作れば、その敵に自分だけではなく、自分の親しい者、愛する者にまで危険が及ぶ。だから、愛する者と結ばれることを考えれば、それを脅かす敵など作ってはならないし、追ってもならない、そう言うことですね?」
    「うむ。その通りじゃ」
     重蔵はぱたりと膝を打ち、柊の手を取って立ち上がる。
    「それが分かれば、文句は無い。さあ、良太。雪さんに、『仇は追わん』と誓うんじゃ」
    「……しかし」
    「む?」
     答えを導きつつもなお、良太は逡巡する。
    「それなら、僕の無念はどうなるのでしょうか」
    「……」
    「無残に殺された両親の無念を、僕は……」「それなら良太」
     開いたままの戸から、晴奈が入ってきた。
    「その仇、私がいつか必ず取ってやろう。私なら、託すに十分だろう?」
    「姉さん?」
    「良太、お前は清く優しい男だ。そんなお前が『仇を討つ』などと言う呪縛に捕らわれるのを見過ごしておくのは、どうも忍びない」
     晴奈の言葉に、良太はまた涙を流す。
    「そんな、だって姉さんは、無関係……」
    「無関係なものか、『弟』よ。お前と師匠の幸せのためなら、一肌脱いでやるさ」
    「姉さん……」
    「さあ誓え、良太」
     良太は涙を拭い、真剣な目をして柊の手を取った。
    「ち、誓います。誓います……っ! 僕は仇を討つと言う志を、晴奈の姉さんに託します!
     だから、おじい様! 認めて、下さいますか!?」
     最後はほとんど絶叫に近い声で、良太は嘆願した。
    「うるさいわいっ。……くく、まあ、良しとしようかの」
     重蔵は苦笑しながら、二人の仲を認めた。



     こうして柊と良太の仲は公認のものとなり、そして同時に、良太は剣の修行をやめた。
    「仇を追うことを諦めた今、剣の腕を磨く意味も無くなりました。
     今後は、紅蓮塞の書庫番になろうかと考えています」
    「確かにそっちの方が良太には似合うな。
     そう考えると悪かったな、しごいたりなんかして」
     謝る晴奈に、良太は笑って首を振る。
    「いえ、あれは僕から頼んだことですし、姉さんには感謝してます」
    「姉さん」と呼ばれ、晴奈はクスクスと笑う。
    「もう柊一門から抜けたのだから、『姉』などと呼ばずとも良いのに」
    「いいえ! 晴奈の姉さんは、ずっと僕の姉さんですよ」
     良太は晴奈に、深く頭を下げた。
    「……本当に、色々とありがとうございました、姉さん」

    「折角家元さんも認めてくれたんだからさー、さっさと結婚しちゃえば良かったじゃない。あの誓いの時なんか、いかにもそんな雰囲気だったのに」
     橘の言葉に、柊は飲んでいたお茶を吹きそうになる。
    「ゴホ、ゴホ……。そ、そんなわけには行かないでしょ、いくらなんでも。ま、まだ早いわ」
    「まーた、足踏みしてる。ソレもアンタらしいけど」
    「……色々ありがとね、小鈴」
     橘はニヤニヤ笑って、柊の耳をくいくい引っ張った。
    「礼なんかいいわよ、別に。
     ま、結婚式やる時は呼んでよ。また旅するつもりだから、行けるかどうか分かんないけどね」
    「ええ、ぜひ呼ぶわ。……今度は、自力で式までこぎつけるからね」



     重蔵は一人、手に花束を持ち、紅蓮塞の南東にある霊園を歩いていた。やがて一番奥の大きな墓の前で立ち止まり、一礼して花を添える。
    「晶良、お前の息子にいい人が見つかったぞ」
     重蔵は亡き娘に声をかけ、手を合わせる。
    「お前さんには悪いかと、ちと思うたが、良太にはお前の仇を討たせることを諦めさせた。
     その際に晴奈と言う子が、うれしいことを言ってくれたんじゃ。『良太が仇討ちなどと言う呪縛に捕らわれるのは見ておけん』、とな。
     わしもずっと、そう思っておった。あの子は、優しい。到底、敵を狙い続け、敵に狙われ続けると言う修羅の道に、入り込める人間では無いからのう。
     ……しかし、じゃ。その代わりに、晴さんにその呪縛を背負わせてしもうた。常識で図るならばまったく愚かしく、卑怯で悪どい、恥ずべき判断でしか無いのじゃが――正直な気持ちと言うか、直感として、あの子ならやり通してしまえる、そんな気がするのじゃ。
     あの子には、そんな艱難辛苦などやすやすと吹き飛ばしてしまえる、修羅の気がほの見える。もし晴さんがその気――精神力やら決断力、反骨心、克己心やら、そうした苦難・逆境を跳ね返し、突き進む、強い意志の力――を正しく使役できれば、きっと万事うまく行く気がするんじゃ。……まあ、すべてわしの思い込みかも知れんが。
     晴さんにこの仇を背負わせたことがわしの、人生最後の過ちなのか、それとも人生最大の英断なのか……。後はただ、祈るばかりじゃ」
     重蔵はもう一度礼をし、立ち去る前に一言、付け加えた。
    「近いうち良太とその相手を、見せに来てやるからの。楽しみにしていなさい、晶良」

    蒼天剣・懸想録 終

    蒼天剣・懸想録 4

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第55話。志の始末。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「うーん」 良太は腕を組んでうなっている。 晴奈の部屋に集まった三人は、重蔵の言葉を考えて――と言うより、晴奈は薄々、その答えはつかんでいるし、橘も解している様子を見せている。 晴奈と橘は悩む良太をよそ目に、柊のことを話していた。「それにしても雪乃と家元さん、何の話をしてんのかしらね?」「さあ……? 案外打ち解けて、酒でも呑んでい...

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    晴奈の話、第56話。
    逆鱗、ふたたび。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦513年、秋。
     柊と良太の仲が公認になり、半年が過ぎた。
     初めはお互い恥ずかしがって、手も握らないような状態だったが、今では紅蓮塞の市街地、宿場町を散策するなどして、その仲を深めていた。
    「何だか、あっと言う間」
    「え?」
     良太の横にいた柊が、どこかから流れてくる温泉の湯気を見てぽつりとつぶやいた。
    「どうしたんです、雪乃さん?」
    「あなたと付き合うようになって、春から夏、秋まで。あっと言う間に過ぎてしまったわね」
    「そうですねぇ。楽しい時間は早く過ぎる、って言いますけど、本当だったんですね」
    「……うふふっ」
     柊は良太の腕を取り、抱きしめる。
    「こんなに幸せで、いいのかしら」
     恋人の甘えてくるような言葉に、良太もにやけてくる。
    「あはっ、いいんじゃないですか? 何か、後ろめたいことが?」
    「……そうね。幸せで、いいのよね」
     柊の、腕を抱く力が強くなる。
    「……? ええ、いいですよ」
     だが、雰囲気が盛り上がれば盛り上がるほど、柊の言葉の端に何か、捉えがたい感情が見え隠れする。それを感じる度、良太はある思いを抱いていた。

     良太は――心底幸せなのだが――何か不安のような、違和感のようなものを感じていた。
    (何だろう、この気持ち……?
     雪乃さんの温かさが、本当に心地よくて。話す言葉の一つ一つが、きらめく宝石のようで。本当に、幸せ一杯、……なん、だ、けど。
     なぜだろう、なぜ、こんな気持ちに――まるで、遠い遠い世界にぽつんと立つ、街灯のように――一瞬、ほんの一瞬だけ、雪乃さんがはるか遠くに感じてしまう……)
     だが生来の気弱さと、柊が過去に触れることをひどく嫌うために、良太はずっと何も聞かずに済ましていた。
     柊と一旦離れ、午後の仕事である書庫の整理に向かうまでは。



    「また、ラ行にカ行の本が……。ちゃんと片付けてほしいな、もう」
     良太は間違った場所に納められた本を抱え、元の場所に戻そうとしていた。
     書庫は焔流の者が図書館として使っているため、しばしば乱雑な使われ方もされたりする。
    「あー、まただ。今度はマ行に、タ行。こんな適当な入れ方してたら、本が見つけられなくなるじゃないか」
     ブツブツ文句を言いながら、別の場所に納められていた本を元の棚に戻す。
    「『毎日の鍛錬』。何でこれをカ行に入れるかなぁ。
     こっちもだ。『名士録・央南編(510年度版)』。図鑑の分類に入れるなら、まだ分かるけどさぁ……」
     と、その名士録を棚に戻そうとして、ふと興味が沸く。
    「……名士録、かぁ。おじい様も載ってるかな?」
     他の本を机に乗せ、何となくそれを開いてみる。
    「あった。『焔重蔵(ほむら じゅうぞう) 短耳 男性 436~ 焔流剣術家元、剣術家』。そっか、もう70越えてるんだな、おじい様って。
     あ、もしかして姉さんの家のもあるのかな? ……あるある。『黄紫明(こう しめい) 猫獣人 男性 461~ 黄商会代表、実業家』。へぇー……。結構、面白いかも」
     良太はパラパラと、名士録をめくっていく。
    「『天原桂(あまはら けい) 狐獣人 男性 475~ 天原財閥宗主、第41代央南連合主席』。やっぱり載ってた、はは。
     ……僕の知ってる名士って言えば、これくらいかな?」
     一通り読み終えて、本を閉じようとしたその時――目の端に、ある文字が映った。
    「『柊雪花……』」
     恋人とほぼ同じ名前に指が思わず反応し、す、と差し込んだ。
    (まあ、関係無いだろうけど)
     そう思いつつも、読まずにはいられない。指を差し込んだ頁を開いて、先ほどの名前を確認する。
    「『柊雪花(ひいらぎ せっか) 長耳 女性 443~485? 古美術商、資産家』。
     485年没、なのかな? だとしたら何で510年度版に載ってるんだろう? これ、生きてる人しか載せてないはずなんだけど……?」
     気になったので、良太はこの女性について調べてみた。

     書庫なので、資料はいくらでも出てくる。この雪花と言う人物も、調べ始めて30分もしないうちに詳細が判明した。
     柊雪花、長耳。元々は父親から古美術商を受け継ぎ、細々と商売していたのだが、20代の終わり頃から希少価値の高い小物を多数手がけるようになり、一代で巨額の財を築いた。晩年には央南でも十指に入る資産家となったが――。
    「485年に行方不明となり、……ああ、だからまだ載ってるのか。
     行方不明になった資産家、かぁ。何だか想像を掻き立てられるなぁ」
    「何の想像をしてるんだかな。推理小説の読みすぎじゃないか?」
     不意に後ろから声をかけられる。振り返るとかつての姉弟子、晴奈が立っていた。
    「あ、姉さん」
    「何を見てるんだ?」
    「あ、ほら。この柊雪花って人、雪乃さんに名前が似てると思って」
     良太は読んでいた資料を晴奈に手渡す。
    「なるほど。確かに怪しい」
    「ですよね? 何だか気になるでしょ?」
    「私が気になるのは、それだけじゃない」
     晴奈はある頁を指差す。
    「小物の売買、と言うのも師匠と似ている。あの人は小物を集めるのが好きだから」
    「あ、なるほど。……エルフで、小物好きで、名前も似てる。偶然でしょうか?」
     良太が尋ねてみたが、晴奈は肩をすくめるばかりである。
    「どうだかな。私に聞くより、師匠に聞いてみた方が早いと思うが」
    「……ですよねー」

     書庫整理を切り上げ、良太は雪花について書かれた本を持って、柊の部屋を訪れた。
    「こんにちは、雪乃さん」
    「あら、良太? どうしたの?」
     嬉しそうな顔で、柊が戸を開けて出てくる。
    「えっと、そのですね。あ、中入ってもいいですか?」
    「いいわよ」
     柊はニコニコしながら、部屋に戻る。良太も部屋に入り、中を見回す。
    (確かに小物が多いな。狐の置物とか、観葉植物とか。それに良く見ると、何個か古ぼけてるのがある)
    「どうしたの?」
     入口で立ち止まっている良太を見て、柊が首をかしげる。
    「あ、いえ」
     いぶかしがられ、良太は慌てて座り込んだ。
    「どうかしたの?」
    「あ、えっとですね。実は、こんなの見つけたんですよ」
    「ん?」
     良太は持って来た本を開き、柊に見せる。
    「ほら、この雪花って人、雪乃さんに、良く、似て……」
     しゃべりかけて、良太は言葉を失った。頁を見た柊の顔が――まるで人形のように――無表情になっている。
    「……雪乃さん?」
     突然、柊が立ち上がり、傍らに置いていた刀をつかみ出した。
    「な、何を?」
    「……ダメ」
    「え?」
     柊は今にも刀を抜きそうな気配を漂わせながら、あまりにも冷たい声で命令してきた。
    「この話は、もうしないで」
    「ゆ、雪乃さん?」
    「いい? もうこの話は、絶対に、しないで」
     無表情のまま、異様に殺気を撒き散らす柊に、良太の額からボタボタと冷や汗が走る。
    「……わ、分かり、ました」「……」
     良太は本を閉じ、慌てて部屋を出た。

     一人きりになった柊は、ぽつりとつぶやく。
    「何で……、良太が、あれを」
     刀を握りしめたまま、柊はぽろぽろと涙を流した。

    蒼天剣・琴線録 1

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第56話。逆鱗、ふたたび。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦513年、秋。 柊と良太の仲が公認になり、半年が過ぎた。 初めはお互い恥ずかしがって、手も握らないような状態だったが、今では紅蓮塞の市街地、宿場町を散策するなどして、その仲を深めていた。「何だか、あっと言う間」「え?」 良太の横にいた柊が、どこかから流れてくる温泉の湯気を見てぽつりとつぶやいた。「どうしたんです、...

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    晴奈の話、第57話。
    謎が謎を呼ぶ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「姉さん……」
    「ど、どうした良太? またボタボタと……」
     自分の部屋に飛び込んできた良太を見て、晴奈はぎょっとした顔をする。
    「姉さん、僕、どうしたら……」
    「待て、落ち着け良太。何がなんだか分からぬ」
    「雪乃さんが、ひっく、ダメって、うえっ、あの本、そのっ、……ひいいー」
    「……何が何やら」
     話にならないので、とりあえず晴奈は良太を部屋に入れて、そのまま泣かせておいた。

    「落ち着いたか?」
    「は、はい」
     手拭を差し出しながら、晴奈は呆れていた。
    「まったく、お前は毎度毎度、唐突だな」
    「すみません」
    「で、何があったんだ?」
     良太は涙を拭きながら、柊の部屋で起こったことを話した。
    「お前も唐突なら、師匠も唐突だな。そこまで怒るとは……?」
    「やっぱり何か、関係があるんでしょうか?」
    「無けりゃ、怒る理由がない。……気になるな」
     晴奈は良太が抱えていた本を手に取り、雪花の頁をめくる。
    「姉さん、あの」
    「何だ?」
     良太は困った顔で、晴奈を止めようとする。
    「雪乃さんは、絶対このことには触れるなって」
    「だから?」
    「……調べちゃ、いけない気がするんです」
     晴奈はため息をつき、良太の手を取る。
    「いいか、良太。お前は柊雪乃と言う女性を、どんな存在だと思っている?」
    「え? ……その、恋人、ですけど」
    「その恋人が、苦しんでいたらどうする? 放っておくのか?」
     良太はぶんぶんと首を振り、否定する。
    「そんなわけ無いじゃないですか!」
    「なら、助けてやれ。それだけ過敏に反応すると言うことは、ずっと苦しめられているのだ。その雪花と言う女との間にある、何かに」
    「……」
     まだ迷う様子を見せる良太に、晴奈は一喝した。
    「良太! いいのか、お前は?」
    「え?」
    「このまま相手の心に当たりも障りもせず、安穏と過ごしていけると思うのか? 相手が隠しごとをし、それに苦しめられているのを知ったまま黙殺するような暮らしを続けて、本当に幸せにできると思っているのか?」
    「……!」
     晴奈の言葉に、良太は宿場街で散策していた時に感じた、あの違和感を思い出した。
    (あの感覚。雪乃さんが遠い、遠い存在に感じてしまうあの何とも言えないわびしさ。
     もしかしてその感覚は、この秘密が原因なんじゃないか?)
     良太は晴奈の手を離し、本を手に取った。
    「行きましょう、姉さん」
     泣きじゃくった声から一転、ぴんと声を張った良太に、晴奈はニヤッと笑って返す。
    「どこにだ?」
    「おじい様のところです。
     あの方は雪乃さんの師匠ですし、ずっと昔から塞にいらっしゃる方です。雪乃さんと雪花さんにつながりがあるのなら、雪花さんのこともご存知かも」
    「よく言った、良太。付き合ってやる、その調べもの」
     晴奈はもう一度、良太に手を差し出す。良太は力強く、晴奈の手を握った。
    (あの感覚を、消し飛ばしてしまいたい。僕はもっと、雪乃さんの近くにいたいんだ)



    「あー……、うむ。知っておる」
     晴奈と良太に雪花のことを尋ねられた重蔵は、困った顔をして答えた。
    「じゃが、うーむ。これはのう、言えんのじゃ」
    「なぜですか、おじい様」
    「約束しておってな。その、柊雪花と言う女性と。
     わしはその、雪花さんにまつわるあらゆることを、口にしないと約束しておるのじゃ。剣士の誇りにかけて、それは破れん」
    「そんな……」
     困った顔をする孫を見て、重蔵も困った顔で返す。
    「じゃから、わしは言えんのじゃ。……すまぬ、良太」
    「……はい」
     祖父から聞き出すのは無理と見て、良太は仕方なく立ち上がった。
     晴奈も立ち上がり、部屋を後にしようとした、その時――。
    「もう一度言う。わしは『言えん』のじゃ」
     ちゃりん、と金属音が響く。その音に晴奈たちは振り返ったが、重蔵は依然、背を向けたままである。
     だがそのすぐ後ろに、何かの鍵が落ちていた。
    「これは……」「では、失礼します。行くぞ、良太」
     尋ねようとした良太を止め、晴奈は鍵を取って部屋を出た。良太も仕方なく付いて行き、今度は晴奈に尋ねる。
    「何で聞かないんですか、姉さん」
    「聞いて答えてくれる雰囲気だったか?」
    「……確かに」
    「これが家元にできる、最大限の譲歩なのだろう。……ふむ」
     晴奈は鍵を眺めながら、その使い道を思案する。
    「普通の、真鍮の鍵だな。どこに使うのかも、書いていない。……片っ端から、調べてみるか」

     それから数日かけて、晴奈と良太は塞内の倉と言う倉を回り、重蔵からもらった鍵に合うものを探したが、一向にそれらしきものが見つからない。
    「これも、違うな」
    「こっちも、大きさが全然……」
     倉においてある鍵付きの箱や錠前に、片っ端から鍵を当ててみたが、それらすべてが合致しなかった。
    「見つかりませんね……」
    「そうだな……」
     何も知らない者が見たら荒らしていると誤解されかねないくらい、二人はあちこちの倉を引っ掻き回していた。
    「もしかしたら……」
     と、作業を続けつつ、晴奈がこんなことを言い出した。
    「雪花と言う女性、師匠の縁者やも知れんな」
    「ありそうですね、それ」
     晴奈の予想に、良太も乗ってみる。
    「もしかしたら、お母さんなのかな」
    「ふむ」
     二人があれこれ想像していると、カタ、と戸口から音がした。
    「……良太?」
     いつの間にか、倉の入口に柊が立っている。
     晴奈たちは話を聞かれたかと冷汗を流しつつ、恐る恐る尋ねる。
    「その、えっと、……どうされました?」
    「何か探し物?」
     対する柊は、笑みを浮かべて尋ねてきた。
    (……どうやらまだ、私たちが雪花氏のことを探っているとは気付いていないらしい)
    (で、ですかね?)
     晴奈と良太は目配せして柊の反応を確認しつつ、それらしい話を作った。
    「あ、……ええ、家元からこの鍵に合う箱があるので探してほしい、と良太が頼まれまして」
    「そ、そうなんですよ、はは、面倒でしょ?」
    「それで、手間がかかりそうなので、私が手伝っている次第でして」
     しどろもどろな説明ながら、どうやら柊は話を信じたらしい。
    「あら、そうなの? 良かったら、わたしも手伝おっか?」
     その返事に、晴奈と良太はもう一度顔を見合わせ、慌てて取り繕う。
    「あ、いやいや。お手を煩わせるわけには」
    「そうですよ、ええ、僕たちだけで何とか、大丈夫です、はい」
     が、柊は離れようとしない。
    「ううん、わたしも暇だし、良太の手伝いなら喜んでするわよ」
     晴奈たちはどうしようかと、三度目配せする。
    (どうしましょう、姉さん?)
    (どうもこうもない。ここで断るのも変だろう?)
     諦めた晴奈は、柊に頭を下げた。
    「では、お願いしてもよろしいでしょうか?」
     柊はにっこりと笑い、袖をまくった。
     対する晴奈と良太は、もう一度目配せした。
    (何とかしないと修羅場になるな、これは)
    (……こ、困ったなぁ)



     三者三様、様々な思いを抱えつつも、錠探しは進められた。
     だが、10以上あった塞内の倉をすべて回っても、ついに鍵に合うような物は見つけられなかった。

    蒼天剣・琴線録 2

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第57話。謎が謎を呼ぶ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「姉さん……」「ど、どうした良太? またボタボタと……」 自分の部屋に飛び込んできた良太を見て、晴奈はぎょっとした顔をする。「姉さん、僕、どうしたら……」「待て、落ち着け良太。何がなんだか分からぬ」「雪乃さんが、ひっく、ダメって、うえっ、あの本、そのっ、……ひいいー」「……何が何やら」 話にならないので、とりあえず晴奈は良太を部屋に...

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    晴奈の話、第58話。
    あの建物の、裏の顔。

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    3.
     何日も費やした錠探しが空振りに終わり、晴奈と良太は憔悴した顔を並べていた。
    「他に、倉ってありましたっけ?」
    「私の知る限り、無いな」
    「……本当に、これにはまる錠があるんでしょうか?」
     そんなことをつぶやいた良太に、晴奈が目をとがらせる。
    「まさか、家元が嘘をついたとでも?」
    「そうは言ってませんけど、でも、鍵が合う箱が無いんじゃ」
     良太の言葉に、晴奈もうなるしかない。
    「うーむ」
    「……あ、待てよ?」
     と、良太は自分の言葉であることを思い付いた。
    「どうした?」
    「鍵、って言っても、かけるものって一杯ありますよね」
    「と言うと?」
     良太は鍵をつかみ、立ち上がる。
    「ほら、机とか、金庫とか、……他には、扉とか」

     良太の意見に従い、晴奈たちは鍵のかけられた扉を探すことにした。
    「まあ、考えてみれば確かに『箱に使う鍵』とは言っていないな。どこか、開かずの間になっている部屋の鍵かも知れぬ」
    「でしょ? ……それに、『倉を探し終わっても無かったから、おじい様の勘違いだった』って口実も作れるし、雪乃さんにこれ以上付き合わせなくて済みます」
    「それもそうだな。一時はどうなることかと思ったが」
     二人は同時に安堵のため息を漏らしつつ、捜索を続ける。
    「……入らない」
    「ここも、違うみたいですね」
     だが、扉の方も2棟ほど当たったものの、依然それらしいものが見つかる気配が無い。二人は軽くため息をつきながらも、次の修行場に向かうことにした。
    「えっと、次は……」
    「心克堂だ。ここは飛ばそう」
    「え?」
     良太は何か引っかかるものを感じ、反対する。
    「いや、ここも行ってみた方がいいんじゃないですか?」
    「何故だ? この中は私も入ったし、お前も中は知っているだろう? 何も無いぞ」
    「うーん、何て言うか、何だろう……、何か、気になるんですよ」
    「はぁ?」
     要領を得ない意見に、晴奈は首を縦に振らない。
    「その、うーん……、調べるだけ、調べてみませんか? そんなに時間、かかることでも無いですし」
    「……そんなに言うなら、まあ」
     結局晴奈が折れ、伏鬼心克堂も当たることになった。
     堂までの道を歩きながら、良太は考えをまとめてみる。
    「何て言うか、あそこは魔術がかかっているんですよね」
    「ああ。入門試験は鬼を見せられ、免許皆伝の試験でもまた、別のものを見せられる」
    「へぇ、卒業試験でもですか。
     まあ、それも含めて、あそこには何か、僕たちが知らないような仕掛けがあるような、そんな気がするんですよ」
    「そんなものかな……?」
     話しているうちに、二人は伏鬼心克堂の前に着いた。
    「じゃ、試してみるか」
     晴奈は鍵を、扉の鍵穴に当ててみる。
     すると、かちゃ、とわずかに音を立てて、鍵は鍵穴に入ってしまった。
    「……!」
    「あ、当たり?」
    「ま、待て。……回してみないことには」
     手首をひねると、すんなり回る。そしてかち、と鍵穴から響き、扉は開いた。
    「開きました、……ね」
    「ああ。……開いたな」
     二人は一瞬顔を見合わせ、同時にうなずく。そして中に、足を踏み入れた。
     次の瞬間――二人の足から、接地感が消えた。

    「わ、わあっ!?」「穴!?」
     二人はそのまま、下へと落っこちた。
     運動神経のいい晴奈は「猫」らしく、音も無く着地したが、鈍臭い良太は尻からどす、と地面にぶつかった。
    「あ、あたた……」
    「大丈夫か、良太?」
    「ちょっと、痛いけど。大丈夫です」
     良太は晴奈に手を貸してもらいながら、よたよたと立ち上がる。
    「何が何だか……。お堂に、落とし穴?」
    「と言うか、私たちが勝手に落っこちたようだな。
     ほら、はしごもある。どうやら地下道のようだ」
    「あ、本当だ」
     後ろを振り返ると、木のはしごがしっかりかかっている。二人は顔を見合わせて苦笑した。
    「はは……、やっちゃいましたね」
    「ふふ、私としたことが。
     ……ともかく、あの鍵でここに来られたと言うことは」
    「この先に雪花さんの手がかりがある、ってことですね」
    「そうだな。奥に行ってみよう」
     晴奈たちは地下道の先に進むことにした。
    「む……。少し、暗いな」
    「あ、大丈夫ですよ。僕、雪乃さんにこう言う時に役立つ魔術、教えてもらいましたから」
    「ほう」
    「見ててくださいよー。……照らせ、『ライトボール』!」
     良太が手をかざすと、その手の先に光球がポンと現れ――すぐ消えた。
    「あれ? おかしいなー……。 えい! ……えい!」
     何度やっても、光球は一瞬現れ、消えるのを繰り返す。
     見かねた晴奈は、良太に手を差し伸べた。
    「……私の袖をつかんでいろ。私は『猫』だから、暗いところでも多少は目が利く」
    「す、すみません」
     しゅんとする良太を見て、晴奈はまた苦笑した。

     地下道を歩いて間も無く、二人は松明を発見した。
    「良太、火種はあるか?」
    「あ、はい。確か、……ありました。はい」
     良太は持っていた燐寸で松明に火を点ける。辺りが照らされた瞬間、二人は息を呑んだ。
    「お……?」
    「こ、これ……!」
     壁中に、幾何学的な紋様が張り巡らされている。
     良太はその紋様をまじまじと見つめ、ポンと手を打った。
    「これが、伏鬼心克堂の正体なんだ……!」
    「うん?」
    「これ、全部『魔法陣』ですよ! めちゃくちゃ大量に描いてありますけど、多分全部、幻術関係のやつです」
     晴奈は意味が分からず、聞き返した。
    「まほうじん、って何だ?」
    「あ、えーとですね、簡単に言うと魔術を使いやすくするために、紙や壁に呪文を羅列するんですよ。で、言葉で唱えるよりもっと簡潔にするために、図形を用いたりもするんです。
     鬼を見たりするのは、この幻術系の魔法陣が作動してたせいですね」
    「ほう……」
     晴奈は何の気無しに壁に触ろうとしたが、それを見た良太が袖を引っ張り、慌てて止める。
    「あ、触っちゃダメです! 下手に触ったら、誤作動を起こしちゃいます!」
    「お、おお?」
     良太の剣幕を見て、晴奈は手を引っ込めた。
    「まずいのか?」
    「下手すると、魔力をとことんまで吸われて倒れちゃいますよ」
    「なるほど、まずいな。……先に進もう」
     さらに奥へ進むと扉があり、魔法陣もそこで途切れている。
    「……開けるぞ」
    「はい」
     二人ともゴクリとのどを鳴らし、その扉に手をかける。扉はギシギシと音を立て、途中でわずかに引っかかりつつも開いた。
     中を覗くと、そこには――。
    「……に、人間!?」
    「いや、あれは……」
     人間と同じ大きさの人形が、小さな机の前で座っていた。

     人形は、どうやら木製であるらしい。松明のぼんやりとした灯りの下で見ると、本物の人間かと見紛うほど精巧にできている。深緑の着物を羽織り、央中風の小さな椅子に腰かけたその体は、今にも動き出しそうな雰囲気をかもし出している。
     そして、その顔は――。
    「雪乃さん、そっくりだ」
    「……机の上に、何か乗っている」
     晴奈はそっと手を伸ばし、机の上に乗っている本を取った。
    「日記だ。持ち主は、……柊雪花」
    「読んでみますか?」
    「ああ」
     晴奈と良太は机の前に座り、日記を開いた。

    蒼天剣・琴線録 3

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第58話。あの建物の、裏の顔。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 何日も費やした錠探しが空振りに終わり、晴奈と良太は憔悴した顔を並べていた。「他に、倉ってありましたっけ?」「私の知る限り、無いな」「……本当に、これにはまる錠があるんでしょうか?」 そんなことをつぶやいた良太に、晴奈が目をとがらせる。「まさか、家元が嘘をついたとでも?」「そうは言ってませんけど、でも、鍵が合う箱が無い...

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    晴奈の話、第59話。
    古い日記。

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    4.
    「482年 6月10日 雨
     焔先生との商談もまとまり、ようやく一息つける。
     この後はどうしようか。大月に戻ってもいいが、掘り出し物を見つけに弧月へ向かうのも、紅蓮塞からなら近い。
     どうせ帰っても一人だ。それならいっそ、小旅行気分で弧月に行くのも悪くない。
     決めた。弧月に行こう。

     482年 6月19日 曇り
     ようやく弧月に着いた。こう雨続きでは、整備された街道でも歩くのが困難になってしまう。
     弧月はやっぱり、古美術商には垂涎の街だ。あっちこっちに遺跡があるから、掘り出し物が一杯あって、すごく楽しい。
     とりあえず今日は宿でゆっくりして、明日から露店などを見て回ろう。

     482年 6月21日 雨
     すごい掘り出し物、発見! 古代の魔術を記した本!
     クリスに売れば、どれだけの値が付くのか!
     ううん、それより! とっても面白いことが書いてあった。
     帰ったら、試してみよう。こう考えると、大月に帰りたくて、仕方なくなってきた。
     とりあえずもう一日、露店めぐりをしようかな。橘さんのお店も美味しかったし、また行ってみよう。

     482年 7月19日 晴れ
     わくわくして仕方が無い。私に、家族ができるなんて!
     名前は雪乃と、花乃と名付けた。もちろん、私の名前から取った。まだ術の効果が出て間も無いためか、雪乃たちの動きはのろい。いや、赤ちゃんだから、かな?
     赤ちゃん。私に、赤ちゃん。
     こうして文字に書くだけで、震えるほど嬉しい」



    「雪乃……。やっぱり、雪花さんは雪乃さんのお母さんだったんですね」
    「いや待て、良太。おかしいぞ、これ」
     読み進めていた晴奈は、日記の矛盾点を指摘する。
    「師匠が7月に生まれたとするならば、6月にははまだ、雪花殿は身重だったはずだ。そんな体で、紅蓮塞やら何やらに行けるか?」
    「え? ……おかしい、ですね?」
    「それに、6月の時点では家族がいない、とある。独身からいきなり、2人の子持ちだと?」
    「じゃあ、養子なのかな……?」
     良太は食い入るように日記を見つめている。晴奈はさらに、気になる点を指摘した。
    「あと、師匠には花乃と言う姉妹がいることになるな。師匠からそんな話を聞いたこと、あるか?」
    「無いです」
    「術と言うのも気にかかるが……。何が何やら、見当が付かぬ。
     ともかく、続きを読んでみよう」



    「482年 10月2日 晴れ
     雪乃も花乃もすくすく成長している。
     ハイハイできるようになった。もう、可愛くて仕方無い!
     ご飯もよく食べるし、健康そのもの。やっぱり、この子達を作って正解だった。
     私、幸せ!

     482年 11月1日 曇り
     クリスがやってきた。あの魔術書の買い取りに来てくれたのだ。もう使いたい術は使ったのだし、売ることにした。287200クラムで交渉成立。玄銭に換算して、200万以上は軽く超える。本の値段としては、相当な儲けになった。
     ついでにクリスと食事。儲けさせてくれたお礼に全額おごらせてもらおうとしたが、『次の商売の時、またお世話になるから』と、割り勘になった。
     流石、金火狐一族。顧客は大事ってわけね。

     482年 12月18日 雪
     花乃がしゃべった!
     私のこと、お母さんって言ってくれた! 嬉しい! 可愛い! 大好き!

     483年 双月節1日 晴れ
     あけましておめでとう。今年もよろしくね、雪乃、花乃。
     花乃からちょっと遅れて、雪乃もしゃべれるようになった! 本当、嬉しい!」



    「あ、の……」
    「ああ……」
     晴奈も良太も、同じ箇所を指差している。
    「作った、って」
    「それに、魔術は使った、だ」
    「まさか……」
    「……続きを、読もう」



    「485年 5月25日 晴れ
     雪乃も花乃も、本当に可愛い。今日なんか、花の冠を二人して作って、私に贈ってくれた。感激! 大事にするからね!
     追記、少し気になることがある。つま先が、軽くしびれている。揉み解しても、しびれはなかなか消えなかった。どこかにぶつけたかな?

     485年 8月10日 晴れ
     雪乃が転んだ。慌てて手当てしようと思ったら、膝から綿が出ていた。もう2年経つのに、まだ術は完璧ではないのだろうか? 早く、完璧になってほしいな。
     そしてもう一つ、気になることが私自身にも。つま先のしびれがひどくなってきた。今度、お医者さんに診てもらおう。

     485年 8月13日 雨
     わけわからない なにがどうしたのよ

     485年 8月14日 雨
     わけが分からない。私の体に、大量の木片? しかも筋肉や骨と融合して、取り出すのは不可能? 聞いていて、ぞっとした。
     私の不安が分かるのか、花乃がお茶を淹れ、雪乃が出してくれた。本当に、いい子たち。
     あ、雪乃のケガはほとんど治ったみたい。良かった。

     485年 9月6日 晴れ
     モールとか言う、変な人に出会った。
     怖かった。いきなり「キミ、人形になりかけているね」なんて言ってくるんだもの。でも、その人の言葉は、痛いほどよく分かった。
     魔術には、代償を必要とするものもあるのだと、ようやく気付かされた。私は人として、踏み込んではいけない領域に入ってしまったのだ。
     私は家族がほしい、ただそれだけが願いだったのに。
     雪乃と花乃が泣いている私を見て、つられて泣き出してしまった。ゴメンね、二人とも。

     485年 9月7日 曇り
     モールを家に泊めて、二日目。
     雪乃と花乃の遊び相手になってくれるし、結構いい人なのかな? でも、子供たちにデコピンしたり、「人形ちゃん」と呼びかけたりするのはやめてほしい。
     二人とも、れっき―――――――
     れっ き と した 人間 ―だ か ら。
     手、痛く ―なっ て ―き た」



     良太は震えている。晴奈も、ダラダラと冷汗を流していた。
    「これ、って……」「待て」
     言いかけた良太の口を、晴奈が押さえる。
    「……師匠」
     ぽつりとつぶやいた晴奈の一言に、身を震わす者が二名いた。
     それは晴奈の横にいた良太と――通路の陰に隠れていた、柊だった。

    蒼天剣・琴線録 4

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第59話。古い日記。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「482年 6月10日 雨 焔先生との商談もまとまり、ようやく一息つける。 この後はどうしようか。大月に戻ってもいいが、掘り出し物を見つけに弧月へ向かうのも、紅蓮塞からなら近い。 どうせ帰っても一人だ。それならいっそ、小旅行気分で弧月に行くのも悪くない。 決めた。弧月に行こう。 482年 6月19日 曇り ようやく弧月に着いた...

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    晴奈の話、第60話。
    良太の愛、雪花の愛。

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    5.
    「知ってしまったのね……」
     物陰から柊が現れた。まるで人形のように無表情な顔から、ポタポタと涙が流れている。
    「ゆ、雪乃さん」
    「……」
     一言発したきり、柊は何もしゃべらない。
    「その、僕はあなたを助けようと……」
     良太が何か言おうとするが、言葉にならない。
    「……その、あのっ」「もういいわ」
     凍りつくような声で、柊が良太の弁明をさえぎった。無表情だった顔が、とても悲しそうに歪む。
    「そうよ。わたしは、人形だった。31年前、は。それを人間に変えたのは、母さん。魔術で人形を、人に変えたのよ。
     でもその魔術は、代償が必要だった――術の使用者を、人間から人形に変えると言う」
    「雪乃さん……」
    「家元も、わたしの出自はご存知よ。母が動けなくなる直前、ここに来たから。母はすべてを家元に伝えたわ。
     魔術で人形を、人間に変えたこと。ある人物から聞いた、代償のこと。そして数年のうちに、母は完全に人形になってしまうこと。
     でもそうなる前に、いくつかのお願いを家元にしたの。まず、心克堂地下道の修繕をする代わりに、その奥にかくまってほしい。次に、自分が人形になったことを誰にも知らせないでほしい。
     そして――わたしを、自分の代わりに育ててほしいと」
     柊は顔を伏せ、その場にうずくまった。
    「知らないでほしかった……! 良太に、知ってほしくなかった……! 折角、いい人にめぐり合えたと思ったのに、何で! 何で、知ってしまうのよ!?」
    「雪乃さん、僕は」
    「もうおしまいよ……! わたしはあまりにも呪われているもの! それを知られたら、わたしはもう、生きてはいけない……!」
     柊は急に立ち上がり、背を向けて走り去っていった。
    「ゆ、雪乃さん!」
     良太も――普段のとろくささが、嘘のように――急いで、後を追いかけた。
     残った晴奈は追いかけようとも考えたが、途中で足を止めた。
    (二人の問題だ。私が行って、どうなる? 二人で、解決しなければならぬことなのだ。
     それよりも、優先すべきは)
     晴奈は地面に落ちた日記を取り、もう一度読み始めた。



    「485年 9月16日 雨
     モールは口がちょっと、ううん、かなり悪いけど、思っていたよりずっと、いい人だった。私の治療をしてくれたのだ。
     いや、厳密に言えば魔術の応用を教えてくれた。動かないものを、動かせるようにする術。それで何とか日記も書けるし、ゆっくりとだが歩けるようになった。
     モールによれば、これも一時的な処置であるらしい。1、2年経てば、その術でも動けなくなるのだそうだ。脳まで、木や綿になって。
     絶望しそうだ。私の余命は、あと1年。雪乃や花乃が成長する様を、それ以上見られないのだ。いや、もっとはっきり言えば、幼いこの子たちを遺して、私は死んでしまうのだ。
     何とかできないか、モールに頼んでみた。答えは「無理だね」。術を解除すれば、あるいは助かるのかも知れないと言うのだが、それはつまり、子供たちの死を意味する。
     それ以外の方法は、無い。はっきり言われた。
     悲しい。体がバラバラになりそうなほど、悲しい。どうしようもないのだろうか?

     485年 9月17日 曇り
     クリスが来た。モールとともに、私の体と、子供たちのことを告白した。
     やっぱり、驚いていた。そうだよね、普通。
     モールが本はまだ持っているのかと尋ねたが、答えは×。すでに、ある名士のところに渡ってしまったのだそうだ。買い戻すのは、至難の業だろう。モールは「それがあれば、何とかできたかもしれないね」と言ってくれたが、私はもう、諦めた。
     託そう、子供たちを。このままでは私だけではなく、子供たちも死んでしまう。
     クリスに頼み込み、子供たちを引き取ってくれないかどうか聞いてみた。だが、残念ながらどちらか一人しか、無理だと言う。金火狐一族とは言え、クリスは末席。子供2人を抱えられる財力も地位も、持っていないのだそうだ。
     結局、クリスには花乃だけを託した。クリスは責任持って、育ててくれると約束してくれた。
     本当に、良かった。花乃をお願いね、クリス。

     485年 9月30日 晴れ
     モールに助けてもらって、何とか紅蓮塞まで来られた。
     本当に最後までありがとう、モール。
     焔先生に事情を説明し、雪乃を引き取ってくれないかとお願いした。先生は快く引き受けてくれた。これで心残りは無い。
     また、私をかくまってくれることを提案してくれた。私はそれを快諾し、今こうして地下にいる」



     日記は、そこで止まっていた。
    (まあ、以後ずっとここにいれば、書くものは無いだろうな)
     晴奈はその後の頁をぱらぱらとめくる。後に続くのは、白紙ばかり――。
    「お?」
     ではなかった。一頁に渡って、詩のようなものが書かれている。



    「雪乃。花乃。
     ごめんなさいね。私の、遊び心のせいで。
     もしかしたら人形のまま、平穏に。永遠に。生きていけたかもしれないのに。
     でも、私は――」

     詩を読み終えた途端、晴奈の目からぽた、と涙が出た。



     地下道の出入り口で、良太はようやく雪乃に追いついた。
    「ゆ、ゆきっ、のっ、さん」
    「……」
     雪乃は振り向かず、梯子に手をかける。良太は持てる筋肉をすべて使い、柊に飛びつく。
    「行かないで、雪乃さん!」「きゃっ!?」
     良太の飛び込みに引っ張られ、雪乃は梯子から落ちる。二人はそのまま、絡まるように地面に倒れこむ。
    「やめて、良太……」「雪乃さん!」
     倒れこんだまま、上になった良太が雪乃に叫ぶ。
    「雪乃さん! 雪乃さん! 行かないで、雪乃さん!」
    「え……」
     良太は顔を真っ赤にしたまま、下に押さえ込んだ雪乃に叫び続ける。
    「人形とか、人間とか、そんなの知らない! 僕は、雪乃さんが好きなんだ!」
    「りょ……」
    「今こうして触ってる雪乃さん、温かくて柔らかいし! この感触が綿とか、肉とか、そんなことどうでもいい!
     今ここにいる、雪乃さんが好きなんだ!」
     良太の心の叫びを聞くうち、雪乃も顔が赤くなっていく。
    「でも、わたしは、母さんの……」
    「雪花さんだってさあ! 雪乃さんに、幸せになってほしいって、きっと思ってますよお!」
     絶叫が、次第に嗚咽になっていく。
    「そう、願わない、親なんて、いないでしょお……。そうじゃなきゃ、雪乃さんも、花乃さんも生まれなかったでしょお……」
     下で半ば、されるがままになっていた雪乃は、良太の下敷きになっていない左手で良太をつかみ、抱きしめた。
    「……良太」
     雪乃も、いつの間にか泣いていた。



    「雪乃。花乃。
     ごめんなさいね。私の、遊び心のせいで。
     もしかしたら人形のまま、平穏に。永遠に。生きていけたかもしれないのに。
     でも、私は。あなたたちを人間にしたこと、後悔してない。
     あなたたちは、私に多くの感動と、愛おしさを与えてくれた。
     そして、勝手な言い分かも知れないけれど。
     私は、あなたたちに無限の可能性を贈った。
     元気でいてね。
     幸せになってね。
     私のことは、気にしないでね。

     大好き」

    蒼天剣・琴線録 5

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第60話。良太の愛、雪花の愛。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「知ってしまったのね……」 物陰から柊が現れた。まるで人形のように無表情な顔から、ポタポタと涙が流れている。「ゆ、雪乃さん」「……」 一言発したきり、柊は何もしゃべらない。「その、僕はあなたを助けようと……」 良太が何か言おうとするが、言葉にならない。「……その、あのっ」「もういいわ」 凍りつくような声で、柊が良太の弁明をさ...

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    晴奈の話、第61話。
    消える風景、現れる偶像。

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    6.
     晴奈は元来た通路を、日記を抱えたまま戻っていく。
     そして、出入り口に来たところで――。
    (うわっ!?)
     晴奈は口を押さえ、前を向いたまま、静かに後ずさった。
    (……ま、まあ、仲が戻ったようで何よりか)



     晴奈と良太、そして雪乃は重蔵のところへ戻った。
    「家元。この日記、拝読いたしました。
     最後の頁に『追伸の、追伸。この日記を読んだ人は、読んでいない人に話したりしないでね』と書かれておりましたので、もうお話しいただいてもよろしいかと」
    「……そうか」
     重蔵はコク、と深くうなずき口を開いた。
    「あれから、もう30年近くなるんじゃのう。
     初めに、柊先生から雪さんのことを聞いた時は、そりゃもう仰天したわい。しかしの、その頃にはすでに、本物……、と言うか、普通の人間じゃったからのう。魔力もあったし筋も良かったから、そのまま剣士の修行を積ませることにしたんじゃ。
     まあ、その後のことは周知の通り。うちの師範になり、そのままうちに住み、たまに諸国を漫遊し、晴さんと良太に出会った。
     これがわしの知る、柊雪乃と言う女性についてのすべてじゃ」
    「あの、おじい様」
     そこまで重蔵が話したところで、良太が挙手する。
    「雪花さんの日記には、花乃と言う人物も出てきました。どうやら、雪乃さんの姉妹に当たるようなのですが。こちらは何かご存知でしょうか?」
     重蔵は腕を組み、首を横に振る。
    「すまん。そちらについては皆目、見当も付かん。柊先生から、クリス・ゴールドマンと言う行商人に預けたとは聞いておるが」
    「ゴールドマン? 確か、央中の大富豪では」
     晴奈がそう尋ねたが、重蔵はもう一度首を振る。
    「恐らく、そうじゃとは思う。が、話の筋からして、どうやら傍系の者か、あるいはその名を騙った者のようじゃ。
     今現在どうしているのかは、残念ながら分からん。一度金火狐に手紙を宛ててみたものの、返事は返って来んかった。
     ともかくわしが分かるのは、雪さんと柊先生についてのみじゃ」
     そこで重蔵は深くため息をつき、奥の間に入った。そしてすぐ、晴奈たちのところに戻る。
    「ようやく、これを渡せるのう。
     これは柊先生から、『雪乃が結婚する時は贈ってください』と頼まれていたものなんじゃが」
     重蔵の手には小さな箱が乗せられている。雪乃はそろそろと、その箱を手に取った。
    「母さんの、贈り物……」
     中を開けると、そこには指輪が2つ入っていた。
    「なるほど、結婚指輪ですか」
    「もう、渡してもいい頃合じゃと思うてな」
     雪乃はその指輪を取り出し、はめようとする。が、そこで良太が雪乃の手をつかむ。
    「あ、雪乃さん」
    「え?」
    「それ……、僕が、付けます」
     それを聞いた途端、周りが一斉に反応した。
    「おう、おう。ついに決めなさるか」
     重蔵は嬉しそうにニヤついている。
    「頑張れ、良太」
     晴奈は両拳を胸の前で固め、応援する。
    「……」
     そして雪乃は、顔を真っ赤にして手を差し出した。
    「それ、じゃ。付け、ますね」
     良太も緊張した面持ちで、指輪を雪乃の指にはめた。

     その瞬間、良太の心から、あの殺伐とした風景が消え去った。
    (あ……)
     あの遠い世界の孤独な街灯が、砂になって消えていく。
    (感じる)
     砂は風に舞い、虚空へと飛んで行く。
    (雪乃さんが、すごく……近くに来てくれた)
     砂がすべて散り去った後には――澄み切った青空の下、早春の高原の真ん中でにこにこと笑う雪乃の姿が、ありありと脳裏に浮かんだ。
    (近い! すごく近いよ、雪乃さん!
     僕はようやくあなたの側に、……来られた!)
     良太は目の前にいる雪乃の手を握ったまま、一言発した。
    「結婚、してください」
     雪乃は顔を真っ赤にしながらまっすぐに良太の目を見つめ、小さくうなずいた。

    蒼天剣・琴線録 終

    蒼天剣・琴線録 6

    2008.10.08.[Edit]
    晴奈の話、第61話。消える風景、現れる偶像。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 晴奈は元来た通路を、日記を抱えたまま戻っていく。 そして、出入り口に来たところで――。(うわっ!?) 晴奈は口を押さえ、前を向いたまま、静かに後ずさった。(……ま、まあ、仲が戻ったようで何よりか) 晴奈と良太、そして雪乃は重蔵のところへ戻った。「家元。この日記、拝読いたしました。 最後の頁に『追伸の、追伸。この日記...

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    晴奈の話、第62話。
    紅蓮塞の記念すべき日。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     514年、春。いつもはむさ苦しい紅蓮塞が、今日は華やかに染まっていた。
     現在の家元、焔重蔵の孫である桐村良太と、焔流の女剣士、柊雪乃の婚礼が行われるためである。

    「うっわー」
     宿場街を歩いていた橘は、普段とあまりにも違う塞内の様子に驚いていた。
    「すっご、大イベントじゃないの」
     どこを見ても、「焔家 ご成婚記念」ののぼりが立っている。
    「ご成婚記念、ねぇ。まあ言ってみりゃ、良太くんってこの街の王子サマだもんね」
     雰囲気に流され、橘は道端の露店で温泉まんじゅうを買う。
     が、食べようと包みを開いた瞬間、思わず吹き出してしまった。
    「ぷっ」
     まんじゅうすべてに良太と雪乃の顔が、焼印で押されていたからだ。
    「ココまで来るとちょっと引くわー。食べられないってば、こんなの」
     と、一人冗談をこぼしつつ、口にぽい、と放り込む。
    「はむっ。……うっわ、あっまーい」
     橘は頬を押さえながら、まんじゅうすら甘ったるい、この街の浮かれようを笑っていた。
    「二人の仲を祝って、ってコトなのかしらねー。でもこのデザインはありえないでしょ」
     そう評しつつ、先ほどの露店を振り返ると――。
    「ぶふっ」
    「これ、良太さんかしら」
     あごひげを生やした侍風の、子供を背負った短耳の男と、見るからにおしとやかな白い「狐」の女性が、まんじゅうを見て笑っていた。

    「こりゃねーよ、わはは……」
    「本当、少しお遊びが過ぎますね、ふふ……」
     謙と棗はそのまんじゅうを見つめ、大笑いしていた。
    「むぐ。……あら、とっても甘い」
    「ほう。一つくれないか」
     桃を背負って両手がふさがっているため、棗が謙の口にまんじゅうを運ぶ。
    「はい、どうぞ」
    「むしゃ。……うは、甘いなぁ」
     謙は顔をしかめつつも、まんじゅうを飲み込む。
    「おかーさーん、あたしもー」
     続いてまんじゅうをせがんだ桃にも、棗が食べさせた。
    「はいはい。ほら、あーんして」
    「あーん。……ほんとだ、あまーい」
     まんじゅうをつまみつつ、梶原夫妻は今日の主役について意見を交わす。
    「しかし雪乃があの子と結婚するとは。何度考えてもしっくり来ないんだよな」
    「そうでも無いですよ。良太さんは芯が清く、優しい方ですもの。雪乃さんには、それが良く分かっていらっしゃるのよ」
    「まあ、そうだな。頼りないところはあったが、その点は雪乃が補ってやるだろうからな。そう考えると、似合いの二人なのかも知れん」
     と、ここで桃が口を挟んでくる。
    「ねえ、おとうさん。ゆきのさんって、どんなひと?」
    「んー、そうだな。ちょっとオクテだけど、気が良くて明るい、いい子だな」
    「おくて、って?」
    「あー、と、どう言ったもんか。
     ……そうだな、例えばあっちの露店で、このまんじゅうを食べようかどうしようか、もじもじしてるような奴って感じだな」
    「あのちゃいろの『とら』さん?」

    「か、顔が。……うーん」
     買ったまんじゅうを見て、柏木は硬直した。
    「こう言うの、苦手なんだよなぁ。うぐいす餅とかひよこまんじゅうとか人形焼きとか、動物とか人っぽいお菓子。
     しかしおめでたいものだし、食べないと悪いよなぁ」
     意を決して、口にぽい、と入れる。
    「……ぐ、んがっ!?」
     が、口に投げる勢いが良すぎたために、のどに詰まらせてしまった。
    「ゲホ、ゴホ、ぐえ、ゲホ……」
     柏木はのどを押さえ、悶絶する。
     と、そこへ梶原一家が慌てて寄って来た。
    「だ、大丈夫ですか!? ……えいっ!」
     棗が柏木の背中をバシバシと叩き、まんじゅうを柏木ののどから叩き出した。
    「げっ、ゴホッ、……ハァハァ」
     顔を真っ赤にしたまま、柏木は棗に礼を言う。
    「す、すみません、お騒がせ……、ゲホ」
    「無理なさらないで。……はい、お水」
     棗の差し出した水をガブガブと飲み、柏木はようやく落ち着いた。
    「はー、はー」
    「おいおい、焔剣士ともあろう者が情けねーなぁ」
     呆れた顔でつぶやいた謙に、柏木が目を丸くする。
    「え? あ、あなたも焔の方ですか?」
    「おう。俺の名は樫原謙だ、よろしくな」
    「あ、これはどうも。私、柏木栄一と申します。青江は楢崎瞬二派の、焔流の者です」
     柏木の自己紹介を聞いた謙は目を丸くした。
    「え? 君、楢崎さんのお弟子さんか? いやー、こりゃどうもどうも」
    「先生をご存知なんですか?」
    「塞にいた時にゃ、お世話になったもんだ。っと、ちゃんと名乗らなきゃな。本家、焔流免許皆伝の身だ。よろしくな」
     道端で自己紹介を始めた途端、周り中から同じような声が沸き起こる。
    「楢崎先輩なら、私も知ってます!」
    「え、君も?」
    「じゃ、本家?」
    「わあ、私も教えてもらったんですよ!」
     ざわめく宿場街を見て、騒ぎの発端となった謙と柏木は、互いに困った顔をした。
    「はは……、雪乃に会うはずが、これじゃ同窓会だ」
    「思いがけず、ですね……」



    「何なのよー、ホント」
     急に込み始めた街路を縫うように歩きながら、橘はブツブツ文句を言う。
    「通れないっつーの。……もう、服がグチャグチャになっちゃうじゃん!」
     橘は袖を互い違いに握りしめながら、杖を懐に挟んでじりじりと進む。
    「よいしょー、よいしょっ」
     人ごみを何とか切り抜け、細道に入る。そこで巫女服の乱れを直し、杖が無事なことを確認する。
    「33、34、35……、36、と。よし、鈴は全部無事ね」
     杖に付けた鈴をシャラシャラ鳴らして、問題が無いことを確認した。
     と――視界の端に、人の顔が見えた。
    「あれ?」
     一瞬見えたその顔に、橘は見覚えがある。いや、あるどころでは無い。
    「え、雪乃?」
     橘はその人物が向かった細い路地に入ってみる。
    「おーい?」
     だが、路地には橘以外には、誰の姿も無かった。
    「……見間違い? 一瞬、雪乃がいたと思ったんだけど」

    蒼天剣・夢幻録 1

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第62話。紅蓮塞の記念すべき日。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 514年、春。いつもはむさ苦しい紅蓮塞が、今日は華やかに染まっていた。 現在の家元、焔重蔵の孫である桐村良太と、焔流の女剣士、柊雪乃の婚礼が行われるためである。「うっわー」 宿場街を歩いていた橘は、普段とあまりにも違う塞内の様子に驚いていた。「すっご、大イベントじゃないの」 どこを見ても、「焔家 ご成婚記念」のの...

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    晴奈の話、第63話。
    雪乃の今後と、橘たちの邂逅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     宿場街と修行場の境にある、催事場の新婦控え室。
    「夢みたい……」
     白無垢の装束を羽織った雪乃が、側にいた晴奈につぶやく。
    「わたしが、結婚するなんて」
    「大丈夫です。夢ではありません」
     晴奈も普段の道着姿とは違い、振袖を着てめかし込んでいる。
    「……そうね、ふふ」
     晴奈に髪をとかしてもらいながら、雪乃は幸せそうに笑う。
    「ところで、……師匠」
    「ん?」
    「今後はどうされるのですか?」
     晴奈はためらいつつも、雪乃の身の振りについて尋ねる。
    「刀は置かないわ。それは確か」
    「そうですか」
     晴奈は内心、ほっとする。
     それを鏡越しに見透かしたらしく、雪乃がクスッと笑う。
    「あら、やめちゃうと思ってた?」
    「えっ? あ、いや、その」
     動揺する晴奈を見て、雪乃はまた笑う。
    「剣士の道は、わたしの人生そのものだもの。それを捨てたら、わたしと言う人間が一気にぼやけてしまいそうだから」
    「……そうですね。私も、刀を置いた師匠と言うのは想像もつきません」
    「あら、わたしはそんなに無骨な女かしら?」
     いじわるっぽく笑う師匠に、晴奈は苦笑しつつこう返した。
    「いやいや、そんなことは。私にとって師匠は、理想の女性です」
    「あら、ありがと」
     身だしなみを整え終えたところで、雪乃は化粧台から立ち上がり、窓の外を見た。
    「……わたしたちのために、こんなに人が集まってくれるなんて」
     眼下に広がる宿場街と、そこにある人だかりに向けて、雪乃は小さく頭を下げた。

     一方、良太は――。
    「じゃからな、夫婦と言うものは、すべからく……」
    「は、はあ」
     式に浮かれ酔っ払った重蔵の、20周目に入った話を、困った顔で聞いていた。



    「うーん」
     路地をいくら見回しても、橘は先程の女性を見つけられなかった。
    「絶対、雪乃だと思ったんだけどなー」
     完全に見失ったため、諦めて大通りに戻ろうとする。
     と、向かいからバタバタと人が入ってきた。
    「はー、ここなら落ち着いて歩ける」
    「本当に、大騒ぎになってしまいましたからね」
     梶原一家と、柏木である。
    「おまんじゅう、もうないの?」
     指をくわえながら尋ねる桃を、棗が叱る。
    「こら、指をくわえてはいけませんよ。……ごめんなさいね、あの騒ぎで落してしまったみたいなの」
    「えー」
     無いと言われてもなお、桃はねだる。
    「たべたいー」
    「無理を言っては行けませんよ、桃。もう少し騒ぎが収まってから、また買いに行きましょう」
    「……たべたいのー」
     ぐずる桃を見て、橘は思わず、自分が買っていたまんじゅうを差し出した。
    「あの、良かったらどうぞ」
    「あら、いえいえ、お構いなく」
     遠慮する棗に、橘は再度勧める。
    「いえ、あたしももう、お腹が一杯で。どうぞ、召し上がってください」
    「そうですか? それでは、ありがたく……」
     棗はまんじゅうを受け取り、桃に食べさせた。
    「ありがと、おねえちゃん」
     きちんと礼を言った桃に、橘はにっこり笑って返した。
    「いーのいーの、美味しく食べてちょうだい」

     その後、謙から大通りでの騒ぎの原因を聞かされ、橘は大通りをながめる。
    「まだ思い出話に花が咲きっぱなし、って感じねー」
    「桃もいるから、俺達は早々に切り上げたんだが、あの様子じゃまだまだ混みそうだ」
     謙の言葉に、橘は肩をすくめる。
    「んじゃ、裏路地を進んだ方が早く着きそうね」
    「ああ。良ければ一緒に行くか?」
    「ええ、喜んで」
     橘たち五人は裏路地を進みつつ、自己紹介を交わした。
    「雪乃とは俺が若い頃、一緒に修行してたんだ。で、小鈴さんはどんな関係で?」
    「あたしは旅の仲間。昔から良く、あっちこっち旅してたの」
     橘の話に、謙はうんうんとうなずく。
    「あー、そう言やちょくちょく姿を見せなかったなー」
     と、こんな風に雪乃の思い出話を語っていたところで――。
    「……!」
     橘はまた、雪乃に似た誰かが路地の角を曲がっていくのを、目の端にとらえた。

    蒼天剣・夢幻録 2

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第63話。雪乃の今後と、橘たちの邂逅。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 宿場街と修行場の境にある、催事場の新婦控え室。「夢みたい……」 白無垢の装束を羽織った雪乃が、側にいた晴奈につぶやく。「わたしが、結婚するなんて」「大丈夫です。夢ではありません」 晴奈も普段の道着姿とは違い、振袖を着てめかし込んでいる。「……そうね、ふふ」 晴奈に髪をとかしてもらいながら、雪乃は幸せそうに笑う。...

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    晴奈の話、第64話。
    草葉の陰から。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「どうされたのですか、小鈴さん?」
    「今、あの角に雪乃が……」
     橘の言葉に、謙も柏木も目を丸くする。
    「何ですって?」
    「そりゃ無いだろう。雪乃は今、式の準備中だろうし」
    「でも、確かにいたのよ」
     橘は後を追いかけようと、ひょいと角を曲がったところで――。
    「おわっ!?」《きゃっ!?》
     曲がった途端にその誰かとぶつかってしまい、橘は尻餅をついた。
    「いてて……、ご、ごめんなさーい」
     謝りながら立ち上がり、橘は相手に手を差し伸べる。
    「大丈夫ですか?」
     深緑の着物を着た、その長耳の女性は、ぱたぱたと手を振りつつ謝り返してきた。
    《い、いえ、大丈夫です。あなたこそ、お怪我はありませんでした?》
     ヨタヨタと立ち上がるその女性の声を聞いて、橘は違和感を覚えた。
    (あれ? 何か今の声、……変じゃない?
     何て言うか、薄皮一枚隔ててるって言うか、ちょっと遠いトコにいますよって言うか)
     橘がいぶかしんでいる間に、女性はパタパタと着物の裾をはたきつつ、橘の方に振り返った。
    「……!? え、やっぱ雪乃?」
    《え?》
     その女性は、雪乃そっくりの顔をしていた。

     橘たち五人は突き飛ばしたおわびも兼ねて、路地の途中にあった喫茶店で女性にお茶をおごりつつ、話をすることにした。
    「それじゃ雪花さんって、雪乃の……?」
    《はい。あまり大きな声では言えないのですが、あの子の母です》
     雪花と名乗ったその女性は、うつむきがちに話す。
    《あの子が幼い頃から、わけあってこの塞で預かっていただいて》
    「それで今度雪乃が結婚するから、一目会いたい、と」
    《そうです。……今さら、会える道理は無いのですが》
     雪花は悲しげな顔でお茶をすする。謙が頭をかきながら、なだめている。
    「まあ、そう言いなさんな、雪花さん。やっぱり嬉しいぜ、自分の親が来てくれたら」
    《そうでしょうか……?》
     謙は横にいる棗の肩を抱き、自信たっぷりにうなずく。
    「ああ、間違い無い。俺と棗の結婚の時もそうだったもんな」
    「ええ、そうですね」
     棗も微笑んで同意する。
    「この人、親の前で『ありがとう、ありがとう』と言いながら号泣……」「いいから。それはいいから」
     謙は棗の肩から手をほどき、両手を合わせてやめさせた。その様子を見ていた雪花が、口元に手を当てて苦笑する。
    《ふふ、仲がいいんですね》
    「あら」
     その仕草を見た橘は、感心した声をあげる。
    「雪花さん、やっぱり似てる」
    《そう、ですか?》
    「今の笑い方、雪乃も良くやってたわ。やっぱり親子なのね」
    《そう……。それを聞くと、本当に会いたくなりますね》
     また、うつむきがちにお茶をすする。ずっと見ていた柏木が、ためらいつつも尋ねてみる。
    「あの、雪花さん。お会いになればいいのでは?」
    《……そうしたいのは、山々ですが》
     雪花はなお、ためらう。
    《先程も申し上げた通り、今更会うことなど、私には到底できないのです。
     ですからこうして、草葉の陰で見守っていることしか》
    「ちょっと、『草葉の陰』って……。まるで死んでるみたいなこと、言わないで下さいよ。こんなおめでたい日に、不謹慎ですよ」
     柏木はたちの悪い冗談と思ったらしく、雪花の返答に苦い顔を返す。
    《あっ、えっと、その……、いえ、そうですね。変なこと、言ってしまいましたね》
     だが、橘はこの女性が、まともな人間でないこと――幽霊であることを薄々察していた。
    (あー、間違い無い。この人、死んでる人だわ)
     と言ってもこの時点までは確信は無かったのだが、柏木の言葉に見せた雪花の反応で、それを確信した。
     と、向かいに座る樫原夫妻も、どうやら自分と同じことに気付いているらしく、神妙な顔を並べている。
    (やっぱり、……よね?)
     橘は隣にいる雪花に気付かれないよう、謙に目配せする。
    (ああ。多分、間違い無い)
     謙はわずかにうなずき、橘に同意する。が――。
    (つっても悪霊とかじゃ無さそうだし、このまま……)
    (ああ。指摘したり攻撃したりなんかせず、話を聞くだけのが良さそうだ)
     橘たちは花嫁の母親の幽霊を交えた、奇妙な茶会を続けることにした。



     式の手伝いをしていた門下生が、雪乃を呼びに来た。
    「柊先生、間もなく式が始まります」
     それに応じ、雪乃は晴奈を伴って部屋を出る。
    「いよいよ……、ね」
    「緊張していらっしゃいますか?」
     そう尋ねる晴奈を見て、雪乃は口に手を当ててクスクス笑う。
    「晴奈、あなたの方が緊張してるんじゃない? 目、すわってるわよ」
    「いや、……どうも、慣れなくて」
    「わたしもよ。ねえ、晴奈」
     雪乃はすっと、手を差し出す。
    「手を握ってて」
    「え?」
    「緊張してるの。いいかしら?」
     請われた晴奈は、雪乃の手を優しく握りしめる。
    「ありがと」
    「……師匠。こんな時に、何ですが」
     晴奈はわずかに目をそらし、恥ずかしそうに告白した。
    「私は師匠のことを、……その、姉のように慕っていました。その、不敬だとは思っていたのですが」
    「あら、そんなこと無いわよ。わたしも妹みたいに思ってたもの」
    「そ、そうですか」
     雪乃はまた、クスクス笑う。
    「これからはお姉ちゃんって呼んでもいいわよ」
     そう提案した雪乃に、晴奈は顔を赤くしつつ首を振る。
    「い、いやいや。……姉と思っても、やはり私には師匠です」
    「そう。……それにしても、良太はあなたを姉と慕い、あなたはわたしを姉と慕っていた。そしてわたしが、良太と結婚。
     あなたが良く言っているけれど、これこそ『何が何やら』って話よね」
    「はは……」
     他愛の無い話をするうちに雪乃の緊張はほぐれ、握っていた手が緩む。
    「そろそろ神前式の場に着くわ。ここからはわたしだけで行くから式場で待っていてね、晴奈」
    「はい」

     一方、良太は――。
    「すみません、本当に」
    「い、いえ」
    「どうかこのまま、式が始まるまで眠らせて置いてください。よろしくお願いします」
    「あ、はい」
     門下生に平謝りし、新郎控え室で酔いつぶれた重蔵の世話をお願いしていた。

    蒼天剣・夢幻録 3

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第64話。草葉の陰から。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「どうされたのですか、小鈴さん?」「今、あの角に雪乃が……」 橘の言葉に、謙も柏木も目を丸くする。「何ですって?」「そりゃ無いだろう。雪乃は今、式の準備中だろうし」「でも、確かにいたのよ」 橘は後を追いかけようと、ひょいと角を曲がったところで――。「おわっ!?」《きゃっ!?》 曲がった途端にその誰かとぶつかってしまい、橘は尻餅...

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    晴奈の話、第65話。
    滑り込みセーフ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「……あっ!」
     雪花との談話の途中、橘が式の時刻を思い出し、思わず立ち上がる。
    「店長さん、今何時!?」
    「ん、13時47分ですね」
     一人席の向こうで皿を拭いていた若い狐獣人の店主が、後ろにかけてあった時計を見て答える。確かに、針は二つとも上方を差している。
    「いっけない! 雪乃の結婚式、始まっちゃうわ!」
    「あ、やべっ」
     橘たち五人は慌てて席を立ち、店主に金を払う。
     だが、雪花は席こそ立ったものの、五人とは距離を置いている。どうやら、ここで別れるつもりらしい。
    「ねえ、行きましょうよ、雪花さん」
     柏木はまだ雪花を誘おうとするが、雪花は依然として、首を縦に振らない。
    《いいえ、わたしはここで……》
    「何でですか? 行ってあげても……」「いいよ、栄一くん。雪花さんにも、色々事情はあるんだろう」
     謙は柏木を抑え、雪花に向き直る。
    「じゃあ、俺たちは行くけど。何か伝言とか、あるかな?」
    《え……、と。そう、ですね。では……》
     雪花は少し黙り込んだ後、一言だけ伝えた。
    《幸せになって、と》

     店を出た五人は、すぐに大通りへと駆け出す。
    「式って2時からよね?」
    「ええ、確か」
    「間に合うかなぁ」
    「急ぎましょう!」
     大通りの混雑は既に引いており、走れば十分に間に合いそうだった。
    「しかし、奇遇ですよね」
    「うん?」
     走りながら、柏木がつぶやく。
    「柊先生のお母さんと、式の日に会うなんて」
    「……どうでしょうね?」
     棗は少し笑いながら、こう答える。
    「もしかしたら、雪花さんがわたくしたちを引き寄せたのかも」
    「はぁ……?」
     まだ雪花が幽霊だったとは気付いていないらしく、柏木はきょとんとしていた。



     神前式が済み、雪乃と良太は二人並んで式場へと歩いていた。
    「……ねぇ」
     式場までの付き添いたちに聞こえないような小声で、雪乃が尋ねる。
    「おじい様はどうされたの? 確か神前式は、一緒に出るはずじゃなかった?」
    「それがですね」
     良太も同じように、小声で返す。
    「あんまり嬉しかったみたいで、酔っぱらって寝ちゃったんです」
    「あら……」
     雪乃は笑いそうになるのをこらえながら、良太の様子に気付いて手を握った。
    「……ふふ、やっぱり緊張してる」
    「そりゃ、しますよ」
    「実はわたしもさっき、あんまり緊張してたものだから、晴奈に手を握ってもらっていたの」
     雪乃がそう言うと、良太は手を強く握り返してきた。
    「じゃあ、僕が震えてる場合じゃないですね」
    「あら、頼もしいわね」
    「……ダメだ。やっぱり震えてきちゃう」
     良太の言葉通り、雪乃の手に振動が伝わってくる。だが、握るのをやめようとはしない。
    「でも、式場まで絶対、放しませんよ」
    「ありがと、良太」
     雪乃も強く、握り返す。
    「じゃ、わたしも絶対、放さないから」
    「ありがとう、雪乃さん」
     手をつないだまま、二人は式場へと進んだ。

    「はー、はー」
    「今、何時?」
    「14時、ちょっと前ですね」
    「間に合ったー」
     橘たち五人はなだれ込むように、式場に到着した。
    「お、晴奈くんだ」
     謙が席に着いていた晴奈を見つけ、手を振って近寄った。
    「あ、樫原殿! お久しぶりです!」
     近寄ってきた謙に、晴奈は立ち上がって深々と頭を下げた。
    「相変わらずだなぁ。そんなにかしこまらなくても。……まだ、始まってないよな?」
    「ええ、そろそろ神前式も終わりますし、間も無く二人が来る頃かと」
    「そっか。いやー、危ない危ない」
     謙は汗を拭きつつ、晴奈の横の席を確認する。
    「お、丁度良かった。俺たちの席っぽいな」
    「あ、はい。この辺りはすべて友人席ですから」
    「そっか。……確かに、さっき会った奴の名前がズラッとあるな。それじゃ棗とか、途中で会った奴とかも呼んでくるわ」
     謙はまた立ち上がり、入口にいた橘たちを呼ぶ。
    「おーい、ここに席あるぞー」
    「はーい」
     橘も手を振りつつ、晴奈の側に寄った。
    「よいしょー、っと。……あら、晴奈ちゃん久しぶりー」
    「お久しぶりです、橘殿。棗殿も、お元気そうで」
    「ええ、お久しぶりね。ほら、桃もご挨拶なさい」
     棗に背負われていた桃が、眠たそうに頭を下げる。
    「むにゃ、こんにちは、……すー」
    「あ、眠っちゃ……、すみませんね、この子疲れているみたいで」
    「いえ、お気遣い無く。……と、柏木さんも、お久しぶりです」
     棗の後ろにいた柏木はぺこ、と頭を下げる。
    「お久しぶりです、黄さん」
    「元気そうで、なによりです。……楢崎殿は、まだ?」
    「はい、未だに行方はさっぱりで。残念ながら今回の式も、代わりに私が、と言うことで」
    「そうですか……。早く戻って来られるといいですね」
    「ええ、本当に。……ささ、湿っぽい話はこのくらいにして」
     柏木も席に着いたところで、式場が静かになる。
     雪乃と良太が、式場に現れた。

    蒼天剣・夢幻録 4

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第65話。滑り込みセーフ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「……あっ!」 雪花との談話の途中、橘が式の時刻を思い出し、思わず立ち上がる。「店長さん、今何時!?」「ん、13時47分ですね」 一人席の向こうで皿を拭いていた若い狐獣人の店主が、後ろにかけてあった時計を見て答える。確かに、針は二つとも上方を差している。「いっけない! 雪乃の結婚式、始まっちゃうわ!」「あ、やべっ」 橘たち...

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    晴奈の話、第66話。
    夢より深いところ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「先生、起きてくださいねー」
     誰かが声をかけてくる。
    「う、ん……、お、っと」
     重蔵は重たいまぶたを、どうにかこじ開けた。
    「しまった、寝てしもうたか」
    「はい、お水どうぞ」
    「……?」
     目の前には若い狐獣人の店主がいる。
     そこは何故か、喫茶店だった。
    (はて……? わしは確か、催事場で良太に、夫婦の何たるかを教えておったような気がしたんじゃが?)
    「大丈夫ですね?」
     店主が心配そうに見つめてくる。
     重蔵は心配無いと言う代わりに、出された水をぐいと飲んだ。
    「……ぷはっ。……ほう、これは甘露じゃな」
     一息に飲んで、重蔵の目はぱっちりと覚めた。
    「酔い覚ましの水は格別にうまいものじゃが、それを差し引いても抜群じゃ」
    「ええ。大分深いところから、水を引き上げていますからね」
    「そうか、そうか」
     酔いが引いてきた重蔵は、周りをくるっと見渡した。
    「……おや?」
     深緑の着物を着た見覚えのあるエルフが、「狐」の女の子を膝に乗せて壁際の席に座っている。
    「おう、雪さんじゃないか」
    《あら》
     声をかけられたエルフは顔を上げ、重蔵に笑いかけた。
    《お久しぶりです、焔先生》
    「……おや? 雪さんではないな?」
     顔立ちは自分の愛弟子、雪乃に良く似てはいるが、良く見れば別人である。
    「ん……? その深緑の着物、……まさか柊先生? 柊雪花先生か?」
    《覚えていて下さったのですね、焔先生》
     重蔵の額に、ぶわっと汗が広がる。
    (まさか、わしは死んだのか?)
    「いいえ」
     重蔵の様子を察した店主が、下を向いたまま口を開く。
    「ここは現実から少し離れた世界、言ってみりゃ夢みたいなもんですね。先生は酔ったまま眠ったから、こちらに一時、お越しになったようですね」
    「そ、そうか」
     重蔵は自分の胸に手を当て、鼓動があることを確認する。
    (確かに、生きておるようじゃな)
    「こちら、どうぞ」
     店主が差し出した手布を受け取り、額の汗を拭う。
    《今日は本当に、雪乃に縁のある方が集まってきますね》
    「ふむ。まあ、式じゃからのう、今日は」
     平静を取り戻してくると、この状況にも気楽に振舞えるようになってくる。
     重蔵はとりあえず、30年ぶりに見る友人と話をすることにした。
    「まあ、変わっとらん……、と言うのは当たり前かのう」
    《そうですね、ふふ》
    「先生は確か、42で亡くなられて……」
    《ええ、そうです。重蔵さんは、大分お年を召したようですね》
    「それも、当たり前じゃな」
     いつの間にか店主が差し出したお茶を飲みながら、重蔵は笑う。
    「あれから何年経ったことか。あの頃幼かった雪さんが、もう人の妻になる歳じゃろ。時が経つと言うのは、時々恐ろしくなるくらいに早いものじゃ」
    《本当に、その通りですね。
     この30年、ずっとお堂の下で過ごしてきたけれど、入門したての子が何年かして、免許皆伝の試験でまたやって来た時、いつも驚きますもの。みんな、あんまりにも背格好が変わってしまいますから》
     雪花もお茶を飲みつつ、思い出話を語る。
     と、雪花の膝で眠っていた「狐」の女の子が、むくっと起き上がった。
    「う……、ん。……あれ?」
     女の子は眠たげな目で、辺りを見回す。
    「あ、おばちゃん」
    《おはよう、桃ちゃん》
    「ここ、さっきのおみせ?」
    《そうよ。眠っちゃったから、またこっちに来てしまったみたいね》
     雪花は桃の頭をなで、店主に声をかける。
    《すみません、この子を帰していただいてもいいですか?》
    「いいよ。さ、こっち来な、桃ちゃん。おね、……じゃないや、お兄さんが送ってあげるからね」
     店主はやや大儀そうに、雪花たちの方へ歩いてきた。
    「ん……?」
     その力の抜けたフラフラとした歩き方に、重蔵は既視感を覚える。
    「もし、店主」
    「うん?」
    「以前、お会いしたことは無かったか?」
    「ありますね。雪花を送った時に」
     店主は重蔵に顔を向けず、気だるそうに答えた。
    「……? いや、確かに柊先生を預かった時、付き添いがおったのは覚えておる。しかし、『狐』ではなかったような……?」
     そこでようやく、店主が振り向いた。
    「ああ、あの時は『この姿』じゃありませんでしたね。確か、……何だっけ、雪花。あの時、私は『猫』だったっけ? 長耳だったっけね?」
    《『猫』だったわ。花乃が細い尻尾にじゃれ付いていた記憶があるから》
     雪花の返答を聞き、店主はポンと手を打つ。
    「あ、そうそう。うん、『猫』だったね。割りと可愛い系のね。あの時期、何やかやでしょっちゅう体換えてたから、記憶がぼんやりなんだよねぇ」
     店主の妙な話と言葉遣いを聞くうち、重蔵の記憶が呼び覚まされていく。
    「……思い出した。確か店主、あなたの名前は――モール、でしたな。
     何百年と生きる、旅の魔術師。時代によってその姿かたちは異なり、種族や性別すら異なることもあると言う……」「まあその辺で、ね」
     店主は肩をすくめつつ、重蔵の言葉をさえぎる。
    「私のことは第三者ですし、気にしないで下さいね。
     桃ちゃんを送っていくので、その間じっくり、二人で昔話でもどうぞ」
     そう言うと店主は桃に手を差し出し、にこっと笑いかける。
    「さ、桃ちゃん。お母さんのところ、帰ろうねー」
    「はーい」
     桃は素直にその手を握り、店主とともに店の奥へと消えた。
     その様子を眺めながら、雪花はクスクス笑う。
    《あの方、高名な魔術師なのにとても子煩悩ですのよ。でもその分、大人にはひどく冷たいみたい》
    「ほう。しかしその高名な者が、何故こんな店など……?」
    《さあ……? 気まぐれな方ですから、こう言う日にわたしを呼び起こすのも一興かと思っているのかも》
     雪花は笑いながら席を立ち、重蔵の横に腰かける。
    《今日一日はここにいられます。よろしかったら、ゆっくりお話を》
    「うむ、そうしようか。……ふむ」
     重蔵は店主がいたところを探り、棚から酒を取り出した。
    「茶もいいが、おめでたい日じゃ。やはりこちらの方が、話が進むわい」
    《あら、こちらでもお飲みになるんですね、ふふ……》



    「むにゃ……」
     式の途中から眠ってしまった桃は、むくっと起き上がった。
    「おはよう、桃」
     すぐ側にいた棗が声をかけ、お茶を差し出す。
    「おはよ、おかあさん」
     桃はまだ半分ほど、寝ぼけている。
    「あれ? もーるさんは?」
    「モール? ……誰かしら?」
     きょとんとする棗には応えず、桃は辺りを見回す。
    「あれ? ……おみせ、じゃない」
    「もう、この子ったら寝ぼけて。……ほら、ちゃんと起きなさい。綺麗よ、花嫁さん」
     棗に抱えられ、桃は上座の新郎新婦を眺める。
     あちこちから酌を勧められ、祖父同様泥酔しかかっている良太はさておき、雪乃の方は非常に美しかった。化粧も整っており、酒を勧められて多少赤くはなっているものの、それがかえって艶っぽさを引き出している。
    「わー……、せっかさん、きれい」
     雪花と雪乃の見分けが付かない桃の一言に、棗は苦笑した。
    「桃、あれは雪花さんじゃなくて、雪乃さんですよ」
    「……え?」
     横から、驚いたような声が漏れる。
    「棗殿、今何と仰いました?」
     晴奈が目を丸くして、聞き返してきた。

    蒼天剣・夢幻録 5

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第66話。夢より深いところ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「先生、起きてくださいねー」 誰かが声をかけてくる。「う、ん……、お、っと」 重蔵は重たいまぶたを、どうにかこじ開けた。「しまった、寝てしもうたか」「はい、お水どうぞ」「……?」 目の前には若い狐獣人の店主がいる。 そこは何故か、喫茶店だった。(はて……? わしは確か、催事場で良太に、夫婦の何たるかを教えておったような気がし...

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    晴奈の話、第67話。
    式もたけなわになりまして。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「……面妖な」
     式の合間に話を聞いた晴奈は、橘たちから聞いた雪花の話に眉をひそめていた。
    「確かに、師匠の母上は雪花と言う名前ですし、それを知る者はいないはずです。橘殿の話ですし、信じるには十分なのですが……、うーん」
     霊能関係を嫌う晴奈としては、なかなか信じられる話ではない。
    「まあ、式が済んだら、師匠に話をしてみましょうか」
    「そうね。お母さんからの祝辞も預かってるし」
     一方、話を聞いていた柏木は真っ青な顔をしている。
    「あ、あれ、幽霊だったんですか……」
    「やっぱり、気付いてなかったんだな」
     謙は今頃怯え出す柏木を見て、笑っていた。



    「はい、ただいま……、って。先生、また飲んでたね?」
     戻ってきた店主、モールが一人席でいびきをかいている重蔵を見て、呆れた声を出す。
    《珍しいわ。いつもは先生、こんなに飲む人じゃないのに。よほど嬉しいのね》
    「だろうね。人の酒、こんなに飲むなんてね。
     ……げ、これ『白狐』じゃない。たっかい酒、こんなにガブ飲みするかね、普通?」
     モールは口をとがらせつつ、重蔵が抱えていた酒瓶を取り上げ、棚にしまおうと戸を開ける。
    「うわぁ」
     棚の中にあったはずの酒が、半分ほど空にされている。
    《ごめんなさい、モール。……だいぶ、開けてしまわれて》
    「人の隠れ家、飲み放題の酒蔵か何かだと思ってるのかね、まったく。
     ……はぁ。『猫桜』も、『雪兎』も残ってない。いくらすると思ってるんだかね、もう」
     空になった酒瓶を恨めしそうに眺めるモールを見て、雪花は頭を下げる。
    《ごめんなさいね、本当に。……美味しかったわ》
    「そりゃそうだろうねぇ、秘蔵の逸品だったしねぇ。
     ……と、そろそろ戻ってもらわなきゃ。あんまり魂を引っ張ったまんまじゃ、体に悪いね」
     モールは酔い潰れた重蔵の肩を叩き、起こそうとする。
    「ほら、先生。そろそろ起きてくださいね」
    「うう……む」
    「ほら、起きて」
     何度か肩をゆすり、ようやく重蔵が頭を上げる。
    「おお、すまんのう」
    「すまんじゃないですって、先生。ほら、帰りますね」
     重蔵はフラフラと立ち上がるが、足取りがおぼつかない。見かねたモールが肩を貸す。
    「うっげ、酒臭っ。……ほら、帰りますって、ね」
    「……柊先生」
     重蔵はよたよたと歩きながらも、雪花に話しかける。
    《はい、何でしょう?》
    「また、会いましょう」
    《ええ。また、今度》
     重蔵は小さくうなずき、モールとともに店の奥へ消えた。

    「……お?」
     新郎控え室の、畳の上。重蔵はようやく目を覚ました。
    「いかん、寝てしもうた」
     周りを見ると、自分の世話をしていたらしい門下生が一人、うたた寝している。そして視界に入った時計は、既に4時を回っている。
    「……しまった!」
     慌てて立ち上がり、式場へと走ろうとして――。
    「……う、え」
     口を押さえ、反対側にある手洗い場へ逆走した。

    「いかんいかん、飲みすぎたわい。まったく、この歳にもなって酒に呑まれるとは」
     式場へと急ぎつつ、自分の悪酔いを恥じていると――。
    「あ、おじい様!」
    「おう、良太。……しまった、間に合わなんだか」
     良太と雪乃、晴奈、その他友人たちがぞろぞろと、式場から出てきた。
    「気分の方は大丈夫ですか?」
    「ああ、ちと酔いが残っておるが、まあ、悪くは無い。
     ……すまんかったのう。よりによってお前の式に行きそびれるとは。一生の不覚じゃ」
     がっくりとうなだれる重蔵を見て、棗に背負われていた桃がなぐさめの声をかける。
    「だいじょうぶ、おじいちゃん? おげんき、だして」
    「……はは、心配いらんよ桃ちゃん。式が無事済んだのなら、不満なんかありゃせんよ」
     重蔵は自分の失敗を笑い飛ばし、場を和ませようとした。
     だが、その場にいた桃を除く全員が、不気味なものを見るような目で重蔵を見ている。
    「……ん? どうかしたかの、みんな?」
    「な、何で家元、俺の娘の名をご存知なんですか? お会いするのは、初めてのはずなんですが?」
     謙が恐る恐る尋ねてくる。桃が何てこと無い、と言う感じで答えた。
    「おみせで、あったもん」
    「おう、そうじゃ。『狐』の店で、な」



     今日起こったことのすべてを聞き、雪乃と良太は目を丸くしている。
    「小鈴たちがわたしの母さんと会って」
    「おじい様と桃ちゃんが、同じ店にいた、と」
     二人は顔を見合わせ、笑い出す。
    「クスクス……、今日はみんな、大変だったのね」
    「そうみたいですねぇ、ふふ」
     橘たちもつられて笑い出す。
    「あはは……、不思議な日だったわ、ホント」
    「なかなか無い体験だった、うん」
     重蔵も嬉しそうに腕を組み、うなずいている。
    「めでたい日にこれだけ、不可思議なことが起こる。間違い無く、吉兆じゃな。
     ……これは式で言うつもりじゃったが、すっかりすっぽかしてしもうた。名誉挽回のつもりも兼ねて、ここで言うておくかの」
     重蔵は真面目な顔になり、雪乃と良太に祝辞を述べる。
    「良太。雪さん。おめでとう。相思相愛で何よりじゃが、時には……」
     重蔵の長い祝辞に、良太は心の中で辟易していた。
    (……これ、さっき何回も聞かされたのと同じ内容だ)
     その様子を察した雪乃が、片目をつぶって目配せする。
    (いいじゃない、おじい様がわたしたちを大事に思ってくれている証だから)
    (そうですね)
     良太も片目をつぶって、雪乃に応えた。

    蒼天剣・夢幻録 6

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第67話。式もたけなわになりまして。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「……面妖な」 式の合間に話を聞いた晴奈は、橘たちから聞いた雪花の話に眉をひそめていた。「確かに、師匠の母上は雪花と言う名前ですし、それを知る者はいないはずです。橘殿の話ですし、信じるには十分なのですが……、うーん」 霊能関係を嫌う晴奈としては、なかなか信じられる話ではない。「まあ、式が済んだら、師匠に話をしてみま...

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    晴奈の話、第68話。
    モールの予言。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
    「……さて。今日はもう店じまいだね」
     モールが手を拭きつつ、何やら呪文を唱える。
    《わたしも帰らないと》
    「うん、そろそろ時間だね。……雪花」
     詠唱の途中で、モールは雪花に声をかけた。
    「今日は客引き、ありがとね。おかげで――あのじーさんのタダ飲みがなきゃ――ボチボチ儲かったね」
    《いえいえ。……今度はいつ戻ってくるの?》
     雪花に応える前に、モールは手を二度叩く。
     すると店の照明が落ち、椅子や机、調度品は色あせ、喫茶店はただのあばら家になった。
    「んー、4、5年したらもう一回、こっちに来るつもりだね。何で?」
    《……わたしのために、無理すること無いのよ》
     店が消えると同時に、雪花の姿も少しずつ薄れていく。
    《風来坊のあなたが、こんなことで手を煩わせること無いのよ。わたしはもう、生き返るのを諦めているんだし》
    「ま、そう言うなってね。魔術師として、この件から手を引く気にならないんだよね。
     そもそもあの本、雪花は自分の楽しみのために利用したけどね、使い方によっては央南全域を魔物の巣窟に変えることもできちゃう、ヤバい代物だからね。ほっといたら、何が起こるか。
     それを防ぐためにも、私はあの本を手に入れなきゃいけない。キミを助けるのは、そのついでだからね」
     大仰に両手を挙げるモールに、雪花は口に手を当てて、クスクスと笑い出した。
    《モール、あなた本当に素直じゃないわね。本当におせっかいな、ひねくれ者》
    「フン。勝手に私を美化しないでほしいね。私は正義の味方でも何でもないからね。
     ……と、もうすぐ消えるね。それじゃまたね、雪花」
     完全に姿が消える直前、雪花はコクリとうなずいた。
    《……またね、モール。一応、期待しておくから》
     雪花の姿が完全に消える。一人残ったモールはぽつりとつぶやいた。
    「やれやれ……」

    「次は、ドコを探そうかねぇ」
     先ほどまで可愛らしい椅子だった角材に腰掛け、ぼんやりと次の行き先を考える。
    「ドコに行こうかねー……。もう央南は飽きたし。かと言ってバカみたいに寒いトコや暑いトコも、後100年は行きたいと思わないし。
     どーこーがーいーいーかーねー……。あー、たまには占いでもしてみようかね」
     どこからか取り出したくじ束を、先程まで流麗な造りの机だった木箱の上にばら撒く。
    「へぇ? 戦乱の相、革新の相、そして混立の相か」
     占いの結果を見て、モールは腕を組んでうなる。
    「んー、央南にこの三相か。しかも世の中が乱れるほどの、大戦乱。
     ……こりゃ、とんでもない凶兆だね。近いうち、この央南で戦争が起きるらしいね。……もう少し、占うか」
     もう一度、くじ束を木箱に撒く。
    「西の方角、海の気配、……あれ? 女難? くじが混ざっちゃったか」
     女難の相を示したくじを取り除こうとしたその瞬間、モールに悪寒が走った。
    「……! いや、コレは――英傑の相に代わって、女難。どうやらかなりの女傑が現れると見た」
     くじを何度も束ねては撒き、最初に出た三相の答えを探る。
    「戦乱の相には、央南西部の港町に関係がある女傑の登場が示唆されている。
     革新の相には、央南の外――外国から現れる、智将の登場。
     混立の相には、その二人が立ち向かう数多の強敵。
     ……まずいね、コレは。央南で本探しするどころじゃないかもしれない。近い将来、間違い無く央南は戦火にさらされるね、こりゃ」
     モールの顔に、深い嫌悪の色が浮かんだ。



     モールの予言は2年後の双月暦516年、現実のものとなった。
     この年から央南の歴史、世界の歴史――そして晴奈の人生が、大きく動き出すこととなる。

    蒼天剣 夢幻録 終

    蒼天剣・夢幻録 7

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第68話。モールの予言。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7.「……さて。今日はもう店じまいだね」 モールが手を拭きつつ、何やら呪文を唱える。《わたしも帰らないと》「うん、そろそろ時間だね。……雪花」 詠唱の途中で、モールは雪花に声をかけた。「今日は客引き、ありがとね。おかげで――あのじーさんのタダ飲みがなきゃ――ボチボチ儲かったね」《いえいえ。……今度はいつ戻ってくるの?》 雪花に応える前に...

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